第334話 菜月と新居

 窓から差し込む月明かりが湯舟で揺れて幻想的。

 といった小説の一場面のようには明かりがついているのでならないが、それでも薄桃色のタイルがぼんやりと輝いているみたいで、どこか神秘的でもあった。


 ゆらゆらと立ち昇る湯気と籠る熱気。

 微かに開いた小窓から入り込む夜風が、火照る肌を癒す。


「今夜はいつになく上せそうです」


 やや震える声の主は愛花だ。

 それもそうだろうと菜月は浴槽の中で頷く。

 耳にするだけなら情感たっぷりだが、目にすると話が変わる。


「本当に皆でお風呂に入れば、暑くなるのは当たり前でしょうに」


 菜月のすぐ横には、いつもと変わらないほんわか笑顔の茉優。

 逆隣に愛花なのだが、彼女も苦い笑みを顔にくっつけた。


「言わないでください。私もお呼ばれした友人の新居で、真っ先にお風呂に入ることになるとは想像もしていませんでした」


 きっかけは茉優だ。

 お披露目の時から皆で入りたいと騒ぎ、菜月の姉がそれならパーティーの準備が整うまで汗を流してくればと風呂を沸かしてしまったのだ。


 元々、お泊りのつもりだった茉優を始めとした友人たちは着替えを持参していた。旧高木家でも宿泊の際は銭湯に行かなければ家の風呂を利用したので、さしたる反対もなく、菜月が困惑している間に決行されてしまった。


「茉優はともかく、明美ちゃんまでノリノリになるとは思わなかったわ」


 浴槽の縁に肘をかけ、上半身を軽く乗り出す。

 タオルを髪に巻いている菜月と視線を合わせ、名前を出された明美が照れ臭そうにする。


「たまには一緒の入浴もこうふ――じゃなくて友情を深めるのにいいかなって」


「おいっ! 人の背後で不穏な発言をするのはやめてくれ!」


 明美に背中を洗われていた涼子が、泡塗れの肢体を慌てて引き剥がそうとする。


「まだ途中だから待ってよ。ほら、発展途中のおっぱいも洗わないと」


「うわあ、前は自分で洗えるって! やめろ! 冗談にしては目が怖い!」


 ギャアギャアと騒ぐ二人から視線を逸らし、菜月はふと愛花に尋ねる。


「もしかしてあの二人って……」


「部でも噂になりつつありまして、私も最近疑い出しているところです」


「そこの二人っ! ボクはノーマルだ!」


「奇遇ね。あたしもよ」


「おっぱいを押し付けるな!」


 昔から明美は同性であれば誰に対してもスキンシップしたがったので、そこらは今更驚くべきことではない。


 菜月は――ついでに愛花も目が離せなくなっていたのは他の理由からだった。


「明美……また成長してるわね……」


「菜月も気付きましたか……どうして天はこんなにも不公平なのでしょうね」


 近くにいながら遠い目をするのは同じ悩みを持つ二人。

 その横ではきょとんとする菜月の親友が、湯舟にぷかぷかと目に毒なものを浮かべていた。


   *


「いやー、食った食った」


 膨らんだお腹をポンと叩く涼子は、水面に浮かぶラッコかたぬきである。


 バルコニーにはドールハウスにミニチュアであったら映えそうな白いチェアとテーブルがセットで置かれている。

 今日は来客があるのでこのままだが、普段はどうするのかまだ決めていないと菜月の姉は言っていた。


 そのチェアの一つに深く腰掛ける涼子をはしたないと注意しながらも、お風呂とアルコールによる火照りを冷ます愛花は心地よさそうだった。


「このバルコニーは本当に素敵ですね」


「実希子ちゃんあたりが居座ると、バーベキュー会場に早変わりしそうだけれどね」


「それはそれで楽しそうです」


 大人っぽさが増している愛花は、笑うと本当に美人だった。

 毎朝鏡で身だしなみチェックをする際に見る自分とは大違いだと、菜月は内心でため息をつかずにはいられない。


 新居のお披露目とはいえドレスコードなんてものはないので、全員が普通の私服だ。

 明美はお嬢様然としていて、涼子はラフな服装。

 イメージにはピッタリだが、実は好みは真逆という変わった二人組でもある。


 愛花は宏和の趣味なのか、高校の最後らへんからシックな服装が多い。

 菜月と茉優はどちらかというと生活感溢れるものが多く、それこそ有名庶民派洋服店で気に入ったのを買う機会が多い。


 それを見かねた明美によって、色々とアドバイスをされるようになってからは、茉優はミニスカートやホットパンツなど健康的な色気を振り撒く恰好が増えた。


 そして菜月は意外にもワンピース系かジャケット系が多い。顔つきが真面目というかクールなので清楚系かキャリアウーマン系が似合うらしい。


「こうして集まるのは、東京で女子会をして以来か」


「そんなに久しぶりじゃないのに、懐かしく感じるのが不思議よね」


 椅子に座りなおした涼子に、ペットボトルの水を明美が差し出す。


「茉優はもっとなっちーと遊びたいよぉ」


 高木家の新居に菜月以上にはしゃいでいた茉優は、普段よりも酔っていて、もたれかかるように甘えてきては、隙を見て太腿を奪おうとする。


「茉優は菜月にべったりでしたものね。小学生の頃からでしたか」


 涼子に倣って水を飲み、酔いを醒ましていた愛花がほうと息を吐いて髪を耳にかける。


「ええ、昔は手のかかる子だった……いえ、今もかしらね」


「わぁーい」


「……どうして喜んだのか、私には理解できないのだけれど」


「きっと、これからも菜月に構ってもらえると思ったんでしょう」


 両手を挙げてはしゃぐ茉優に生暖かな視線を菜月が注いでいると、同情を露わにした愛花に肩を叩かれた。


「諦めろよ。菜月はもう茉優の保護者みたいなもんだろ」


「その役目は沢君に変わったはずなのだけれど」


 ケラケラ笑う涼子にジト目を向け、幸せそうに人の太腿を占領する茉優にデコピンする。


 菜月が名前を出した沢恭介は、女性陣がお風呂に入った頃から、真や宏和といった男同士であれやこれやと情報交換をしていた。

 宏和が悪そうな顔で声を小さくし、真が赤面していたので、ろくな話をしていないと判断した菜月は近寄ろうともしなかった。


   *


 片付けると部屋が広くなるという理由もあり、菜月もすっかり布団派になっていた。


 ベッドの寝心地も捨て難いが、畳に布団を敷いて寝るというのも風情があっていい。菜月がしみじみとそう言ったら、茉優を除く全員に年寄臭いと笑われた。


 夜も更けてかつての同級生五人が集まったのは、もちろん菜月の部屋。

 元の部屋よりも広くなったので、和洋折衷とばかりにフローリングの床の半分に畳みを敷いていた。

 しかも品質にこだわる春道のおかげで、国産の天然い草である。


 体重が吸い込まれるような柔らかさは格別で、絨毯とは違った優しさに足裏が癒される。抜群の吸湿性を発揮してベトつかず、夏の高原にも似た草の匂いがこれまた優しく鼻腔を擽る。


 なんてことを部屋につくなりのたまったら、お前は畳ソムリエかと涼子に呆れられた。もっともその涼子が誰より畳を気に入り、布団なしで寝るとか言い出したが。


 結局畳側に菜月と茉優と涼子。フローリング側に明美と愛花の布団を敷いた。

 布団は前の家から使っていたものを、そのまま友人用に取っておいてくれたらしく、今回も有効活用中だ。


「高校を卒業する時は、もう会えないんじゃないかとしんみりしましたけど、実際はそうでもありませんでしたね」


「よく言うよ。普段から愛花が一番、菜月に会いたがってるくせに」


「愛よね、愛」


「涼子! 明美!」


 信じていた友人に暴露され、愛花は耳まで真っ赤だ。


「でも、なっちーも大学には皆がいないってよく言ってるよぉ」


「茉優っ!」


 愛花を慰めようとしたところで、菜月にも特大の爆弾が落とされた。

 事実なので言い訳できずにいる菜月を、愛花も含めた三人がニヤニヤ見てくる。


「うーっ」


 熱くなった顔を隠すように布団を被ると、すかさず茉優が潜り込んできた。


「茉優も一緒に寝るよぉ」


「じゃあたまにはボクも」


「ちょっと! 狭いってば!」


 涼子だけに留まらず、文句を言う菜月を後目に、明美と愛花もやってくる。


「だったらいっそ、布団をくっつけてしまいましょう」


 畳から落ちないようにひっつき、二つの布団で五人が横になる。


「さすがにキツいですね」


「涼子ちゃん、そんなところ触らないで」


「濡れ衣だっ、あと変な声出すなっ!」


 愛花が身じろぎ、明美がふざけ、涼子が必死に潔白を訴える。コアラみたいに菜月の腕に抱き着く茉優は笑顔で、早くも寝息を立て始めていた。


「幸せそうな顔をしているわね」


 菜月がぷにっとしたほっぺを押すと、ふにゃあと鳴いた。


「新しくなっても、この高木家というのが茉優にとっても特別なのかもしれませんね」


 クスっとする愛花に、菜月も頷く。


「これからまた思い出をたくさん作っていけるわ。私たちはずっと友達なのだから」


「そうですね」


 誰かが誰かのパジャマを掴み、なんとなく五人一つになったような気分で目を閉じる。狭くて不自由なのに、すぐ傍で聞こえる友人の寝息に心が安らぐ。


 以前と内装が違うのでまだ自分の家という感じはあまりしないが、それでも旧家が壊されて以来、初めて菜月は帰ってきたと実感できた。


 僅かに高くなった天井には染み一つない。

 けれども今夜、決して忘れられない最初の思い出が刻まれたような気がした。

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