第326話 柚の教師生活~窮地~

 学校に携帯機器の持ち込みを許可してこなかっただけに、裏サイトの存在を知った校長や教頭は露骨に動揺した。


 どちらも定年間近であり、余計な問題を抱えたくないという姿勢がありありと出ていて、裏サイトを発見した明石に任せると言い出したのである。


 ため息をつきながらも請け負った明石は、校長の許可を得て全教員に自分が得た情報を公開した。


 そして職員室に戻るなり問題のサイトを確認した柚は、予想していたとはいえ、存在していた自らのクラスの裏サイトに愕然としかけた。


 頽れそうな心を奮い立たせ、教員用に貸与されているノートPCで柚は書き込みを一つずつ確認していく。


 掲示板が作られたのは夏休みに入る直前くらいだ。

 すでにスマホを持っている児童が何人もいるらしく、最初は学校に持ち込めない愚痴から始まっていた。


 今時の小学生らしくLINEも活用しているようで、書き込みはさほど多くなかった。だが次第に、LINEやTwitterなどで大っぴらにできない話題が中心になってくる。


 誰と誰の関係が怪しいとかではない。

 どこそこでどんな行動をしていたといった詳しい内容が記されている。


 柚と比較的年齢の近い女性教師が、口元を押さえて走り去った。

 涙目で出ていったところを見ると、ショッキングな書き込みを見つけたのだろう。かく言う柚も、頭を抱えたくなる書き込みが幾つもあった。


 掲示板は匿名で書き込めるからこそ、酷く荒い文字が躍る。

 残虐なものから、本当に小学生かと疑いたくなるほど性的なものまで。


 女児も覗いているはずなのにブレーキがかかるどころか、アクセルを踏みっぱなしなテンションでコメントが加速度的に増えていく。


 そしてついに決定的な書き込みを見つける。


『坂本の奴、最近生意気じゃね?』『調子に乗ってる』『ウザすぎ』『上から目線で何様のつもりだっての』『女にばっかニヤニヤしてマジキモい』


 仲間外れを恐れているからか、それとも本心からか。判別できない柚はひたすら文字を追う行為に没頭する。


『アイツ、ハブらね?』『賛成』『マジで?』『お前、反対なの?』『空気読めよ』『さっきの奴調べて、一緒にハブる?』『違くて、アイツが何やったか気になっただけだって』『顔真っ赤じゃんw』『つーか理由なんて気に入らないだけでいいっしょ』『反対派は退室してどうぞ』『別に反対してないし』


 からかい半分ようなやりとりが続き、ついには坂本健斗をハブ――要するに無視して孤立化させようという方針が決まった。


 躊躇する者はいても、次の標的にされるのを恐れて積極的に異を唱えられない。

 そう考えると匿名の掲示板でありながら、利用者の顔は大体割れているのだろう。


 小学生がスマホを持つのが当たり前になりつつある時代でも、大半の所持者は高学年の児童のはずだ。

 柚のクラスで持っているとなると、数は限られるに違いない。


『今日、マジでウケた』『坂本、唖然としてたな』『誰に話しかけても無視だし』『あの空気の中でよく最後まで残ったよな』『マジで勇者ですわ』『最後、泣きそうじゃなかった?』『いや、なんか喚いてたろ』『そっちがその気ならとかってやつ?』『そうそう、何様だっつーの』


 夏休みの中盤を過ぎると、クラスメート有志から始まった坂本健斗除外の動きはさらに苛烈さを増していったみたいだった。


『ついに委員長も参戦』『残機ゼロじゃん』『誰か忠告してやれよ、気を付けてーって』『罠にはかからないぜw』『策士現る』『つーか、本気で半泣きだったろ』『でも次からは集まりに来ないだろ』『情報を教えてた委員長が裏切ったしなw』『坂本、終わったな』『マジで死ぬんじゃねwww』


 赤信号、皆で渡れば怖くない。柚はそんな言葉を思い出していた。

 被害者になるのを恐れて加害側に回っておきながら、集団同調性バイアスのせいか、この頃には楽しんで加担している節があった。


『坂本、隣のクラスの奴とつるみだしたぞ』『じゃあ、そいつもハブにする?』『知り合いいるから話しとくわ』『坂本の味方すんなら戦争だって?』『前から偉そうだって批判はあったから、すぐにこっちの仲間になるだろ』『ちょっと頭いいからって調子に乗った奴の末路だな』『いや、余裕はもうなさそうだぞ。委員長の家まで押し掛けたって話だし』『こりゃ、委員長にも監視が必要だな』


 あまりのショックに、全身に電流が走った。

 目を見開いた柚は、委員長の春日井芽衣が始業式の日に、多くの児童に囲まれているのを思い出した。


 夏休み中に仲が良くなったのだとばかり思っていたが、坂本健斗と接触させないようにするためだったとしたら……。


 小学生たちの恐ろしさに、眩暈を覚える。


『今日、柚に呼び出された』『ちょ、名前呼びすんな』『柚は俺の女』『貧乳だけどな』『それがいい』『脱線させんなw 用件は坂本のことか』『委員長も呼び出された模様』『もう気付いたのかよ。意外と柚の奴、担任してんだな』『ぼっちの坂本見たら、アホでもわかるだろw』


 始業式の日と思われる書き込みに、貧しいと教え子にからかわれている胸が痛くなる。奥歯を噛み締め、負けてなるものかと書き込みを確認する。


『今日も呼び出されたんだけど』『マジでしつけーな』『いっそ柚もハブるか』『いいね』『やってやろうぜ』『で、弱ったとこをものにすんのか』『おい、ここに中年親父の転生者がいるぞw』『お前も興味あるくせに』


 ドクンドクンと心臓が早鐘を打つ。

 顔から熱が消えていき、柚は椅子からずり落ちかけた。


「室戸先生、大丈夫ですか!?」


 柚の異変に気付いた明石が、慌てて身体を支えてくれる。

 お礼を言おうとしたが、口が上手く動かない。

 その間に明石はPCに表示されている掲示板を見てしまった。


「あいつら……!」


 憤怒に支配されかけた熱血教師の腕を、柚は慌てて掴む。


「だ、大丈夫ですから」


「しかし……!」


「私の……クラスの問題です……」


「室戸先生……」


 しばらく明石は説得の言葉を探していたみたいだが、


「わかりました」


 と最終的に柚の意思を尊重してくれた。


「その代わり、何かあったらすぐに報告してください」


「はい」


 明石の背中を見送ってから、柚は佇まいを直す。

 生徒がどんな手に訴えてくるかは知らないが、教師として真摯に対応すればきっとわかってもらえるはずだ。そう信じて、柚はゆっくり立ち上がった。


   *


「おはようございます」


 教室に入った柚に、朝の挨拶は返ってこない。

 坂本健斗排除で発揮した一致団結さが、いまだ健在ということなのだろう。

 それどころか好き勝手に席を立ち、我関せずに雑談をし続ける始末。


「皆、席について」


 強めに言っても効果なし。

 ならばと柚も覚悟を決める。


「決めたばかりのことをすぐ実行できるのは結構だけど、学校では規則に従いなさい」


 数人の顔色が変わる。

 しかしすぐに席に着くのではなく、困惑しながらも仲の良い友人の動向を窺う。


「他人がどうするかより、自分がどうしたいかを考えなさい」


「自分がどうしたいか考えて、明石と不倫してまーす」


 殊更に明るい声を出した黛広大の言葉に、教室中が沸き返る。

 例外は自分の席で身動きしない坂本健斗だけだ。

 彼が今の柚を見てどう思っているのかは定かでないが、やるべきことをやらなければならない。


「不快なら学校に申し出ればいいわ。ただしそれが真実でなかった場合、貴方にも責任を取ってもらうわよ。名誉棄損なんだから当然よね」


「うわ、子供相手にマジになってるよ」


「子供なら無条件に何でも許されると思ってもらっても困るわ。まあ、その程度もわからないから子供なんでしょうけど」


「そうだよ。まあ、その程度も教えられないから不倫教師なんだろうけど」


 ため息をついて肩を竦める。

 からかいたいだけの阿呆と話をしても時間の無駄だ。

 ジャケットの襟首を整え、なるべく真摯に柚は児童たちの顔を見渡す。


「どのような原因があって今の状態になってるのかは知らないわ。ただ、このままでいいの? 今の状況に主犯格が飽きたらどうなるの? 次は自分に矛先が向いたらどうするの? よく考えなさい。徒党を組んで虐めるのが無敵だと思ってるなら、徒党を組んで反抗すれば虐めなんてなくなるのよ」


「ハハッ、そんなことしたら虐める奴と虐められる奴が変わるだけじゃん」


「それが怖いから、皆を巻き込んで虐めるのね? 一人だと何もできないの?」


「それは先生の方だろ。調子に乗ってると、学校にいられなくしてやるぞ」


「滑稽な脅し文句ね。そうやって気に入らない子を虐めてるの?」


「だから! あんま調子に乗んなって」


 児童といえども男は男。凄まれれば虐められていた頃のトラウマが蘇って動悸がする。しかしながら悪意ある視線に晒された経験があるというのは、教師という職業においてある種の武器となる。


 嵐が去るのを黙って待っていても、状況は好転しない。

 歯向かっても、虐めは余計に激しくなる。

 誰もが責任を取らされるのは嫌なので、訴え出ても徒党を組んで虐め自体がなかったことになる。


 経験者だからこそ、柚は解決の難しさを痛いくらいに理解していた。

 逃げるか、もしくは虐めの加害者を罠にかけて被害者に叩き落すか。

 けれどそのどちらもが完全な解決策ではない。


 柚と葉月、そして尚と柚のようにきちんと向き合い、乗り越え、許した先にしか道はないと思ってた。

 理想論にすぎないとわかっていても、自分でその理想を得ている以上、柚に妥協するという選択肢はなかった。


 だからこそ真剣に語る。


 語る。


 語る。


 虐めの愚かさを。


 虐めの醜さを。


 虐めの悲しさを。


 ただただ愚直に。


 ただただ真摯に。


 きっと児童たちも理解してくれるはずだと信じて。


   *


 翌日。


 生徒の母親から息子が暴行を受けたと、怒りの電話が入った。


 暴行されたのは黛広大。


 暴行したのは室戸柚。


 もちろん柚に身の覚えなどなかった。

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