第338話 葉月の報告

「妊娠が伝染するって話は本当だったんだな。

 てっきり都市伝説の類かと思ってたぞ」


 検査薬が陽性になった翌日、すぐに実希子と同じレディースクリニックを受診し、妊娠が確定した。


 ムーンリーフで改めて報告した葉月に、実希子が笑顔で返した言葉がそれだった。


「ふわぁ、じゃあ茉優も妊娠してるのかなぁ」


 開いた手を口に当てる茉優に、好美が身に覚えがあるのか尋ねると、笑顔で否定するという怪奇現象が発生した。


「実希子ちゃんが余計なことを言うから……」


「アタシのせいじゃないだろ!」


 あくまでも噂の一種だと茉優に説明してから、葉月は実希子の手を握る。


「伝染が嘘でも本当でも、妊娠仲間がいるのは心強いよ」


「ハハッ、妊娠仲間って何だよ。ま、アタシも心強いけどさ」


 友情を深め合う二人に、何故か好美が頭を抱える。


「仲間を得て、揃って無理をしないか心配だわ」


「好美は心配性だな」


「もちろんよ。実希子ちゃんのご両親と旦那さんから、しっかり見ててほしいと泣いて頼まれてるんだから」


「いつの間にっ!?」


 仰天しながらも、実希子はまだ膨らみの目立たない下腹を撫でる。

 葉月も無意識に倣い、温かい気持ちになる。


「家族は喜んでたでしょう」


 優しい目をした好美に、葉月は勢いよく縦に振る。


「ママは泣いてたよ。パパは自分にも孫がって感動してた。和也君は夜もずっとニマニマだった」


「菜月ちゃんには?」


「LINEで教えたら、そういう大事なことは電話でって怒られた」


「なんやかんやで家族の絆を大切にする菜月ちゃんらしいわね」


「電話でそっけない態度取ってるくせに、きっと誰より先にベビー用品を贈ってくるぞ」


 実希子の指摘する光景が容易に想像できて、葉月はまた笑顔になる。


「なにはともあれ、祝福してもらえる子供ってのは幸せだ。アタシの時は両親が気でも狂ったのかってくらい号泣したからな。挙句、種はどこのでもいいから良かったときたもんだ。夫婦揃って、アタシを何だと思ってるんだか」


「それだけ実希子ちゃんに孫を望むのを絶望視してたってことでしょうね。言葉は悪いかもしれないけど、誰が夫でも応援して受け入れるって態度の現れじゃない」


 好美のフォローに、実希子はいいやと首を振り、


「即離婚しても、子供は自分たちが愛情をもって育てるとかぬかしてやがったからな。最初は孫さえいればって考えもあったのは間違いない。ただ、智之が頼りない面はあるにせよ、アタシを大切にしてくれそうだから驚いたらしい」


「安心じゃなくて?」好美が首を傾げた。


「アタシのことだからチャラ男に騙されたか、気に入った男を力ずくで奪ってきたと思ったらしい。見た目も真面目で純朴そうだから、後者だと勝手に判断して、相手の家まで謝りに行ったほどだ」


 息子から先に事情を聞いていた先方は妊娠させてしまった側が謝るべきだと考えていたようで、準備をしていた矢先の来訪に大層驚き、その場で壮絶な謝罪合戦が繰り広げられたらしい。


「うちの両親はアタシを貰ってくれるだけでもありがたい、向こうの両親も息子と結婚してくれるだけでありがたい。嫁入りも婿入りも本人たちに任せようっつーことで、とんとん拍子に今の状況にはなったな」


 嫁と子供ができることで智之は大張り切り。毎日電車で県大学に通学するのも苦にしておらず、帰宅したらしたで柚の父親の会社でアルバイトに励む。


「少しでも稼いで、アタシと子供に楽をさせてやりたいんだそうだ。ただ自分の体力を顧みずに張り切るから、こっちで手綱を握っといてやらないとな」


「……おかしいわね。そんな配慮ができるのなら、私の苦労をもっと知ってくれててもいいはずなのに」


 好美のぼやきを完全スルーし、智之の愛情が詰まった料理を平らげた実希子は、退散するように、いそいそと売場を手伝いにいった。


   *


 帰宅した葉月を出迎えたのは、菜月から送られてきた妊娠や出産に関する本の数々だった。

 ついでに男女両方のベビー服が入っていたあたり、実希子の推測は大正解だ。


「菜月はなんとも気の早いことね」


 一緒にダンボールを開けた和葉が呆れ気味に言った。


「そういう和葉も日中はベビー用品店に行こうと――むぐっ」


「余計なことを言おうとしてるのはこの口かしら。

 いっそ縫い付けてしまおうかしら」


 愛妻の手からなんとか逃げた春道は怒るでもなく、そっと細い肩に手を置いた。


「今更母親の威厳にこだわっても無駄だ。とっくに俺も含めて、数々の醜態を晒してきてしまっているからな」


 思い当たる節が色々あったらしく、和葉がその場に崩れ落ちる。

 こういう時に元気づけるのは自分の役目だと、むんと葉月は両の拳に力を入れる。


「大丈夫だよ、ママ、ちゃんとわかってるから」


「葉月……」和葉の瞳にじんわりと感動の涙が滲む。


「あえて子供と同じ目線に立つのは教育の一種だし、反面教師って言葉もあるし」


「……慰められてるのか、とどめを刺されてるのか、判別がつかないわね」


 予想と違う反応に葉月の頬が引き攣る。「あれ?」


「ま、まあ、高木家は今日も平和だってことでいいじゃないか」


 場を収拾しようとした春道だが、逆に和葉に詰め寄られるはめになる。


「そもそも春道さんが余計な口を挟んだせいでしょ」


「わああ、藪蛇だった。

 お、おい、和葉。あんまり怒ると、葉月のお腹の子によくないぞ」


「はっ! そ、そうよね。初孫に怖い印象なんて与えられないわ」


 まだ大丈夫だと言い張っても、リビングに移動した葉月は手伝いを禁じられてソファに座らせられる。


 和葉の手伝いは春道がして、葉月には和也という監視がつけられた。


「なんか落ち着かないね」


 心地良いシルクのソファにお尻を沈めながら、隣の和也に笑いかける。


「きっと佐々木もそんな気持ちだったんだろ」


 なかなか実希子の新しい名字に慣れない和也に、当人は下の名前で呼ぶという解決策を示したが、夫のいる女性の名前を親しげに呼べないという古風だかなんだかわからないこだわりを発揮し、最終的にはこれまでの呼び方で構わないということになった。


 その時に実希子から「意外と面倒臭い旦那だな」とからかわれたが、こだわりがあるのは人として当たり前なので葉月はそんなことないよとだけ返しておいた。


 それにどんなこだわりがあっても、葉月と意見がぶつかれば、必ず尊重してくれるのが和也という人間だった。


 申し訳なさからそんなに譲らなくてもいいと言っても、葉月が喜んでくれるのが自分の幸せだから、常に楽しく過ごしてほしいと笑顔で返されてしまうのだ。


   *


 美味しい夕食のあとで、四人でリビングに集まると、話題は自然に葉月の妊娠が中心になる。


「実希子ちゃんと同じ病院へ通うのよね?」


 お気に入りの紅茶を鼻腔と口腔で楽しむ和葉の質問に、葉月は自分用のノンカフェインの紅茶を一口含みながら肯定した。


 コーヒーも紅茶も、わざわざ日中に春道と和葉が用意してくれた。

 ムーンリーフには実希子のために少し前から常備されているので、困ることはない。


「出産の時は総合病院に入院だって」


「基本的には和葉の時と一緒だな」


 当時を思い出しているのか、春道はどこか懐かしそうだ。


「田舎は産婦人科も入院設備のある病院も少ないもの」


 和葉は苦笑するが、それでも住んでいる場所には総合病院もあり、恵まれている。葉月が大学時代を過ごした県中央や、菜月のいる大都会とはもちろん比べ物にならないが。


「葉月が望むなら、県中央の病院でもいいんだぞ」


「ありがとう、和也君。でも、お店もあるし、こっちの病院で十分だよ」


 葉月だけでなく、実希子も万が一の場合は紹介状を持って県中央の大学病院などを頼るだろうが。


「とにかくお産は大変なんだから、大丈夫だと思っても張り切りすぎないのが肝心よ」


 しつこいくらいに釘を刺されるが、出産に関して母親の和葉は経験のある先輩だ。注意点などは真剣に聞き、あとで実希子と情報交換するつもりだった。


「あと、尚ちゃんに質問するのもいいかもしれないわね」


「うん。この間、話したら、何でも聞いてくれって言ってた」


「いいことだわ。一人で解決しようとしないで、すぐ周りを頼るのよ。頑張ってどうにかできることじゃないんだから」


「わかった」


 頷いた葉月は視線を夫に向け、


「動けなくなってくると、和也君にも負担をかけちゃうと思うけど……」


「当たり前だし、俺の子供でもあるんだから、負担だなんて思うわけないよ。苦労も子育てだとすれば一緒に――いや、出産は葉月だけが大変なんだよな」


「そんなことないよ。やっぱり周りに助けてもらいたいことはたくさん出てくると思うし」


「その時は任せてくれ。全力で葉月も子供も守るから」


「うんっ」


 笑顔でやり取りしていると羨ましくなったのか、和葉がテーブルの下で春道の手をそっと握ったのがわかった。


 両親の仲睦まじさは葉月の理想であり、二十年後も今の春道たちみたいな関係でありたいと強く願わずにはいられない。


「これから不安も大きくなってくるだろうけど、子供はいいものよ。幸せな未来を想像しながら頑張りなさい」


「ママもそうだったの?」


「もちろんよ。ただ私の場合は誰かさんが嫉妬して……ねえ?」


 チクリとからかわれ、覚えのある葉月は慌てて抗議する。


「妊婦にストレスは禁物なんだよっ」


「それを言われてしまったら、私が謝るしかないわね」


 いつも通りの笑顔溢れる団欒。


 そこにお腹の中にいるもう一人も加わっているのかと思うと、自然と葉月の顔は綻んでいた。

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