第257話 菜月の林間学校

 太陽のギラつき具合に腹立たしさを覚えそうになる季節。

 長期休みも前方に見えてきているこの時期に、菜月たちの学校では五年生を対象とした林間学校が行われた。


 以前にサイクリングした自然公園よりも奥に進んだ、より山側にあるキャンプ施設が舞台となる。


「アウトドアの場所に困らないのが田舎の利点かしら」


 自分の身長よりもずっと高い木々を見上げながら、ため息交じりに菜月は呟いた。町中よりも吹く風は涼しく体感温度もそれなりに快適だが、やはり林間よりも臨海の方が良かったと思わずにはいられない。


 同じ市内に海もあるのだから、たまには臨海でもいいのではないかと果敢に教員へ捻じ込んでみたが、他校も利用している山の施設の方が危険が少ないと却下されてしまった。


「茉優はなっちーと一緒だから、どこでも嬉しいの」


「……男が恋人に言われたら喜びそうな台詞ね。同性の私でもキュンときたわ」


 おふざけ半分で言いつつ、始まってしまったものは仕方ないと受け入れる。男子は半袖短パンが主流だが、女性は普通の体操着姿も多い。かくいう菜月もその一人だ。どうしようもなく熱ければ脱いで、下に着ている半袖短パンになるつもりではいるが。

 菜月に倣ったかどうか不明だが、茉優と真も同様の服装だった。


「予定としてはレクリエーションという名の山登りのあと、夕方から調理ね。材料も手順も抜かりはないし、問題なく過ごせそうね」


 意外なことに林間学校では男女二人ずつの四人で班を組む。もちろんテントは別々だが、理由は男女の協調性を育むためらしい。真と組んでいる男子は三年生時に菜月に言い負かされてベソをかいていた少年――飯田である。


「女子の手料理って楽しみだよな」


「……看過できない戯言が聞こえてきたわね。貴方には誰より働いてもらう予定なのだけれど」


 ギクリとして、こそこそ真の背後に隠れる。どうやらいまだに菜月へ苦手意識を持っているらしかった。

 その割には事あるごとに話しかけてきたりするのが不思議だが。


「あっちに皆、集まってるよ。レクリエーションが始まるみたい」


「なら私たちも行きましょう。地元とはいえ、せっかくだから良質な景色を期待しましょうか」


 自転車ではなく徒歩で山道を登るため、体力のない女子は早くも遅れ気味になる。一方で競争と勘違いしているような男子は、先に行き過ぎて教師に注意されていた。


「傾斜がキツくなってきたけれど、真は大丈夫?」


「うん。たまに菜月ちゃんたちと一緒に部活の練習をしてるおかげかな」


 相変わらずの細身で外見は女子と見間違われそうだが、真も男の子である。弱音を吐かずに、しっかりした足取りで先を目指す。


 標高の低い山なので、遠足がてらに登ったりもできる。もっとも頂上まではいかず、途中の開けた場所が目的地になっていた。


「下るのは楽だけど、登るのは大変だねぇ」


 さすがの茉優も息を弾ませる。ゆっくりで途中までとはいえ、やはり登山は大変だ。そしてそれは菜月にもそのまま当てはまる。


「まったくだわ。とはいえ目的地まではあと少しだし、完全に足にくる前には辿り着けると思うわ」


 言った通り、数分もしないうちに小さな公園みたいな場所に到着する。そこで一休みしながら、景色を眺めることになる。昼食はキャンプ場に到着してすぐクラス毎に取っているので、これは食後の運動みたいなものだった。


「スケッチブックを持ってくればよかったかな」隣に座った真が言った。


「見下ろした先にあるのは自然というより民家ばかりよ?」


「そういうのも風景の大切な一コマになるんだよ。自然に馴染むっていうかね」


「さすが真ね。私にはまだ到達できない境地だわ」


 素直に褒めたのが伝わったのか、真が照れ臭そうに笑う。


「休んだら、すぐに戻ってお料理かな」


「夜は夜でキャンプファイヤーとかをやるみたいだから、早め早めに動くかもしれないわね」


「えへへ。茉優、それも楽しみなんだよねぇ」


 待ちきれないとばかりに、少女は両手を当てた頬を緩めるのだった。


   *


 夕焼けの色合いが増した頃、キャンプ場の調理スペースで歓声が起こった。主役となっているのは菜月が長として率いる班だ。


 部活が休みの日は一緒に夕食の手伝いをすることもあり、役割分担も阿吽の呼吸で可能。何より慣れによる小学生らしからぬ手際の良さは、注目を集めて当然だった。


 唯一、普段からほぼ遊ばない飯田のみが置いてけぼりを食らった犬みたいに隅で佇んでいる。さすがに申し訳ないと思ったのか、手伝おうとする彼に心優しい真があれこれと頼みごとをする。


「高木さんの班は特に問題ありませんね。

 是非、先生の分もお願いしたいところです」


 引率の教師は自分で調理せず、生徒のを分けてもらうことになっている。にこにこ顔の担任を、他のクラスの担当教諭がどことなく羨ましそうに見る。それだけ菜月の班のカレーが期待を集めている証拠だろう。


 カレーの場合は特に水っぽくなりがちだが、そのような失敗は以前に自宅で作った際に経験済みである。

 凝りもせずに、同じ失敗を犯すほど菜月は愚かではなかった。


 菜月という司令官に全幅の信頼を置いてくれる仲間も二人いるので、調理は順調に終了。火にかけている鍋から、美味しそうな香りがキャンプ場全体へと広がっていく。


「ご飯の方も問題なしね。この分だと美味しいカレーを食べられるわ」


「やったねぇ。さすが、なっちー。他の班の子も、少し欲しいって言ってたよ」


「……美味しい完成品を他者に分け与えて、その代わりに失敗品を食べさせられるはめになったりしたら笑えないわね」


 菜月の予測に、真が笑顔を引き攣らせる。


「さ、さすがにそこまで心配しなくてもいいと思うけど……」


「甘いわね。特に男子の顔を見てみなさい。失敗作も同然のカレーを作った連中はハイエナよりも恐ろしいわ」


 ごくりと生唾を呑み込む茉優。菜月の周囲だけ異様に緊張感が増している。だというのに真だけは状況を正確に把握できていないみたいだった。


「他人事みたいだけど、真が一番危険なのよ?」


「ぼ、僕? 意味がわからないんだけど……」


「食事の時間が始まればわかるわ」


 遠い目をする菜月の横顔を、最後まで不思議そうに見つめていたが、金色が薄闇に変わり始めた夕食の時間にようやく彼は理解する。


 教師がいただきますを言った直後に、自分のと交換して欲しがる男子が真に殺到したからだ。飯田は良くも悪くもガキ大将的な存在であり、菜月と茉優は女子。

 となれば、誰がもっとも与しやすい相手なのかは火を見るよりも明らかだ。


 ハイエナよりも怖いという意味を真が知った時、彼のカレーは残らず奪われていた。


「ぼ、僕のカレーが……」


「だから言ったでしょう」ため息をつきつつも、菜月はこんなこともあろうかと寄せておいた最後のカレーを真の皿によそった。「今度は守り抜くのよ」


「うん……僕が甘かったよ。林間学校のカレーは争いの火種になりえるんだね……」


 ようやく一口目を味わった真は、まるで達観した仙人のごとく呟いた。


   *


 闇夜に踊る赤色の炎はまるで猛る命を表すかのように激しく、そして美しかった。特別に親から借りたと思われるスマホで撮影する生徒もいるが、菜月たちはそれこそ親同士の申し合わせで持たせられていない。その代わりにそれぞれがデジタルカメラを預けられていた。


「なっちー、もう一枚撮ろうっ」


 キャンプファイアーを背景に、笑顔の茉優と菜月が映る。いわゆる自撮りだが、一緒に撮る以外は何故か菜月にカメラを向けていることが多い茉優である。


「まっきーもっ」


 いつになくハイテンションな茉優に腕を掴まれ、照れた様子で真はピースサインを作る。


 ふわふわとした天然っぽい感じが漂う茉優だが、その外見は愛らしく、かつ小学五年生とは思えないくらいに出るところが出ている。姉の葉月曰く、昔の実希子にそっくりだそうだ。


 一緒にお風呂に入る際は半ば本気で半分くださいと頼んでいるのだが、彼女が良くても神様が許してくれないらしく、願いは叶えられていない。


 とにもかくにもそんな茉優と仲良さげに出来るのもあり、男子から羨望の眼差しを送られているのが真である。もっともその真にしても、中世的な顔立ちが一部の女子に人気なのだが。


「えへへ。夢みたいな光景だねぇ。綺麗だねぇ。楽しいねぇ」


「夢にしてもらったら困るわ。私も楽しいのだから」


「そうだよねぇ。えへへ!」


 今度は菜月の腕を取り、子猫のように首を傾げる。気がつけばそんな友人の髪の毛を撫でるのが、いつの間には日課になりつつあった。


 キャンプファイヤーと各班の催しものが終われば、あとはそれぞれのテントで眠ることになる。四人が入れるので、女子は女子で二班が同時に使うことになる。


 持ち寄った懐中電灯でテント内を薄く照らし、見回りの教師にバレないようにこそこそと夜の会話をするのはこうしたイベントの醍醐味だ。


 何気ない会話の中でも、茉優は他の女子とも気軽に冗談を言ったりする。三年生になった当時の奇妙な卑屈さはどこにもなく、純粋に今を楽しんでいる。もう菜月がそばにいなくとも大丈夫だという現実に、ほんの少しだけ寂しさを覚える。子離れできない親の気持ちを、この歳にして僅かながら知ったような気分だった。


「ねえねえ、皆は好きな人とかいるの?」


 これもお決まりというべきか、話題が異性関係の方へ捻じ曲がっていく。最近の小学生がマセているというわけではないが、五年生ともなれば誰と誰が付き合っているのかという話もちらほらと聞こえてくるようになる。


「多少の興味はあるけれど、私はいないわね」


 矛先を向けられた菜月が素直に答えると、何故か意外そうな顔をされる。


「ちょっと待って。凄く気になる反応をされているのだけれど。皆は私のことをどう思っていたの?」


 茉優とばかり行動を共にしているので、同年代の少女とは疎遠とまではいかなくとも強い結びつきはない。それゆえにふと周囲の評価が気になった。


 多少言い難そうにするクラスメートに答えを促すと、彼女らは顔を見合わせてから申し訳なさそうに口を開いた。


「六年生の人と鈴木君を手玉に取る魔性の女」


「……やめて。お願いだから、変なイメージを植え付けないでほしいわ。私は純真そのものよ」


 明言しているというのに、隣の茉優は魔性の女というフレーズを甚く気に入ったらしく、羨ましそうに菜月の耳元で連発する。憧れでも抱いているのであれば、是が非でも持って帰ってほしいものである。


「茉優ちゃんは? 誰か好きな人がいる?」


 次なる標的にされた茉優に、躊躇いは一切なかった。


「茉優はねぇ、なっちーが大好きっ」


 右手を上げて元気に宣言する。菜月当人のみならず、同テント内の少女二人もまったく驚いてはいなかった。


「やっぱりって感じかも」


「仲良いもんね。姉妹みたい」


「えへへ。茉優はなっちーに会って、人生が変わったんだ。だからいつまでも大切で大好きな人なの」


 あまりにも堂々としているので、逆に菜月の方が恥ずかしくなりそうだった。


「でも菜月ちゃんを好きって気持ちはちょっとわかるかも」


「あ、私も。下級生でも憧れてるって子が多いもんね」


 初耳の情報に菜月の表情が曇る。茉優と一緒にいるからといって、そちらの趣味があると思われているのだとしたら甚だ遺憾だった。


「それはどういう意味かしら」


 誤解を解こうとした菜月に、少女二人が笑顔で告げる。


「そこらの男子よりも頼りがいがあって、恰好良いってこと」


「……それはそれでどうかと思うわね」


 喜べばいいのか、悲しめばいいのか。

 複雑な表情を浮かべる菜月のテントの上、煌めく星をお供に広がる夜が楽しそうに更けていった。

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