第333話 葉月と新居

 心地良さより肌寒さが強くなりつつある秋の一日。

 佐々木実希子事件の動揺も冷めやらぬ中、ついに高木家の新居が完成した。


「綺麗だねー、新しい匂いがするねー」


 大興奮の葉月は瞳を輝かせ、いつ以来か父親の手を引いて、無意味にドアホンを鳴らす。


 家に誰もいないので、もちろん応答はない。


「今からそんなにはしゃいでどうするのよ」


「ママだって顔がニヤけっぱなしじゃない」


 口に手を当ててにんまりと葉月が指摘すると、恥ずかしそうにしながらも和葉はやはり嬉しさを隠せていなかった。


「娘が建ててくれた家に住まわせてもらえるんだもの。親としてこれ以上の喜びはないわ」


「ママたちだってお金を出してくれたでしょ。それに一緒に住みたいって我儘言ったのは葉月だもん」


 朝の仕込みと調理を終え、店を茉優らに任せた午後3時。

 大好きな友人たちが気を利かせて、一足先に完成したばかりの新居を見に行けと言ってくれたのだ。


「だから、葉月こそありがとうなんだよ」


「はづ姉、口調が子供の頃に戻っているわよ」


「はっ!」


 この日のために帰省した菜月に注意され、葉月は姉の威厳を取り戻そうと、緩みっぱなしだった頬を叩く。


「それに内覧会で間取りや内装は確認済みでしょう」


「むー、なっちーてばかわいくないー」


「ちょっと、やめてってば」


 グリグリと頭を嬲られる菜月は抵抗するも、本気でないのは家族ならすぐにわかる。


「なっちーは内覧会に参加できなかったんだから、初めて見る新居に感動中だよね? ね? そうだよね?」


「待って。その聞き方だと私は否定できそうもないのだけれど」


「ほらほら二人とも。

 いつまでもじゃれ合ってないで、そろそろ中に入りましょう」


 色々と手配してくれた柚の父親に笑われながら、葉月たちは完成したばかりの新居に足を踏み入れる。


   *


 引き渡しからさらに日数が経過し、生活基盤を移すと同時に、友人たちへのお披露目が行われる。


 葉月はすぐに皆で住みたかったが、柚の父親曰く、建築素材が痛む可能性があるから少し間を開けた方がいいとのことで、時間を置いたのである。


 だがそれもこの時までと、葉月は極限までにんまりとする。


「はづ姉、人に見せられない顔になっているわよ」


 今日もまた帰省中の妹に、辛辣な指摘をされる。

 大学生活が忙しいながらも、こまめに帰省するのを見ると、平気ぶっているようでも地元の友人らと会えないのは寂しいらしい。


 からかうと何倍にもなって逆襲されそうなので、決して口にはできないが。


「ハッハッハ、そう言うもんじゃないぞ、なっちー。それに帰省する理由ができて喜んでるんだろ? 茉優や愛花と会うとデレデレになってるもんな」


 妹の心情を慮って躊躇っていた姉の台詞を、実にあっさりと実希子が言ってしまった。


「くう、このゴリラ。蹴りたいのに、人質がいるせいで手ならぬ足が出せないわ」


「ハッハッハ」


 腰に手を当てて笑う実希子のお腹はまだあまり目立っていない。

 発覚からさほど時間が経っていないので当然だが。


 実希子だけでなく、好美や柚、それに尚もこの場にいる。今夜は新居完成記念のパーティーを開催しようと、葉月が招待状を出したのである。


「それにしても、結構大きくなったわね」


 元々、高木家はボロいが間取りは広かった。そこへ来て、隣家の一つがやはり老朽化のせいで他に引っ越すことになったのだ。


 ならばと葉月はそこも買い取って、敷地面積の拡大を図ったのである。


 都会なら莫大なお金がかかるが、田舎の土地はかなり安い。

 普段からあまり浪費をしない葉月だけに、お金をかけたいと相談した時、夫の和也は快く賛成してくれた。

 その和也は尚と一緒に来た柳井晋太と雑談中だ。


「さすがに屋上は諦めたみたね」


 外観を眺めていた好美に呟きに、葉月は苦笑する。

 皆で遊ぶためにと、屋上を作ろうと提案したのは他ならぬ葉月だった。


「色々と手間がかかるし、何より近くに屋上を作った実績のある業者さんがいなくて……柚ちゃんパパは探そうかって言ってくれたんだけどね」


 防水工事や定期的なチェックなど、調べて得た情報をもとに再考して家族会議を開いた結果、見送るという結論に至った。


「その代わり、バルコニーを少し大きめに作ったんだ」


 そもそもの住居数が少ないので都会の夜景ほど煌びやかではないが、人の営みを感じられる明かりのアートは心が和む。

 何より田舎は空が高く感じられて、星がよく見える。夜風に当たりながら見上げた時の感動には飽きがないほどだ。


「素敵ね……そこで和也君と二人で愛を確かめ合うのね……」


 今もって少女漫画的展開に憧れているのか、うっとりする柚が上気した頬に手を当てる。



「んなことしてたら風邪引くだろ」


「実希子ちゃん、妊娠して親父っぽくなってるわよ。

 母親になるんだから正気に戻って」


「アタシは正気だ!」


 ひとしきりガヤガヤと騒いでから、いよいよ葉月が新居の鍵を開ける。


「いくよ、皆、心の準備はいい?」


「だからこの前も入ったでしょうに」


「なっちー……」


「うえっ!? 何で涙ぐむのよっ、わ、わかったわ、私が悪かったから」


「それでいいのです」


「ぐ……はづ姉、性格が実希子ちゃんに似てきているわよ」


「がーん」


「何でショックを受けんだよ!」


 実希子のツッコみに笑いながら、葉月は玄関の門を開く。

 ドア前のスペースはさほど広くないが、家の左右には庭がある。

 花を植えたり、遊び場として利用する予定だった。


「ようこそ、私たちの新しいお家へ!」


   *


 玄関を入ってすぐ左側に靴置き場があり、正面にはホールが見える。その左側にトイレが設置されていて、逆側にリビングへ続くドアがあった。


「うわ、かなり広いな」


 最初に驚いたのは実希子だった。

 ぞろぞろとリビングに入るなり、皆が似たような反応をするので、嬉しくなって葉月はフフンと鼻を鳴らした。


 皆でくつろぐために作ったリビングは二十畳近くある。

 家族の団欒を何より愛する葉月にとって、ここを広く作ることだけは絶対に譲れなかった。


 同じ部屋にはダイニングとキッチンもあるので、全体的に見ると実希子の言葉通り、かなり広い。

 ダイニングで食事している人が、リビングで寛いでいる人と会話も可能だ。


 これこそが以前の高木家からの醍醐味で、新居でも葉月が求めたものだった。

 リビングの隣には防音効果ばっちりの壁に包まれた春道と和葉の部屋がある。


 両親の希望で畳部屋になっており、二人で過ごすようにやはり広めになっていた。

 春道の仕事部屋も隣接させようかという話にもなったのだが、当人はノートPCがあればどこでもできると望まなかった。


 それでも葉月は皆で利用するためにという名目で、二階に書斎を作ったのだが。


「キッチンの奥に洗面所や浴室があるのね」


 マイホームを建てる野望をいまだ衰えさせていない尚の目は真剣だ。

 苦笑しつつも付き従いながら、あれこれと和也に話を聞くあたり、夫の晋太も賛成はしているのだろう。


「お風呂はパパの要望で大きめになってるよ」


 玄関ホール正面の厚めの壁をぶち破った先がキッチンで、手前を左に折れると洗面室へと続くドアを見つけられる。


 洗面室には洗濯機があり、脱衣スペースにもなっている。

 書斎は不要と言った春道が、もっとも強く希望したのが足を伸ばして入浴できる浴槽だった。

 銭湯や温泉を好むので、家族全員が予想していたし、誰も反対はしなかった。


「ふわあ、これならなっちーだけでなく、愛花ちゃんたちとも一緒に入れるねぇ」


「可能かもしれないけれど、五人だと横並びにしゃがむ形でしか無理よ」


 夢を膨らませている茉優に真面目に菜月が言葉を返していると、愛花らがそれでも広いと苦笑する。


   *


「部屋、多っ!」


 リビングを見た時よりも口と目を大きく開けた実希子に、葉月は自慢げに両手を広げる。


「一階は主にパパたちの部屋と団欒用だから、二階を住居用にしてみたの」


 同居する人数も増える可能性があるので、階段のすぐ横にはトイレもある。

 そのトイレの横が物置で、もう片方が書斎だ。

 庭にも物置があるので、春道と本好きの菜月が入れば、二階の物置も書斎じみた使われ方になるのではないかと葉月は予想していた。


 二階に部屋は書斎と物置以外に六つあり、一つが菜月、一つが葉月と和也用だ。

 残り四つは客間だったり、子供部屋の予定になっている。


 葉月たちがこのまま子宝に恵まれなくとも、将来菜月が真と結婚して子沢山の家庭になるかもしれない。

 部屋はあって困らないと、葉月が多めに作ってもらったのである。


 物置と書斎に挟まれた階段があり、ホールというか廊下が真っ直ぐに伸びている。その廊下に面して左右三つずつ部屋がある。そして突き当りからはバルコニーに出られる。


「部屋も一つ、六畳以上はあるだろ。金がかかってんなあ」


「バルコニーも広くて素敵ね」


「皆のおかげで稼がせてもらってます」


 葉月がぺこりと頭を下げれば、夢を一緒に叶えてくれた実希子や好美が満面の笑みを浮かべてくれる。

 そこに嫉妬などの否定的な感情はなく、純粋に祝福してくれているのがわかり、葉月はとても嬉しかった。

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