第180話 修学旅行一日目~函館の夜~
新しい年度が始まり、葉月も無事に中学三年生になった。
最上級生としての自覚が芽生えたかどうかはわからないが、色々としっかりしなくてはなんて思ったりもする。
三年生になっても、ありがたいことに親友の今井好美や佐々木実希子と同じクラスに所属できた。ついでにいえば、仲町和也もだ。
昨年に改めて仲町和也の想いを知らされたが、返答はしていなかった。積極的に求められなかったというのもあるが、なんとなく結論を出すのが怖かった。
現状維持のまま現在に至っているのは、何よりソフトボール部の活動を優先していたからだ。葉月たちが主力となるにあたって、昨年に引退したかつての三年生から主将に任命された。一度は断ったのだが、先輩方の勢いで押し切られた。
ならばと葉月は、親友の好美に副キャプテンをお願いした。捕手のレギュラーとしてグラウンドで選手に指示を出す優秀な女性だけに、何かと助けてもらえるのがわかっていた。
小学校時代からの付き合いなので、コンビネーションは抜群だ。昨年の新人戦では葉月の自滅もあって一回戦で敗退してしまったが、その後の練習試合では連戦連勝だった。
小学校の児童会長のように、中学校でも生徒会長に推薦されかけた。どうなるかと思っていたら、こちらは立候補する生徒が複数現れた。おかげで葉月は、大役を担わずに済んだ。
お願いされれば引き受けるつもりはあったが、自分から積極的になりたいとは思わなかった。必然的に目立ってしまうケースはあっても、強引に人前へ出て何かするのが大好きなわけではないのだ。
部活動だけに集中できる環境になったのもあって、ひたすら練習を頑張った。優秀な新入部員も獲得できて、戦力はさらに充実。中学生活で、今が一番楽しかった。
春の大会を目指して練習中だが、その前にお待ちかねのイベントがひとつある。修学旅行だ。
三年生は受験を控えているので、葉月たちの中学校では五月の後半に修学旅行へ出発する予定になっていた。二泊三日で、目的地は北海道だ。
一日目に電車で青函トンネルを抜けて函館を目指す。夜に到着したら皆で小さな山に登って夜景を見る。そのまま函館で一泊する。
二日目は小樽へ移動し、午後から自由時間となる。班ごとに分かれて、自由なルートを通って小樽から札幌へ移動するのだ。
最終的な目的地へ、所定の時間までに到着すればいい。どこをどう見学していくのかを、事前に班の皆で話し合うのも楽しかった。
葉月が所属する班には、もちろん好美と実希子がいる。男女混合は不可なので、和也は別だ。
札幌で一泊したあと、午前中は遊園地で遊ぶ。お土産を売ってるお店に入ったりするのも自由だ。午後からは中学校へ戻るための移動を行う。函館から青森まではフェリーで戻る。船には初めて乗るので楽しみだった。
修学旅行の日程を両親へ報告した際、母親の和葉からはフェリーへ乗る前に酔い止めをしっかり飲んでおきなさいと何度も言われた。どうやら母はフェリーで辛い思いをした経験があるみたいだった。
一方の父親――春道は特に何も言わなかった。フェリーに乗った経験はあるものの、地獄絵図のようだった船内の光景を尻目に、ひとりピンピンしていたらしい。聞いた母親の和葉は絶句し、どうしてなのかと何度も尋ねた。
すると春道は船内のゲームセンターで遊んでいて、飽きたら目的地に着いていたと教えてくれた。和葉は参考にならないと呆れたが、葉月は密かに好美らと試してみようと決めた。
所属する中学校へ戻ってこられるのは、夜になってからだ。到着後すぐに解散となるが、予定の時間には春道が迎えに来てくれることになっていた。
バッグなど必要なものも買い込み、あとは予定日に出発するばかり。楽しみにしている修学旅行の日は、すぐそこまで迫っていた。
*
修学旅行の一日目。
早朝に中学校へ集まったあと、各学級ごとに学校側が用意してくれたバスに乗り込んだ。葉月は好美らと一緒に最後尾の席を陣取った。昔から好きな席だ。
バスが向かうのは駅だ。そこから新幹線に乗って青森まで移動する。青森県内で電車を乗り換えれば、次はいよいよ青函トンネルを通る。
新幹線でも、電車でも座るのは班ごとだ。葉月の隣には好美が座り、正面に実希子がいる。椅子を回転させて、二人ずつ向き合う形で四人が座れるようにした。
葉月たちは六人で班を組んだ。電車では荷物の置き場所も含めて、三人ずつで四つの席を使った。
実希子の隣には葉月たちの軽めのバッグが置かれ、いつでもお菓子を取り出せるようになっている。
「楽しみだねー」
はしゃぐ葉月に、騒ぐのが大好きな実希子が同調する。
二人できゃっきゃっしていると、葉月の隣にいる好美が軽くため息をついた。
「楽しむのもいいけど、青函トンネルの感想くらいは考えておかないと駄目よ」
好美の注意に、実希子が「何でだよ」と唇を尖らせる。
「あとでレポートみたいなのを提出しないと駄目だからよ。これは修学旅行なの。そういった課題は確実に出るわ」
「……マジで?」
「嘘を言っても仕方ないでしょ」
確かにありえそうなので、旅のしおりという修学旅行前に皆で作った小冊子を広げる。
最後の方のページには、メモができるようにスペースが設けられている。そこへ青函トンネルの感想を書こうと決めた。
普段の授業から解放されたのもあり、葉月たちはひたすらお喋りをした。時折、好美の指摘で旅行中の感想も書いたりしたが、どうしても楽しいことの方に意識を引っ張られてしまう。
正直に好美へ白状したら、仕方ないわよと笑顔で言ってくれた。
実希子も同じように言ったら、貴女はしっかりしなさいと冷たい視線を浴びせられた。
仲良し三人組で参加中の修学旅行は楽しく、目的地へ移動する時間もまったく苦にならなかった。
*
函館へ到着し、宿泊予定のホテルに荷物を置く。制服から体操着に着替え、指定された食堂に集まって全員で食事をとる。
用意された夕食はお刺身などが並び、とても豪華だった。大好きな両親にも、食べさせてあげたいと思ったほどだ。
食後に一時間ほどの休憩を与えられたあと、全員でホテルを出発する。函館の夜景を堪能するためだ。
近くの山に皆で登る。辛そうにする生徒も多かったが、連日ソフトボール部で鍛えている葉月たちは平気だった。
道中で実希子が、好美をからかい半分で賞賛する。
「好美も立派になったよな。小学生の頃だったら、途中で登るのを諦めてたんじゃないか?」
「そこまでじゃないわよ。でも、体力がついたのは事実ね。入部当初はどうなるかと思ったけど、今は誘ってもらえてよかったと感謝しているわ」
「えへへ。好美ちゃんにそう言ってもらえて、私も嬉しい」
満面の笑みを浮かべた葉月が言うと、好美も同じように笑ってくれた。
「おいおい。二人だけの世界に入るなよ。アタシだって、いるんだからさ」
嫉妬したような実希子の発言に、好美が吹き出しそうになる。
「何よ、それ。心配しなくても、実希子ちゃんを放置したりしないわよ。ひとりにしたら、何をしでかすかわからないもの」
「……喜んでいいのか? なんだか、危険人物扱いされてるような気がするぞ」
そう言いながら、満更でもなさそうだ。思えば小学校時代から、こんなやりとりばかりしてきたような気がする。
知り合って何年も経過した。大きな喧嘩をするでもなく、皆で仲良く成長できた。それが何より嬉しかった。
「できるなら……」
葉月はポツリと呟いた。
「皆で一緒の高校に行きたいね」
好美が、即座に頷いてくれる。
「大丈夫よ。私は葉月ちゃんと同じ高校へ行くつもりだから。
実希子ちゃんは……元気でね」
泣き真似まで披露した好美の態度に、見捨てられた感じの実希子がちょっと待てとツッコミを入れる。
「放置しないって言ったばかりなのに、早速ひとりぼっちにしようとするなよ。アタシも同じ高校へ行くからな!」
葉月は大歓迎だったが、何故か好美が顔を曇らせた。
「意思は尊重するけど、学力は大丈夫なの?
実希子ちゃんの成績は……底辺よね?」
「……はっきり言わないでくれ。せめて、修学旅行中は現実を忘れようぜ」
遠い目をして、どこか違う方を見る実希子の背中に、こめかみをヒクつかせた好美が膝蹴りをお見舞いする。
「何をするんだよっ!」
「そんなことを言ってるから成績が上がらないんでしょ。現実をしっかりと認識して、気が狂いそうになるまで勉強しなさい! 私や葉月ちゃんと同じ高校に行きたいんでしょ?」
「う、うう……わ、わかったよ。頑張るから……アタシを助けてくれ」
「もちろんよ。実希子ちゃんさえやる気になってくれたら、いくらでも勉強を教えてあげるわ」
好美が小さな胸を張った。三人の中どころか、学年でも成績はトップクラスだ。わからないところがあれば、葉月も勉強を教わる。
成長した豊かな胸と対照的に、成績が貧しいのは実希子だ。放っておけば宿題も忘れ放題なので、朝練のあとでいつも葉月と好美が面倒を見ている。
いつだったか先生方に、お前たちのおかげで佐々木は人の道を踏み外さずに済んでると感謝されたりもした。
胸の話題でいくと、葉月は親友二人の丁度真ん中くらいだ。母親の和葉がもう少しあるので、せめてそこまでは成長してほしいと密かに願っている。成績は平均より上だが、優秀だと呼ばれるには少しばかり物足りない。
進学を希望しているのは、自宅から通える距離にある高校だ。地元ではわりと希望者も多く、卒業生は進学と就職希望が半々ずつくらいになるレベルのところだった。
好美なら当たり前のようにワンランク上の学校を狙える。頑張れば葉月もなんとかなるのだが、実希子の場合は無謀な挑戦にしかならない。
そう思っていたのだが、実希子が拳を握りしめて合格すると宣言したのは、なんと葉月が考えていたところではなく進学校の方だった。
そちらも地元の高校なので、皆の自宅から仲良く通学できる。母親の和葉も合格できれば喜ぶ。でも、と葉月は思った。
実希子の学力は、ひと言で表現すると壊滅的なのだ。目標に掲げた進学校に、合格できる可能性は限りなくゼロに近い。
同じ不安を抱いたらしい好美が、声を震わせて実希子に話しかける。
「み、実希子ちゃん。お願いだから、現実を見ましょうね。ランクを落として、地元の商業高校を目指した方がいいと思うの」
好美が言った商業高校は、進学校ではない別の学校だ。つい先ほど、葉月が狙おうと考えていた高校でもある。
「それは駄目だ」
実希子はピシャリと言った。
「お前たちの足を引っ張りたくない」
どうやら実希子は、自分のために葉月たちが志望校のランクを下げるのを快く思ってないみたいだった。
「そんなことを言っても――」
「――大丈夫だって。アタシがもの凄く頑張って、葉月や好美と同じ高校に合格してみせるからさ。もちろん、勉強は教えてもらうけどな」
好美の台詞を途中で制した実希子は、そう言うと屈託のない笑顔を見せた。
意見を曲げそうにないとわかったらしく、説得を諦めた好美は大きなため息をついた。
「修学旅行から帰ったら大変ね。部活だけじゃなく、実希子ちゃんに勉強を教えるのも頑張らないと」
「ハハハ……お手柔らかに頼むよ」
「お手柔らかにできるわけないでしょ! 進学校を受験するつもりなら、ビシバシいくわよ。昨日までの私と思わないことね!」
「……だな。よし、頑張るか。葉月もよろしくな」
「うんっ! 絶対に、皆で同じ高校に行こうね」
函館の夜。綺麗な星空の下で誓い合った。葉月たち三人は同じ高校へ進学し、これからもずっと親友であり続けると。
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