第174話 葉月の春季大会
グラウンドに甲高い金属音が響く。
内野席で観戦している保護者が、歓声をあげる。
春の日差しが心地よい六月前半の日曜日。
午後の市民球場で、ソフトボールの春季大会が行われていた。
対象は中学生で、昨年の秋から積んできた練習の結果を得られる大事な大会だ。
そこに春道と和葉の娘――葉月がソフトボール部の一員として参加中だった。
好美はベンチだが、葉月と実希子はレギュラーとして、ポジションを与えられていた。
事前に話を聞いていたからこそ、春道たちは家族揃って葉月の応援に訪れた。
実希子がサードを守り、葉月はライトにいる。打順も八番なので、絶対的な戦力とは言い難いのだろうが、レギュラーはレギュラーだ。
一回戦から優勝候補の学校と当たったらしく、葉月たちの中学校は苦戦していた。四回を終了した時点で、すでに6対0だ。
ようやく守備を終えてベンチに戻り、五回表の攻撃に挑む。この回の先頭は、葉月だった。
「あ、お姉ちゃんだよ」
菜月が嬉しそうに言った。
春道たちと葉月に血が繋がってないのを知って、この前まで多少なりともギクシャクしていたが。今ではすっかり解決済みだ。
血の繋がりがどうであろうと、菜月にとって葉月は大好きなお姉さんなのだ。
仲の良い姉妹に戻ってもらえて、春道も心から安堵した。
「葉月、頑張って。
春道さん、しっかり撮影してくださいね」
隣にいる和葉が、真剣そのものといった目を向けてくる。
こういった場では、相変わらず春道が撮影係だった。葉月だけでなく、最近は菜月を撮影したビデオテープも凄い勢いで増えつつある。
「お姉ちゃん、頑張れーっ!」
菜月が声を張り上げる中、任せてと言わんばかりに葉月が金属バットを振る。
昔は小さかった女の子も、成長期を迎えてだいぶ大人っぽくなってきた。身長も、すでに和葉と大差ないくらいだ。
大きなソフトボール目がけて振った葉月のバットが、大きな音を鳴らした。芯で捉えた証しだった。
勢いをつけた打球が、外野の奥まで飛んでいく。
見事なツーベースヒットに、和葉が狂喜乱舞する。
「見ましたか、春道さん。あの見事なスイングを。将来は日本代表になるのではないでしょうか!」
「わかった!
わかったから、腕を揺さぶらないでくれ。上手く撮影できない!」
どのような妨害があろうと、撮影がブレたりすれば怒られるのは春道なのだ。理不尽な気もするが、尻に敷かれ気味なだけに仕方ない。
それでもいざという時には、春道の決断を尊重してくれる。夫婦としても、家族としても上手くやれている。
二塁ベース上でガッツポーズをする葉月の姿に、今度は菜月が大喜びだ。両手を振って、キャーキャー飛び跳ねる。
次の九番打者もヒットで続く。
連打連打で二点を返し、なおもノーアウト満塁で四番の実希子を迎える。
ホームを踏んで一点を返した葉月が、ベンチで隣にいる好美と一緒に声援を送る。
二年生にして四番を任せられる実希子には、強打者の風格があった。長く持ったバットを構え、ピッチャーがボールを投げるのを待つ。
内野席から見てても結構な速さのある直球を、実希子は難なく打ち返す。
一閃させたバットは、ものの見事に白球を外野フェンスの向こう側まで運んだ。
「あの人って、お姉ちゃんのお友達だよね。凄いね」
実希子に遊んでもらったこともある菜月は、打球の迫力にポカンとしていた。
「そういえば、昔から運動は誰より得意な子でしたね」
「ああ。勉強は苦手だったけどな」
笑いあえるのも、葉月たちの中学校が同点に追いついたからだ。
このまま一気に逆転といきたかったが、生憎と相手投手も意地を見せた。
五番からは三者凡退し、次は葉月たちが守る。
三年生のピッチャーは頑張っているが、実力は相手打線の方が上だった。
せっかく同点に追いついたばかりなのに、またしても点を取られる。
7対6となり、まだノーアウト満塁。かなりのピンチだ。
ここでソフトボール部の監督が選手交代を告げる。
なんとライトの葉月が、ピッチャーに指名された。
キャッチャーも変更となり、代わりにポジションへついたのは、こちらも驚きの好美だった。
痩せ形の葉月よりは体重がありそうなものの、身長は仲良し三人組の中で一番小さい。捕手をするというのは意外だった。
「好美ちゃんがキャッチャーなのには驚いたな」
「もしかしたら、彼女が葉月を誰よりコントロールできるからではないでしょうか」
春道の呟きに、和葉が反応した。ありえそうだなと、素直に思った。
春風が髪の毛を撫でる中、視界では愛娘の葉月が一生懸命に投球練習をする。
ヤケクソの交代でないのは、葉月の投球を見たらすぐにわかった。先ほどまで投げていた上級生よりも、球がずっと速いのだ。
運動神経がもの凄くいいとは思ってなかった葉月が、ライトのポジションを任せられたのも、肩の強さにあったのかもしれない。
投球練習が終わると、すぐに葉月は打者と向き合う。気心が知れた好美のリードに従い、代わってから最初の一球を投げる。
投じられた初球が、勢いよく今井好美のキャッチャーミットに収まる。剛速球と呼べるほどではないが、やはり先ほどまでの投手よりは速い。
「まさか……葉月にこんな才能があったなんて。将来はオリンピックに出場するのでしょうか……」
「……飛躍しすぎだ。少し落ち着け」
相変わらずの親バカぶりを発揮する和葉に苦言を呈してから、撮影中のビデオカメラ越しに葉月の姿を見つめる。
マウンド上で躍動する愛娘を見てれば、妻ほどではないが胸もジンとする。
ノーアウト満塁で最初に迎えた打者を見事三振に切って取る。
派手なガッツポーズなどはせず、すぐに次の打者へ集中する。
「打たせてもいいぞ。アタシが守ってやるからさ」
「サードだけには打たせちゃ駄目よ。調子に乗ったメスゴリラがエラーするわ」
好美の切れのありすぎるツッコミに、相手ベンチの選手までもがクスクス笑う。
二人を仲介するのではなく、楽しそうに葉月が笑うのを見れば、いつもどおりのやりとりなのがわかる。
「毒舌が持ち味なのはわかっていましたが、改めて聞くと、なかなかキツいですね」
「ハハハ。和葉ほどじゃないさ」
「……何か言いましたか?」
「いえ、何も……。
あ、葉月の雄姿を撮影しないと。あまり大きな声を出すと、録音されるぞ」
後が怖いものの、なんとか和葉を撃退した春道は葉月の応援に集中する。
踊るような投球フォームから、ボールが繰り出される。よくスピンが効いた直球に、打者のバットが空を切る。
二者連続三振に仕留めると、マウンド上の葉月より、内野席で応援中の和葉が大興奮する。
他の生徒の母親と喜びを分かちあっているが、主に騒ぐのは奥様方ばかり。旦那陣は揃って撮影役だ。
目でお宅も大変ですね、などと無言の会話をしたりする。それぞれの妻に聞こえたら大変なので、決して口にはしない。
「あとひとりだ。集中していけよ!」
実希子の声援を受けて、葉月が頷く。
懸命に腕を振って投げるも、今度の打者には直球をジャストミートされてしまう。
春道の隣で和葉が悲鳴を上げた直後、サードを守っていた実希子が華麗な横っ飛びを披露する。
ミットをつけた左手を全力で伸ばし、もの凄いスピードで飛んできたソフトボールをダイレクトキャッチした。
ユニフォームを土まみれにした実希子が、グラブをはめた左手を上げてアウトをアピールする。
「実希子ちゃん、ナイスキャッチ!」
普段から辛辣な好美に褒められ、満更でもなさそうに実希子が笑う。窮地を救ってもらった葉月も大喜びだ。
母親の和葉も安堵した様子で、ほうっと大きなため息をつく。
「さすが実希子ちゃんですね。ご両親も、一緒に観戦へ来られるとよかったのですけど……」
好美や実希子の両親も観戦に誘ったのだが、どちらも急な仕事などが入って無理だったのだ。
「予定があるんじゃ、仕方ないだろ。夏は絶対に観戦すると言ってたしな。今回は撮影した動画を、ダビングして渡せばいいだろ」
「そうですね。きっと、喜んでもらえると思います」
微笑む和葉に頷いてから、撮影係に戻る。
爽快な逆転劇を期待したが、そんなに上手くはいかなかった。
リリーフした葉月はその後も好投を続けたが、肝心の打線が沈黙した。
頼みの実希子が長打を放つも、ホームまで到達できずに終わった。
結果は7対6。
優勝候補相手に善戦したものの、葉月の学校は一回戦で負けてしまった。
反省会は明日以降に行われることになり、今日は観戦に来てる保護者と帰るのも自由になった。
*
「好きなものを頼んでいいからな」
移動したファミレスで、春道の言葉に好美が恐縮気味に「ありがとうございます」と言った。
大会で敗戦したあと、春道は両親が観戦に来ていなかった実希子と好美も誘った。葉月はもちろん、普段から遊んでもらう機会もある菜月も賛成してくれた。
申し訳なさそうにする好美の隣では、満面の笑みを浮かべた実希子が何を食べようか悩んでいる。こちらは心配しなくとも、好きなものを注文してくれそうだ。
「好美ちゃんや、実希子ちゃんと一緒にご飯は嬉しいな。試合は負けちゃったけどね……」
「でも、お姉ちゃん、恰好よかったよ」
残念そうに言った葉月を励ましたのは三歳児の菜月だった。和葉の隣の席に、きちんとひとりで座っている。
「本当? 菜月にそう言ってもらえるなら、頑張ったかいがあったな」
笑顔になる葉月の隣で、好美が感心する。
「菜月ちゃんは、凄くしっかりしてるわよね。三歳にして、すでに実希子ちゃんの精神年齢を上回っているわ」
「はい。私は人間なので」
「……好美も、菜月ちゃんも、さすがに酷すぎるだろ」
昔から家で一緒にご飯を食べたりもしていたので、好美も過度な遠慮はせずに食べたいものを注文してくれた。
皆で美味しいご飯を頬張りながら、今日の試合ではどうすれば勝てたかなんて話もする。
春道には遠い昔の思い出となってしまった中学生活を、現役で楽しんでいる葉月たちがなんだか羨ましく思えた。
食事を終えると、春道たちは好美や実希子と別れて自宅へ戻った。
試合で汗まみれになった葉月が、シャワーを浴びるためにお風呂場へ直行する。ついでに菜月も一緒に入れてもらうことになった。
春道と和葉は、リビングで少しだけのんびりする。ファミレスで早めの夕食をとったので、急いで食事の準備をする必要もない。
「たまには、こんな日曜日もいいもんだな」
両手を広げてソファに座っていると、妻の和葉が温かい緑茶をいれてくれた。
湯呑に口をつけて、ほんのりと口内に広がる独特の苦みを楽しむ。
自分の分も用意した和葉が春道の隣に座る。娘二人がお風呂場から出てくるまで、ゆっくりできそうだ。
そう思った時に限って、なんらかの邪魔が入る。今回は電話だった。
小走りで、リビングにある固定電話のもとへ和葉が向かう。
「はい、もしもし。
あら……お義父さんですか。すぐ、春道さんに代わりますね」
どうやら、固定電話にかけてきたのは春道の父親みたいだった。
用件は何だろうと思いつつ、ソファから立ち上がった春道は和葉から受話器を受け取る。
数秒後。
父親からの話で、春道は言葉を失った。
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