第316話 春道と和葉の東京視察

「凄い人だな……」


 雑多な足音と服装、ガヤガヤという効果音が似合う喧騒。


 地元の駅員が一人しかいない、それでも周辺地域からみると恵まれている駅とは大違いな広さ、そして店の多さ。


 基本的に引き籠り気質で家からあまり出ない春道が、東京という都市の人の多さに早速呑まれかけていると、すぐ後ろを歩いて改札から出たばかりの和葉にクイクイと袖を引っ張られた。


「こんな場所で立ち止まってたら邪魔になるわよ」


 実家が地主なので東京も海外もお手の物かと思いきや、子供時代は父親が忙しくて基本的に地元でばかり遊んでいたらしい。


 幼い頃から後継ぎと目されていた実兄の戸高泰宏は、よく先代のお供をしていたみたいだが生憎とこの場にはいない。


「大丈夫だろ、地元の駅が丸ごと複数入りそうなくらいでかいし」


 以前は車移動だったので、こうして駅に降りたのは初めてだった。

 近県で大きな駅を使った経験はあるが、そこよりもなお大きく複雑な東京駅に春道の視線はあちこちに移動しっぱなしだ。


「色々な店もあるし、ここだけで東京観光を終えられそうだな」


「さすがにそれは反対するわよ」


 和葉が呆れ気味に春道の手を取ったところで、ジーンズのポケットに入れていたスマホがけたたましく鳴り出した。


「うわっ、と。お、菜月からだ」


「迎えに行くから動かないでね」


 もしもしと言う前に用件だけを告げられ、即座に電話が切られた。


「……俺、嫌われてるのか?」


「昔からそういう子だったでしょ。

 まだ一ヵ月程度しか離れてないのに、もう忘れたの」


 半眼で呆れられている間に、急いで来たのか、息を切らしている菜月がスマホ片手に現れた。


「真君はいないのか?」


「第一声がそれとは恐れ入るわ」


 菜月にまで半眼で睨まれ、春道がしゅんとしていると、代わりに和葉が前に出た。


「久しぶりね、身体は壊してない?」


「大丈夫よ。きちんと自炊もできているし、抜かりはないわ」


 フッと得意げに微笑む菜月に、なんだか春道の胸がじんわりと温かくなる。


「……ねえ、ママ。今度はパパが泣きそうになっているのだけれど」


「そういう年頃なのよ、生暖かく見守ってあげて」


「構わないけれど、不審者扱いされたくないから早く駅を出ましょう」


 愛妻と愛娘に手を引っ張られるという嬉しい展開ながらも、春道は慌てて踵に体重をかけて抵抗する。


「おいおい、せっかくだから観光してこうぜ。まだ昼過ぎだしさ」


 昼食は家から和葉が持参した弁当を新幹線内で食べており、時刻も午後1時を回ったばかりだった。


「東京駅だけで完結するつもりなの?」


 ジト目の菜月の隣で、額に手を当てた和葉が目を閉じてため息をつく。


「あのね、春道さん。私たちの目的は菜月の大学の見学もあったでしょ」


「それはわかってるけど、まだ余裕があるだろ」


「時間なんてすぐになくなるわ。最初に楽しみすぎて本当に行きたいところを見れなくなるより、まずは最大の目的を果たすべきよ」


 そう言われてしまうと春道も強くは反対できず、泣く泣く東京駅を後にした。


   *


 真っ先に菜月の大学を案内してもらい、あれこれと観光をしているうちに、あっという間に夕方になっていた。


 休憩も兼ねて菜月の行きつけだという喫茶店――といっても有名チェーン店だが――で軽食とコーヒーを注文する。


「それにしても都会の生活ですっかり垢抜けたな……と言うのを密かに楽しみにしてたんだが」


 さりげなく秘めた願望を暴露すると、案の定な冷たい視線が春道を貫いた。


「度し難い愚かさだわ。大体、一ヵ月かそこらで変わるはずないでしょう」


 長い黒髪を掻き上げる仕草も、実家にいた時と変わらない。

 服装も春道や和葉と同じくジーンズを中心にしたラフな格好だ。無地の白いシャツにパンプスなので女子大生らしくはあるのだが。


 一方の和葉はVネックの白いニットで、首回りと袖口にお洒落なラインが入っている。その上に以前に春道がプレゼントしたネックレスを首から下げていた。

 つい先日、肩口当たりで切り揃えた髪はライトブラウンで艶やかだが、少しずつ目立つようになってきた白髪隠しも兼ねているのを春道だけが知っている。


 当の春道はジーンズにグレーのシャツにジャケットという無難な格好である。

 今でも毎日和葉に運動に連れ出されるため、体型は同年代の男性と比べても整っている方だろう。

 もっともずいぶん前から白髪がチラホラ混ざりだしているし、腹も若い頃よりは出てきていた。


 娘と妻と自分の服装を見比べて、うんうん頷いてたせいで、気が付けば春道は余計に不審がられていた。


「もしかしてパパっていわゆるギャル系と呼ばれるような派手目な服装が好みなの?」


 そんな目で見られていたのかと衝撃を受ける春道の隣で、何故か愛妻もショックを受けたように口を開閉させる。


「そんなことは……でも……そうなると私も……いいえ、さすがにリスクが高すぎるわ……」


 ブツブツと不穏なことを呟きだしている和葉のためにも、春道は必死で愛娘の疑いを否定した。


「単純に東京に出たら店もたくさんあるし、知り合いも増えるから、必然的に好みも変わるんじゃないのかなと不思議に思っただけだ」


 なのにあまりにも菜月が変わっていなかったので、安心すると同時に少しだけ不安も覚えてしまった。

 本当に親とは勝手なものだと、春道は内心でため息をつく。


「大学には色々な人がいるけれど、あまり参考にしたいとは思わないわね。結局は自分が動きやすい服装が一番なのだし」


「それもそうだな。真君も派手系よりは今の菜月が好きだろう」


「だから! どうしてすぐ真の話にしたがるのよ。パパにはづ姉の魂が乗り移っているみたいだわ」


「謝る前に、とりあえず葉月は元気にしてるぞ」


「わかっているわよ、この前も電話したもの。真は大学も違うし、四六時中一緒にいるわけではないわ。今日だってパパたちがいきなり予定を決めるから真の都合がつかなかっただけで、食事をする機会も多いし、決して疎遠になっているわけではないから心配しないで」


 ほぼ息継ぎなしで一気に説明され、春道は口元を引き攣らせながら頷くことしかできなかった。


   *


 菜月の言葉を証明したがったわけではないだろうが、夜になって菜月の部屋へ戻ると、大学から帰宅していたらしい真が隣の部屋から顔を出してくれた。


「真君も変わりないみたいで安心したよ」


 明日も朝が早いからと自分の部屋に真が戻ってから、ダイニングテーブルでインスタントコーヒーを飲みつつ、春道は湯気と一緒にほっと息を吐いた。


「あちらのご両親も様子を見たがっていたものね。今回は都合がつかなくて一緒には来られなかったけど」


 和葉がそう補足すると、それだとばかりに一人で向こう側に座っている菜月が身を乗り出してきた。


 ちなみに4脚ある椅子のうち、今は開いている1脚は少し前まで真が慣れた様子で利用していた。


「いつか来るとは思っていたけれど、今回はさすがに急すぎるでしょう。店を休んででもついてきそうなはづ姉もいないし、それにあの地震の直後だし。何かあったのかと思っていたら、普通に観光を楽しんでいたし。重要な話をされるかもしれないと、身構えていたのが無駄になってしまったわ」


「久しぶりの東京で年甲斐もなくはしゃいでしまってな」


「意外ね、パパなら取材とかで訪れていそうなものだけれど」


「ふむ、そう言われると前にも来たような気もするな。

 まあ、よく覚えてないんだが」


「さすがにいい加減過ぎないかしら」


「仕事で来るのと、単純に遊びに来るのとでは、それだけ印象や心の持ちようが違うってことさ」


「そんなものかしら」


 なんとなく菜月が理解してくれたところで、せっかく訪問の目的が話題に上ったのだからと、春道は例の件を伝えておくことにする。


「さっき菜月が言ってたこの前の地震でな、家にヒビが入っちゃってさ。解体して新築することにしたんだ」


「へえ、そうなのね、道理で――って、ちょっと待ってもらえるかしら」


 何やら急に菜月が怖い顔になったので、春道は不思議に思って首を傾げる。


「何で怒っているのかわからないという顔をしないでくれるかしら! その! 話を! 一番最初にするべきでしょう!」


 テーブルを叩いて立ち上がる姿に、先日の長女の姿を思い出す。


「和葉が同居を解消しようと言い出した時、葉月も似たようなキレ方をしてたな。さすが姉妹というべきか」


「そんなことはどうでも――え? 同居解消? パパとママが? はづ姉と?」


「おう、夫婦の時間を持ってもらおうと和葉が提案したんだが、想像以上に強く反対されてな。葉月の名義で新築する家に結局は全員で住むことになった」


「驚かせないでよ!」


 何故か瞳に涙を溜めた菜月があまりに興奮するものだから、騒ぎが聞こえてしまったらしく、隣から慌てて真が訪ねてきた。


 結局、真も加えて詳しい話をすると、状況を理解した菜月がテーブルへ突っ伏すように脱力した。


「様子を見に来るではなくて、家の情報を先に教えておいてほしかったわ」


「電話で伝えると、状況はわかったから様子を見に来なくても大丈夫とか言い出すだろ、菜月は」


「アハハ、さすが春道パパですね。菜月ちゃんの性格をよくわかってます」


「感心しないでほしいわね」


 菜月に横目で睨まれ、途端に真が小さくなる。

 結婚すれば春道以上に尻に敷かれるのは間違いなさそうだ。


「そんなわけで近いうちに間取りも決めるから、菜月も希望を考えておいてくれ」


「私?」自分を指差し、不思議そうに菜月が目を丸くする。「こっちで就職が決まったりとか、家に戻らない可能性だってあるのよ?」


「菜月は家族だろ。今後がどうなろうと、実家に家族の居場所を作るのは当たり前じゃないか」


「……うん、ありがと、パパ」


「どういたしまして」


「お金を出すのははづ姉だけどね」


「それを言われると痛いな。パパは貧乏なんだ」


 ケラケラと笑い合い、気が早いながらも新居についての想像をあれこれと真も含めて膨らませる。


 そして翌日には予定を終えた春道と和葉は、愛娘に見送られて地元への新幹線に乗り込んだ。

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