第315話 高木家の老朽化と家族会議

「結構、揺れたな」


 膝に縋り付いている愛妻の背中を優しく撫でつつ、春道は天井を見上げた。


 震度にすれば4くらいはあったかもしれない。揺れが収まりつつあるのを我が身で実感すると、春道はテレビをつけた。


『ただいま、地震が発生いたしました』


 多くの放送局ではテロップやアナウンサーが臨時にお知らせするだけだが、ニュースチャンネルでは特別放送に切り替わっていた。


「ここら一帯に起きたみたいですね」


 和葉の手は微かに震えていた。


「こっちではこんなに大きい地震は久しぶりだな」


 震源は春道たちの地方からやや外れているにせよ、最大震度は5強であり、倒壊や地割れに気を付けてほしいとニュースのアナウンサーが盛んに警告している。


「津波はないみたいですね」


「とはいえ、余震に警戒は必要だろ」


 ようやく落ち着いてきたらしい和葉が立ち上がる。

 安心と同時に、離れた温もりに一抹の寂しさも覚えた。

 どうやら春道自身も急な地震で、それなりに心細くなっていたようだ。


「あっ」


 落ちはしなかったが、食器棚の中で乱れている食器類を直そうとしていた和葉が唐突に大きな声を出した。


「どうした」


 慌てて様子を見に行くが、春道の目では緊急の異変を見つけられなかった。

 首を傾げていると、和葉が食器棚ではなく壁を指差した。


「ヒビが入ってる……」


 どこか茫然とした口調。見開かれた目。伸ばした人差し指は小さく震えている。


「あー……この家もかなり古いしなあ」


 元は白かったはずの壁はくすんでおり、前の所有者が吸っていたのか煙草のヤニで黄色くなっている部分もある。


 そこかしこに小さなヒビみたいなのはあったのだが、今回はわりと大きな亀裂が入ってしまっていた。


「葉月たちと過ごした思い出の家なんだけど、そろそろ限界なのかしら」


 寂しそうに呟いて、俯く和葉。

 慰めようと肩を抱こうとした瞬間、高木家のドアが大層な勢いで開け放たれた。


「パパ、ママ、無事っ!?」


 ドタドタと足音を響かせてリビングにやってきたのは長女の葉月だった。


「葉月? 仕事はどうしたの」


「それどころじゃないよ! 大丈夫だった!?」


 目を瞬かせる和葉に、猛烈な勢いで葉月が詰め寄る。


「落ち着け。驚きはしたが、あれくらいの揺れでどうにかなるわけないだろ」


 愛妻を慰めようと準備していた手で長女の頭を撫で、懸命に宥める。


「わからないよ! だってパパもママもおじいちゃんとおばあちゃんに差し掛かってるんだから! 逃げようとして足が動かなくても不思議じゃないんだよ!」


「誰がおばあちゃんなのか、詳しく説明をしてもらいましょうか」


 年齢を重ねてきたからこそ、余計に美容に気を配るようになっていた和葉が目を光らせる。


 先ほどとは真逆に母親に詰め寄られ、得も言われぬ迫力に娘の顔が蒼褪める。


「ご、ごめんなさいっ、で、でも、今年でもう47歳になるんだし、そろそろ」


「まだ! です! 母親を年寄扱いするとは言語道断、そこに直りなさい!」


「パパ、助けてっ!」


「やめろっ! 俺を巻き込むな!」


 何故か春道まで一緒に説教をされることになり、配送を終えて様子を見に来た和也がその光景にきょとんとするまで滾々と続けられた。


   *


 地震があったその日の夜。


 改めて葉月が経営するパン屋『ムーンリーフ』から帰宅し、全員で夕食を終えてから緊急家族会議が開催された。


「一名が欠席となりましたが、これより第一回高木家家族会議を始めます。わー、パチパチパチ」


 拍手の音まで自分で言い出すあたり、なんとも葉月らしいのだが、これで今年29歳になるのだから、若干の不安を覚えないでもない春道だった。


 もっとも和葉にもそうした一面があり、たまに「にゃん」とか言ってみたりすることが往々にしてあるのでそういうものなのかもしれない。


「パパ? なんだか私とママを見る目が生暖かいんだけど、何で?」


「二人とも可愛いなあと思ってただけだ」


「……どうして家族会議のタイミングでそう感じたのか、詳しく聞いても?」


 隣の愛妻から横目で見られた春道。ついつい悪戯心に火がついてしまう。


「それは秘密だにゃん」


 葉月とその婿養子である和也がきょとんとする中、瞬間的に和葉の美貌が朱に染まった。


「真・面・目に考えてくださいね、春道さん。それとも余計な思考に支配されないように、徹底した教育を施してさしあげましょうか」


「じょ、冗談だ、す、すまん」


 何故か怒ると言葉遣いが丁寧になる和葉に睨まれ、冷や汗混じりに謝罪する。


「そ、それより早く始めよう。自分で脱線させておいてなんだが」


「わかったにゃん」


「葉月っ!」


 意味がわからないながらも楽しげに「にゃんにゃん」言い出した愛娘の頭を、中指でグリグリする和葉だったが、その顔は羞恥のせいでさっきよりも赤くなっていた。


「パパ、助けてっ」


「俺じゃなくて和也君のとこに行くんだっ」


「ええっ!? 俺にこの事態を収拾させるのは不可能ですよ!」


 薄情にも白旗を上げた和也を防波堤にするのは早々諦め、事の発端となった春道に、愛娘が愛妻を引き攣れて逃げてくる。


 元凶は自分なのだから、責任は取らねばならぬと春道は小さなため息をついた。


「和葉も葉月もそれくらいにしておけ。

 あんまり暴れると家が壊れるかもしれないぞ」


「そ、そうだった! そのことを話し合わないといけないんだよ!」


「……原因となった春道さんに言われると、なんだか複雑な気分になるわね」


「おいおい、そもそもの原因は和葉が可愛いから――むぐっ」


「もう結構です!」


 驚異的な反応速度で和葉が春道の口を塞いだ。

 その様子を見ていた和也が最後にポツリと零した。


「菜月ちゃんがいないと、こんなにも収拾がつかなくなるんですね」


   *


「では改めまして、高木家の家族会議を始めます」


 春道や葉月が進行をすると話が脱線しまくるので、書記を務めると立候補した和葉の推薦で和也が進行役に代わっていた。


 場所もダイニングテーブルに移し、春道の隣に和葉が座り、対面に葉月と和也という位置関係だ。


「新たに発見したのも含めて、家のヒビが多くなってる模様で、このままでは倒壊の恐れがあるかもしれません」


 座ったままの和也が説明を続け、和葉がテーブルに広げた大学ノートにシャープペンシルで書き込んでいく。


「業者の人を呼んで調べてもらう?」


「それも手だが、そもそもの原因は家の老朽化だろ」


 葉月の提案に春道が答えると、4人は揃って「うーん」と唸る。


「和也君はどう思う?」


 葉月に振られた和也が難しそうに首を捻った。


「俺は婿だからあまり家のことに口出せないけど、それを抜きにしても子供時代の思い出が色々とあるからな。初めて来た時はその……あれだったけど」


 言葉を濁した理由が春道と葉月にはよくわかった。


 和也は小学校時代に葉月を虐めており、その際に家まで追いかけてきたこともある。葉月が寛大な心で許したからこそ今があるが、そうでなければ絶縁されていても文句は言えない状況だった。


「私も簡単に壊したいとは思えないなあ」


 テーブルに肘を乗せた葉月がため息をつくと、ノートから顔を上げた和葉がそれならと提案する。


「リフォームという形にする? どちらにしても築年数からいって、このまま住み続けるのは不可能だと思うわ」


 割合しっかり建てられているみたいが、それでも現代の技術に比べて耐震構造が確立されているかといえば首を捻らざるをえない。


 誰もがわかっているからこそ、壊すか直すかの話し合いになっていく。


「パパはどうー?」


「そうだな……俺もどっちかといえば和也君に立場が似てるしな」


 複雑な事情から和葉と契約結婚をした際に、転がり込む形でこの家に世話になったのだ。


 三人が本当の意味で家族になり、以降も望んで同居している。


 和葉が高木姓になったので書類上は婿ではないが、立場的にはある意味で似ている。もっとも和也と比べれば義理の両親と同居せずに済んだので、気楽ではあったのだが。


「一番思い入れがあるだろう和葉と葉月がどう思うかじゃないか? 約一名は除け者にされたと後で怒るかもしれないが」


 その高木家次女は地震の一報を聞いたらしく、すぐに和葉にメールで安否を確認したあと、心配させないように嘘をついているかもしれないと、友人の佐奈原茉優にも連絡を取ったみたいだった。


「電話で参加させようかとも思ったけど、課題が忙しいらしいし、余計な心配をかけてもかわいそうだし、仕方がないわ」


 和葉が菜月の不在をそう結論付け、改めて葉月と向き合う。


「私としては壊す方がいいと思う」


「えっ、どうして!? ママはこの家が嫌いなの!?」


 涙目になる長女に優しく微笑みかけ、穏やかになるよう心掛けているのがわかる声色で諭すように和葉は話す。


「元が古いからリフォームをしても大掛かりになるでしょうし、何よりその後もどこかしら不調をきたす可能性が高いわ。その度に直すよりは、今をいい機会と考えて新築すべきではないかしら。特に葉月の場合はなんとかなる収入があるでしょ?」


「それは……うん……なんとかなると思うけど……」


 ムーンリーフの経営は完全に軌道に乗っており、葉月のみならず友人たちを社員として雇い、給料やボーナスも満足に払えるだけの財力があるのは春道も聞いていた。


 会計を担当している今井好美は人員も資金もあるので、2号店も可能だと葉月に進言しているらしい。


「だったら迷う必要はないでしょう。

 私と春道さんはどこかに適当な部屋でも借りるから」


「えっ!?」


 和葉の申し出に、葉月が今日一番の驚きを示した。

 まん丸な瞳をさらに大きくして、春道と和葉を交互に見る。


 事前に打ち合わせをしていたわけではないが、前々から愛妻が長女に夫婦として自由な空間を与えられていないと気にしているのは知っていた。


「そうだな……そろそろいい頃合いかもしれないな」


 婿養子の和也にとっても不必要なプレッシャーを感じることもなくなるだろうし、子作りという面においてもプラスに働くかもしれない。


「パパまで何を言うのっ!? そんなのヤダ! だったら直さないっ! 断固反対するっ!」


「葉月、聞き分けのないことを言わないで」


「聞き分けないのはママだよ! 葉月を追い出したいの!?」


 すっかり子供時代の口調に戻ってしまった葉月が、母親と睨み合う。


「貴方だけでなく、和也君にとっても喜ぶべきことでしょう」


「そんなことないもんっ!」


 涙目の葉月に懇願するように見られれば、惚れた弱味というべきか、和也が口にする答えは一つしかなかった。


「俺も別に息苦しさとかは感じてないですし、むしろ共働きなので家を守ってもらえて心強いですし、お二人が嫌でなければ葉月も望んでるんで同居はしたいです」


「正直に言っていいのよ?」


「本心です」


 念を押す和葉に和也が断言をすると、葉月が「ほらァ!」と喜んでいるのか威嚇しているのかわからない声を出した。


「新築でもリフォームでも絶対に同居するんだから! 二世帯住宅もなし! 一緒に仲良く暮らすの! そうじゃなきゃ泣いちゃうんだから!」


「……はあ、葉月はそろそろ親離れが必要だと思うのだけど」


 頬に手を当ててため息をついているが、落胆しているだけでないのは春道にはすぐにわかった。


「和葉も素直になれよ。

 同居すると言ってもらえて、口元がニヤついてるじゃないか」


「春道さんっ!? こ、これは……」


「ふーんだっ、ママだって葉月と一緒に暮らしたいんじゃん!

 これで決定! 高木家は新築します! 葉月がお金を出します! 家主権限でパパとママは同居です!」


 両手でバンとテーブルを叩き、勢いよく立ち上がった葉月が有無を言わせぬ迫力で宣言した。


「家主権限って……」


「葉月が新築費用を出すなら、名義は葉月になるから、家主で間違いないんじゃないか? もっとも親としては多少なりとも援助したいが……」


「そうね。同居させてもらえるのであれば当然ね。

 幸いにして少しは蓄えもあるし」


 春道と和葉の会話を聞いていた愛娘が、にぱっと極上の笑顔を見せる。


「やったー! あとで間取りも皆で決めようね!」


「その前に菜月にも家族会議の内容を教えないとな」


 春道が言うと、いい案を思いついたとばかりに和葉が口を開いた。


「伝えるついでに、様子を見に行ったらどうかしら」

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