第404話 愛娘たちの卒園式

 真っ白い銀世界が降り注ぐ陽光に溶かされると、緑の息吹を感じられる春がやってくる。


 風景にはまだ冬の名残があっても、葉月の愛する子供たちの装いはどんどん変わっていく。


「よく似合ってるよ、穂月」


 褒められた愛娘が「えへへ」とはにかむ。


 彼女が高木家のリビングで着ているのは、幼稚園の卒園式用に合わせた子供用のシックなドレスだった。この日のために新調したもので、早朝どころか昨日から着るのを楽しみにしていた。


「希も似合ってるぞ、馬子にも衣裳ってやつだな」


 一緒に卒園式に出席するために、朝から高木家を訪れていた実希子が愛娘が着飾った姿にうんうんと頷いていた。


 しかし当の希は母親を一瞥すると、すぐにそっぽを向く。


「おいおい、

 卒園式の日くらい母ちゃんに愛想良くしても罰は当たんないと思うぞ」


 いつも通りのようでいて、

 少し不機嫌さを感じさせる希の態度に実希子は困惑顔だ。


 二人のやりとりを見ていた葉月は、もしかしてと思って口を開く。


「実希子ちゃん、馬子にも衣裳って褒め言葉じゃないんだよ」


「えっ!? そうなのか!?」


 知らなかったらしく、実希子が目を剥いた。


「うん。子供の頃にパパに教えてもらったことがあるんだ」


「和葉ママじゃなくて、春道パパに?」


「確か泰宏伯父さんにパパが訂正して、ママがその理由を教えてくれたんじゃなかったかな。かなり昔だから、理由までは忘れちゃったけど」


「ほー……春道パパもなかなかやるもんだな」


 和葉と一緒にビデオカメラなどの準備をしていた春道が、ここで自室からのっそりと顔を出した。


「呼んだか?」


「パパ凄いって自慢してたの」


「あんまりおだてたらだめよ。娘に褒められるとすぐに鼻の下を伸ばすんだから」


 一緒に部屋から出て来た和葉に脇腹を軽く小突かれ、照れ臭さを誤魔化すように春道が後頭部を掻く。


 昔からの父親の癖で、葉月も似たような仕草をすることが多々ある。


「相変わらず和葉ママと春道パパは仲が良いっスよね。秘訣みたいなのってあるんスか?」


「特にないわね。単純に相性が良かったのではないかしら」


 少し考えたあとで、微笑みながら和葉が質問者の実希子に回答した。


「実希子ちゃんのところだって夫婦仲は良好でしょう?」


「そうっスね。頼りないとこはあるっスけど、そこも含めて――って、アタシは朝から何言おうとしてんだか」


 途中で言葉を止めた実希子に、誰よりガッカリしたのは背後でこっそり話を聞いていた彼女の夫だった。


   *


 年齢が上の朱華だけは数年前に卒園式を済ませているので、高木家と小山田家で幼稚園までの道を歩く。


 普段はバスで通り過ぎるだけの景色を、自分の足で確かめている穂月はとても楽しそうだ。


 希は相変わらず眠そうにしているが、穂月にあれこれ話しかけられるとしっかり反応してくれる。


 実希子が話しかけても面倒くさそうにするばかりだが。


「智希には比較的懐いてるような気がするんだが……何故だ」


「実希子ちゃんがしょっちゅう希ちゃんを動かすために穂月ちゃんをけしかけたからでしょう」


 隣を歩く好美にため息交じりに指摘され、視線と一緒に実希子は肩を落とした。


 穂月や希を自分の子供のように可愛がってくれる好美にも、せっかくだからと葉月と実希子は卒園式の観覧を打診した。


 当初は家族の邪魔になると遠慮していたが、和也や智之も一緒になって説得してくれて参加が決まった。


 店は茉優と尚が留守番をしてくれている。


 配送は茉優の夫の恭介が担当してくれていて、今は頑張ってハンドルを握っている最中のはずだ。


 朱華は一緒に卒園式に参加したがったので、店番をしてくれている尚が一段落したら途中から穂月たちをお祝いしに来てくれる予定になっている。


「けどさ、穂月にお願いしなかったら、希は寝たきり雀になっちますじゃないか」


「寝たきり雀って……。

 まあ、いつも寝ているっていう意味で使ったんだろうけど……」


 好美が苦笑する。


 舌切り雀という話があり、そこからお金がなくていつも同じ服ばかりを着る人を揶揄する着たきり雀なんて造語があるので、恐らくどこかで聞いたその言葉が頭のどこかに残っていて実希子も使ったのだろう。


「自発的に動いてもらうのが一番なのは確かだけど、希ちゃんには希ちゃんの考えがあるだろうしね。小学校に入れば、もっと運動するようになるよ。体育もあるし」


「アタシは入学早々に、娘さんが体育中に日陰でこっそり寝ているとかのお叱りの電話がこないか、今から心配で仕方ないんだが」


 励ましたつもりが、実にありえそうな未来を提示されて、葉月は困ったように笑うしかなかった。


   *


「はー……緊張するな」


「実希子ちゃんがそんなにガチガチになってどうするのよ」


 自分が目立たないようにと、わざと地味めのワンピースを選んでいた好美が隣で深呼吸を繰り返す友人に苦笑いする。


 意外に感じたのは葉月も同じだったので、

 目をパチクリしながら実希子に声をかける。


「なんかソフトボールの試合前より緊張してない?」


 学生時代によく葉月は緊張していたが、実希子はそういうプレッシャーなどとか無縁の存在だった。


「日本代表で試合に出た時の方がまだ気楽だったな」


「自分のことは平気でも、身近な人間のことには緊張するのね」


「でも、なっちーの試合とかは普通に見てたよね?」


「緊張はあまりしなかったけど、手に力は入ってたぞ」


 実希子や好美とそんな会話を交わしながら卒園式が始まるのを待つ。


 近くでは春道がすでにビデオカメラの準備を終えており、和也と智之はデジタルカメラでの動画撮影を始める。


 大半の保護者が我が子を撮影しようとスマホなどを構えていた。


「どこの家庭も子供の晴れ姿を記念に残そうと必死だな」


 緊張している仲間を見つけるためか、

 実希子が周囲をきょろきょろと見回している。


「一生の思い出になるからね。たまに見返したりすると恥ずかしいけど、昔を思い出せて心がほっこりするよ」


 葉月や妹にも両親が撮影してくれた映像が数多くある。


 正月や盆で集まりがない時に、葉月や菜月の時代はこうだったなどの話とともに上映会が開催されたりする。


 そのたびに帰省中の菜月は恥ずかしそうに自室へ逃げたがるが。


「その思い出にアタシや好美もやたらとお邪魔してたな」


「昔から一緒にいるもの」


「もちろん、これからもだよ」


 懐かしそうにする実希子と好美に、葉月は感謝とともに微笑みかけた。


   *


 卒園式が始まると同時に、拍手する葉月の傍で実希子が腰を抜かしそうなほど安堵する。


「良かった……普通に起きてる」


 どうやらいつものごとく眠りこけた希が、先生の誰かに背負われて式に参加するのではないかと危惧していたみたいだった。


 友人の呟きが耳に届いたらしい好美が、途端に吹き出しそうになる。


「幼稚園から苦情がきたこともないんでしょ?

 もう少し希ちゃんを信頼してあげなさい」


「そっか……そうだよな。希もすぐに小学生になるんだ。いつまでも親のアタシが不安ばっか持ってたらだめだよな」


 心身に力を取り戻した実希子が、卒園式中の園児以上に表情を輝かせる。


「……あ」


 葉月も「良かったね」と言おうとした矢先、事件は起こった。


 目をしょぼしょぼとさせていた希が眠気に耐えきれずに、その場で丸まりだしたのである。


 床をベッドに安らかな寝息を立てようとする一名の園児に、大慌ての先生たちがすぐに起こそうと――


 ――するのではなく、穂月に声をかけた。


 とことこと自分の立ち位置から希の元に移動した穂月は、ぺちぺちと軽く彼女のほっぺを叩く。


「のぞちゃん、おっきー」


「……ん」


 むくりと上半身を起こした希がすぐに式に復帰する。


「……葉月、希のことを末永くお願いすると穂月に伝えてくれ」


 葉月の両手を強く握る実希子は半泣きだった。


   *


 朱華の時にも在園児の一員で参加していただけに慣れていたのか、葉月が予想していたよりもずっとスムーズに式が進行されていく。


 修了証書の授与中に希お眠事件が発生した程度である。


 園長先生の話や来賓からの祝辞が終わると在園中の児童からお祝いの言葉が贈られ、卒園生たちが挨拶をする。


 主役の子供たちが幼いのもあり、

 厳かというよりは微笑ましさ満開のやりとりが多い。


 葉月が他の保護者同様にほっこりしていると、途中から尚や小学校が春休み中の朱華、それに菜月に動画を送るのだと茉優も合流した。


 午前中の繁盛期が終わったので店は一時閉店中だ。


 茉優が勝手に決めたのではなく、店長の葉月が事前に相談されて許可を出していたので何の問題もない。


   *


 卒園式が終わると記念撮影が行われ、最後のクラス会で児童一人一人に記念品が手渡される。


 図書カードだったので大半の児童はきょとんとしていたが、それで本を買えると聞いた希はそれまでの眠そうな様子から一転して目を輝かせた。


「我が娘ながらなんて現金な……」


「そこら辺は実希子ちゃんにそっくりかも」


 クラス会が始まる前に好美や尚たちは店に戻ったので、この場にいるのは高木家と小山田家の面々だけである。


 したがって不在のツッコみ役を葉月が担当する。


「葉月も言うようになったじゃないか」


「付き合いが長いからね」


「そうだな……まったくそうだ」


 葉月の肩に手を回したまま、実希子が目を細める。


「できれば希と穂月にも、アタシたちみたいな良い関係を築いてほしいな」


「きっと大丈夫だよ」


 自信満々に葉月は断言する。


「だって私たちの娘だもん」


「よし、じゃあ娘たちの門出を祝って信じることから……って、また希が寝ようとしてやがる。図書券貰って目が冴えたんじゃないのかよ! ほ、穂月っ!」


 卒園式でまでお騒がせな葉月たちを周囲がクスクスと見守る中、自分たちには賑やかな方が似合っていると、恥ずかしさを通り越して楽しくなってきた葉月は危うく声を上げて笑いそうになった。

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