第205話 学校のキャンプと告白

 暑かった夏もようやく落ち着く兆しを見せ始める。太陽の光が幾か和らぎ、風景が秋色を増す。頬を撫でる風に冷たさが含まれ、日陰に入ると少し肌寒く感じるくらいだった。


 ジャージ姿の葉月たちは、キャンプ場でせっせと動いていた。今日は一年生だけで行われる自然学習の日である。

 学校近くの山に近い自然公園で一泊二日のキャンプを行う。自然と触れ合い、感性を高めるのが目的らしいが、小学校時代でいう遠足みたいなものだ。


 夏休みに家族で出かけたキャンプ場にどこか似ているが、こちらの方がキャンプ設備も整っている。他の学校でもキャンプ体験をする際にはよく利用しているためだろう。

 それでもこうした経験は初めてらしく、葉月のクラスメートである御手洗尚のテンションは朝から高かった。


「キャンプだよ、キャンプ。うわあー」


 何度目かわからない感動を全身で表現し、大好きなぬいぐるみを買い与えられた少女みたいに飛び跳ねる。


「尚ちゃんは小学校とか中学校で、林間学校とかなかったの?」


 質問した柚も含めて、葉月たちは小学校や中学校で似たような学習体験をしていた。それが当たり前だと思っていたのだが、どうやらそうした行事がない学校もあるみたいだった。


「私のいた学校はそんな暇あるなら勉強がモットーみたいなとこだったからね。この学校に比べると窮屈極まりなかったわ。もっと早く私立なんて辞めてればよかった」


 本気で後悔中の尚に、後ろから声をかけられる。葉月たちを探してやってきた実希子だ。


「おいおい。猿の場合は辞めたんじゃなくて、辞めさせられたの方だろ」


「うるさいわよ、ゴリラ。辞めさせられたんじゃなくて、私立高校への受験に失敗しただけよ。それでもこの地域では進学校のここに合格してるんだから、なかなかでしょ」


「はいはい。赤点常習者同士でレベルの低い言い争いをする前に、課題をしっかりやらないと駄目よ」


 教師みたいな仲裁をしたのが好美である。彼女は自由奔放に行動しすぎる実希子のお目付け役みたいなものだった。


「はあ。中学の時は大体葉月ちゃんも一緒だから苦労を半分受け持ってもらえたけど、私一人じゃ大変だわ。学校に飼育員さんを雇ってほしいとお願いしようかしら」


「そいつはいい。面倒事を起こしそうな猿がいるしな」


「どの口が言ってんのよ。大飯食らいの筋肉ゴリラ」


 顔を近づけての睨み合いに発展するも、実希子も尚も本気で怒っているわけではない。これが二人なりのコミュニケーション方法なのだ。どことなく母親の和葉と戸高祐子のやりとりを思い出し、葉月は自然と笑みを作る。


「だからじゃれ合いはそこまで。鬼より怖い桂子先生が来るわよ」


「……生憎ともう来ています。鬼より恐れられるとは光栄ね」


 ビクンと両肩を震わせた好美は後ろを振り返ることなく、実希子を引っ張って連れていく。夏休みのソフトボール部の合宿中、結構な時間をサポートしてくれた桂子と過ごしたのもあって、彼女の人となりは全部員が理解していた。

 規律正しく、公平で真面目。どんな生徒にも分け隔てなく接するが、怒らせると怖い。ふわふわしてそうな印象も受ける彼女の夫――田沢良太とは大違いだった。


「まったく。他のクラスの生徒と仲が良いのは結構ですけど、貴女たちも早く準備をなさい」


「はい。じゃあ、テントを張ってしまおう」


 午前中に学校を出発し、バスで揺られて昼過ぎに到着。キャンプ場の広場で持参したお弁当を食べてから、軽いレクリエーションをして夕方近い現在に至る。


 定番である夕食のカレーを作る前に、就寝用のテントを張ることになっていたので、葉月たちもやろうとしていたところだった。

 テントは七人用でそれを六人で使用する。葉月たち三人の他は、やはり三人で主に行動しているクラスメートと班を組んでいた。


「やあ、尚たん。これからテントを張るのかい?

 だったら、俺に任せておきなよ」


 今度は尚の彼氏である柳井晋太がやってきた。入学当初は葉月を目の敵にしていたが、今ではそんな事実が嘘みたいに優しい人間に変わっている。野球部での活動も順調そのもので、もしかしたら三年生になる頃にはレギュラーになれるかもしれないらしかった。

 テキパキとした動作でテント作りを手伝う晋太の姿に、尚が瞳を蕩けさせる。


「晋ちゃん、恰好いい。惚れ直しちゃう」


「だろ? こういうのは慣れてるんだ。それにか弱い尚たんに、テント作りなんてさせられないよ」


 やだーと言いながら頬を両手で挟んでくねくねする尚だが、その腕にはソフトボール部の練習で鍛えられてしっかり筋肉がついている。一般女性と比べたらか弱いどころか、屈強な部類に入りそうなくらいである。

 だが誰も指摘はしない。あらゆるツッコミはバカップルの愛情を高める餌にしかならないのを、クラス全員が悟っていた。


   *


 テントが完成すれば夕食の準備だ。材料は学校側が用意してくれているので、それを使って班ごとにカレーを作る。よく学生が利用するのもあって、ガス代や調理場などはかなり広い。おかげで作業場所に困ったりはしなかった。

 小学校時代よりも圧倒的に料理の腕を上達させた葉月がリーダーとなり、各班員に指示を出す。あまりの手際の良さに、別の中学校に通っていた尚が驚くくらいだった。


「これでよし。あとは煮込むだけだよ」


 ふうと服の袖で額の汗を拭き、周囲を見渡す。他の班がまだ調理している中、何かを企んでそうな顔の実希子を発見する。お目付け役の好美は見当たらない。彼女は恐らく今、一生懸命カレーを作っているのだろう。


「実希子ちゃん、何してるの?」


 トコトコと近づいて話しかけた葉月を見て、実希子がギョッとする。慌てて唇に人差し指を当て、ジェスチャーで静かにするよう伝えてくる。

 柚も実希子を発見したらしく、葉月を追いかけるようにして近くへ来た。三人が集まったところで、実希子が小声で事情を説明する。


「けしからん奴らを見かけたから、尾行してるんだよ」


 口元にあった人差し指で実希子が指し示したのは、いつの間にやら二人きりになろうとしている尚と晋太だった。

 いつか見た光景と同じように、木に背中を預けた尚が晋太と話している。


「な? けしからんだろ」


「いいじゃない。これも青春の一ページよ。一気にキスまでいきそうな雰囲気ね」


 実希子を止めるどころか、あっという間に柚は他の誰よりも覗き行為を楽しみだしていた。


「そういうところは小学生の頃と変わらねえな。だが、今は頼もしいぜ」


 ニヤニヤする実希子に引っ張られるように、葉月も尚と晋太から目が離せなくなる。

 二人の顔が徐々に近づき、距離がなくなろうとしたその瞬間、最初からわかっていたわよとばかりに尚が横目でこちらを見た。


「やべっ!」


 慌てて逃げようとする実希子に、当の尚から声がかけられる。


「どこ行くの? 実希子ちゃん」


「いや、その……ちょっと散歩に」


「そうなんだ。私はてっきり、趣味の覗きでもしてるのかと思ったわ」


 ジト目の尚の隣で、晋太は気まずそうに頬を掻いている。せっかくの機会を奪われて腹立たしいよりも、見られた照れ臭さが勝っているせいだろう。

 先ほど以上の甘い雰囲気を出せる可能性はないと判断した晋太は、そそくさと尚から離れて自分の班の方へと戻っていった。


「実希子ちゃんはともかく、柚ちゃんと葉月ちゃんも一緒に何をやってるのよ」


 覗いたのは事実なのでごめんと謝ったが、その後で葉月は気づく。


「そういえば尚ちゃんはいつからいなかったの? カレー作りの手伝いは?」


 言葉に詰まった尚の代わりに、勝機を得たとばかりに実希子が目を輝かせる。


「そうだ! 皆との共同作業をサボって、男とイチャイチャするなんて言語道断だ! 真面目にやれっ!」


「その言葉、そっくり実希子ちゃんにプレゼントするわ」


「ぶごっ!」


 後頭部を片手で掴まれた実希子が、恐る恐る背後を見る。そこにはかつてないほど目を吊り上げた好美が立っていた。

 本気で怒った好美に逆らえず、哀れ実希子は引きずられるようにして退場する。

 葉月たちの間にどことなく気まずい空気が流れ、誰からともなく「戻ろっか」という提案がされた。


   *


 皆でカレーを食べ、後片付けのあとキャンプファイヤーが行われた。各クラスの出し物が行われ、皆で笑い合う。

 そうして夜も遅くなってくると、あとは寝るだけになるが、高校生ともなれば夜にこっそり抜け出す者も現れる。


 葉月と同じ班の柚もその一人だった。抜け出すなら尚だろうと警戒して目を光らせていたのもあって、完全に不意をつかれた。

 様子を見て回ってる教員に見つかったら連帯責任にされかねないので、葉月と尚が一緒になって柚を探す。


「葉月ちゃん、こっち」


 手招きする尚のそばへ行くと、丁度夕食の準備中に彼女と晋太がいた場所に、探していた柚の姿を見つけた。

 柚の近くには男性が一人立っている。仲町和也だった。

 夜で周りがシンとしているのもあり、二人の声が葉月たちのところにも届いてくる。


「ごめんね、呼び出して」


「いや、いいんだ。何かあったのか? また虐められてて、高木たちに言えないのなら力になるぞ」


「フフ。和也君は優しいね。でも大丈夫、虐めはもうないから。今回は別件なの」


 柚の笑顔が一転、真剣さが全身から漂う。雑談程度ではないと察した和也の顔つきも変わる。

 隠れて見るのは悪いことだとわかっていても、この場から離れられない。葉月は二人に声すらかけられずにいた。


「私にとって葉月ちゃんは誰より大切な友達。彼女が困っていたら、自分がどうなろうとも助けてあげたい。だからこそ、私は抱えている想いに完全な決着をつけたいの。和也君の気持ちもわかっているからこそ、ね」


 フっと軽く息を吐き出した柚が、正面から和也の目を見つめる。


「仲町和也君。私は貴方が大好きです」


 付き合ってくださいとは言わない。従来の告白とは違い、ただただ柚は自分の想いを伝えただけだった。

 柚が本気だと理解しているからこそ、和也もまた本気の態度で応える。


「悪い。気持ちは嬉しいけど、俺、好きな女の子がいるんだ。だから、ごめんなさい」


「うん。ありがとう」


 真摯に頭を下げていた和也が、きょとんとした様子になる。


「振ったのに、どうしてお礼なんだよ」


「言ったでしょ。和也君の気持ちはわかってるって。あー、すっきりした」


 小学生の時よりも気持ちを成長させての告白。言葉でこそ晴れやかさを装っているが、夜空を見上げる柚の頬では透明な雫が月明かりでキラリと光っていた。


「そうか……」


「そうよ。私は大丈夫だから、和也君はもう戻って。私もすぐに葉月ちゃんたちのところへ行かないと」


「わかった」


 他にかけるべき言葉を見つけられなかった和也は、やや俯き加減で場を離れる。

 彼の姿が見えなくなったタイミングで、空を見上げたままの柚が口を開いた。


「そこにいるんでしょ? 葉月ちゃんと尚ちゃんかしら」


「あ、あはは……バレちゃってたんだ」


 逃げるよりは正直に謝る方がいい。先に出た尚に続いて、葉月も柚の前へ行く。


「いいのよ。尚ちゃんとはお互い様だし、葉月ちゃんにはむしろ見ていてほしいと思ったから」


 柚の真意がわからずに、葉月は目を丸くした。


「え?」


「葉月ちゃんは優しいから、私が和也君をまだ好きだと知れば、遠慮しちゃうかもって思ったの。だから決着をつけておきたかったのよ。この場に葉月ちゃんがいなくても、告白したのと振られたことは教えるつもりだったわ」


「そうなんだ……でも、やっぱり私にはよくわからないよ。恋愛って」


「それでいいのよ」


 顔を自然な位置に戻した柚が微笑む。


「人それぞれなんだから」


 近くではうんうんと尚が頷いている。


「そうよね。私も晋ちゃんと出会うまでは、誰とも付き合った経験がなかったし」


「へえ、意外。とっかえひっかえだと思ってたわ」


「ちょっと、柚ちゃんは私をどういう目で見てたのよ」


「いじめっ子」


「だよね」


 深刻な空気にはならず、柚と尚は声を上げて笑い合っている。

 高校へ入学したのをきっかけに、二人が仲良くなったのが葉月は自分事のように嬉しかった。


 一方で自分と和也はどのような関係になっていくのだろうか。

 考えてみたが、やはり今の葉月に結論は出せなかった。

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