第393話 穂月のお姉ちゃん大作戦

 復帰した仕事に、少しずつ喋るようになってきた息子の世話。さらに幼稚園へ通うようになって、元気さを増した愛娘。


 四季の移り変わりをじっくり楽しむ余裕もなく、葉月の毎日は春になってもバタバタと通り過ぎていく。


 大変は大変だが、店は暇よりも忙しい方がいいに決まっており、家では再びパート本来の勤務時間に戻った母親が主に家事を担当してくれる。


 家族に支えられての日々は暖かくも幸せで、今夜もそんな実感を噛み締める。


「あ、春也はご飯かな」


 泣きだした息子を見て、葉月は台所へ行く。

 用意したのは幼児食とカップに入ったミルクだ。


 温めたご飯をふーふーしながら食べさせていると、台所で和葉の仕事を手伝っていた春道がダイニングにやってくる。


「穂月も春也もミルク好きなのは一緒なのにな」


「不思議だよねえ。まあ、それも個性ってことで」


 美味しそうにミルクを飲む春也は、なかなか母乳を卒業しなかった穂月とは対照的に母乳よりも粉ミルクの方を好んで飲みたがった。


 それは今も変わらず、離乳食から移行した幼児食を決まった時間に三回食べさせるように出すと、匂いを嗅いだだけでご機嫌になる。


「はーやー、ぶーぶー」


 両手を上げ、キャッキャッと少しだけ話せるようになった言葉を口にする。


「ああ……可愛いなあ」


 思わずそんな呟きを漏らした葉月の傍に、とことこと近寄る影。何も言わずに葉月の膝に座り、少しだけ頬を膨らませているのがなんとも愛らしい。


「ほっちゃんも可愛いよ」


 幼稚園でつけられたあだ名で呼び、ふにふにほっぺをグリグリしてあげると、素直に愛娘はすぐに破顔した。


「ママもかわいいよ」


「ありがとう」


 ニッコニコでやり取りする葉月たち母娘を気遣ってか、一緒にダイニングにいた和也が愛息の世話を引き継ぐ。


「はるや、ごはんおいしいー?」


 葉月に構ってもらえて満足したらしい穂月が、子供用の椅子に座っている弟の顔を覗き込む。


 まだ会話は成立しないし、言葉も理解できているか不明だが、それでも春也は姉に話しかけられて嬉しそうにする。


「ママ、はるや、おいしいってー」


「よかったねー。それじゃ、ほっちゃんもご飯にしよっか」


「あいだほーっ」


 いまだ終焉を知らない、いつもの掛け声を笑顔で叫ぶと、すぐ傍で春也もキャッキャッと両手を上げた。


   *


「もうすっかりお姉ちゃんね」


 うららかな春の日差しが窓から入り込むムーンリーフ。

 相変わらず休憩室代わりにもなっている好美の部屋で、その主が幼稚園から帰宅したばかりの穂月に目を細めた。


「あんまり春也にだけ構ってると、すぐ拗ねちゃうんだけどね」


 穂月たちがそうだったように、春也たちも葉月が仕事をしている間は、この部屋で遊んでいる。


 今回は尚の子もいるので三人を見なければならないが、大変そうながらも好美は嬉しそうでもあった。


 結婚や出産に興味はないらしいが、やはり親友の子供は可愛いのだと前に照れながら教えてくれた。


「仕方ないわよ。話によると、葉月ちゃんも菜月ちゃんが生まれた時はそうだったんでしょ」


「うええっ、誰から……ってママに決まってるよね、もうっ」


「ウフフ。そうやってほっぺを膨らませると、穂月ちゃんそっくりよ」


「アハハ。好美ちゃんには敵わないなあ」


「お? なんか楽しそうだな」


 調理場で作業を終えた機器の点検や清掃をしていた実希子が、額の汗を拭いながらやってきた。


 冷蔵から冷たい麦茶を取り出すと、コップに注いで一気に飲み干す。


「ぷはあ!

 本当はビールならもっと最高――いや、冗談だから、本気で睨むなって」


 好美に慌てて弁解しつつ、葉月の隣に腰を下ろす。


「で、何の話をしてたんだ?」


「穂月ちゃんがお姉ちゃんらしくなってきたなって」


「ああ、そういや最近は何かと春也に構ってるな」


「もしかしたら葉月ちゃんの――ママの真似をしてるうちに、世話をする楽しさというかやりがいに目覚めたのかもしれないわね」


「母性本能ならぬ姉性本能ってか。

 かーっ! 羨ましいね、ちくしょう」


 ペシンと組んでいた自分の足を叩く実希子。


 どこの中年親父かというような反応だが、元からこんな調子なので誰もツッコみは入れない。


 そんな実希子の視線が向く先は、やはり自分の愛娘だった。


「穂月はちゃんと成長してるってのに、どうして希は弟の隣ですやすや寝てるんだ」


 帰ってくるなり、絶妙なフェードアウト能力を発揮して、気が付けば智希の隣に自分の寝床スペースを確保していた。


 これも今更感が強いので、もはや誰も何も言わなかった。


   *


 ガヤガヤと騒がしい好美の部屋に、大皿を両手で持った尚が入ってくる。


「おやつを持ってきたわよ」


 子供が大勢いるのに加え、葉月たちも食べるので結構な量だ。


「お? 今日はカステラか。あそこの和菓子屋のか?」


 地元で数店舗経営している昔からの和菓子屋が、いつも利用しているスーパーの近所にある。


 スーパーにも安い和菓子は売っているが、料金的にそこまで差があるわけではなく、何より美味しいのでお祝い事の際にはよく地元住人や企業が利用している。


「そういや、うちってカステラは売ってねえな。

 あれも一応パンになるんじゃないのか?」


「どうだろう。

 でもパン屋さんより、和菓子屋さんとかで見る機会の方が多いよね」


「でもさ、カステラって洋菓子だよな。和菓子屋で売るってのはどうなんだ?」


「看板は和菓子屋さんでも、最近はケーキ類も取り扱ってるのは当たり前だからね。美味しかったりもするし」


 実希子との会話を続けながら、

 葉月は春也用にカステラを一口サイズに切り分ける。


「それにケーキって実は和菓子に分類されるんだよ」


「マジで!?」


 大げさに驚く実希子に、約一名を除いた子供たちの視線が集まる。

 泣きだしたりはしないので、少し安堵しつつ、葉月は説明を続ける。


「パン屋さんに就職する前に調べたことがあってね。室町時代にポルトガルから伝わったお菓子を南蛮菓子って言うらしいんだけど、そのポルトガルにはカステラは存在しないんだよ」


「そうなのか?

 よく知ってんな。こういううんちくは好美の担当だとばかり思ってたぜ」


 急に話を振られた好美が顔をしかめる。


「前にも言ったけど、

 全部知ってるわけじゃなくて、その時その時で調べてるだけよ」


「あはは。今回は私が知ってるから、大丈夫だね。

 で、その南蛮菓子を元に作られたのがカステラで、原型と言われてる南蛮菓子とは見た目も作り方も全然違うらしいの」


「なるほどな。だからカステラは和菓子になるのか。言われてみれば、日本人の好みに近い味付けだもんな」


 お休み中の希に食べさせようとして、最終的に諦めた実希子が席に戻ってくる。


 一方で葉月が切り分けるのを見ていた穂月は、自分の分を食べるなり、お皿に手を伸ばしてきた。


 もっと欲しいのかと思ったが、そうではなく、穂月は笑顔で春也に食べさせてあげると言った。


「そっか。それじゃ、ほっちゃんにお任せしちゃおうかな」


「あいだほーっ!」


 お皿を持って春也に近づき、子供用の椅子にうんしょうんしょと座らせる。


「はい、あーん」


「だーだー」


 子供用のスプーンで口の中に運ばれたカステラを、春也が笑顔で頬張る。

 間近で眺めていた穂月はとても嬉しそうで、すぐに二口目を食べさせる。


「みるく、のむ?」


「あいー」


「あっ、今の返事、ほっちゃんに似てたね」


「あいっ!」


 隣に朱華というお手本がいるからか、難なくとまではいかないが、穂月はそれなりに上手く春也の世話をする。


「友達二人が頑張って弟の世話をしてるのに、お前はなんとも思わないのか、希っ」


 改めて娘を起こそうとするが、やはり微動だにしない。


「智希君、起き上がったね」


「もしかしてカステラ取ろうとしてるんじゃ……」


 尚と好美の会話が聞こえ、葉月もそちらに注目する。


 もう少しで二歳とはいえ、まだ幼い智希がハイハイしながらテーブルに近づく。


「智希は偉いな。よし、母ちゃんが食べさせてやる」


 子供用スプーンに乗せたカステラを実希子が息子の口元へ運ぼうとするも、何故か当の智希に拒否される。


「どうした? カステラが食いたかったんじゃないのか?」


 不思議そうにする実希子から、不慣れな手つきでスプーンを受け取ると、智希はそのまま元いた場所に戻ろうとする。


「動物みたいに、自分の巣というかベッドで食いたいのか?」


「いえ、これはもしかして……」


 息を呑む好美。

 すぐに葉月も、智希の意図に気付く。


「まさか……希ちゃんに食べさせようとしてる……?」


「は!? さすがにそれはないだろ。智希はまだ二歳にもなってないんだぞ」


 母親の実希子は狼狽するが、カステラをスプーンからこぼしそうになりながらも、懸命に運ぶ姿を見ていればそうとしか思えない。だがやはりまだ幼い子供。目的を果たす前に、とうとうカステラを落としてしまう。


 上手くいかない現実に泣きだすかと思いきや、すぐに智希は再挑戦しようとする。


 するとそれを見かねたのか、春也に食べさせ終えた穂月が近づく。


「ほっちゃんが持ってあげるね」


 智希の速度に合わせて希のところに行くと、穂月は彼女の腰あたりを軽く叩く。


 成長してきたからか、それとも葉月の教育が功を奏してくれたのか、頻繁に見せていた希への強引さは少しずつなくなっていた。


「穂月が近づくと、一応は反応するんだよな」


 口元に差し出されたスプーンを一瞥したあと、おもむろに食いつく希。


「……なあ、葉月」


「どうしたの?」


「やっぱり穂月、ちょうだい」


「アハハ。それは無理だから、たまに泊まりに行かせるくらいで許してね」


 穂月がいると、明らかに行動量が増える希。

 母親の実希子の願いも、多少は理解できる葉月だった。

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