第253話 秋のサイクリングとスケッチ

 応援で終わったソフトボール部の初めての公式戦は一回戦負け。お祭りやお盆などの楽しいイベントを経て、季節は流れるように夏から秋へと変わっていた。


 日差しの厳しさはだいぶ和らぎ、暑さから主役の座を奪うように全身を包むような優しい風は涼しさを増した。


 そんな過ごしやすい秋の休日。普段は徒歩での行動が多い菜月たちは、初めて児童だけで遠出を決行した。もちろん計画は事前に各親へ説明済みで、しっかりと承認もしてもらっている。


 早朝に菜月の家に集合し、三人でお弁当を作り、それを持って午前十時過ぎに出発。目指したのは山の方にある自然公園で、車でも四十分程度はかかる場所だ。


 全員で懸命にペダルを漕ぎつつも、途中で休みを入れたりもする。その際に持ってきたフェイスタオルで額の汗を拭いながら、どこか残念そうに真が言う。


「宏和君も一緒に来られたらよかったのにね」


「最後まで参加したがってはいたわね。でも野球部の練習試合なら仕方がないわ。宏和はエースで主力になっているもの」


 後で騒がれては面倒と滅多になく宏和を誘ったのだが、電話向こうで従兄の嗚咽を聞くという結果に終わったのである。


「また今度誘えばいいよ。

 茉優、皆と一緒のサイクリング、楽しいから何度でもいいな」


「そうね。そのためにはまず、今日は私たちが目一杯楽しんで、それを宏和に伝えなければいけないわね」


 コンビニの駐車場での僅かな休憩時間を終えて、また自転車を漕ぐ。部活でだいぶ体力がついてきたのもあり、道中もトレーニング感覚で楽しめる。普段はマネージャーで見学するだけの真は大変そうだが。


 夏前に行われた初めての練習試合では誰よりも緊張して顔色を失っていたが、今ではわりと冷静にマネージャーの仕事もできつつある。公式大会では菜月らと同様にベンチで応援した。


「まっきーも今度から部活の練習に参加すればどうかなぁ。体力がつくと思うの」


「そう、だね……足手まといにならなければ。

 ……って、まっきー?」


「菜月ちゃんがなっちーだから。今、考えついたの」


 ドヤ顔というよりかは、まるで赤子みたいな純真無垢な笑顔だった。思うところがあったのかもしれないが、言い返せずに真は曖昧に頷く。どうやら諦めたみたいである。


「私もまっきーと呼べばいいかしら?」


「そ、そこは好き好きでいいんじゃないかな……。

 そ、それにしても……こんなに自転車で走ったのは初めてだよ」


「私もよ。部活をやっていなければ、真と同じ有様になっていたでしょうね」


 苦笑する真に、目的地まではもう少しだから頑張りなさいとも伝える。


「公園についたら一休みしましょう。お弁当も食べないとね」


「えへへ。茉優、今から楽しみなんだ」


 ハアハアと息も絶え絶えな真を励ましながら、一行はなんとか目標だった午後一時までに自然公園へと到着した。


   *


 草原に敷いたブルーシートに並べられるのは三つのお弁当と、各自が握ったおにぎりだ。


 去年はほとんど料理のできなかった茉優と真だが、簡単な食材を用いたものであれば一人でお弁当を作れるまでになっていた。冷凍食品が目立つとはいえ、たまに父親にお弁当を作ってあげるとも茉優は言っていた。


「二人の進歩を見守ってきた私からすれば、誇らしくもあるわね」


 三人がそれぞれ好きな食材を詰めたお弁当である。豪華にもおかずはそれぞれに違いもある。卵料理の多い菜月に比べ、茉優はウインナーやらハム系が多く、真はサラダを含めて色鮮やかで果物もふんだんに入っている。


「でも、なっちーが一番上手だよぉ。茉優、卵焼きが特に大好きなんだ」


「はいはい。一つあげるわよ。その代り、茉優ちゃんのウインナーを貰うわね」


「じゃあ僕のも好きなのを取ってよ」


 結局並べたお弁当を好き勝手に皆でワイワイ食べる形になり、家から持ってきた小さなペットボトルの飲料を飲み干してお昼を終了する。


「帰りの飲物は自動販売機で買うとして、公園へ来た目的の一つをしましょうか」


 景色豊かな公園とくれば、絵の好きな真が心を躍らせないわけがない。待ってましたと荷物からスケッチブックを取り出し、菜月と茉優もそれに倣う。


 去年まではもっぱら読書ばかりで、スケッチにはさほど興味を持っていなかった。しかし真との出会いを経て、菜月と茉優の二人も下手なりに絵を描くのが楽しくなっていた。より強く惹かれるようになったのは、去年の夏休みに提出した作品が市で入選を果たしてからかもしれない。


「そういえば、もうすぐ今年も賞の発表があるね」茉優が瞳をキラキラさせる。


「今年もトップは真で決まりでしょうけれど、昨年の入選以上を狙いたいわね」


 菜月が応じると、友人の少女は力強く頷いた。


「今回は茉優も一緒に飾られたいの。だから頑張ったんだ」


 茉優の頑張りはそばで見ていたので、菜月もよく知っている。今年の夏休みも市内を散策し、これという場所を見つけてはスケッチした。その際に真に教えてもらい、何度も描き直してようやく提出する作品を完成させたのだ。


「菜月ちゃんのも茉優ちゃんのも上手だったから、きっと大丈夫だよ。むしろ僕の方が自信ないかな」


「真、謙遜も度が過ぎると嫌味になるわよ」


「そうだよねぇ。まっきーの絵には勝てないよ」


 女性陣からの反抗を受け、たじたじになる真。汗が飛び散りそうなくらいに慌て、両手を振ってそんなつもりはなかったと弁解する。


「冗談よ。それより早く描きましょう。私たちは完成したらバドミントンでもしましょうか」


「うんっ。ここは風も気持ちいいし、きっと楽しいよ」


 菜月の提案に、両手を上げて茉優が賛成した。

 真は絵にのめり込むと時間を忘れて描き続けるので、どうしても待ち時間が出来る。その場合は本を読むか、二枚目を描くかで合わせるが、遊べるスペースがあれば茉優と一緒に体を動かしたりもする。


「ごめんね。気を遣わせちゃって……」


「何を言っているのよ。私の希望で図書館に行く時だって、黙って付き合ってくれてるじゃない。お互い様よ」


「ありがとう。そういえば菜月ちゃんと友達になって本を読むことが増えたから、お父さんが凄く喜んでね。この間来た時に、お勧めだってまたたくさんの本を置いていったんだ」


「……どうしてそれを早く言わないのよ」


 意図せずに目を細めた菜月の追及を受け、途端に真はしどろもどろになる。


「真のお父さんの目は確かよ。有名どころではないけれど、読み応えのある本が多いもの」


 真の本棚にある分は去年のうちに読破済みだった。大満足を覚えていたが、新作が入荷したとなれば話も変わる。


「次に部活が休みな日は、真の家で読書会ね」


「じゃあ、茉優にはなっちーがお勧めの本を貸してほしいんだ。真君の部屋にあるのは難しすぎるの」


 根本的に茉優が好むのは漫画だ。それでも菜月と付き合ううちに小説の面白さもわかりかけているが、難しい小説に挑む勇気はないみたいだった。


「そうね。茉優ちゃん好みの冒険小説を持っていくわ」


「ふわあ。なっちー、大好きっ」


 ソフトボール部の練習にも慣れつつあるおかげで、帰宅後も読書をする時間を確保できるようになった。日曜日も一日中練習ではなく、休みになったりもするので予定が空いていれば見知った本屋を回って好みの本を探すのである。


 もっとも最近は町の本屋さんが加速度的に減っているので、菜月としては寂しい限りだった。


   *


 鉛筆を動かす音が風に乗ってリズミカルに流れる。音楽は何もないが、自然が耳を癒してくれる。山にある自然公園だけに空気も澄んでいて、腰を下ろしてのスケッチも捗る。


 菜月は描くだけで終わるが、真の場合は色も入れる。その為に自転車の籠で大きめのバッグを持ってきたのである。


 高めきった集中力を逃すようにふうと息を吐く。隣では一足先にスケッチを終えていたらしい茉優が飲物を勧めてくれた。


「ありがとう。でも帰り用に半分は残しておかないとね」


 本格的にスケッチをする前に購入したお茶のペットボトルを傾け、少しだけ口に含んで飲み込む。来る時はスポーツ飲料だったのもあり、糖分を控えるために選んだものだ。


 去年みたいに盲目的に菜月の真似をしたがる事は少なくなった茉優も、同じ飲料を手にしている。もっとも秋とはいえ好天の下でのサイクリングなので、消耗を考えて真も大差ないものを選んでいるので模倣したとはさすがに言い難い。


「ほら。茉優、お絵かきが上手になったと思うんだ」


 宣言した通り、茉優のスケッチは昨年の夏休みの課題よりもずっと完成度が高かった。それこそ入選した菜月のより上かもしれない。


「やるわね。でも、私も負けていないわよ」


 完成したばかりの風景画を見せると、茉優が「ふわあ」と驚きを露わにする。


「さすが、なっちーだねぇ。この葉っぱとか本当に上手だねぇ」


「ええ。今回はより細かい部分まで描き込んでみたわ。これまではやりすぎて絵がごちゃごちゃになるのを恐れて避けてきたけれど、ようやく画力が理想に追いついてきたというところかしら」


 さりげなく薄い胸を張る。勝ち負けがどうこうではなく、描きたいと思った通りにある程度出来たことは菜月にとっても嬉しい事実だった。


「まっきーは……もう少しかかりそうだねぇ」


「話しかけて中断させるのも申し訳ないし、私たちは少し離れた場所でバドミントンでもしてましょうか」


「うんっ。今日はどれくらいラリーができるかな」


 持ってきたラケットとシャトルで簡単な打ち合いをする。ネットはなく得点を競ったりもしないので、下へ落とさないで遊ぶだけだ。それでも風の影響で軌道が変わったりするので、それなりの難易度があったりする。


「フフ。茉優にこれが取れるかしら」


「ふわあ。高すぎだよぉ。ええいっ」


「やるわね。あっ、風で流される」


 時折あえて高く打ち上げて遊んでみたり、しりとりしながらラリーをしたりと遊び方は様々だ。走り回ったりしないので疲労度はさほどでもないはずなのだが、それでも二十分、三十分と続けば呼吸も荒くなる。


「スケッチしながら休憩したとはいえ、自転車を漕いでここまで来てるから、さすがに足が頼りなくなってきてるわね」


「えへへ。茉優もだよ。これ以上遊んじゃうと、帰れなくなっちゃうねぇ」


「暗くなる前に帰る必要もあるし、そろそろ真の様子を見に行きましょうか」


 ラケットを持ったまま、二人でこっそりと死角から真の背後に回り込む。


「あっ! まっきーの絵に、なっちーと茉優がいるよっ」


「本当ね。風景も含めて、やっぱり上手よね」


「うわっ。ビックリした。あ、あはは……迷惑だったかな」


 ほとんど完成していたらしく、真が筆を置く。スケッチだけではなく、色を塗るのも菜月とは段違いの腕前だった。


「これだけ良く描いてもらっておいて、文句なんて言ったら罰が当たるわよ」


「えへへ。茉優、凄い美人さんになってるねぇ」


 菜月と茉優もラケットを片付けてから、自分たちの描いた絵を見せ、ひとしきり感想を言い合ってから腰を上げる。


「そろそろ帰りましょうか。家に着くまでがサイクリングだから、気をつけて運転しましょう」


「楽しかったねぇ。また来ようねぇ」


「今度は宏和君も一緒に、だね」


 広い道では三人並んで。狭いところでは一列になって帰路を自転車で進む。そのうちに沈みゆく太陽が金色に輝きだし、菜月たちの横顔を撫でるように照らした。


   *


 数日後。


 いつもの大型スーパーの特設コーナーで、市が主催する小学生の美術コンテストで好成績を収めた作品が展示された。

 入選コーナーで仲良く並ぶ菜月と茉優の作品を見守るように、一番奥では真の絵が一際立派に飾られていた。

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