第495話 2年連続のインターハイで飛び出した号泣ファインプレー
「はっはっは、ついにやってきたぜ、インターハイ!」
「おー」
パチパチと拍手する穂月の目の前にいるのは、球場を見上げて高々と右手を掲げている陽向だった。
「ついにも何も、昨年も出場していましたわよね」
「りんりん、静かにするの。ヤンキー世代では久しぶりの全国大会だから感極まってるの」
「確かに……とはいえ歓喜しすぎではありませんか」
どこか心配げに凛がふうと息を吐く。その間に呟きに応じていた悠里が彼女から少し距離を取る。
目ざとく見つけた凛が、悠里の制服の裾を掴んだ。
「どうしてわたくしから逃げようとしてますの!?」
「乙女心に決まってるの」
「ますます意味がわかりませんわ!」
「いいから離すのっ! デカいのの隣にいたら、ゆーちゃん泣きたくなるの!」
高校生になっても身長が伸びた凛は180cm近くになっていた。成長が止まった希が174cmなので、仲間内では両親らも含めて一番背が高い。同時に筋肉も程よくついており、生来の顔立ちもあってパッと見はモデルみたいである。
一方で涙目の悠里は小学校時代からほとんど身長が伸びず、ようやく140cmを越えたくらいである。胸部の成長もなく、本人曰く凛に吸い取られたせいらしい。
「りんりんとゆーちゃんだけでなく、私が隣にいても大人と子供みたいになるので大丈夫です」
「うう……ありがたいけどさっちゃんの優しさが痛いの……」
余計に落ち込んで崩れ落ちた悠里の背中を、皆のお母さん役でもある沙耶が慌てて摩る。その沙耶は158cmと高すぎもせず、低すぎもせずといった身長で落ち着いている。
だが彼女の場合、特筆すべきはスラリとした体躯に逆らうように発達した2つの膨らみである。余裕を持たせた制服でも際立つ存在感を、眼前で認識させられた悠里は余計に絶望に浸っている。
「ゆーちゃんの前でぽよんぽよんさせないでほしいの! 目に毒すぎるの! いっそ引き千切ってしまうの!」
「ひいいっ、本当に掴まないでください。私だってこんなに大きいのは望んでませんでした!」
「くおお! とんでもないことを言い出しやがったの。Fを過ぎ去ろうとしている大怪獣は正義のゆーちゃんが討伐してやるの!」
目を血走らせる悠里に、誰もが次の瞬間の惨劇を想像し――
「いい加減にしろ」
――現実になる前に主将の陽向の手で仲裁された。
「いつまでも遊んでないで、とっとと宿舎に行くぞ」
「なんたる言い草なの、そもそも移動の途中で球場が見たいと言い出して、全員の予定を変更したのはどこぞのクソヤンキーなの。先生も何か言ってやって――あれ? 万年やさぐれ独り身女がいないの」
とんでもない暴言を吐いてきょろきょろする悠里。聞く人間によっては怒りそうだが、部内で毒舌後に監督にこめかみをグリグリされるまでがデフォルトなので部員は揃っていつものことと受け止めている。
しかし途中で監督が不在となるのは予定外の事態だった。
「……先生ならどっか行った」
穂月の背中に抱き着くようにもたれかかる希が、いつもの半目で球場の敷地外を指差した。
「そういえばなんか話しかけられてたっぽい。途中から腕組んでたから、きっと知り合いじゃないかな」
「じゃあ無問題なの。行き遅れビッチは放置して宿に行くの」
「さすがに無理です! ほっちゃんも止めてください! 明らかにナンパされてついていってるではないですか!」
親指で出口を示した悠里の肩を押さえつつ、沙耶が大慌てで穂月に注意する。
「おー……美由紀先生、ナンパされてたんだ……」
言われてみればという感じもするが、なかなかに衝撃的な事実である。
他の部員も納得しかけていたが、ここで悠里がいやいやと小さな手を振った。
「男欲しいオーラを常日頃から全力放出中の、50も間近なBBAに粉かけるなんて、ボランティア精神に溢れる男でも無理なの。どうせエステか化粧品の売り込みなの」
「おー、ゆーちゃん、エスパーみたいだね」
穂月が軽やかに手を叩いていると、球場外に憤慨した話題の当人が戻ってきた。
「まったくなんて奴なの!」
「どうやらゆーちゃんの言ってた通りみたいですね」
ついたため息で曇った眼鏡を、慣れた様子で沙耶が拭く。その隣を歩き抜けて、陽向が女教師に声をかける。
「なんかあったんスか」
「信じられないわ! 何でも買ってやるって言ってるのに、ホテルへ連れ込もうとしたら逃げやがったのよ! その程度の根性しかないなら、声なんてかけてくるなってのよ!」
「……どうやらゆーちゃんの想像以上に飢えてたみたいなの」
怒りが冷めやらない女教師を宥めつつ、穂月たちは当初の目的地を目指すことになった。
*
開会式前日からアホみたいなというか、南高校ソフトボール部らしい事態に遭遇したが、試合日程が始まれば誰もが全力を尽くす。
昨年も出場しているが、雰囲気がまったく違う。主力の大半が残っているので、優勝候補の一角に南高校の名前が挙がっていたのだ。
それだけに注目度も高く、スタンドには大学の関係者と思われる人物の姿もちらほらと見えた。
「初戦から人が集まるなんてゆーちゃんたちも有名になったものなの」
フフッと軽く笑いながらも、悠里は遠い目だ。
かと思ったら、急にダンダンと地面を踏みつけ始める。
「だというのに、どうしてゆーちゃんが初戦の先発なの! ここは勢いをつけるためにもほっちゃんでいくべきなの! あんのヒスゴリラ、昨日の夕食の間中、ずっとからかったのを根に持ってやがるの!」
「いや、組み合わせが決まった時点で、初戦の先発はゆーちゃんに決まってたんだよ。事前に言うと嫌だって駄々こねるから秘密にしてたけどな」
3塁からマウンドに来ていた陽向が実情を暴露する。穂月も前々から聞かされていたので驚きはなかった。
「油断すると大変な目にあうの! 初回からノーアウト満塁のピンチになったりするの! 今みたいに! そう! 今みたいに!」
悠里は半泣きである。どこかで見た光景だなと思いつつ、穂月は幼稚園からの友人を励ます。
「大丈夫、ゆーちゃんならできるよ」
「ううう、ほっちゃんがそこまで言うなら頑張ってみるの」
ポンとグラブで小さな背中を叩いてから、穂月は遊撃に戻る。緊張さえ解れれば、制球力が際立っている悠里を一番の親友が上手くリードしてくれると信じていた。
*
序盤が少しだけごたついた初戦を勝利すると、2回戦は穂月が完封し、南高校は去年同様に勢いに乗った。
投打が上手く噛み合い、他の優勝候補校との一戦も僅差で勝った。右腕に疲労が溜まってきてはいるも、控え投手の悠里が頑張ってくれるので負担はそこまでではなかった。
駒を進めた決勝戦では地元から多数の応援団が駆け付けたのもあり、特殊な緊張癖のある凛が試合前に挙動不審になっていたが、2打席目からは本来の調子に戻って豪快な本塁打を放った。
さすがに相手も実力校なので思う通りに得点を重ねられないが、穂月も必要最小限の失点でこれまでの窮地を切り抜けていた。
そして辿り着いた最終回。すでに表の攻撃を終えている穂月たちは、あとアウト3つで2連覇というところまで来た。しかしここで問題が発生し、穂月の立つマウンドに内野陣が集まったのである。
「うおお、うおっ、うおお」
「……まったく泣き止む様子がないですね」
高く青い空を見上げ、男泣きならぬ女泣きをかまし続ける主将に、沙耶が眼鏡の奥で瞳を曇らせる。
「さすがに美由紀先生も、この局面で3年間頑張ってきたまーたんを代えるつもりはないみたいですし……」
「ゆーちゃんとりんりんがベンチから色々叫んでるけど、聞こえてないみたいだね」
「……あれは聞こえてない方がいい」
「おー?」
マスク越しにぼそっと呟いた希。穂月が首を傾げていると、余計に陽向の嗚咽が激しくなる。
「うおっ、うおお、おれは、うおお、だいじょうぶおっ、おおおっ」
「とてもそうは見えないのですが……」
「でもやるしかないよ、さっちゃん」
「そうですね、なんとか皆でフォローしましょう」
全員が守備位置に戻り、穂月が吸い込んだ空気を口内に溜めて腕を振る。
唸りを上げるような直球に押し込まれるも、相手打者はなんとか打球を前に飛ばす。
「うおおっ、うおおっ」
続いて起きたプレーに球場からどよめきが起きた。
「あの3塁手、号泣しながら好捕したわよ」
「涙で前が見えてなさそうなのに、どうして正確に1塁へ放れるのかしら」
そんな声が聞こえているのかいないのか、アウトを1つ取った陽向は泣き叫ぶような咆哮とともに右手を上げた。
*
「ついに……ついに……俺の代でも優勝してやったぜ、どうだ、どうだ!」
「はいはい、頑張った頑張った。でも決勝戦の惨状は、しっかりほっちゃんジージが撮影してたわよ」
「おー」
表彰を終えて宿舎に戻り、汗を流したあとの夕食は焼き肉だった。優勝したチームだけが味わえる祝勝会に、その味も一際美味しく感じられる。
せっせと悠里が焼き上げてくれる肉を、穂月は隣で甘えてくる希にもちょいちょい食べさせつつ、陽向と朱華の会話に耳を傾ける。
この春から大学生になった朱華も決勝進出の一報を知るなり、他のOGと一緒に応援に駆けつけてくれたのである。
「それはいいことを聞いたの。ダビングしてもらってネットで売り出してやるの。女子高生、公衆の面前での嗚咽とかいうタイトルにしておけば、勝手に勘違いしたエロ野郎どもが釣れまくりなの」
「賛成したいところだけど、教師として一応は止めておくわよ」
チームが2連覇して、大会前に男を取り逃がしたと騒いでいた女監督も上機嫌だ。悠里の頭をくしゃりと撫でたあと、まだ喜びを爆発させている陽向を見る。
「国体も残ってるとはいえ、チームは1、2年生を中心に新しくなるわ。そこで前主将には新主将を任命してほしいんだけど……もう決まってる?」
「とりあえず、コイツはないな」
陽向にコイツ呼ばわりされて悠里が唇を尖らせる。小柄な彼女は仕草の1つ1つが相変わらず可愛らしい。やりたいなら指名するぞと言われた瞬間、顔を背けたが。
「のぞちゃんも論外として、りんりんは……」
「――ハッ、ついにわたしくの時代が来たんですの!?」
「あんまり人目に晒したくないからやめとくか」
「理由が酷すぎますわ! 断固抗議しますわ!」
恐れ知らずに陽向を指差す凛だが、次の言葉を吐く前に背後から悠里にちゃちゃを入れられて、そちらとの舌戦に移行する。
「実力的にもほっちゃんかさっちゃんなんだが……」
「おー」
「ほっちゃんだと堂々と練習メニューに演劇を組み込みそうだし、さっちゃんが副主将として実質的な補佐をするだろうから……」
「つまりこれまでと同じ展開ということですね」
最初から自分にお鉢が回ってくるだろうと察していたのか、陽向に肩を叩かれた沙耶は苦笑いを浮かべながらも新主将への就任を同意した。
すぐに美由紀が発表し、沙耶が挨拶をする。そしてその場で穂月は副主将を頼まれ、笑顔で快諾した。
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