第306話 菜月が見る結婚式
無事に入籍を果たした高木和也・葉月夫妻が神前で愛を誓い合う。
家族として結婚式に参列中の菜月は、楚々と和也の隣に佇む姉を素直に綺麗だと思った。
身内だけの式ではあるが、両者の友人代表として好美と実希子、それに柚と尚もこの場にいた。
「葉月ちゃんもとうとう結婚か……」
「仲町に振られた女として、感想はあるか?」
「実希子ちゃん、性格が悪いわよ」
責めるような口調でこそあったが、柚は晴れ晴れとしていた。
「昔のことだし、とっくに諦めていたから、素直に嬉しいし、祝福できるけどね」
「……そうだな。とっくに諦めてたんだもんな」
「繰り返さなくてもいいわよ。それより実希子ちゃんはどうなのよ?」
何気ない質問に思えたが、傍から見ていた菜月も驚くほど、実希子は激しく狼狽した。
「ああ!? 何でアタシにそんなこと聞くんだよ!」
横目で好美に睨まれ、慌てて実希子が口を塞ぐ。
恨みがましい目で見られた柚は、逆に不思議がって実希子に改めて問うた。
「何でって、実希子ちゃんだって年頃でしょ。結婚の予定はないの?」
「そ、そういうことか……アタシにそんな相手がいるわけないだろ」
「他にどういうことがあったのかは聞かないでおくわね」
ウインクする柚の脇腹を、こっそりと実希子が摘む。
そこでまたひと悶着置きそうになったが、式中ということで好美にさらに強く睨まれ、二人揃って肩を落とした。
「何をしているのやら」
途中でにわかに騒がしくはなったが、式自体は粛々と進行していた。
これで葉月は和也の妻となる。
自分の姉という立場だけではなくなると知り、親でなくとも形容し難い哀愁に襲われる。
見れば春道と和葉も瞳に涙を浮かべていた。
娘の結婚を見守る親の心境というのは、どのような感じなのだろうか。和葉は朝に菜月も親になればわかると言っていたが。
――結婚、それに出産か。まだまだ私には現実感がないわね。
長めの息を口から静かに吐き出し、菜月は考えるのをやめて葉月の結婚式を見守った。
*
披露宴会場は、わりと大きめの場所だった。
春道と和葉もここで披露宴をしたらしく、葉月が是非にと希望し、和也が快く了承したらしかった。
新しく高木家に加わった義兄は、数日前にそれでよかったのかとムーンリーフで尋ねた菜月に対し、笑顔で披露宴の主役は新婦だからと言っていた。
すぐにそれを聞き咎めた葉月が、一緒に楽しんでよとお願いしていたが。
その際に仕方ないなという感じではなく、嬉しそうに応じていたことから、和也も春道同様に、奥さんの尻に敷かれたがるタイプではないかと菜月は密かに思っている。
「わたしたちも来てよかったんですか?」
緊張気味の愛花がきょろきょろしながら聞いてくる。他の招待客と違い、まだ学生の彼女は菜月と同じく制服姿だ。
「はづ姉が皆も妹のようなものだからって。あとは私が寂しくないように気を遣ったのだと思う」
春道と和葉は新郎側の招待客に挨拶回り中でとても忙しそうだった。
こうなると家族席は菜月一人なので、友人が招待されていなければ多少は暇を持て余してしたかもしれない。
「菜月ちゃんは、新郎の家族に挨拶をしなくていいの?」
尋ねてきた明美に、菜月は首を縦に振る。
「式の時に済ませてあるわ。あとは受付をした時に少しね」
披露宴が始まりそうなタイミングになって、式場の係員の人と交代してもらっていた。
「茉優もなっちーに受付してもらったよぉ」
「てっきり菜月もドレスとか着てると思ったんだけどな」
にこにこ顔の茉優に続いて、涼子がからかい半分に言った。
「それを言うなら、私も今日こそは涼子のフリフリドレス姿が見られると思ったのだけれどね」
「あ、この前見たら、コレクションが増えてたわよ」
「明美ィ!」
泣きそうな顔で、涼子が懸命に明美の口を塞いだ。
ボーイッシュな性格をしているからといって、別に少女趣味なのを隠す必要はないと思うのだが、本人曰く恥ずかしいらしい。
「茉優ちゃんたちはわかるけど、俺までよかったのかな」
菜月の関係者だけ集められたテーブルで、茉優の隣に座っている恭介が頬を掻いた。
「茉優との時のために、雰囲気を掴んでおけばいいのではないかしら」
「そうだね。真君と菜月ちゃんの式を手伝う際の参考にもなりそうだしね」
「あら、沢君も言うようになったわね。純粋な爽やかイケメンに腹黒さが加わり出しているわ」
「は、腹黒……」
にわかにショックを受けたらしい恭介が肩を落とす。
冗談だとフォローする前に、何故か大喜びの茉優が「良かったねぇ」と慰めなのか、とどめなのかわからない声をかけたため、菜月は伸ばしかけた手を引っ込めざるをえなかった。
「結婚か……」
周囲の騒ぎを無視するような呟きを、菜月の両耳は聞き洩らさなかった。
「真は結婚願望が強かったの?」
「え!? あ……そういうわけじゃないけど、あの、菜月ちゃんとなら、その……いつかはというか」
「はっきり言いなさい」
「はい! 結婚したいです!」
「うわ……言わせちゃったよ」
何故か涼子がドン引きする。
「そういや菜月って、小学生の頃に女帝って呼ばれてたとかって噂を聞いたことがあるな」
「噂は噂よ。くだらないわね」
涼子の不穏な言動を一蹴していると、菜月の関係者としてではなく、親戚として招待されていた宏和が席にやってきた。
「何で俺だけあっちなんだよ」
「ブーブー文句を言わない。親戚なのだから当たり前でしょう」
泰宏は和葉の実兄であり、春道と和葉が席を離れている間、新婦側の招待客と歓談して回ってくれていた。
「俺もこっちが良かったぜ」
ため息をつきながら、宏和は愛花の隣にしゃがみ込んだ。推薦で県大学に入った彼は制服ではなく、大人と同じスーツ姿だった。
「宏和さん……恰好いいです……」
先輩からさん付けできるまでは親しくなった愛花が、瞳を潤ませる。
「彼氏彼女の関係になってから結構経つのに、相変わらず宏和にメロメロなのね」
「菜月と一緒ですね」
「……まあ、そうね」
「茉優も、茉優も!」
からかうつもりが反撃され、菜月が頬を赤くするのに合わせるように真も顔色を変化させていた。
「彼氏持ちは勝手に浸っててくれ。ボクたちは料理を堪能するから」
「せっかくだから雰囲気を出して、あーんってしてあげようか?」
「だから! ボクはノーマルだって! 何回言ったら理解してくれるんだ!」
「百回でも駄目だと思うよ?」
明美は悪びれもせずに言った。
「だってあたし、涼子ちゃんをからかいたいだけだもん」
*
「し、試合の時より緊張したかも……」
席に戻るなり、菜月はハンカチで額に滲んでいた汗を拭いた。
「まったくです……心臓に悪いです……」
愛花だけでなく、涼子も明美も疲れ果てていた。
唯一の例外は「楽しかったねー」とにこにこしている茉優である。
「でも、よかったよ。新郎側のお客さんも喜んでくれてたし」
「あら、裏切り者二人が何か言っているわよ」
「最低だな」「評価が下がったかも」
菜月だけでなく、涼子と明美にもジト目を向けられ、困り果てた恭介は恋人の茉優に助けを求める。
「茉優ちゃんは楽しかったんだよね?」
「うんー。皆で歌を歌うのなんて、久しぶりだったから」
あれ? と思って菜月は茉優に尋ねる。
「久しぶりって……一緒にカラオケとかに行ったりしているでしょう?」
「それとこれとは別腹だよぉ」
「何か使い方を間違っているような気がしないでもないけれど、喜んでいる茉優にこれ以上、水を差すのは気が引けるわね。沢君……命拾いしたわね」
乾いた笑いを漏らす恭介の隣で、露骨に真が安堵していた。
それを見た菜月の意地悪心に火が灯る。
「せっかくだから、真と恭介君にも飛び入りで余興ができるように、はづ姉に頼んでこようかしら」
「や、やめてよ、菜月ちゃんっ」
「冗談よ。
真ははづ姉と和也君のために、あんなに素敵な絵を描いてくれたものね」
時間がある時に、実際に新郎新婦にモデルになってもらって、似顔絵を描いたのである。
「ああ、見た見た。凄いよな。さすが金賞受賞者だよな」
普段は芸術に興味を示さない涼子も、美術室で見せてもらった真の絵を思い出して称賛する。
「昨年は県の大会でしたけれど、今年は全国のに出すのですよね? 高校の期待も高まっているようですし、やりがいがありますね」
「そうなんだけど……やっぱり緊張の方が強いかな。そうだ。愛花ちゃんたちが全国大会に出た時は、どうやってリラックスしたの?」
禁断の質問に、菜月と愛花は目で会話しながら揃って俯いた。
真なら察して話題を切り替えてくれると期待しての行動だったが、そうはさせじと涼子が口を突っ込んでくる。
「リラックスできずに、結局途中出場になったんだよ。それ以来、練習試合でも下級生が愛花と菜月に気を遣うようになっちゃってさ」
「涼子……」
「あとでお仕置き決定です……」
菜月と愛花から立ち上る殺気でも見たのか、慌てて涼子は自分の口を両手で押さえた。
*
「今度はピンクのウエディングドレスですね。綺麗です……」
お色直しを終えて再入場した葉月の艶姿に、愛花が感嘆の吐息を漏らした。
「一生に一度の結婚式だからと、貯金を切り崩してでも和也君がはづ姉に色々なドレスを着せたがったらしいわ」
「ふわぁ……愛されてるんだねぇ」
どこかぽかんと見ていた茉優が、自分の事のように嬉しそうにする。
「はづ姉も最初はあまり乗り気ではなかったらしいのだけれど、女の子ではあるから、やっぱり前日にはかなり楽しみにしていたわね」
「そういや愛花とかもよくオシャレしてるもんな」
すっかりこちらのテーブルに居ついた宏和の言葉に、隣の愛花が照れまくる。
「こういうのは特に涼子ちゃんが好きそうよね」
「べ、別にいいだろ。でも、本当に綺麗だよな。憧れる……」
明美のからかいを尻目に、涼子も少し恥ずかしそうに微笑む葉月に釘付けになっていた。
「菜月ちゃん、嬉しそうだね?」
そう聞いてきた真も笑顔だ。
「お姉ちゃんが褒められて、喜ばない妹はいないわよ」
「それなら、菜月ちゃんの時は葉月さんが喜んでくれそうだね」
唇を尖らせ気味にして赤面するのを堪えた菜月は、彼氏の鼻を軽く中指で打った。
「だから……真は気が早すぎなのよ……!」
そして同じ席で騒いでいるものだから、当然親友たちにも聞かれてしまう。
「あれれ、真君は自分たちの結婚式で、とは言ってなかったよね?」
「要するに菜月は真以外の相手を考えられないほどメロメロだってことか」
「愛ですね、これは純愛です……」
「その時は茉優も一緒に結婚式をやろうかなー」
四者四様の反応に、菜月はどう返すか困り果てる。
「大丈夫だよ。僕も菜月ちゃん以外の女性なんて考えられないし」
言葉に詰まっている間に、さらりと言ってのけられたことで菜月の歓喜と羞恥は極限に達する。
「ま、真のくせに生意気だわ!」
両手でポカポカと真を叩く菜月を、他の皆が楽しそうに止める。
いつもと変わらない喧騒に包まれるテーブルに気づいたのか、ふと見ればウエディングドレス姿の葉月が、菜月を見て嬉しそうに微笑んでいた。
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