第456話 活躍に応じて人気も上がるんです、でも春也と智希は我が道を突き進みます
夏休み前と後で春也を取り巻く環境は大きく変わった。何がと問われれば1つしかない。周りを取り囲む女子である。
学校が応援団を派遣した夏の大会。さすがに東北と全国大会は応援団と吹奏楽部だけだったが、地区と県予選はほぼ全校生徒が参加した。
春也だけでなく、前主将が怪我をした影響で出番を得た智希の活躍を級友が目撃した。その結果、異性からの人気が異様に高まったのである。
男子を引っ張って先頭で遊びに走る春也や、クラス1のイケメンでも性格が独特すぎる智希は女子との接点はさほど多くなかった。誰にでも分け隔てなく優しい晋悟だけは、今回の活躍があろうとなかろうと頻繁に声をかけられていたが。
以前にからかってみた際には、モテているわけではなく話しやすい異性の友達にしか思われてないと当人は言っていた。
あまり男女間の機微について敏感でない春也は、よくわからないながらそうかと頷いたのを覚えている。
そして今回は春也が他の男子から、軽口を叩かれる側になった。女子にキャーキャー言われるのが羨ましいみたいだが、本人からすれば落ち着かない。今みたいな授業中でも、チラチラと視線を感じるのだから。
「ではこの問題を……そうね、春也君、解いてみてくれるかしら」
教壇に立つ柚に指名され、ボーっとしていた頭を覚醒させる。黒板にはつらつらと文字が書かれているが、文法とか言われてもさっぱりである。
「わかりません」
「……お願いだから胸を張って言わないで……野球だけじゃなくて、勉強も頑張らないとだめよ」
女教師のアドバイスを受けつつ、なんとか正解に辿り着きはしたが、いまいちピンとこないのは変わらない。低学年の頃は簡単だったのだが、高学年に近づくにつれ勉強が難しくなりすぎたと顔を顰める。
これまでなんとかなってきたのは、ひとえにテスト前などで面倒を見てくれる晋悟のおかげだった。
「では次ね、今度は智希君」
新たな問題の解答を求められた智希は、面白くもなさそうに答えを口にする。
直後に教室へ木霊する黄色い歓声。そこかしこで「さすが」と言ったような会話が飛び交い、視線が智希に集中する。
「相変わらずよく勉強してるわね。春也君に教えてあげるためかしら」
「いいえ、姉さんに教えるためです」
「え? でも希ちゃんとは学年が結構違うわよね?」
「だからこそ予習が必要なのです。すでに姉さんが受けている授業範囲には追い付きつつあります。あとは受験の時までにきっちり仕上げ、替え玉として姉さんが進学した高校の受験で満点を取るだけです」
智希の目は本気だった。冗談として扱おうとした柚が息を呑むほどに。
「バレたらお姉さんに迷惑がかかるからやめなさい」
「女装するので問題ありません。なんならいっそ性転換も……」
「どこで覚えてきたか知らないけどやめなさいっ!」
*
智希が教室中をザワつかせる野望を公言したせいで、春也にまた視線の幾分かが戻ってきた。
嬉しいとか恰好をつけたいなどの気持ちはなく、単純に鬱陶しいのだが、じろじろ見るなよと言って泣かれたらあとが面倒なので絶賛放置中だ。
体育は男女合同で迫りつつある体育祭のために、100メートル走を順番に走ってタイムを計る。
クラス毎に得点を競うので、今から担任の柚はやる気満々だ。もちろん勝負事が大好きな春也も一切手を抜くつもりはない。
「位置について、よーいスタート!」
ジャージ姿の女教師が声を張り上げると同時に、スタートラインで構えていた男子3名が一斉に走り出す。その中には女子の注目を集める智希もいた。
やたらとライバル意識を燃やす隣の男子に睨まれても一切動じず、興味すら抱かないまま友人が1着でゴールする。
「智希君、凄いっ」
「恰好良いよねっ」
手を取り合ってキャイキャイはしゃぐ女子。それを見て悔しそうにする一部の男子。もしかしたら好きな子が混ざっていたのかもしれない。
「あの、これ使って!」
1人の女子が、自分で用意したと思われる白いタオルを差し出した。見るからにフカフカそうで、顔を埋めたらとても気持ち良さそうだ。
「ああ」
素直に受け取った智希は汗を拭き、そして――
「やはり姉さんの匂いがしないタオルでは拭いた気がしないな」
とんでもないことを言い出した。
笑顔を引き攣らせる女子に視線を向けることもなく、タオルを返した智希は表情すら変えずにこちらへ歩いてくる。
「どうかしたのか?」
「いや……相変わらずお前ってのぞねーちゃん一筋だよな」
頭の後ろで腕を組んだ春也が笑うと、友人は何を当たり前のことをと言わんばかりの不思議そうな顔をした。
*
人気が高まるにつれ、身内だけで共有していた智希の壊れっぷりが女子にまで明らかになっていった。
それでも事情を知らない他校の生徒からファンクラブを作られるほど眉目秀麗の智希に近づく女子はいた。当初よりもずっと数を減らしてはいたが。
「料理っていまいち苦手なんだよな」
家庭科室の一角でパン粉を捏ねながら、春也は「ふう」と鼻から息を吐いた。
「春也君は食べる専門なんだね。パン屋さんになるつもりはないのかな」
「あー……どうだろうな。よくわかんねえけど、俺には向いてないような気がするな。なんやかんやで姉ちゃんがやるんじゃねえか?
つーか、智希はやたらと手際が良いな、おい」
晋悟と話しながらふと向けた視線の先で、朝から何かと話題の友人が得意気にする。
「姉さんがムーンリーフのパンを好いてるからな。習得しようとするのは当たり前のことだろう」
「そうか、当たり前か」
「……いや、違うと思う」
頷いた春也の背後で晋悟が苦笑する間も智希はせっせと手を動かし、調理実習の課題であるパンを着実に完成へ近づけていった。
*
いざ試食の時間になると、女子がわっと春也たちの班に集まってきた。
「これ、食べてみて」
「智希君のために作ったの」
差し出される前に智希は逡巡し、
「ふむ。新しい発見が姉さんのためになるかもしれないしな。頂こう」
手で千切った一欠けらを口に放り込む。
「同じ手順でも作り手によって味は変わるか。ならば姉さんのために作ったこのパンはさぞかし美味いに違いない」
そう言って自分の分は食べずに、どこから持ってきたのかビニール袋に入れて懐に隠す智希。喜ばせて興味を持ってもらおうとしていた女子たちは、揃って微妙そうな表情を浮かべるしかなかった。
一方で春也にも女子が作ったパンをくれたので、ガツガツと頬張らせてもらう。育ち盛りなだけに給食だけでは足りないのだ。
「美味いけどさ、こんなに貰っていいのか?」
「うんっ、春也君に食べてほしいの」
「美味しそうに食べてもらえると幸せ」
「そうか、じゃあ遠慮なく」
にこにこと見守る女子の前で平らげると、口回りについたパンかすまでハンカチで拭き取ってくれた。
それを見ていた一部の男子が狂乱しているが、春也としては頼んだりもしてないわけで、恨みに思われても困るだけだった。
*
「姉さんがいないっ!」
迎えた秋の体育祭当日、靴紐を結び直している春也に智希が叫んだ。
グラウンドには行進を終えたばかりの生徒がわらわらとおり、直後の短距離走に向けて準備を整えている。
「日曜日で学校は休みのはずなのに何故だ!」
盛大に頭を抱える友人に、春也は立ち上がって肩を竦めた。すぐ傍にはいつもの困ったような笑顔の晋悟もいる。
「休みでも部活はあるだろ」
「ない! この俺が姉さんの予定を把握してないと思うか!」
「じゃあ寝てるか、うちの姉ちゃんと遊んでるんだろ」
「……その前にツッコむところがあるような気がするんだけど」
腰に手を当てた春也の言葉に、むむうと考える素振りをする友人。もう1人の友人の小声は完全に置き去りだ。
「ママたちは来てるんだから、のぞねーちゃんもそのうち来るんじゃねえか?」
「くっ……こんなことなら姉さんと一緒に家を出れば良かった……!」
歯軋りする智也を後目に、1年生から始まる短距離走が開始された。
*
運動神経抜群の春也と智希が走るたび、学年とクラスを問わずに女子から歓声が上がる。最近では上級生からもたまに声をかけられるだけに驚きは少ない。
「智希君、やっぱり恰好いいね」
「そこを退いてくれ」
「え? あ、ごめん……あの、私が何かしたかな?」
「姉さんの匂いがする!」
とんでもない一言を残し、軍用犬のごとく走り去った智希の前方には、確かに彼の愛してやまない女性がいた。傍には例のごとく春也の姉もいる。他の友人たちも一緒だ。
「ええと……智希君って独特よね」
「はっきり言っていいぞ、変わってるって」
春也も智希も今更その程度で怒ったり動じたりしない。話しかけてきた女子は笑顔を深くしつつ、
「確かに智希君は恰好いいけど、春也君だって負けてないし、私は――あれ? 春也君?」
何やら背後で戸惑いの声が聞こえるが、春也に構っている暇などなかった。
「まーねえちゃん!」
智希のことを言えない速度で、目当ての人物に近づいて存在をアピールする。
「見に来いってうるせえから来てやったぞ。のぞちゃんがなかなか起きないせいで、少し遅れちまったけどな」
「ちぇっ、せっかく俺の恰好いい姿を見せようと思ったのによ」
「ハッ、調子に乗ってすっ転ぶんじゃねえぞ」
「誰に言ってんだよ」
陽向以外目に入らない春也と、希以外興味のない智希。実情を目の当たりにしたことで、体育祭以降女子の熱狂度は急激に下降していくのだった。
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