第430話 相容れないがゆえの正面衝突! ですが物には言い方があるし、やっぱり友人はありがたいものです

 うちの娘がエースで全国大会に行きまして、と朱華の母親がお店でやたらはしゃいでいるのが特に印象的だった夏休みも終わり、穂月は4年生の2学期をまっとうするために学校へ通う。


 夏休み明けは誰がどこどこに行ったと、そこかしこでお喋りの花が咲くのが通例なのだが今学期は違った。


 学校でもっとも厳しいと評判の藍子が出した宿題の量はかつてないほどで、他学年の陽向や朱華、さらには他クラスの凛にまで同情された。


 学年ごとに決まった宿題の他に、藍子自らが生徒それぞれに課題として苦手科目の宿題を出したからだ。


 点数が良い沙耶タイプの児童にも、予習になるようにと相当量の自作プリントの束が渡された。


 それを見た穂月の両親は苦笑しながらも、一人一人のためにそこまで頑張って課題を用意するなんて良い先生じゃないかと言った。


 穂月もそうかと頷き、うんうん唸りながらも皆と協力してなんとか宿題を夏休み中に終わらせた。


 けれどそれができなかった児童がどうなるかといえば――。


「やる気がないなら結構です。別に貴方の将来がどうなろうと先生の知ったことではありませんので」


 厳しい一言で切って捨てられた男児が涙ぐむ。性別がどうであれ、まだ10歳になるかどうかの年齢。黒板前に立たされて冷たい目を向けられれば、怯えて泣き出すのも当たり前だった。


 あまりに藍子の圧力が怖いので、教室では関係のない生徒まで鼻を啜る音がちらほらと聞こえだした。


 宿題を忘れた児童に何かペナルティを与えるでもなく、言い訳を封殺して見捨てる。該当の生徒が藍子にやる気を見せる行動を取らない限り、あとは本当に放置される。


 そのせいで学校を休むようになった児童もいる。


 保護者の間でもよく問題になるみたいだが、そのたびに学力が優秀な親とそうでない親が激しく言い争いをするのだと、少し前に沙耶が教えてくれた。彼女も自分の母親から聞いたのだろう。


 意気消沈するクラスをなんとかしたくて、穂月は息抜きと称して放課後で皆と劇をしたり、そうでなければ他の遊びをした。


 1時間にも満たない時間なのだが、担任の藍子はそれが許せなかったらしい。


   *


 ある日、朝の会で穂月はいきなりその場に立たされた。


 藍子を恐れて教室にはざわめき一つ起こらない。友人たちだけが穂月を心配そうに見ていた。


「貴女が中心となって、放課後にくだらない真似をしているみたいですね」


「おー?」


「なんですか、その態度は! 前々から何度も注意しているでしょう。貴女はもう4年生、来年には高学年になるのです。子供じみた態度と言葉遣いはやめなさい」


 教卓がバンと叩きつけられた。児童の怯えに反応して、教室全体が揺れたみたいだった。


 恐怖と緊張感でピリピリした空気に耐え切れず、嗚咽を漏らす児童も現れる。


「貴女が落伍者になろうとも、それは貴女の勝手です。けれど他の生徒にはそれぞれの将来があります。決して貴女の我儘で足を引っ張っていいものではありません!」


「あいだほっ」


「ですから! それをやめなさいと言ってます!」


 穂月としては藍子の意思も尊重しようとしたのだが、普通に応対すればするほど何故か相手の怒りが燃え盛る。


「大体、放課後に幼稚園児みたいにお遊戯をして何になるのです! そんな時間があれば予習復習をするべきです! 皆もよく聞きなさい! 足を引っ張る人間に歩調を合わせていたら、あっという間に社会の敗北者になります!」


 怒鳴るように言ったあとで、藍子は人差し指を穂月に突きつける。


「貴女みたいに他人を惑わせる人間は正しい学校生活には不要なのです! 態度を改めるつもりがないのであれば、家で一人でお遊戯でも劇でもしていなさい!」


「――っ!

 穂月は……学校に来ちゃ駄目ってこと……?」


「はっきり言えばその通りです。学校は勉強するための場所、遊ぶことばかりを考えている児童に相応しくありません」


 ――ガタっと。


 何かが弾け飛ぶような音がした。


「……のぞちゃん」


 いつも眠そうにして藍子の注意も何のそのな親友が、立ち昇る怒りのオーラが見えそうなくらいの迫力で女担任を睨みつける。


「言い過ぎ。教師としての態度と言葉じゃない」


「教師である私には教え子を導く役目があります。ですが拒否するというのであればもはや教え子ではありません。それに駄目な人間に合わせると、優秀な者の未来を潰します」


「だから排除するなんて短絡的。それに短所が最後まで短所だとは限らない。長所になるかもしれないと教え、導くのも教師の務め」


「もちろんです。本人にやる気があれば先生も全力を尽くします。ですが仮に役者になりたいのだとしたら、勉学に身が入らなくても当然。実際に自分の願望に巻き込んで悪影響を起こしています。高木さん、貴女はまだ気づかないのですか? 周りが迷惑していることに!」


「……え? 皆、嫌だったの……?」


 肯定の声も否定の声も上がらない。教室はただシンとしていた。真冬の風にも似た刺すような空気に、穂月の胃がキュウと縮こまる。


「当たり前です。それすらもわからずにクラスメートの足を引っ張る貴女の存在は迷惑でしかありません!」


「――っ!」


 涙を堪えきれなくなった穂月は、友人たちの声にも構わず、教室を飛び出した。


 走って走って走って、祖父が仕事をしていた家に飛び込んで、自分の部屋でわんわん泣いた。


 そして穂月は翌日から学校を休んだ。


   *


 藍子と衝突したその日に沙耶たちが穂月のランドセルを持ってきてくれたが、祖父に幾ら呼びかけられても穂月は部屋から出なかった。


 それから数日が経過し、リビングにも姿を現さない穂月を心配して、母親が部屋の前まで食事を届けてくれるようになった。


 誰もいない頃を見計らって食べ、また食器を廊下に戻す。そんなことばかりを繰り返していた。


「穂月……何をやってるのかな……」


 敷きっぱなしの布団の上で膝を抱え、ポツリと呟く。


 何を見ても、何をしても楽しくない。ただただ空しいだけだった。


 学校と両親が何度か話したみたいだが、しばらく様子を見るという結論になったみたいで、無理やり部屋から出されようとしたことはない。


「はあ……」


 ため息をつきながら、誰もいない廊下に出てトイレに入る。


 素早くまた部屋に戻ったその瞬間、穂月は驚きで目を丸くした。


「のぞちゃん!?」


「……ん」


「どうしているの? 学校は!?」


「ドアが開くまで、ほっちゃんのパパとママの部屋で待ってた。学校は行かなくていい」


 当たり前のように言って、希は両手に持っていたハードカバーの本に視線を戻す。


「だ、だめだよ! のぞちゃんは勉強しないと! じゃないと、じゃないと……穂月みたいにいらない子になっちゃうよ……」


「いらないのはあの担任。学校なんて行かなくても生きてける」


「でも……」


「問題ない。それにここは理想の環境。部屋にいるだけでご飯も出てくる。周りから落伍者と呼ばれても幸せなら問題ない」


「……そう……なのかな……」


「そう。だからアタシも今日からここで暮らす」


「えええっ、本気なの!?」


「あいだほ」


 得意のフレーズを友人に真顔で使われ、穂月の全身から力が抜ける。


 へなへなと座り込んだ穂月の頭を、希が優しく撫でた。


「ほっちゃんは今のままでいい。無理したら疲れるだけ」


「のぞちゃん……うわ、うわあああん」


 友人の服にしがみついて、勝手に中退した日以来の涙を流す。


「どうして、好きなことしちゃいけないの!? 皆は本当に迷惑だったの!? 穂月、どうすればいいの!? わあああん」


「おかしいのはほっちゃんじゃなくて、あの教師。それに劇は皆も楽しんでた。やりたいって自分から言ってきた子もいたでしょ?」


「……うん」


「子供だからって話も聞かずに一方的に自分の価値観を押し付けるのは間違ってる。ストライキでも何でもしてあのクソ教師を反省させる」


「のぞちゃん……?」


 普段とは違う激情を瞳に宿らせる友人に戸惑っていると、部屋の外が一気に騒がしくなった。


「あっ、鍵開いてる!

 ほっちゃん、いる!? のぞちゃんが大変なの――って、ここにいたわ」


 血相を変えた朱華が部屋に飛び込んできて、サムズアップする希を見るなりガックリと肩を落とした。


「のぞちゃんがどうかしたの?」


 希は首を左右に振って言うなと要求したが、朱華は肩を竦め、


「ほっちゃんが休んでから、あれこれと他の先生や保護者に話をしてたみたいなんだけど、昨日それがバレて谷口先生と大喧嘩をしちゃったのよ。で、今日は朝から行方不明。事件にでも巻き込まれたんじゃないかって、ほっちゃんママが心配してたわよ?」


「……大丈夫。うちの母ちゃんなら多分理解してる」


「やっぱり母娘と言うべきなのかしら。その通りよ、ほっちゃんママだけは話を聞いてなくても、なんとなく察してるように笑いながら好きなようにさせとけと、うちのママとかに言ってたみたい」


 ハアとため息をついた朱華も部屋に腰を下ろす。


 さらに廊下で待機していたらしい陽向や悠里や沙耶、さらには凛までもがぞろぞろと入ってきた。


「まだ学校の時間だよ、授業受けないと怒られちゃうよ。皆までいらない子にされちゃうよ!」


 涙ぐむ穂月の頭や肩を、友人たちが思い思いに撫でる。


「ほっちゃんがいないなら、学校なんて行く必要ないの」


「勉強は大切ですが、友人はもっと大切です。それに私は前、何があってもほっちゃんの味方だと言ったのを覚えてないんですか」


「あのクソババアの件は学校でも騒ぎになってるしな。事情を知ったあーちゃんが校長室にまで乗り込んだせいで」


「あーちゃん先輩ものぞちゃんさんのことを言えませんわね」


「だって腹が立ったんだもの。ほっちゃんを泣かせるなんて許せない」


「……激しく同意」


 その目を見れば、誰一人穂月を嫌がっても、迷惑がってもいないのがわかった。


「穂月、皆と一緒にいてもいいの? 足を引っ張るんじゃないの?」


「仮にそうだとしても一緒にいるのが友人」


「のぞちゃんの言う通りです。それに足を引っ張られたとしても、引き揚げてしまえば問題ないです」


「さっちゃん、すごいの。ゆーちゃんもそれがいいと思うの」


「皆……ありがと……」


 また泣きだした穂月を、友人たちが抱き締めてくれる。


 とても温くて。


 とてもやさしくて。


 とてもありがたくて。


 皆が友達で良かったと、穂月は何度も何度も嗚咽交じりに感謝した。

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