第235話 夕食

 茉優と自宅で遊んだその翌日。


 ようやく通い慣れだした三年生の教室で、菜月は衝撃的な光景を目撃する。真を引き連れて登校を果たした直後、こちらの姿を見かけて嬉しそうに駆けてくる少女。ここ数日で仲良くなっているので、誰なのか見間違えることはない。


 いつもと変わらないふわふわの髪に、ニコニコ笑顔。高い身長に女性として丁度良いくらいの丸みを帯びた肢体。そこまでは問題なかった。菜月が両目をまん丸くしてしまった理由は、彼女の顔から下――正確には着ていた洋服にある。


「おはよう、菜月ちゃん」


 にこやかな挨拶をする茉優が、似合うと言わんばかりに目の前で一回転する。ふわりと裾が舞うのは白いワンピースのスカートで、胸元の黒いリボンが特徴的だ。可愛らしいと表現できるその服に、菜月はどうしようもないほど見覚えがある。


 それもそうだろう。

 そのワンピースは菜月が昨日、茉優に見せたものと同じなのだから。


「……わざわざ買ったの?」


「うんっ。菜月ちゃんとお揃いだねぇ」


 照れたように頬を赤らめる少女。純粋な好意を向けてくれるのはありがたいが、少々度が過ぎているというべきか。注意しようか悩んだが、あえてやめておく。

 これも一人ぼっちを寂しいと嘆く茉優という女の子が、なんとか友人を得ようとする頑張りの一種かもしれないと思ったからだ。


「そ、そうね。よく似合ってると思うわよ」


 サイズこそ少女に合っているものの、小学三年生にして早くも女性らしさを宿し始めている全身が与える印象は可愛らしいだけに留まらない。スケベな男子連中がちらちらと茉優を盗み見ていることからもわかる。


 成長の差というものでありどうしようもないことなのだが、同じ服を着て欲しいと頼まれた場合は断固拒否するしかない。小柄な菜月の女らしさは平坦に過ぎるため、並んで立てば否応なしに違いを意識せざるをえなくなる。

 着飾ることにさほどの興味はなく、周囲の評価に気を遣いすぎもしないが、やはりあれこれと指を差されるのは菜月としても面白くはないのである。


「えへへ。嬉しいな」


 屈託のない笑顔は、まるで背後に花でも咲いているかのような錯覚を覚えさせる。当人からすれば親密さをアピールする手段なのかもしれないが、受け取る側にはやや苛烈すぎる印象を与える。


「昨日ね、あれから教えてもらったスーパーに行ってみたの。

 最後の一着だったんだよ」


 運が良かったと喜ぶ姿を見れば、とても注意する気にはなれない。以前に同じグループだった女子が悪い子ではないと言った通りなのだが、こうやって少しずつ周りと距離ができていってしまったのだろう。

 けれどここで離れるつもりのない菜月は、とりあえず懐いてくれる子犬に接するような気持ちで爪先立ちからの頭撫でを敢行する。


「あはっ、えへへ」


 楽しそうにする茉優と戯れるうちに、もしかしたらこれが妹を持つ姉の気持ちなのだろうかと菜月はふと思った。


   *


 放課後になると茉優はまた菜月の家に遊びに来たがったが、先日は招待したのだからと代わりに彼女の家へ行くのを提案。お決まりの笑顔で渋っていたものの、強引に言いくるめた。


 茉優の家は市内のアパートだった。暗めの茶色い外観で二階建て。上下階ともに四部屋ずつ並び、合計で八部屋。それぞれに住人がいるみたいで、彼女は父親と一緒に一階の左端の部屋に住んでいるということだった。


 内側は灰色のコンクリートが剥き出しみたいな感じで、かなりの築年数を表すようにところどころにヒビみたいなのが入っている。玄関を上がってすぐは板の狭い廊下で、足を乗せただけでギシリと音が鳴った。


 廊下のすぐ左にユニットバスがあり、厚手のカーテンでトイレと浴槽が仕切られている。これだけ見ても明らかに一人暮らし用の部屋で、男親を持つ娘が年頃になれば何かと不便を感じるのは間違いない。


 玄関の右側には台所があり、台所の後方に居間。その奥にも板の間がある。奥が茉優の部屋だと教えられ、襖を開いて菜月はお邪魔させてもらう。

 部屋はこざっぱりとしており、意外と整頓もされていた。投げ出している服とかもなく、隅にあるタンスも小さめのサイズだ。部屋の奥に大きな窓があり、一階ではあるが結構日も入ってくる。


「ここが茉優のお部屋だよ。何もなくてごめんねぇ」


 ベッドではなく敷くための布団が隅に寄せられており、押入れみたいなものはない。四畳半程度の部屋なので、机とタンスを置いてるだけで結構な狭さになってしまう。


 机の上には少女用の漫画雑誌が二冊ほど重ねられ、横には好きなのだと思われる単行本も一冊ある。教科書はノート類は一切出ておらず、そういえば学校でもよく宿題を忘れてきて先生に怒られていた。


「勉強とかはここでしてるの?」


「うん。菜月ちゃんもお部屋? それなら一緒だね」


「そうね。一緒は喜んでもらえそうだから、まずは宿題をしてしまいましょう」


 作られた笑みのままで茉優が微かに固まる。だが勉強は嫌だとはならずに、床の上でランドセルから教科書とノートを取り出す。

 笑顔という仮面に隠れていても、喜びもすれば悲しみもする。愛情表現というか、行動や思考がちょっと極端なだけで普通の少女なのだと改めて思った。


   *


 案の定勉強は得意でなく、最初はうんうん唸っていた茉優だが、逐一菜月が教えてあげると嬉しそうに宿題をし始めた。とにかく一緒に何かするということに餓えているみたいな反応だった。


 宿題が終わり、お喋りをしているうちに外が段々と暗くなってくる。そろそろ帰ろうとする雰囲気を察したのか、茉優がそうだと手を叩いた。


「この間のお礼に、茉優が晩御飯を作ってあげるねぇ。そうすれば、もうちょっと遅くても大丈夫だよ」


「でも、あまり遅いとお家の方の迷惑にもなるでしょう」


「平気だよう。パパは今日も遅いし……あっ、菜月ちゃんはどれがいい?」


 案内された居間の食卓に並べられたのは、カップラーメンやカップ焼きそばだった。まさかこれが晩御飯なのだろうかと軽い衝撃を受けたが、そのまま口には出さずにまずは肯定する。


「美味しそうね。茉優ちゃんはよく夜にインスタント食品を食べるの?」


「うんっ。菜月ちゃんも好きならよかった。どれでもいいから選んで」


「悩むわね」


 考えるそぶりをしてから、さらりと菜月は尋ねる。


「失礼だとはわかっているけれど、少し冷蔵庫を見せてもらっていいかしら」


 許可を貰ってから冷蔵庫を開ける。中には面白いくらいに食材がほとんどない。父親も夜遅いような発言をしていたのも踏まえれば、自炊していないのはほぼ確定だ。

 居間には炊飯器があるのでそちらも確認させてもらうと、そちらも見事に空っぽでここ最近で使われたような形跡はなかった。


「茉優ちゃんのパパは、お仕事が忙しいのね」


「そうみたい。お仕事のことは茉優もよく知らないんだ。でも、眠る頃になっても帰って来てなかったりするかなぁ」


 外が暗くなってからも部屋で一人ぼっち。そう考えれば手狭に思われたスペースも、広々と感じてしまうのかもしれない。だから茉優は昨日もなかなか帰りたがらなかったし、今日も菜月をなんとか引き留めようと頑張っているのだ。


 孤独は寂しい。少女の言葉が思い出され、さすがにこのまま帰るのが躊躇われた。バレないようにため息をつき、覚悟を決めて電話を借りる。両親に帰宅が少し遅れるのを伝えると、そばで聞いていたらしい茉優が顔をパッと輝かせた。


「菜月ちゃんと一緒にご飯だ。えへへ。嬉しいなっ」


 兎みたいにぴょんぴょん飛び跳ねて喜びを露わにする茉優を引き連れ、今度は冷凍庫の確認。ご飯が残っているのを見つけると、一箇月は経ってないと思うという回答を聞いてから電子レンジを借りる。


 かちこちのご飯を皿に乗せて解凍しながら、久しく使われていなかったフライバンを台所下の棚から発見して手際よく洗う。油も大丈夫そうなのを確かめ、解答を終えたご飯を炒める。卵があればなおよかったが、見つけられなかったのでケチャップと冷蔵庫にあったハムを頂戴しての簡易なケチャップライスを作る。


「はわあ……菜月ちゃん、お料理ができるんだねぇ」


「よくママのお手伝いをしているもの。はづ姉……姉が小さい頃に独創的すぎる調理をしてばかりいたものだから、私がそれらを教え込まれる前に正しい料理の仕方をママが指導してくれたのよ」


「そっかぁ……茉優にもママがいれば教えてもらえたのかなぁ……」


「そうかもしれないわね。けれどママがいなくても私が教えてあげるわよ」


「うわあ。菜月ちゃん、大好きっ」


 じゃれつこうとする茉優から逃げつつも料理を完成させ、いらぬお節介かとも思ったが彼女の父親の分も含めた三人前をテーブルに並べる。


「お家で食べるあったかいご飯だー」


 ニコニコ少女のその感想だけで、給食以外では食べていなかったらしいことが判明する。食卓に隣り合って座り、食べながら菜月は少女に問いかける。


「パパがご飯を作ってくれたりはしないの?」


「うーんとね、なんだか苦手みたい。だから茉優には好きなもの食べなさいって」


「夕食代をくれるのね。それならどうしてカップラーメンばかりなの?」


 スーパーに行けばお弁当はもちろん、お惣菜なども買える。サラダなども売っているし、それなりに健康に配慮したメニューにもできるはずだ。


「ええと……その、あのね……えへへ」


 スプーンをテーブルに置き、言い難そうにする茉優の手を握る。


「茉優ちゃんと私は友達でしょう? 教えてほしいの」


「う、ん……」


 俯いて言い難そうにしていた茉優だが、そのうちにポツリポツリと話し始めた。


「お夕飯代は、お買い物に使っちゃったんだ……」


「お買い物ってまさか……洋服?」


 コクンと小さな頭が下に倒れる。怯えるように様子を窺う少女に、怒ったり嫌っていないのを示すためにも菜月は笑顔で先を促す。


 ほんの少しだけ安堵したらしい茉優の口から、少しずつ少しずつ言葉が零れる。教室で見かけた頃ならきっと笑顔を浮かべるだけで終わっていたはずだ。こうして事情を打ち明けてくれるだけでも、真摯に付き合ってきた菜月の数日間は無駄ではなかったと実感する。


「クラスの皆、お洋服が好きみたいだったから。でも、茉優はバカだからね、お洋服のこととかわからないの。だから同じ服を買ったら、会話に混ざったりできるかなあって思ったの」


 ここまでしてきたことを考えれば努力の一種だと肯定してあげるべきなのかもしれないが、無意識に菜月は茉優の頭部にチョップを見舞っていた。


「えっ? えっ? あっ、ご、ごめんなさい。茉優のこと、嫌いになっちゃった……?」


「そんなわけないでしょ」


 菜月はため息をつく。


「でもご飯はきちんと食べないとだめよ。友達なら洋服を買ったりしなくても、私がいるじゃない。ね?」


「う、うんっ! えへへっ。やっぱり菜月ちゃんは優しいね」


 ご飯を食べ終わったあとは、抱き着いて感謝を表していた茉優と一緒に片づけをした。帰る際にはやはり寂しそうだったが、迎えに来てくれた春道の車に乗って遠ざかる菜月にいつまでも彼女は手を振ってくれていた。


 今日の出来事を車内で春道に教えると、やっぱり世話好きだとからかわれつつも、最後には自慢の娘だよと褒められた。

 素直に喜ぶのが恥ずかしくて顔を背けてしまったが、窓に映る表情を見たらしい父親はとても優しい目で菜月を見つめていた。

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