第181話 修学旅行二日目~札幌で二人きり~

 修学旅行も二日目に突入する。

 昨夜は函館の夜景を堪能したあと、ホテルへ戻ってお風呂に入った。


 その後は少しお喋りをして眠るつもりだったが、旅行中でテンションの上がった実希子は消灯後も元気だった。

 持参したカードゲームなどをやりつつ、見回りの先生方が部屋へ来るたびに慌てて布団をかぶったりした。


 本当はいけないことなのだろうが、そうした経験が初めてだった葉月は、とても楽しい時間を過ごせた。

 いつまでも続きそうだったが、最終的には班長の好美がいい加減にしなさいと実希子を強引に布団の中へ沈めてお開きとなった。


 ホテル内にある和室を、葉月たちの中学校で借り切った。班ごとに部屋へ泊まり、畳の上に敷かれた布団で眠った。

 大型宿泊施設で洋室も和室もあるが、メインは洋風なのもあってホテルという名称になっているのだそうだ。生徒の誰かがした質問に、引率の先生が答えていたのを、たまたま通りかかった葉月が聞いた。


 細々とした違いはありそうだが、どちらも気持ちよく泊まれる施設に変わりはない。快適さは比較しようもないが、一応は旅行中に勉強になったこととして、旅のしおりにメモをしておいた。


   *


 従業員の人たちにお礼を言ってから、葉月たちの中学校はホテルを出発する。

 北海道に入ってから利用中のバスに乗り込み、若い女性のバスガイドさんに元気よく挨拶をする。


 各バスにひとりずつガイドさんがいる。昨日からの付き合いなので、お互いの自己紹介も済ませていた。わりと美人な女性なので、調子に乗った男子が恋人の有無などを質問したりした。

 そのたびにバスガイドさんは困ったような笑みを浮かべ、同じクラスの女性陣は呆れ果てた。


 葉月たちの乗ったバスは小樽へ到着し、午前中に予定されていた見学を終える。

 お昼の少し前になったところで、いよいよお待ちかねの自由時間となる。誰より楽しみにしている実希子は、先ほどからそわそわしっぱなしだった。


 指定された時間までに、目的地へ到着する。与えられた課題はそれだけだ。昼食をとる場所も一任され、ルートも自分たちで調べなければならない。生徒たちの自主性と行動力を伸ばすために設けられた時間だった。

 修学旅行前から、どのようなルートを使うかは考えていた。

 地図帳などを参考にして、旅のしおりに利用可能な移動手段を書き込んでいる。高速バスや電車という意見も多かったが、最終的には実希子の希望が選択された。


「うわー……これが地下鉄なんだね。初めて利用するよ」


 初めて見る地下鉄のホームはまるで別世界みたいで、思わず葉月は感嘆の声を上げてしまった。普段は注意する立場の好美も、地下鉄のホームの天井を見上げてポカンとしている。


 田舎者丸出しで、普通に利用してる地元の人に失笑されそうな有様だ。

 葉月たちの地元に、地下鉄なんてものはない。だからこそ、全員が実希子の意見に魅力を覚えた。


「ほら、アタシの言うとおりにしてよかっただろ」


 皆でドキドキしながら、地下鉄で札幌まで移動する。

 知っている人には地下を走るだけの電車かもしれないが、初体験の葉月たちには夢の世界の乗り物みたいだった。


 無事に札幌へ到着すると、ホームに見知った顔の男性が立っていた。葉月たちのクラスの担任を務める若い男性教師だ。名前を本橋という。

 結局葉月たち三人は、三年間ずっと本橋先生が担任のクラスへ所属した。組名は変わっても、大きな違和感を覚えたりしなかったのはそのせいだろう。


「もっさんだ。ここで何してんの?」


 男性教師に話しかけたのは、ひとつ間違えばクラス一の問題児となりかねない実希子だ。


「佐々木か。俺をもっさんとか呼ぶのは、お前だけだぞ」


 何度注意しても治らないので、いい加減に諦めてるっぽい本橋先生が苦笑する。


「今井たちの班は、地下鉄を利用したんだな。各駅に先生たちが待機していて、生徒たちがきちんと来てくれるか待ってるんだよ」


 各班には万が一のために、学校から携帯電話がひとつ指定されている。それを使って、各種の報告なども行ったりする。恐らくは生徒たちが行方不明にならないよう、GPS機能などもつけているはずだ。


「途中でどっか行っちゃう奴らがいたら、もっさんも困るもんな。アタシたちに、その心配は無用だけど」


「まあな。今井が引率してくれてなかったら、とても佐々木を北海道に解き放てない」


「……なんかアタシ、猛獣扱いされてないか」


 担任教師の本橋との会話を終えて、地下鉄のホームから出る。今日も外はよく晴れていて、爽やかな日光が頭上からたくさん降り注ぐ。

 外へ出るなり、うーんと実希子が両手を上げて伸びをする。その様子を見ていた好美が、クスっと笑う。


「久しぶりの娑婆の気分はどう?」


「そうだな。ずいぶんと長い間、檻の中に――

 って、アタシは囚人じゃないぞ」


 華麗なノリツッコミを披露した実希子を皆で笑ったあと、札幌の街を散策する。

 小樽を堪能してから電車などを利用する班が多い中、葉月たちは真っ先に札幌まで移動した。

 自由時間の大半を札幌で使うために、班の皆で事前に決めていたのだ。


「さあ、どこから見てまわる? アタシは時計台とか見たいな」


 実希子の発言に、側にいる好美が怪訝そうな顔をする。


「好美ちゃんが時計台って……ゲームセンターの間違いじゃないの?」


「それも魅力的だけど、時計台ってデカいんだろ。そう聞いたら、見てみたくなるじゃないか」


「はあ……時計台というより、大きさに惹かれただけね。観光名所でもあるし、見に行ってみる?」


 好美が班員に尋ねる。もちろん、葉月は頷いた。

 全員で移動を開始して、時計台を目指す。

 到着して見上げるなり、来たがっていた実希子が歓声を上げた。


「わあ、やっぱり凄いな。デカいぞ」


 皆も同じような感想を抱いたが、感動できたのは一瞬だけだった。

 その理由を、実希子の誰に向けたわけでもない呟きが説明する。


「……周りのビルの方がデカくないか?」


「……時計台の建物自体は趣があるわよ。早速、写真に撮りましょう」


 なんだか微妙な感じになったが、時計台自体は歴史を感じさせて素晴らしい。

 そういえば、と葉月は思い出す。大好きな両親が、結婚するきっかけになった写真の舞台がこの北海道だった。

 二人に縁がある土地のように思えて、知らず知らずのうちに葉月はニコニコしていた。


「ほら、葉月ちゃんも時計台に喜んでいるし、来てよかったじゃない」


 何やら勘違いをした好美がそう言うと、実希子もとりあえず来てよかったという結論になったらしい。


「そうだな。さて、時計台も見たし、次は飯にするか?」


「北海道の関係名所はひとつだけではないわよ。でも、確かにお腹は空いたわね」


 小樽から札幌。そして時計台へと移動してるうちに正午を過ぎていた。空腹なのは葉月も一緒だったので、お昼ご飯を食べるのに賛成する。

 札幌といえばラーメンが有名だ。皆でどこか適当な店に入ろうと決める。同じく有名なメニューのジンギスカンは、今夜宿泊予定の旅館で出されるみたいなので回避した。


 適当なラーメン屋を探して中に入る。店内には、見覚えのある制服を来た数人の男性がいた。


「あっ、和也君だ」


 葉月が発した声に、どの席に座ろうかと迷っていた男子たちのひとりが振り返る。同じクラスの仲町和也だった。


「高木? この店に、ラーメンを食いに来たのか?」


 尋ねられた葉月は、笑顔で「うん」と答えた。

 せっかくなのでと、比較的皆でまとまってラーメンを食べることになった。女子と一緒に食事ができるからか、和也の班の男子は大喜びだった。

 葉月たちは四人で座れる席へ向かった。いつもの仲良し三人組に、和也が加わっている。


「よかったな、仲町。ハーレムだぞ」


 冗談めかして言ってきた実希子に、和也は苦笑する。


「ほら、さっさと座れよ」


 実希子が和也の背中を押して、強引に葉月の隣へ座らせた。正面に好美らが腰を下ろす。

 隣同士に座ることになったが、緊張感はあまりない。ただ、小学校時代とはほんの少しだけ違うような気もする。


 なんだかよくわからないが、まあいいかと葉月は思った。あれこれ悩むよりも、早くラーメンを注文したかった。

 葉月は味噌ラーメンを注文した。札幌で食べるラーメンだからなのかは不明だが、とても美味しく感じられた。


   *


 ごちそうさまでしたと店の人にお礼を言う。それぞれ払うと手間がかかるだろうと、実希子の提案で全員分を代表者がまとめて支払うことになった。

 女子の担当が葉月で、男子の担当が和也だ。当人たちの意見は考慮されず、半ば強引に決められた。


 皆から手渡されたお金を、葉月がまとめて店主に渡す。和也も同様にした。

 支払いを終えて店から出る。お腹が満たされて上機嫌だった葉月の目が、途端に丸くなる。

 外で待っているはずの班員たちの姿が、見えなくなっている。ひとり残らずだ。


「あいつら……また、余計な気を利かせやがったな」


 眩暈がするとでも言わんばかりに、和也がこめかみを指で押さえる。

 言われて初めて、葉月もそういうことかと理解した。


「きっと実希子ちゃんだね。私と和也君を二人にしたがったの」


 和也は、苦笑いしながら頷いた。


「多分な」


「私、携帯電話も持ってないんだけど、どうすればいいかな」


 少しだけ不安を覚えた葉月は、隣にいる和也に聞いた。

 中学生活で、和也の身長は葉月以上に増えた。見上げなければ、顔を確認できないほどだった。百八十センチくらいはあるかもしれない。


「あいつらも本気で置いて行ったりはしないさ。何かあったら責任問題になる。しっかり者の今井が、許可するわけないって」


「それじゃ、皆はどこにいるのかな」


「きっと、そこらで俺らの様子を窺ってるさ。気にせずに行こうぜ。逆に連中を驚かせてやるんだ」


 悪戯っぽく、和也が笑った。顔つきはだいぶ大人の男性に近づきつつあるが、そうすると小学校時代の面影の方が強くなる。


「和也君も悪戯っ子だね。まるで宏和君みたい」


 なんとなく言った宏和の名前に、和也が瞬時に反応する。


「宏和君って誰? 俺に似てるのか?」


 どこか複雑そうな顔をする和也に、誰だと聞かれた戸高宏和の情報を提供する。


「意外に似てるかも。小学校時代の担任の祐子先生の子供で、五歳の男の子だよ。今年で六歳になるのかな」


「ご、五歳児……って、おい。一緒にしないでくれよ」


「アハハ、ごめんね」


「ま、まあ、いいけどよ。そっか……高木のお母さんと、祐子先生の旦那さんは兄妹なんだよな」


 しみじみと言ったかと思ったら、突然に和也が顔を真っ赤にした。

 何だろうと思った直後に、緊張の汗を浮かべた和也が葉月の目を真っ直ぐに見つめてきた。


「な、なあ……その、あ、あれだ……あの、これから大会とかあるけど、野球部もソフトボール部も頑張ろうな」


「うん。時間があったら、和也君の応援に行くね。恰好いい姿を見せてもらえそうだし」


「お、おう、もちろんだ! 任せておいてくれ。あ、あのさ、俺が大会で活躍したら、その時は――」


「――あっ! あそこに売ってるの、パパに似合いそうっ!」


 目についた露天商目がけて、葉月は猛ダッシュする。

 スカートを翻して走り、店主のいらっしゃいとい声を聞きながら父親のお土産を選ぶ。

 母親の和葉と、妹の菜月へのお土産も購入する。まだまだ買うつもりだったが、ここではこれくらいでいいだろう。


 満足して仲町和也のところへ戻ると、いつの間にか実希子や好美らが揃っていた。


「あれ? 好美ちゃんたちも来てたの?」


「え、ええ……仲町君が、あまりに哀れだったから……」


「仲町君が哀れ……?

 あっ!」


 今井好美に言われて、露天商へ向かうまでは和也と会話中だったのを思い出す。


「ご、ごめんね、和也君。ええと……大会を頑張ろうって話だったよね。

 うん、頑張ろうっ!」


「ハ、ハハ……そうだな。でも……俺は諦めないぞ……」


 力なく呟いた和也の肩に、実希子がポンと片手を乗せる。


「やっぱり、こういうオチになったな」


「うるせえよ。放っておいてくれ」


 そんなつもりはなかったが、結果として和也を落ち込ませてしまった。申し訳なさから、葉月は何度も心の中でごめんねと謝った。

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