第237話 照れと笑顔とカレーライス

 三年生になっての新しい環境にも慣れだして、クラスに木霊する声も活発さを増していた。

 春当初のよそよそしい感じはすっかり消え失せ、虐めや不登校の問題もない。

 なし崩し的に引き受けさせられた身だが、学級委員長の菜月としてはおおいに満足できる状況だった。


「ねえねえ、菜月ちゃん。今日も遊べるかなぁ」


 放課後になるなりじゃれついてくる茉優は、身長こそ高いが子犬チックな雰囲気を持つ少女だ。机の上に置いたランドセルに教科書をしまう菜月の横にしゃがみ込み、にこにこと見上げてくる。


 相変わらず暇さえあればそばにいるが、以前みたいに力の限りを尽くしてご機嫌を取ろうとするような感じは少しずつ消えていた。これまでの性格をいきなりすべて変えられるはずがないのだから、大いなる進歩だと評価して菜月もゆっくり彼女に付き合おうと決めている。


「そうね。特に予定はないはずだし、問題ないわよ」


 菜月の返事を受けて、嬉しそうに茉優が飛び跳ねる。


「ほらほら、あんまりはしゃぐとパンツが見えてしまうわよ。今日はスカートなのだから」


 菜月とお揃いのワンピースを特に気に入っているみたいだが、だからといって毎日着て来ることもない。ジーンズの日もあれば、今日みたいに膝丈のフレアスカートのこともある。夕食を我慢して洋服代に費やしていただけに、持っている服の種類は意外に多かったりする。


「えへへ。菜月ちゃんと遊べると思ったら嬉しくて。今日はどうしよっか」


「昨日は図書館へ行ったものね」


 ここ最近はほぼずっと茉優と行動を共にしている。漫画を好む茉優だが、そんな自分でも見られる本をということでライトノベルを紹介してあげたら結構な勢いで気に入っていた。父親がたまに買ってくる影響で、男の子向けの話も好きなのが幸いしたのだろう。


 その父親も最近では頻度こそ高くないものの、茉優が起きているうちに帰宅する機会も増えたのだという。この間は菜月が教えたケチャップライスを苦労しながらではあるが、一緒に作ったのだと嬉しそうに教えてくれた。

 恐らくは菜月の母親である和葉が、茉優の父親と話をしたという時に何か言ってくれたのだろう。


「楽しかったねぇ。あ、でもねぇ、また図書館もいいけど、今日は菜月ちゃんのお家に行きたいな。駄目かなぁ?」


 ふむ、と菜月は考える。別に見られて困るものはないし、友人を連れ帰ったからといって怒るような家族もいない。ましてやこの間まではどこかに行きたくとも、他の人間に希望地を言われれば笑顔で引き下がっていたのだ。


「構わないわよ。といっても漫画の本はないけれど」


「大丈夫だよう。小説にも目覚めたもの」


 グッと両手で拳を作るなんとも可愛らしいポーズを披露する。

 基本的に茉優は天然美少女みたいな雰囲気を持っているので、そういう仕草も絵になる少女なのである。


「なら行きましょうか」


 そう言って立ち上がってすぐ、背後から「あの……」と声をかけられた。

 女子みたいにやや高めの声で菜月を呼び止めたのは、不登校からはすっかり回復した真だった。


「ぼ、僕も、その……あの……な、菜月ちゃんの家に、ええと……」


「遊びに来たいの?」


 言葉の続きを引き取って確認すると、コクコクと結構な速さで真は首を動かした。


「別に私は構わないけれど、茉優ちゃんはどう?」


「茉優なら大丈夫だよ。真君とは前にお喋りもしたし」


 それならと、妙に嬉しそうな真も連れて、三人で菜月の家へ向かうことにした。


   *


 母親の和葉に用意してもらった小さなテーブルで三人揃って宿題を済ませると、出されていた紅茶とクッキーを食べながら、何をして遊ぼうという話になる。


 物珍しそうに部屋を探検したがる茉優とは対照的に、真は借りてきた猫よろしく見ている菜月が首を傾げたくなるほど異様に緊張していた。宿題に集中している時はさほど気にならなかったが、いざ遊ぼうという段階になれば嫌でも目に入る。


「どうかしたの?」


「はひゃっ!」


 ごくごく普通の問いかけに対し、返ってきたのは狼狽まみれでほとんど形になっていない返事だった。ここまでくればどんなに鈍い人間であろうとも、自ら遊びたいと言ってきた少年の様子が変なのに気づく。


「何か心配事?

 もしかして私の知らないところで、クラスの誰かに何か言われたの?」


「い、いや、そういうのはないよ……」


 トマトみたいに染まった顔を左右に振る真。その額や頬には汗が滲んでいる。


「ならどうしてそんなに緊張しているのよ」


「だ、だだだって、ぼ、僕、その……お、女の子の家にお邪魔したの……その、は、はは初めてで……」


 どもりながらの説明に対し、納得するどころか菜月は余計に首を捻るはめになる。そうした事情はともあれ、最初に遊びに来たいと言ったのは他ならぬ真なのである。


「それで緊張しているの? 不思議ね。私が真君の部屋にお邪魔した時は特になんとも思わなかったわよ」


 困ったように俯く真の代わりに、驚きを伴った反応を示したのは丁度勉強机の上を物色していた茉優だった。


「菜月ちゃん、真君のお家へ遊びに行ったことがあるの?」


「最初はプリントを届けに行ったのだけどね。先生に様子を見てきてほしいと言われたのもあって、籠城する彼にドアを開けないと蹴破ると脅して入ったのよ」


「ふわあ……菜月ちゃんって過激だねぇ」


 確かに菜月自身も少々やり過ぎたのではないかと後から後悔したが、よもやあの茉優が顔から笑みを消すほどのとんでもなさだというのは夢にも思っていなかった。


「で、でも、僕はおかげで学校にも行けたし、皆とも少しだけど話せるようになったんだ。それに絵を好きだって、堂々と言えるようにもなったんだよ」


 ほんのちょっと前なだけなのに、懐かしげに話す真がなんだか無性に微笑ましかった。


「そっかぁ。真君も菜月ちゃんが好きなんだねぇ」


「えっ!? えええっ!?」


 半ズボンに穴が空かないか心配になるくらいに、真が後退りする。あまりに勢いがつきすぎて、部屋の壁に背中を痛打したほどである。痛いと呻く少年を、原因を作ったに等しい少女が心配する。


「そんなに下がるからだよう。大丈夫?」


「だ、だだ大丈夫だよ。僕なら全然、あははは!」


 無理矢理極まりない笑顔はぎこちなさの塊で、さすがの菜月もポカンとしてしまう。


「でも、嬉しいな。茉優も菜月ちゃん大好きだから、真君も一緒だねぇ」


「え? あ、ああ……も、もしかして友達でって意味……なのかな……そ、それなら……」


 何やら小声でブツブツ言っていた真が、汗と赤色だけが目立つ顔を上げてやたらと甲高い声を室内に響かせる。


「も、もちろん、僕も菜月ちゃんが、その、そそそののの……だ、だだ大好きに決まってるよ!」


「だよねぇ。うんうん。だからお部屋に遊びに来たがったんだねぇ」


 なにやら笑顔で毒針を刺しているような気がしないでもないが、あまり深くまで触れないでおく方が菜月にとってもいいように思えた。

 ほとんど意識していなかったとはいえ、男の子に大好きと叫ばれれば、否応なしに鼓動が荒くなる。下手すればこちらまで赤面してしまいそうだった。


「二人が私を大好きなのはわかったわよ。それより……トランプでもする?」


 平静を装いつつも、強引なのがわかるくらい急速に話題を変える。さすがに怪しまれるかとも思ったが、真っ先に真が乗ってきたのもあって、茉優もいつもの笑顔で賛成してくれる。


「トランプ楽しいよねぇ。チップを賭けてのポーカーとか」


 ゆるふわ口調からの衝撃的に過ぎる発言に、一瞬だけ菜月の時が止まる。見れば一緒に輪を作っている真も自分の耳を信じられないように呆然としていた。


「……茉優ちゃんのパパって、もしかしてギャンブラー?」


「ギャン……? よくわからないけど、パパの漫画の本にそんなお話が載ってたの」


「合点がいったわ。漫画の本からの知識だったのね……」


 疲れたようなため息をつきつつ、机の引き出しから取り出したトランプで始めたのはポーカーではなく定番のババ抜きだった。

 それこそ漫画の展開みたいに、一人だけが徹底的にババを引き続けるという状況にはならず、三人ともが満遍なく負ける。


 日も暮れだしてきてそろそろお開きかと思っていたら、茉優がこの前の出来事を涎を垂らしそうな顔で思い出した。


「真君、知ってた? 菜月ちゃんって、お料理が上手なんだよ。この前もね、茉優にご飯を作ってくれたんだぁ」


「そ、そうなんだ。菜月ちゃんの作ったご飯か……僕も食べてみたかったな……」


 催促というわけではないだろうが、二人の瞳には期待が輝きとなって宿っているみたいだった。最初は気にしないふりをしていたものの、褒め殺しの茉優と静かに羨ましがる真の絶妙なコンビーネーションに次第に無視ができなくなる。


「わかったわよ。それならママに聞いてみましょう」


 ここで夕食が近いから駄目よとなるのを若干期待したが、基本的に父親と一緒で人の好い母親は嫌がりもせずに了承。真には母親にきちんと連絡をさせ、今日も夜は一人の予定だった茉優にはそのまま作った夕食を食べていきなさいと勧めた。


「えへへ。菜月ちゃんと一緒にお料理ぃ」


「ぼ、僕、やったことないんですけど……」


「それならまずはピーラーでじゃがいもや人参の皮むきから始めましょうか」


 和葉が先生役となり、料理初心者の茉優や真へ丁寧に教えていく。菜月も一緒になって聞いていると、キッチンと繋がっているリビングに父親の春道がやってきた。


「お、今日は賑やかだな」


 お邪魔してますと挨拶する茉優と真に手を上げて応じ、キッチンの様子を見に来る。


「菜月くらいの年代でキッチンに立っていると、葉月と一緒に料理したのを思い出すな」


 懐かしい思い出話かと思いきや、普段は冷静な母親が菜月も驚くほどの速度で顔面を真っ青にした。


「……春道さんは遠慮なさらずにリビングでゆっくりしていていいのよ。免許皆伝とかされたら、子供たちの親御さんに申し訳がないもの」


 眼光の鋭さに春道がたじろいで終わりかと思いきや、案の定というべきか茉優が興味を示してしまう。


「聞いた、菜月ちゃん。免許皆伝って何だろうねぇ」


「……私には何も聞こえなかったわ。それよりも料理の続きをするわよ」


 部屋でも宣言した通り、基本的に菜月を大好きな茉優は素直に誘導へ従ってくれる。


「は、はは……俺も真君と一緒にじゃがいもの皮むきでもしてようかな」


 家族も総出で作ったのは、今後何かと必要性が出てくるだろうとの和葉の配慮からカレーだった。子供も多いので甘口で作り、隠し味などは特に使わなかった。それでも皆で調理したのは十分に美味しく、茉優も真も笑顔だった。


「たまには大勢で食べるのも悪くないわね」


 菜月が言うと、心からの頷きを茉優が返す。


「うんっ。また皆でご飯作ろうねぇ。えへへ。カレーも温かいし、菜月ちゃんのパパもママも大好きっ。あ、真君もだよ」


「えっ? ぼ、僕も? ええと、僕はその、あの……」


 どもる真に、見守っていた春道が優しく告げる。


「気持ちをそのまま伝えればいいんだよ。君たちはまだ子供だ。大人のような返しを学ぶより、今の自分が持つ素直さを大切にすればいい」


「……はいっ。それじゃ、ええと……僕も茉優ちゃんが好きだよ。その……もちろん、菜月ちゃんも……」


「そ、そう……ありがとう。でも、変に照れないでよ。なんだか私まで恥ずかしくなるでしょう」


「ご、ごめん。素直な気持ちだったからつい……」


「もうっ。パパが変なこと言うからよ」


 俺のせいかと春道が頭を掻き、和葉が笑う。つられて茉優が真が、そして菜月が笑顔になる。高木家の夕食は久しぶりにとても賑やかだった。

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