第301話 修学旅行(1)
「うわー、うわー、新幹線って早いねぇ」
膝立ちで窓枠に両手をかけている茉優が、流れていく景色に大きな瞳をキラキラさせた。
「茉優ちゃん、新幹線って初めて?」
隣の席に座っている恭介が、一緒になって風景を眺めながら問いかけた。
「初めてー……だよねぇ?」
「そこで自信なさげに私を見るのはやめてほしいのだけれど……まあ、一緒に乗った経験はないと思うわ」
向かい合わせた座席で、正面にいる茉優に答えたあと、隣にいる真にも乗車の有無を尋ねてみる。
「僕は引っ越しの時に乗ってるよ」
「まっきー、ずるーい」
「あ、あはは」
天真爛漫な茉優の物言いに、困ったように真が苦笑する。こうしたやりとりは彼女に恋人ができても、何ら変わることはなかった。
「あんまはしゃぐなよ、そこのカップル席。こっちには愛しい彼氏と、涙ながらに離れ離れになった悲しい女がいるんだからな」
通路を挟んだ席を菜月たち同様に向かい合わせにしている涼子が言う。
菜月たちに向けた言葉ではあったが、ニヤニヤした顔で愛花を見ていることから、彼女をからかう目的だったのがわかる。
「りょ、涼子!」
「何だよ。今朝まで、どうして一緒に行けないのかってLINEしてきたくせに」
「し、信じられません! 普通、そんなプライベートなことを言いますか!?」
「でも愛花ちゃん。
グループトークだったから、菜月ちゃんにもバレバレなんだけど」
「菜月と茉優ならいいんです!
ですが、周りには他のクラスメートもいるでしょう!」
顔を真っ赤にする愛花に、そこかしこからひゅーひゅーと昔ながらのやっかみの口笛が飛ぶ。担任の美由紀が舌打ちしたような気がしたが、そこはあえてスルーする菜月だった。
「大丈夫……かどうかはわからないけれど、修学旅行が近づくにつれてもの凄い勢いでカップルが成立していたから、状況は似たようなものだと思うわよ?」
「甘いな、菜月」
涼子がチッチッと指を左右に振る。
「だからこそ愛花は独り身が辛いの――いだあっ!」
どうやら脛を蹴られたらしく、足を抑えた涼子が涙目になる。
「いい加減にしないと蹴りますよ?」
「もう蹴ったじゃん! 愛花の乱暴者!」
*
「ふわあ、建物の高さが違うねぇ」
初日の目的地に到着した茉優が、ホテルへ向かうバスへ乗り込む前に街を見上げた。
「はづ姉も前に、似たような感想を言っていたわね。でも、都会育ちの真にはあまり珍しくないのではない?」
「そうは言っても都会で過ごしたのは数年だけだからね。あとは今のとこで育ってるし、意外と菜月ちゃんたちと感想は変わらないと思うよ?」
「大阪と東京ではまた風景も違うでしょうしね」
菜月の前を歩く愛花が、後方の座席を確保しつつ振り返った。
「わたしは初めてなので楽しみです」
「初日の夜にホテルで泊まるだけだけどね」
明美が愛花の右隣りを確保し、さらにその隣に涼子が陣取る。逆側には菜月と茉優が腰を下ろし、仲良し5人組による最後尾の占拠が完了した。
菜月のすぐ前には、真が恭介と並んで着席する。
「バスの窓から通行人に手を振ったりして、恥をかかせないでね。学校名は書いてなくても、南高校の生徒である自覚と誇りを持って行動するように」
全員が席に着いたのを確認してから、前で美由紀が教師らしく注意事項を言う。
「ただし、カップルが歩いていた場合はその限りではないわ。柔らかく、怪我をしないものに限り、攻撃を許可します」
「……南高校の生徒としての自覚と誇りはどこへ置いてきたのでしょう」
「美由紀先生の言葉を真に受けては駄目よ、愛花」
菜月が友人へ注意している間に、美由紀に紹介された若い女性バスガイドが丁寧に挨拶をしてくれた。
男子が盛り上がるのは恒例行事だが、修学旅行の解放感でハイになっている女子もまた、楽しそうにガイドさんへ彼氏の有無などを質問する。
「ねえねえ、なっちー。外、綺麗だよぉ」
日が短くなってきた秋の夜に、街の放つ煌びやかな光が幻想的に浮かび上がる。
「本当ね。午後8時を過ぎると、町の明かりが消える地元とは大違いだわ」
「ですが、わたしは地元の夜も好きです。静かでとても落ち着くんです」
背後から顔を覗かせて呟いた愛花に、菜月も同意する。
「建物も低い分、空が高く見えたりもするわね。星を遮るものもないし」
「都会には都会の、田舎には田舎のいいところがあるんだねぇ」
バスガイドと盛り上がるクラスメートを後目に、そのまま菜月たちはしばらく車窓を流れる都会の夜の風景を堪能した。
*
手に持ったトランプの札を「あがり」の声とともに、涼子が床へ置いた。
一人、最後に残った茉優がむーっと唇を尖らせる。
「これで3連敗ね。茉優、さすがにババ抜きが弱すぎるわよ」
「どうしてかなぁ? でも楽しかったからいいやぁ」
茉優らしい感想に、部屋に集まった面々がほっこりして微笑む。
「にしても、大阪まで来て、泊まるだけってのは勿体ないよな」
「毎年、言われているみたいだけれど、学校側は頑なにコースを変えないみたいね。何の意図があるのかしら」
「地元業者との癒着じゃないのか?」
「怖いことを言わないで」
さらりと爆弾発言をした涼子を窘めつつ、菜月は割り当てられた部屋を見る。
各部屋に2人で泊まるので、菜月は茉優と一緒だ。
「結構高そうなホテルだけど、バスルームも室内にあるし、なんだか修学旅行って感じがしないよね」
「ならボクと部屋を代わってよ」拗ねたように涼子が言った。
「だーめ。ジャンケンで決めたことでしょ? 愛花ちゃんと同室はあ・た・し」
唇に人差し指を当てた明美は、どこか得意げである。
「あーあ、夜になったら愛花のベッドに潜り込もうかな」
「それなら三人でも大丈夫だねぇ。だったら茉優はなっちーと一緒に寝るよぉ」
「では、わたしは空いた茉優のベッドを使わせてもらうわね」
「絶対に駄目! 夜に涼子ちゃんと二人きりだなんて!」
「何回も言わせるな! ボクはノーマルだ!」
――コンコン。
ドアが軽くノックされた。
恭介に引っ張られるように、真が部屋へ入ってくる。
「じょ、女子の部屋に入っていいのかな……」
「今更何を言っているのよ。中学の時も、部屋に来ていたでしょうに」
「あはは……そうなんだけど、やっぱり緊張するよね」
照れ笑いを浮かべる真の隣で、似たような表情の恭介が頷く。
「ただでさえ菜月ちゃんたちのグループと日頃から仲良くしてるせいで、他の男子に羨ましがられたりもしてるからね」
「そうなの?」
「5人全員が可愛いグループなんてそうないからね。入学当初から人気が高かったらしいよ」
男子しか知りえない驚きの情報だった。
女性陣の4名が反応に困る中、残った1名が勝ち誇るように笑い出した。
「どうだ、明美! ボクだって女の子だと思われてる証拠だ!」
涼子に指差された明美が、恭介にどんな男子が彼女を好んでいるのかと詰め寄る。
「ええと、その……虐められたい系男子……?」
「ぶふっ!」
ある意味で予想通りの回答に、福笑いみたいに頬を膨らませた明美が吹き出した。
「な、何だよ、それ! ボクの理想は王子様みたいな――はっ!?」
売り言葉に買い言葉的な流れでとんでもない秘密を暴露しかけた涼子が、途中で己の愚行に気付いて硬直する。
ここぞとばかりに明美が口角を吊り上げた。「ふっふーん」
「い、今のは嘘! 冗談だからな!」
「そんなにムキになることないじゃない。洋服ダンスの奥に、フリフリの可愛らしい服を隠してる涼子ちゃん?」
「――っ!」
これ以上ないくらいに赤面した涼子に、目を丸くした愛花が「本当なんですか」と尋ねる。
あわあわとするばかりで口を開けない涼子に代わり、容赦なく秘密を暴露した明美が言う。
「前に偶然、見つけたことがあるの。その時はよく泊まりにくる親戚の子が忘れてったって言われて納得したんだけど……王子様に憧れるくらいだから、アレは涼子ちゃんのだったのよねえ?」
「し、知らない! そ、そんなことを言う明美なんかこうだ!」
言い負かすことができないと悟ったらしい涼子が、押し倒した明美の豊かな双丘を鷲掴みにする。
「ちょっと、涼子ちゃん! 男子もいるのよ!? 女子特有のノリはやめて!」
その男子二名は、明らかに気まずそうに明美から目を逸らしていた。
彼氏でもある恭介の反応を見た茉優は、小首を傾げながら問う。
「恭ちゃんも……揉んでみる?」
「ごふっ! ごほっ、ごほごほ!」
「きょ、恭介君! 大丈夫!?」
真に背中を摩られながら、涙目の恭介が蹲る。
「どうやらクリーンヒットしたみたいね。茉優、恐ろしい子……」
「ふえ? 興味ありそうだったから、聞いてみただけなんだけどなぁ」
何故に恭介がパニクったのかを理解できていない茉優は、心から不思議そうにする。
「恭介の奴、これからも苦労しそうだな」
そんな感想を口にした涼子は、話題が自分から逸れたことにホッと胸を撫で下ろしていた。
*
「えへへ♪」
消灯時間が過ぎて真っ暗になった部屋には、菜月と茉優の二人しかいない。
にもかかわらず、彼女のベッドはまったく乱れていなかった。
「幸せぇ♪」
「……それは良かったわ」
先ほどから菜月のすぐ隣で、該当の人物がニコニコしているからである。
子供の頃みたいに、どうしても一緒のベッドで寝たいとせがまれ続け、最終的に断り切れなかったのだ。
自分の甘さにため息をつきたくなりながらも、誰かが隣にいる暖かさに安堵を覚えてもいた。
「中学の時は色々と忙しくて、あんまりゆっくりした気分にもなれなかったものね」
「お祖父さんのことだよねぇ。でも、その時ははづ姉ちゃんや実希子ちゃんが、わざわざ来てくれたんだよねぇ」
「本当に驚いたわよ。
見知った顔が笑いながら、豪快にお菓子を食べていたのだから」
「あはは。でも、楽しかったねぇ。今年はどうして来なかったのかなぁ?」
ベッドから出している顔を、茉優が不思議そうに傾ける。
カーテンを閉じた暗闇の部屋の中でも、至近距離なので親友の表情まではっきりとわかった。
「はづ姉はお店があるし、実希子ちゃんは美由紀先生がいない間のソフトボール部を任されているからね。それに……」
「それに?」
「自分たちが世話を焼かなくても大丈夫だと思ってくれたのではないかしら」
「そっかぁ」
嬉しそうに茉優はベッドの中に沈んでいく。
「変な悪戯をしたら承知しないわよ?」
「うんっ。でもさ、なっちー」
「何?」
「男の子って、おっきなおっぱいが好きなのかなぁ?」
「またいきなりな質問ね……私への挑戦状にも思えるけれど……さっきの沢君を見て思ったの?」
「それもあるけどぉ」
んーっと少し考え込むようにしてから、茉優は言葉を続ける。
「明美ちゃんだけじゃなくて、茉優もよくおっぱいに男子の視線を感じるんだよねぇ。気にしてなさそうなのは、恭ちゃんとまっきーくらいだよぉ」
「気にしていないというよりは、気遣って見ないようにしているのでしょうね」
「そうなんだぁ。なっちーは物知りさんだねぇ」
「推測でしかないけれどね」
ベッドの中で肩を竦める菜月に、茉優が甘えるように抱き着いてくる。話題のふくらみがぽよんと当たり、お淑やかな上半身の菜月は異様に物悲しくなる。
「私は……胸に視線を感じることなんてないしね……」
「でもぉ、よくなっちーの太腿やお尻を見てる男子はいるよぉ?」
「……聞きたくなかった情報ね」
「あはは。だけど大丈夫だよぉ」
「どうして?」
「そういう時はまっきーがこっそり間に入って、なっちーをガードしてるもん」
「そうなの!?」
想定外の事実に、思わず声が大きくなってしまった。
シンとする部屋の外まで聞こえてたら、教師が見回りに来るかもしれない。慌てて菜月は口を両手で押さえた。
何事もなく時間が経過するのを確認してから、改めて茉優に事実確認をする。
「本当の話なのね?」
「うん」
「……たまに変な位置に立っていることがあるとは思っていたけれど……そうなのね。フフッ。真って、意外と嫉妬深いのかもしれないわね」
「なっちー、なんだか嬉しそうー」
「そ、そんなことないわよ」
「ひゃっ!? くすぐったらだめだよぉ」
夜にこっそり親友とふざけ合う。
それはまさしく、小さかった頃に何度も経験してきた光景だった。
「ねえ、茉優。せっかくだから沢君とのことを教えてよ。二人の時はどこでデートしているの?」
「えーとねぇ」
どちらからともなく寝息を立てるまで話は続き、気がつけば夢の世界にいた菜月は、まだ小さかった頃に戻っていた。
どこかもわからない場所を歩き、開けた場所でおどおどする真ときょろきょろする茉優を見つける。
駆け寄って手を差し出すと、2人は心から嬉しそうに菜月の手を取ってくれた。
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