第243話 皆で夜店

 夏の暑さには少々うんざりするものの、小学校が長期休みに入るとなれば他の児童同様に菜月も喜びを覚える。そして終業式を祝うように、地元ではお祭りが開催されるのだ。地元の神社が主催で、サラシに短パンの若者が山車を引いて近隣の町内を回る。


 大型スーパーのある大通りにはたくさんの夜店が並び、普段は静かな町のどこにこれだけいたのかというくらいに人で溢れる。夜とは思えないほどの明かりが溢れ、活気と熱気が包む。


 菜月の家で明日から始まる夏休みの宿題へすでに取り掛かり、今日の分と決めたところまで進めると、春道と和葉に連れられて茉優と一緒に夜店へやってきた。


 午後五時を過ぎてちらほらと営業が始まった出店へ、競うように人の波が押し寄せる。その様子を見ているだけで、特に茉優はその場で楽しそうに飛び跳ねる。


「茉優ちゃん、もしかして夜店に来たことないの?」


「夜は初めて。パパのお仕事が遅いから。でも、次の日のお昼に一人で見に来たことはあるんだ。楽しかったよ」


 ほんわか天然系でいて健気な性格なのを、三年生になってからの付き合いとはいえすでに知っている菜月はそれ以上は尋ねないようにする。


「それなら今日は思う存分、夜店を楽しみましょう。うちのパパとママだけじゃなくて、真君のママもいるし」


 引率として三人も大人がいれば、多少は夜遅くなっても大丈夫である。出店を楽しんだあとは、ランドセルを置いてきている高木家へ戻り、皆で夕食をしてそれぞれの家に帰る。その際は春道が車で送ってあげることになっていた。


 なかなか友人ができなかったのもあり、昨年までの真は母親に出店へ誘われても応じなかったらしい。そのため、真の母親にとっても夜店は初めてなのだという。


「想像していたよりも多くの出店があるんですね。向こうの坂の方までずっと続いてるわ」


 真の母親の感想通り、大通りを挟んでズラリと横一列に連なる出店は壮観だ。

 一年のうち、今日と明日しかみられない光景だけに、そうした感想は余計に強かった。


「昔は坂を上り切った向こう側の大通りにまで出店があったらしいですけどね」


 説明した春道のみならず、菜月も実際に目撃したことはない。悲しいかな、その事実を教えてくれた近所の老人男性が若かった頃からは年月が経過していた。その間に坂上の大通りを賑わせていた商店街の八割にはシャッターが下り、今では通行人すらまばらな有様だった。


「でもでも、これだけあると迷うよねぇ」


 それが大人というものか、過去を懐かしむような春道とは違い、まだ子供の茉優は早く周りたそうに前傾姿勢になっている。一人で先に行かせたら、この日の為にと彼女の父親が与えてくれたお小遣いを三十分もしないうちに使い切ってしまいそうだった。


「パパ、本格的に人が増えだす前に一回りするべきだわ」


 すでにかなりの人数が集まってるとはいえ、比較的ゆっくりと出店を見物できる。これが午後八時を過ぎる頃には歩くのもやっとな状態になる。幼い頃から姉の葉月に連れてきてもらっているだけに菜月の言葉には実感がこもっていた。

 春道や和葉もそのことをよく知っているので、苦笑交じりに頷いてくれる。


「あまり離れすぎてはだめよ」


 香織からの注意に頷きつつ、菜月たちは三人固まって行動する。キャッキャッと飛び跳ねる茉優が先頭で、小さな背中に隠れるようにしてついてくる真が最後尾だ。その後ろを春道たちがのんびりと歩く。


「菜月ちゃん、かき氷があるよ。あとはタコ焼きに綿あめ!」


「見事なまでに食べ物ばかりね。

 けれど茉優ちゃん、雰囲気に流されてはいけないわ。普段とは違うこういう場所ではやたらと美味しく見えるけれど、その値段はまさに凶悪。よく吟味して本当に食べたいものだけを選択しないと、私たちのお小遣いはすぐに底を尽きてしまうわ」


 真摯に警戒を促すも、そんな菜月の努力を嘲笑うかのような陽気な声がすぐ後ろで上がる。高木家の長女と一緒で基本的にお祭り好きな父親である。


「そっちの端のと……あとは真ん中のかな」


「春道さん、ジャンボ焼き鳥を二本も食べるの? それに指定までして……」


「少しでも実がたくさんの方がいいだろ。それに夜店の食べ物ってやたら美味しく見えるから、ついつい買っちゃうんだよな。ハハハ」


 今夜ほど呑気な父親の後頭部をスリッパあたりで叩きたいと思った日はなかった。友人へ注意した矢先に、身内がその愚を犯すとは何たることだろうか。まさに背後から撃たれた気分である。しかしここで気まずくなるような菜月ではない。


「よく見なさい。これが夜店では駄目な典型例よ。大人の財力にかまけて買いすぎて食べ過ぎた結果、翌日から仕事が終わるなり外を走らせられるはめになるわ」


「……菜月、ジャンボ焼き鳥が不味くなるから勘弁してくれ」


 横から愛妻に睨まれて泣きそうな父親は放置し、まずは一回りして何を買うべきか吟味する。菜月を含めて子供たちに渡されてるお小遣いは千円なのだ。五百円もするジャンボ焼き鳥をいきなり二本も買えるどこぞの大人とは懐具合が違う。


「僕は型抜きというのをやってみたいんだ」


「へえ、真君も興味があるのね。男子はよく群がっているけれど」


「そうなの? ちょっと前に宏和君に聞いて面白そうと思っただけなんだけど」


「ああ……宏和、好きそうだものね」


 名前を出したのがマズかったのだろう。さらに人も増えつつある屋台の通り道だというのに、どこからともなく噂の当人がひょっこり顔を出したのである。


「お、やっぱりいたな。そりゃそうだ。始まってすぐに突撃してこその出店だよな」


「一緒にしないでくれるかしら。はい、さようなら」


「おいおい、待てって! 野球部の連中の誘いを断ってまで、菜月と会うのを目当てに親とやってきた俺の涙ぐましい努力はどうなる!」


「屑籠に捨てるのをお勧めするわ」


 目を見てきっぱりと言い放った菜月の前で、あんまりだと崩れ落ちる宏和。俯いて肩を震わせているが、地面に涙の跡が見えないのを考えれば嘘泣きだろう。しかし根本的に良い人間である茉優と真の目は簡単に欺けたようである。


「ぼ、僕は宏和君も一緒で構わないよ」


「茉優も。大勢の方が楽しいよ」


 甘いわねと菜月が指摘するよりも早く、そして高く宏和が舞い上がった。歓喜のジャンプを呆然と見上げた二人に颯爽と背を向け、サムズアップにウインクで置いていくぞなどとのたまう。


「宏和は調子に乗りやすいから、適当に厳しくした方がいいのよ。

 うちのパパみたいにね」


 それでも先日のお泊り会など、一緒に過ごす時間もそれなりに多いだけに二人とも宏和に対する拒絶感はないみたいだった。


「早く来いよ。真は型抜きをやってみたいんだろ」


「う、うん。ちょっと待って」


 人の多さに恐れをなして菜月の後ろに隠れ気味だった真が、小走りで宏和の方へ向かう。その様子はまるで兄弟だ。同じような感想を抱いたのか、どこか微笑ましげに香織が見守っていた。


「あの人に田舎での生活を打診された時は不安だったけど、今は越してきて良かったと心から思います。真ちゃんのあんな笑顔、向こうでは見られなかったもの。いいえ、環境だけではありませんね。友人にもとても恵まれました」


「宏和の影響を受けて、悪戯っ子になってもですか?」


「……男の子は多少元気な方がいいんじゃないかしら。度が過ぎると困るから、その時は菜月ちゃんに叱ってもらうわね」


「任せてください。それと……パパはどうして落ち込んでるのかしら」


 ちらりと視線を向ければ、ジャンボ焼き鳥片手に落ち込んでいる男が一人。隣に立つ和葉が呆れ気味にため息をつく。


「わかってて聞くのはやめなさい。ジャンボ焼き鳥のことで虐めるのもね。まあ、本気で拗ねたりする人ではないけれど」


「……そう言われると菜月に構ってと態度で示すのも難しくなるな」


 顔を上げて平気な様子でジャンボ焼き鳥に春道がかぶりつく。口端についたタレをハンカチでそっと拭いてあげるあたり、まだまだ母親にも父親への愛情があるらしい。常日頃の家庭内での光景を見れば、わかりきっていた事実ではあるが。


「はっはっは。男ってのはいつでも女に構ってほしがる生き物だからね。それが妻や娘なら尚更だと思うよ。僕は春道君の味方だな」


 宏和がいるのであれば、連れて来たという両親がいるのもまた必然。ひょっこり姿を現した泰宏に、さりげなく春道の腕を取ってジャンボ焼き鳥を食べさせようと頑張る祐子に驚きもせず、菜月は型抜き中の二人のもとへ行く。


 屋台のすぐ横にある小さな椅子とテーブルが並べられたスペースで、すでに数人の男性が老若問わず真剣な表情で板状の菓子に描かれた絵をくり抜こうとしている。


「ふわあ。何だか凄いねぇ。茉優、こんなに近くで見たの初めてだよ」


「女子は見知った顔でもいなければ、あまり近寄らないものね」


「ねえねえ、菜月ちゃん。それぞれ絵が違うよ」


 本当に型抜きを知らないらしい茉優の疑問に、知っている限りで菜月は答える。


「他はどうか知らないけれど、この辺の屋台では絵をきちんとくり抜けたら賞金が出るのよ。複雑な絵ほど高くなるのだけれど……まあ、達成は困難ね」


「それが出来てしまうんだよ。この俺がいるからな!」


 やたらと自信満々な宏和が、真を引き連れて購入したばかりの菓子をテーブルに置き、備え付けの小さな針を手に取った。


「ならお手並み拝見というところね。で、絵は……絶望的じゃない」


「茉優、それ知ってる。孔雀っていうんだよねぇ」


 凄まじいまでの慎重さと器用さがなければ、とてもではないがくり抜けそうもない精緻な絵にさすがの宏和も頬をヒクつかせている。一方で真のは簡単そうな星だった。


「あ、できた」


「うわ、失敗した」


 一分も経過しないうちに明暗が分かれた。真は支払った代金分を賞金で見事に回収し、宏和は続けざまの挑戦でも再び孔雀の絵を引くというある種の強運ぶりでグッタリとする。


「恰好のつけすぎはよくないという、いい教訓ね。茉優ちゃん、私たちはカキ氷でも食べましょう」


「うんっ。あとね、綿あめも食べたい。あとあと、輪投げっ!」


「それくらいなら千円で間に合いそうね。真君はどうする?」


「僕も菜月ちゃんたちと一緒に行くよ。

 宏和君は……って三枚目に挑戦中だね」


「あの分だとすぐには離れなさそうだから、後で様子を見に来ればいいわよ。間違って高額の賞金を手に入れてたら、何か奢ってもらいましょう」


 わいわいと喋りながら歩き、カキ氷や綿あめを堪能する。夜が深まるにつれて輝きを増す屋台は綺麗の一言だ。


「えへへ」


「ずいぶんと楽しそうね」


「もちろんだよ。大好きなお友達と一緒だもん!」


 菜月の手をギュッと握った茉優が、今日一番の笑顔を見せる。


「そうね。私も楽しいわ。来年もまた一緒に来ましょう。真君もね」


「……俺の名前がないぞ」


 音もなく背後から現れたのはゾンビならぬ宏和だった。


「その顔だと型抜きは駄目だったみたいね」


「……小遣い全部持っていかれた……」


「茉優ちゃん、わかった?

 計画性がないと、こんなに悲惨な目にあってしまうのよ」


「ちくしょうっ」


「はいはい。綿あめを少し分けてあげるから吠えないの」


 茉優と真からも少しずつ受け取った宏和は、どこかの役者よろしくほろりとしながら「甘いのに、しょっぱいや」などと呟いたのだった。

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