第104話 好美と葉月とどーんっ

「いやー、普通に上手かったな」


 高木葉月の自宅で夕食をご馳走になった翌日。

 好美が先に教室へ来ていた実希子に挨拶すると、先ほどの感想が返ってきた。


 もちろん、昨夜に食べた葉月お手製のカレーライスについてだ。

 調理実習の際に食したのとは違い、カレーの中に入っていた具材はすべて綺麗に切られていた。

 恐らくは葉月の母親も一緒に料理したおかげだろうが、立派過ぎるカレーライスは味もきちんとしていた。


「確かに上手かったよな。あれなら、また食べたいぜ」


「何だよ。会話にいきなり割り込んでくるなよ」


 眉をひそめて実希子が文句を言った相手は仲町和也だった。

 最近では好美たちに混ざって行動する機会が増えており、見事なまでの黒一点になっている。


「まあ、いいじゃないの、実希子ちゃん。きっと友達がいないのよ」


「今井って……時々、にこやかな顔しながら、ずいぶんとキツいことを言うよな……」


「……今頃気づいたのか?」


 普通に会話したつもりだったのだが、何故か実希子と和也のコンビが疲れた様子で好美を見てきた。


「それでも、今日は機嫌が良い方ではないの?」


 会話の輪の中に、またひとり新しいメンバーが加わった。元は実希子とも犬猿の仲だった柚だ。

 現在では葉月を虐めていた件も心から後悔しているみたいで、何度も本人へ謝罪をしていた。

 その姿を実希子も見ているので、時間は多少かかったものの心から打ち解け、きちんとした友好関係を築けている。


 虐めていた人間が相手でも、笑って許せる葉月のおかげで、このクラスにはギスギスとした空気が存在しない。それが自慢だと担任の女教師も言っていた。


 危険を察知した途端に、生徒より早く逃げようとしなければ優秀な女教師なのに。

 心の中で呟き、好美は軽くため息をつく。


「どこが上機嫌なんだよ。いきなりため息をついてるじゃないか」


「あ、あれ……おかしいわね。いつもより気楽そうな雰囲気が伝わってきてたのだけれど……」


 実希子に好美の現状を指摘され、戸惑いから柚はしどろもどろになる。


「ああ、ごめんなさい。少し考え事をしていたの。柚ちゃんの言うとおり、機嫌は良いと思うわ。だって、もう調理実習の心配をする必要はないもの」


 第三回の葉月ちゃん対策会議で二度あることは三度あると言ったが、さすがにこの短期間ではありえない。よって好美が安堵を覚えていたのも、あながち間違いではなかった。


 そうこうしているうちに葉月が登校してきて、担任教師も教室へやってくる。

 今日の一時間目は国語なので準備をしなければと、好美は机の上に教科書を出そうとする。


 けれど黒板の前に立つ祐子から発せられたのは、信じられないひと言だった。


「本日は急遽、予定を変更して調理実習を行うことになりました」


   *


 危うく好美は、英語で侮蔑の言葉を呟きそうになった。それだけ担任の女教師の発言は衝撃的だった。


 だがショックを受けてばかりはいられない。

 すぐさま好美は手を上げて、非難の言動を担任の祐子へぶつける。


「先生は新婚だからって、浮かれすぎではありませんか。料理の勉強がしたいのであれば、専門の教室へ通ったらいかがですか」


「ずいぶんと手厳しいわね、今井さん。でも、これは先生の独断ではありません。校長先生からの指示です」


 身内の不幸などで、教職員の複数が同時に休みをとってしまった。こんなことは滅多にないので人員の補充は考えておらず、戻ってくるまでは、現状の人数でやりくりすることになった。


 そのおかげで自習の増えるクラスも出てくる。多少は仕方ないが、あまりに差がつきすぎると不公平感が出てくる。そこで本来の人数に戻るまで、特別授業をより多く組む形になったらしかった。


 初耳ではあったが、確かにここ数日顔を見ていない教員も数人存在した。どうやら祐子は嘘をついておらず、好美はガックリと肩を落とす。


「午前中は調理実習をメインに行い、午後は体育で楽しく運動です。むしろ喜んでください、今井さん」


「わかりました。それなら今日は先生に、調理の見本を見せていただきたいのですが」


 言われた途端に祐子はギクリとした表情を浮かべた。好美に教えるということは、同じ班員である葉月の側にいる必要があるからだ。


「今井さん。子供の頃から、大人びた口調を使うのは感心しないわ。先生は貴女に、もっと子供らしい幸せと喜びを得てほしいの」


「そうですね。では子供らしい幸せと喜びを得るために、先生に協力してもらうということでよろしいですね」


「……ええ、そうしましょうか」


 ほんの少しの睨み合いのあと、観念したように裕子が好美の求めに応じた。

 そして朝の挨拶が終わり、今日もまた家庭科室で移動することになった。


「どうして先生に、あんなことを頼んだんだ?」


 いつものメンバーで移動している最中に、実希子がこっそりと好美に尋ねた。

 葉月の相手は柚がしてくれている。


「確かに昨日のカレーライスは美味しかったわ。でもね、実希子ちゃん。残念だけれど、人間はそう簡単に変わらないの」


「そ、そうなのか」


「もちろんよ。だからこそ、教えてあげるの。先生に二回も逃げた愚かさをね」


「好美って、意外と執念深いんだな……」


「あら、何か言ったかしら。私、最近耳が悪いみたいなの」


 にっこりと笑う好美を前にして、頬を引きつらせる実希子。微妙に緊張しているような感じがするのは気のせいだろう。


 そして一行は家庭科室へ到着する。今回も調理の前に、祐子がメニューを発表する。


「前回がカレーライス。前々回が肉じゃが。となれば、今回はミートソースあたりでしょう」


 誰にともなくひとり呟く好美の耳に、祐子の声が届いてくる。


「今回のメニューは筑前煮です」


 子供にはあまり聞き覚えのないメニューが周囲がポカンとするのを見ながら、好美はコントのワンシーンみたいにズッコケそうになっていた。


   *


「ど、どうして、今日に限って、家庭料理の中でも味付けが難しい渋いメニューなんですか!」


「小学生の時点で、筑前煮をきちんと理解している今井さんも十分に渋いわよ」


 驚愕に支配された好美の接近を軽やかに回避しながら、祐子はそんな言葉を返してくる。


「どうせ私は地味で……って、そんなことは聞いてません!

 明らかに小学生が好むメニューではないでしょう!」


「それはそうなんだけど……」


 言いにくそうにしていたが、まあ、いいかとばかりに女教師は、調理実習のメニューが筑前煮に変わった理由を教えてくれる。


「実はね、校長先生が食べたいらしくて……」


「……は?」


「とある事情で、奥さんが実家に帰省していらっしゃるのよ。そのせいで、しばらく家庭料理を食べていないらしいの」


「……私たちに何か関係あるんですか、その事情」


「ないんだけど、今日は校長先生が試食にくるから、皆、頑張って作ってね」


 普通ならブーイングものなのだが、このクラスはやたらと聞き分けの良い児童ばかりがいるみみたいだった。

 声を揃えて「はーい」と返事をしたあとで、どうやって筑前煮を作るのか班毎に相談を始める。

 と、その時。校長先生が調理実習の様子を見にやってきた。


「こいつが元凶か……。

 とか、言わないでくれよ。頼むから」


 口を開きかけたところで、先に実希子に注意される。普段はそうした役目を担当するのは好美なのだが、最近では事情が少し変わりつつある。


「さあ、皆で楽しく作りましょう」


 教室で話していたとおり、担任教師は好美のいる班を重点的に見ようとする。

 そこへ校長先生も加わる。まずは祐子についてまわって、クラスの状況を確認しようとしているのだ。


 ならばと好美は一計を講じる。筑前煮になったのが校長先生の仕業であれば、然るべき報いを受けてもらう必要がある。

 そこで好美は、あえて包丁を葉月に渡して、野菜を切ってほしいとお願いする。

 これには他の班員だけでなく、担任の祐子も壮絶に驚いた。


「こうなったら、死なばもろともよ。葉月ちゃんの手料理を、校長先生にプレゼントしてあげるわ」


 特撮番組の悪役よろしく、不気味な笑みを浮かべる好美だったが、思い描いていた展開にはならなかった。


   *


「じゃあ、きちんと水洗いしてから、お野菜を切るね」


 免許皆伝の葉月は、どこの料理達人かと見間違うくらいの手際の良さでまな板に野菜を乗せて、さも当たり前のように綺麗に切り始める。


「おお、上手いものだね。これなら将来、しっかりしたお嫁さんになれるな」


 校長先生に褒められ、葉月が「えへへ」と嬉しそうに笑う。

 ついでに祐子も心から安堵した様子で微笑んでいる。


「あ、あの……葉月ちゃん?」


「なあに、好美ちゃん」


「その……どーんは?」


「え? あれは危険だから駄目だよ。お料理は丁寧にやらないと、食材さんたちがかわいそうだもん」


「……そ、そう。そうよね……う、うふふ……あはは……」


 脱力しきって、ガックリとその場に膝をつく好美に、葉月が「どうしたのー?」と尋ねてくる。


「何でもないわ。少し人生と努力の関係について、考えていただけだから……」


 力なく呟く好美の肩に、三本の手が置かれる。


 実希子。

 柚。

 そして和也だった。

 全員が好美の心情を理解しているとばかりに、瞼を閉じて頷いている。


「ま、でも……良かったじゃないか。これで平和になるし」


「ええ、そうね。本当だわ」


 ひとしきり皆で笑いあったあと、改めて好美は葉月と向き合う。


「葉月ちゃん。私がより丁寧な包丁の使い方を教えてあげましょうか」


「え? 本当に?

 うんっ! 教えて!」


 好美と葉月のやりとりを微笑ましそうに見守る校長先生。

 その前で包丁を受け取った好美は、力の限り高く振り上げた。


「……今井さん?」


 嫌な予感に表情を曇らせる祐子を尻目に、好美は禁断の必殺技を繰り出す。


「お野菜はこうやって切るのよ。

 どーんっ!」


 振り下ろされた包丁がまな板に直撃する。


 揺れる野菜。

 驚愕する班員。

 腰を抜かす校長先生。


 様々な反応のもとで、好美は満面の笑みを浮かべながら野菜を切り続ける。


「はい、どーんっ!」


「う、うわあぁぁぁ! 今井がご乱心だぁぁぁ!」


「は、早く止めろよ、仲町っ!」


「無茶、言うなよ!

 止めれるなら、お前が止めてくれよ、佐々木っ!」


 実希子と和也が言い合いをするその後ろで、今度は違う声が楽しそうに「どーんっ」と叫んだ。

 狙い通り好美に感化された葉月である。


「ちょ、ちょっと! こっちでも始まったわよ!」


「ひ、ひいいっ!

 あ、危ないから室戸さん、そこから逃げなさいっ!」


「こ、これは、どうなってるんだね。戸高先生っ!」


 巻き起こる悲鳴をバックミュージックに、二人のボーカルは延々と楽しそうに歌い続ける。


「どーんっ」

「どーんっ」


 結局この日の調理実習は中止となり、好美や葉月を担任する祐子は後日、校長先生にこっぴどく怒られたらしかった。

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