第101話 再びの調理実習

 葉月が所属する学級はその日、朝から賑わいを見せていた。

 男女問わずに出来た輪の中心にいるのは、葉月本人だった。

 虐められていた時期もあったものの、気がつけば持ち前の明るさと前向きさでクラスの人気者になっていた。


 周囲には頭脳明晰な好美。

 運動神経抜群の実希子。

 そして容姿端麗で、財力抜群の柚がいた。


 常にこのメンバーで遊んでいるため、いつの間にか葉月グループとまで言われている。

 だからといって排他的になるのではなく、来る者拒まずのため、気がつけば今朝みたいに話をする人数が増えているのも多々あった。


 今回盛り上がっている話題は、調理実習についてだった。前回、とてつもない秘奥義を披露したと、葉月の包丁の腕前はクラスどころか学校中の伝説になりつつあった。


 何故か最近になって連続で調理実習のメニューが組まれており、毎日冷や汗を垂れ流す一方の好美も、少しばかり安堵した様子を見せている。


「しっかし、本当に肉じゃがを美味しく作れるようになったのかよ」


 実希子にからかわれると、葉月は抗議の意味も含めて、頬をぷーっと膨らませた。


「ばっちりだよー。だって、パパに免許皆伝をもらったもん」


「それは困ったわね」


「え? 好美ちゃん、何か言ったー?」


「それなら安心ねと言ったのよ、葉月ちゃん」


 にっこり微笑む親友の顔を見れば、葉月はそれだけで嬉しくなる。

 好美は、まるで母親の和葉みたいな安心感を与えてくれる女性だった。


「……二枚舌」


「あら、実希子ちゃん、危ないわよ」


「え?

 ひっ、ひぎっ!」


「ほら。足を机にぶつけてしまったじゃない。気をつけないと駄目よ」


「ぶ、ぶつけたって、ふ、踏み……踏み……」


 一生懸命何事かを抗議しようとする実希子に、好美は極上の笑顔を見せて「なあに?」と尋ねる。


 何も言えなくなった実希子の側で、今度は柚が小さな声で「ひょっとして、一番怖いのは……」と呟いた。


「どうしたの?

 柚ちゃんも……何か言いたいことがあるのかしら」


「い、いやねぇ……何もないわよ、好美ちゃん。うふふ……」


 引きつった笑みを浮かべる柚に不思議な感じはしたが、葉月は友人たちの仲は良いのだと判断して、自分ごとのように嬉しくなった。


「それで、葉月ちゃん。本当に料理はもう大丈夫なのね。お母さんも褒めてくれたのよね」


「うんー。だって、葉月に料理を教えてくれたのはママだもん」


 先ほども発した言葉。

 これによって、何故か張り詰めていた教室の緊張感が一気に和らいだ。

 そこかしこから「あのお母さんが認めたなら大丈夫だ」という声が聞こえてくる。

 数分前と同じ展開だったが、相変わらずひとり意味がわからない葉月は小首を傾げる。


「どうしてパパの免許皆伝は駄目で、ママに褒められると大丈夫なのー?」


「それはね、葉月ちゃんのパパがろくでな――ふごっ!」


 笑顔のままでとんでもない発言をしようとする好美の口を、大慌てで背後から実希子が両手で塞いだ。

 きちんと答えを聞きたい葉月はなおも質問を続けようとしたが、その矢先に教室のドアがガラガラと音を立てて開いた。


「はい、お喋りはここまでにして、早く席についてね」


 教室へやってきたのは、葉月たちの担任教師である祐子だった。

 全員を席に着かせた上で、今回もまた誰もが予想外の発言をする。


「では今日は、当初の予定どおりに調理実習を行います」


 わーいと喜んだのは葉月ひとりだけで、他の面々は揃って「はぁ?」といった感じの表情をしている。

 そんな中、葉月の大親友の好美がおずおずと口を開いた。


「あ、あの、先生? 調理実習なら、ついこの間、やったばかりですけれど……」


「え? ああ……。

 あれは、従来の予定の調理実習とは関係ないわよ。別に日程を早めて実行したわけじゃないので、心配しないでね」


「い、いえ……私は心配しているわけでは……」


「あなたたちくらいの年頃だと、調理実習みたいな授業は大好きでしょう。先生、頑張ってスケジュールに多く組み込んだのよ」


 にこやかに告げる祐子を、好美はなにやら複雑そうな表情で見ている。もはや睨んでると形容してもいいくらいだった。


「それなら先生は今回、私たちの班に参加してください。よろしいですよね」


 反撃とばかりに繰り出した好美の提案に、何故か担任教師である女性はギクリとする。

 すぐに了承するかと思いきや、ほんの少し顔色を悪くさせて「そ、それはできません」と回答した。


「私は担任教師ですから、クラス全体を見る必要があります。どこかの班だけを特別扱いできないの。今井さん、ごめんなさいね」


「うまく逃げやがりましたね、先生」


「あら。何か言ったかしら。先生、聞こえなかったわ」


 周囲の人間が何気に緊張する祐子と好美のやりとりを終え、クラスの人間がぞろぞろと調理実習を行う現場の家庭科室へ移動する。


「だ、大丈夫だって、好美」


 好美に声をかけるのは、行動性抜群の実希子だ。慰めるというよりかは、なだめるような感じになっている。


「葉月だって、お母さんに教えてもらってバッチリだって言ってたろ。少しは信用しなって」


「そうだよー」


 実希子の発言にすかさず葉月が乗っかると、好美は満面の笑みを浮かべて「もちろんよ」と言ってくれた。

 期待と興奮から先行しているだけに、その直後に好美が実希子へドスの利いた声でなにやら耳打ちしていたのは聞こえなかった。

 本当に好美と実希子は仲が良いんだなと思い、そのことを隣を歩いている柚に話す。


「そうね……今は険悪そうな空気が好美ちゃんから一方的に出てるけど、実際に仲は良いと思うわ」


 柚も、現在では葉月たちと相当に仲が良くなっている。以前はよく実希子といがみあっていたのが嘘みたいだった。


「それよりも……葉月ちゃんは、本当に大丈夫なのよね。

 あの……包丁の使い方、とか……」


「もちろんだよ。調理実習が始まったら、すぐに成果をお披露目するねー」


 時折、誰よりも大人っぽいところを見せるのに、いざそうなってほしい場面ではこれ以上ないほどの子供っぽさを発揮する。

 そこに惹かれる人間も多く、葉月は知らないが、クラス内での人気は意外に高い。だからこそ、なんやかんやあっても、今井\\好美たちは一緒に行動してくれているのだ。


   *


「こうなったら、葉月ちゃんの言葉を全面的に信じるしかないわね」


 そう言ったのは調理実習時に限り、班のリーダーっぽくなっている好美だった。


「安心してよ。肉じゃがの作り方なら、一生懸命、ママに教えてもらったから。包丁も、どーんってやったらいけないんだよ」


 葉月の発言に周囲がザワめき、好美が涙する。


「偉いわ、葉月ちゃん。ついに、あの暗黒魔道士の魔の手から逃れられたのね」


「ふえ? 暗黒魔道士?」


「な、なんでもないっ!

 なんでもないから、気にすんなっ!」


 いつか見た光景と同じように、今回もまた実希子が大慌てで好美の口を背後から両手で塞いだ。

 やはり真意はわからないものの、あまり気にする必要もないだろうと、葉月はあえて詳しく「何が」と聞いたりしなかった。


 生徒たちに遅れて家庭科室へやってきた祐子が、今回のメニューを発表する。


「今回は、皆にカレーライスを作ってもらいます」


 肉じゃがを作る気マンマンだった葉月は、カレーライスというメニューを聞いて首を傾げる。

 すでに食材が用意されている机の上を見れば、確かに肉じゃがの時とは材料が違っていた。


 今回は4人ではなく、5人組みとなって調理することが決定した。けれど葉月たちは4人しかおらず、大抵はすでに班の陣容が固まっている。

 さて、どうしようかと悩んだところで、ひとりの男子生徒が声をかけてくる。


「よ、よう。お前らの班、ひとり足りないのか」


 右手を上げながら歩いてきたのは仲町和也だった。

 柚と同様に、昨年まで葉月をいじめていた張本人のひとりである。


 葉月の父親である春道のおかげで、現在では普通に会話ができるくらいの仲にはなっていた。

 正直に和也へ班員が足りてないと告げると、顔を輝かせて自分が入ると言った。


「周りには男女混合の班もあるし、問題はないでしょうけど、葉月ちゃんはどう?」


 好美の問いかけに対して、葉月は笑顔で「うん、いいよ」と応じる。すでに過去のいじめについては、きちんと自分の中で解決ができていた。

 しょうがないなと実希子も承諾し、残るはあとひとり。当の柚は、普段とは違うもじもじした様子で興味なさそうに頷く。


 全員が了承したことで、葉月たちの班に和也が加わった。

 班決めも終わったところで、いよいよカレーライスの調理開始となる。

 和也が俺に任せろとばかりに食材を並べる中、葉月は先ほどから様子がおかしい柚に話しかける。


「柚ちゃん、どうかしたの? お顔が真っ赤だよ」


「え? あ、だ、大丈夫よ。私はいつもと変わらないわ」


「ふーん。でも、どうして髪の毛を指先でくるくるさせてるの」


「こ、これは癖よ、癖。いつもしてるでしょう」


 葉月と柚の会話を聞いていた実希子が、強引に割り込んでくる。


「アタシは見たことないけどな」


 からかうような口調に、ますます柚の顔が赤くなる。


「ほらほら。ガールズトークもいいけれど、きちんと調理はしてね。これも授業の一環なのだから」


 柚が懸命に弁解の言葉を並べている中、祐子が葉月たちの様子を見にきた。

 すでに和也と好美が協力して、必要な食材を洗い終えていた。まな板の上にその野菜が乗せられ、早くも調理する段階になっている。


「なあ、高木って料理できんの?」


 和也の唐突の問いかけに周囲の空気が凍りつく。

 だが葉月はそんな微妙な変化をものともせず、自信満々に頷いた。


 号泣しそうになっている好美を、何故か羽交い絞めにしている実希子の側を通り、葉月はまな板の前に立つ。


 和也から包丁を受け取ると、いざ食材を切る――

 ――のではなく、困ったように首を傾げた。


「は、葉月ちゃん……ど、どうしたの……?」


 顔を蒼ざめさせている好美の恐る恐るとした問いかけに、葉月は悪びれもせずに応える。


「葉月ね、肉じゃがの作り方は教えてもらったけど、カレーライスは知らないよー」


 全員が「え?」と顔にハテナマークを浮かべる中、葉月はひとり「まあ、いっか」と呟いて包丁を振り上げる。


「料理は愛情だよね。

 どーんっ!」


「え、えええ――っ!?」


 豪快などーんに、目が飛び出さんばかりに驚く和也。

 そんな彼を射抜く、好美の恨みがこもった視線。

 そしてひとり我が道を行く葉月。


「ちょ、ちょっと、先生……って、いつの間にかいないっ!?

 さ、さては逃げたわね、あの不良女教師!」


「そ、そんなことより、好美っ!

 この状況をどうすんだよ」


「どーんっ!」


「ど、どうするも何も……実希子ちゃん。

 なんとか葉月ちゃんから包丁を奪って!」


「む、無理に決まってんだろ。下手に突っ込んだら、大惨事になっちまうって!」


「どどーん」


 こうして葉月が疲れるまで独特の調理は続けられ、凄まじく具の大きさが不揃いのカレーが完成することになった。

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