第226話 母娘たちの夜

 電車に揺られ、到着した大学で見た合格発表。

 好美らと歓喜の抱擁を葉月がしてから、すでに一週間以上が経過していた。


 合格発表後すぐに入寮とソフトボール部への所属を希望したのもあり、揃って入寮が認められた。学部は関係なく、所属する部活でまとまるのが多いらしかった。

 葉月と好美、尚と柚が同部屋に決まったが、実希子だけは上級生と相部屋になった。それだけ学校から期待されているのかもしれない。


 全員で無事に合格した喜びに浸っていられたのも僅かな間だけ。すぐに引っ越しと入学へ向けた準備に追われることとなった。

 当たり前だが、皆揃って親元から離れるのは初めてなのである。何を用意したらいいのかも、よくわかっていなかった。


 頼りになったのはやはり両親であり、そして好美だった。彼女と相部屋というだけで、葉月にとっては百人力である。

 着々と準備を整えて、三月終盤にはいつでも出発できる状態になった。

 そして入学式の数日前。葉月はいよいよ明日、家を出て大学の寮へ入る。


   *


 スマホで友人たちとのやりとりを終えたあと、部屋のドアが控えめにノックされた。

 どうぞと声をかけた葉月の部屋に、小さな影が入ってくる。自分の枕を両手に抱えた妹の菜月だった。

 何も言わずに葉月の隣に枕を置き、飛び込むようにうつ伏せになる。


「はづ姉、本当に行っちゃうの?」


 姉妹で二階を占拠するようになって以降、喧嘩というよりはふざけ合って楽しく過ごしてきた。

 時には大切な相談を受けたり、雷で怖がる菜月と一緒に眠ったりした。

 母親を取られたと嫉妬したのもずっと昔。赤ちゃんだった妹は、今年で小学三年生になる。


「ごめんね。でもそんなに遠くないから、すぐに会えるよ」


「本当?」


「うん。約束」


 小指を絡めると、安心したように菜月は微かに頬を緩めた。


「寂しくはないよ? ただ、はづ姉が心配なの」


「わかってるよ。なっちーは強いもんね。でも私は――お姉ちゃんは寂しいかな」


「……だったら、行かないでよ」


「なっちー……」


「言ってみただけよ。私だって大人なんだから、はづ姉になんか一人で簡単に会いに行けるわ」


 背を向けて意地を張る妹が、とてつもなく可愛く思える。

 背後から脇をくすぐり、強引に笑わせたあとでまた抱き締める。


「大人のなっちーにお願い。遊びに来るときはパパとママも連れてきてあげてね。特にママを、かな」


「そうね。

 ママの場合は仲間外れにすると、ストーカーじみた真似をしかねないもの」


「残念ながら、もうしてたりして」


「ママっ!?」


 新たにドアを開けて入ってきたのは、お茶目に舌を出すパジャマ姿の和葉だった。


「たまには女三人でお話しようと思ってね。パパには仲間外れになってもらったわ」


「あはは。パパ、かわいそう。じゃあ葉月が慰めに」


「行かせないから、ここに座ってなさい」


 同じくすでにパジャマに着替えていた葉月は、起き上がってベットから出ようとした直後に和葉から襟首を掴まれた。

 力ずくでベッドに引き戻されれば、観念せざるをえない。


「ちょ、ちょっと、ママ! さすがに狭いってば」


 布団派の春道とは違い、葉月は自室でベッドを使っている。身長に合わせて大きめのに買い替えていたが、それでも女三人で眠るには狭い。

 気にしないでと笑って、和葉は強引にベッドへ潜り込む。真ん中を陣取り、葉月と菜月、二人の娘に腕枕をして満足そうだ。

 仕方ないなと葉月だけでなく、菜月も諦めたみたいだった。母親に体半分を重ねるようにして、三人で密着する。


「こうしてくっついていると、子供の頃に戻ったみたいだね」


「そうね。本当はもっと一緒に過ごしたかったけれど、仕事に追われて葉月には寂しい思いをさせたわね」


「そんなことないよ。忙しい中でも、ママは時間を作って学校の行事に参加してくれたりしたし」


「……ありがとう」


「えへへ。どういたしまして」


 葉月が和葉と話していると、自分も加えろとばかりに菜月が手を伸ばしてちょっかいを出してくる。


「私はもう少し放任されても構わないけど」


「フフ、駄目よ。菜月の行事にも可能な限り参加させてもらうわ」


 強がりだと理解している和葉は決して、ならそうするわなどと言わない。

 おかげで菜月も、照れと嬉しさを隠しつつ「仕方ないわね」なんて返せる。

 家族だからこそわかることもある。友達とは違う特別な関係だ。


「ねえ、ママ」


「なあに?」


「私をママの娘でいさせてくれてありがとう」


「それを言うなら、私の娘でいてくれてありがとうだわ」


「じゃあ、私もありがとうって言ってあげるわ」


 菜月まで一緒にお礼の言葉を言ったのもあって、三人でひたすらクスクスとベッドの中で笑う。


「さて、眠る前に母親らしい質問をしようかしら。葉月、和也君とはどこまで進んでるの?」


 まさか和葉がそんな質問をするとは思ってなかっただけに、反射的に飲み込んだ唾が気管に入ってむせてしまう。


「ごほっ、マ、ママってば、なっちーもいるのに、何を聞いてるの。それに、どこにも進んでないからね!」


「フフ、そうなのね。ママは和也君、いいと思うわよ。というより、葉月が選んだ男性なら誰であっても応援するわ」


「……うん、ありがとう」


 頬を赤らめる葉月を見て、菜月が「大人の世界だわ」と呟いた。


「菜月も大きくなったらわかるわ」


 和葉の言葉に乗じて、ここぞとばかりに葉月が反撃に転じる。


「そうそう。例えば宏和君とかね」


「あんなのごめんだわ。小学四年生になろうとしてるのに、まだ悪戯ばかりしてるみたいなんだから」


「でも、頻度はだいぶ減ったみたいよ。この間、祐子さんが話していたもの」


 ため息をついた菜月のほっぺを、和葉が撫でる。宏和の転校に伴って、同じ町に引っ越してきた戸高祐子とはすっかり茶飲み友達になっているみたいだった。


「大きくなると、恰好よくなるかも」


「あのね、はづ姉。容姿に関係なく、私と宏和はいとこなの。恋愛事には発展しないわよ」


「それもそうか」


 葉月は笑う。いつまでも話していられそうなくらい、母娘三人でのお喋りは楽しかった。

 けれど、やがて菜月が寝息を立てたことで終わりを迎える。


「私達も眠りましょうか。少しだけ狭いけれど、今日だけは特別ということで我慢してくれる?」


「もちろん。ママと一緒に眠るのは久しぶりだから、意外と楽しみかな」


「ありがとう。それじゃ、おやすみなさい」


   *


 翌朝、最低限の荷物を春道の運転する車のトランクへ詰め込み、出発への最終準備が完了した。

 寮にはベッドとテレビ、それにエアコンや学習机は備え付けられているので、用意したのは身の回りの物ばかりだった。


「今日はよろしくお願いします」


 高木家の前で、丁寧に春道へ頭を下げたのは好美だった。彼女も一緒に寮へ向かうことになっていた。

 運転するのは春道で、助手席には和葉が座る。葉月と菜月、それに好美の三人は後部座席だ。


「シートベルトはしたな? それじゃ、行くぞ」


 春道が車を発進させ、最初に向かったのは柚の家だった。

 そこには大きめの車が用意されており、柚の父親の運転で柚と実希子、それに尚が一緒に寮へ向かうために待っていた。

 挨拶もそこそこに、柚の父親の車が先導して走り出す。

 そのあとを春道がついていく。


「合格発表したあとに外側だけ見たけど、結構綺麗な寮だったよ」


 到着までは結構な時間がかかる。その間の暇潰しではないが、葉月は和葉や菜月に話しかけた。


「そうね。最近になって建て替えられたらしいから、耐震に関しても問題はないらしいわ」


 付け足された好美の情報に、菜月は目を輝かせる。


「やっぱりはづ姉と違って、好美さんの情報には価値がありますね」


「そんなこと言ってると、帰った時になっちーにお土産をあげないぞ」


「聞きましたか? 精神年齢の低い姉を持つと、妹は苦労します」


 わざとらしくため息をついた窓際の菜月の隣で、葉月はむーっと頬を膨らませる。本気で怒ってるわけではない。いつものやりとりである。

 それでもまあまあと好美は二人をなだめ、思い出したように今度は菜月へ問いかける。


「そういえば菜月ちゃんは、柚ちゃんと仲が良いのよね?」


「はい。よく遊んでもらってます」


 仲間の女子五人で葉月の家に集まった際も、暇があれば菜月と柚は一緒に遊んでいた。


「洋服とかアクセサリーとか、私の知らないことを教えてくれるので面白いです。パパもママも熱心というほど、ファッションには気を遣ってないみたいなので」


「耳が痛いな」


 運転しながら話を聞いていたらしい春道が苦笑する。隣では和葉も同様のリアクションをしていた。


「お二人とも素敵なので、特に服装を気にしなくともいいと思います」


 意外にも、好美がそんなことを言った。お世辞をほとんど口にしない性格なので、恐らくは本心だろう。


「ありがとう、好美ちゃん」


「いえ、そんな……」


 春道にお礼を言われた好美が微かに顔を赤くする。こんなふうに彼女が照れるのも珍しかった。


   *


 お喋りをしている間に、車窓の外が見慣れない景色に変化していく。


 未知の風景にたくさんの期待と、少しばかりの不安を覚える。葉月にとって長期間親元を離れるのは初めての体験になる。

 本当なら大学生活中も家族と暮らしたかったが、決断できた大きな理由は親友と呼べる仲間たちの存在だった。


「大学生か。どんな生活になるのかな。好美ちゃんも不安とかある?」


「もちろんよ。でも、ありがたいことに葉月ちゃんと同室になれたからね。楽しみの方が強いわ」


「えへへ、ありがとう」


 車が止まり、私服姿の葉月と好美が降りる。

 到着した寮を見上げる。そばでは初めて目にした菜月が感嘆の声をこぼしていた。

 県大学の建て替えられた寮は、白を基調としたまるでマンションみたいだった。


「まずは寮長さんに挨拶をして、鍵を貰ってこないとね」


 葉月が歩き出すと、先に到着していた車から実希子たちも降りてきた。


「やっと着いたぜ。くそー。アタシも葉月パパの車にすりゃよかったぜ」


 グッタリしている実希子に、葉月はどうしたのか尋ねた。


「道中ずっと晋ちゃんとの恋物語を聞かされてたんだよ。あの発情猿に!」


 うんざりしている実希子とは対照的に、続いて寮前に立った尚は肌もツヤツヤでとてもスッキリした顔になっていた。

 柚も実希子と同じかと思ったら、彼女は彼女で面白がって途中から尚を煽っていたみたいだった。


「私達も寮長さんのところへ行きましょう。

 実希子ちゃんは先輩と同室になるのよね」


「ああ。しかもすぐに練習へ参加する許可も貰えてるよ。もちろん、葉月たちも来るよな。見学は自由だと思うぜ」


「さあ、好美ちゃん。まずは私達の部屋となる場所を整理しようか。少しでも住みやすくしないとね」


「は、葉月? お、おい、他の連中も待てって。アタシを置いてくな!」


 場所は変われども、周りにいる友人は変わらない。

 いつものように笑い合い、楽しい気持ちで大学生活の初日に飛び込む。


 地元を離れての冒険。ここから新しい四年間が始まる。

 気がつけばほんの少しの不安もなくなり、葉月の足取りは軽やかになっていた。

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