第256話 それぞれの夏の大会

 ありえそうだとは思っていたが、まさかの展開に菜月は頬をヒクつかせる。


 待ち望んだ春を迎え、新しい学年の教室で運良くまた同じクラスになれた真と茉優と喜びを分かち合った数分後。姿を現した見覚えがありすぎる老齢の男性担任を見た瞬間の反応だった。


「これから始業式ですが、その前に学級委員長を決めたいと思います」


 いきなりの展開に嫌な予感しかしない。けれどもクラスは変わり、半数近くは四年生の頃と違う。しかし、と葉月は新たなクラスメートを見回す。


 田舎の小さな小学校だ。大抵は一、二年生の頃に同じクラスで過ごした顔があった。姉と一緒で良くも悪くも目立つタイプの菜月だけに、その性格などは広く知られているみたいだった。


 そして訪れる立候補者なしからの推薦。視線が集まった矢先に拒絶の意思を伝えるも、やはり多数決にてあっさり決着。民主主義の愚かしさを呪いながらも、この分だと来年も委員長をやらされるのだろうと大きなため息をついた。


 茉優が副委員長に立候補してくれたのがせめてもの慰めだろう。お互いに勝手知ったる仲になりつつあるので、どこをどうすれば助けられるのかがわかっている。これが初対面の相手とコンビを組むはめになっていたら、かなりの労力を消費しなければならなかったところである。


   *


 四年生と違うのは、菜月たちにもソフトボール部の後輩ができたことだった。新学期から早速練習に参加してくれたのは僅か数名だが、それでも来年に六年生となる菜月たちと合わせれば試合に出場できるので、顧問ともども安堵したのが記憶に新しい。


 やはりというか実希子みたいな傑物はおらず、新入部員は全員が必死になって汗を流す。筋肉痛に悩んで相談してくる姿は、去年の菜月を見ているみたいで微笑ましかった。


「それにしても実希子ちゃんだけでなく、はづ姉もなかなかの選手だったのね」


 練習の合間に水分を取りながら、隣にいる茉優に話しかけた。


「この間、なっちーの家で皆の昔の大会を見せてもらった映像だと、好美ちゃんも凄かったよ」


「運動神経はそれほどではないのに、しっかりはづ姉たちと歩調を合わせられていたものね。となると私が目指すのは好美さんかな」


 頭脳派という点でも共通している。その分だけ苦労を背負い込みそうではあるが、人には適材適所というものがあるのでやむを得ないだろう。そうなると問題は、菜月たちの世代に佐々木実希子と同等のスラッガーがいない点である。


「ウチのチームは去年から得点不足に泣いてるものね。どうすればいいのかしら」


「去年どころか、数年前からずっとみたいだよ」


 マネージャーの真が、汗拭き用のタオルを差し出してくれた。お礼を言って受け取った菜月は改めて嘆息する。


「先生も苦労しているものね。今年はなんとか一回戦程度は勝ちたいのだけれど」


「大丈夫。なっちーのために茉優が頑張るから!」


 茉優の握り拳が、入れ過ぎた気合のせいかプルプルする。気分にムラがあるが、ノっている時は大活躍するタイプなので、意外と彼女の出来で勝敗が左右されたりするのだ。


「何にしても、六年生には有終の美を飾ってほしいものね」


 呟く菜月の視界では、今年が最後となる上級生が懸命にノックを受けていた。


   *


 春の大会が終わればすぐに夏の大会になる。二学期に比べれば短いが、運動会なども合わせて一学期はかなり忙しくなる。テストの影がチラつく中で、平日に行われる大会は学校を休んでの参加となった。


 六年生の人数が九人に達していないという理由から、菜月も茉優もレギュラーとして試合に出る。観客席には葉月の時と同様に、揃って応援に駆けつけてくれた両親の姿があった。さらには茉優の父親も、この日のために休みを取っていた。


 マネージャーの真はベンチに入らず、観客席から見守る。これは彼自身が望んだことだ。他にもマネージャーがいて、その子に記録員を譲るところが彼らしいともいえる。もっとも当人は、自分の入部動機が不純だからだよと笑っていたが。


 六年生のエースがマウンドに立ち、同じく六年生のキャッチャーがミットを構える。菜月は指定席の九番ライトで、茉優は六番でファーストだ。たった一年で早くも差が出てしまったが、悔しさは練習にぶつけると決めているので、試合に余計な感情を持ち込むことはない。


 六年生最後の試合は序盤から動きを見せる。緊張したのか四球を連発し、一本のタイムリーヒットで二点を奪われた。後攻の菜月たちはいきなり追いかける展開になってしまったが、まだまだ序盤。慌てる必要はない。


 しかしチャンスは作れどもあと一本が出ない。そのうちに一点を追加され、三点のビハインドとなる。そして無得点のまま迎えた六回の裏。満塁で菜月に打順が回ってきた。三塁にはツーアウトからヒットで出塁した茉優がいる。


「なっちー、ここで一本だよ」


 ここまでの二打席で菜月は三球三振中。練習試合などでヒットは打てるようになっていたが、公式戦での成績はレギュラー中最低である。だからこその九番だった。もしかすると代打を送られるかもしれないと思っていたが、監督はそのまま打席に立たせてくれた。


 評価は覆せばいい。思い出されるのは、いつか実希子がくれた言葉。ゴリラだとからかってはいるが、ソフトボールの技術も含めて尊敬する年上の女性だ。


「私だってはづ姉に負けないヒロインになってやるんだから……!」


 奥歯を噛み、三振をした二打席を忘れる。それでも積極性だけは失わず、向かってくるボールを、菜月は金属バットでおもいきり叩いた。


 かつてない感触が両手に伝わり、ゴロばかりだった打球が上へ向かう。心地よさそうにグラウンドの上空を舞い、そして外野手の間に落ちる。


「やったー!」


 ガッツポーズをしながらホームベースを踏む茉優を横目に、菜月は到達したばかりの一塁ベースを蹴る。


 もっと速く。

 もっと前に。


 念じるように繰り返し、奪った二塁ベースからも足を離す。


「まだいける! 三つめ!」


 もつれそうになる足をフル回転させ、スピードに乗ったまま宙を舞う。両手を伸ばして頭から滑り込んだ菜月の両腕には、しっかりと三塁ベースがあった。

 慌てて顔を上げる。審判が両手を横に広げた。


「やった……!」


 こみ上げてくるのは溢れんばかりの歓喜。急いでベースの上に立ち上がった菜月は、ユニフォームについた砂を払いながら、ベンチに向かって両手を上げる。


 呼応してくれるチームメイトの中、誰よりもはしゃいで喜んでくれたのはやはり親友の茉優だった。


 菜月の活躍により試合は振り出しに戻ったが、勝利の女神は微笑んでくれなかった。最終回となる七回に味方が点を取られ、裏の攻撃にすべてを託すも三者凡退。

 グラウンドに蹲る上級生の涙を、菜月は呆然と見つめることしかできなかった。


   *


 ソフトボール部の敗北の悔しさは抜けずとも時間は進む。


 一回戦で敗退してしまった菜月たちとは裏腹に、最上級生となった戸高宏和がエースで四番の野球部はなんと地区の決勝にまで進出した。


 前日に電話で執拗に応援を頼まれた菜月は、茉優と真を連れ立って決勝の舞台である市民球場へ訪れた。


 午後一時の試合開始から一進一退の熱戦が繰り広げられる。ここまで一人でチームを引っ張ってきた宏和が初回に先制打を放つも、裏の回で同点にされる。


 五回に逆転を許すが、次の六回に二点を奪って再度リードを奪う。これであと二回抑えれば地区大会の優勝が決定する。


「凄いね、宏和君。凄いねっ」


 興奮する茉優に肩を揺さぶられる。最近はあまり試合を見ていなかったのでわからなかったが、確かに宏和は堂々たる振る舞いでグラウンドに君臨していた。


 普段のやんちゃぶりが嘘みたいにチームメイトを鼓舞し、劣勢になっても決して俯かない。前だけを見て、ひたすら相手にぶつかっていく。


「あと二回よ。気合で守りなさい!」


 観客席には戸高夫妻も訪れており、祐子が声を枯らして我が子を応援する。

 その近くには菜月の両親もおり、こちらを見ると軽く笑みを浮かべて手を振ってくれた。


「菜月ちゃんのお父さんとお母さんも応援に来てたんだね。

 一緒に見なくていいの?」


 真の問いかけに、菜月は小さな首を左右に振る。


「子供ではないのだから、いつも一緒にいる必要はないわよ」


「……子供だと思うんだけど……」


 苦笑いする友人少年の呟きをさておき、グラウンドへ目を向ければエースの宏和が着実に六回の攻撃を抑えていた。


「まだボールには力があるみたいね」


「決勝戦だから気合が入ってるんだねぇ」


 拍手して喜ぶ茉優の言葉に頷く。菜月から見ても、今日の宏和は真剣だ。いつもの調子がまるで感じられないほどに。それが小さな心配の種でもあった。


 幾度も応援に出向いた姉の試合。ソフトボールと野球の違いはあれど、気負いすぎた葉月が普段の力を出せずに滅多打ちを食らうシーンを見た。あの時のマウンドでの心細そうな感じは、今も脳裏にはっきりと焼き付いている。


 七回表が無得点に終わり、最終回のマウンドにも宏和が上がる。控えの投手はいるが、ここで無理に代えるより、最後までエースに任せようとするのは自然な判断ともいえる。


 気合の雄叫びを上げて宏和が腕を振る。繰り出される渾身の直球に、打者のバッドが空を切る。小気味良いテンポで投げ込まれ、次々と捕手のミットを鳴らす。


 真が明るい声で言った。「この分なら勝てそうだね」


「ええ。一気に決めてしまってほしいわね」


 同意した菜月は願うように手を組む。下馬評がさほど高くなかった母校が接戦を制して勝ち進み、とうとう優勝旗に手が届くところまで来たのだ。


 ドラマチックな展開など望みたくもない。目を凝らしてグラウンドを見つめる菜月。だが願いと裏腹に、打ち取ったはずのフライが野手の間に落ちるポテンヒットが崩壊の序曲となった。


 緊張したのか内野手の動きが硬くなり、併殺打に取れると思った次バッターの打球をショートがお手玉。ワンナウト一二塁となったところで、今度はキャッチャーがパスボール。ピンチが拡大して、野手がマウンドに集まる。


 それでも宏和はミスした仲間に嫌な顔一つせず、グラブで軽く胸を叩き、頑張ろうぜと声をかけているみたいだった。


 ふうと強めに息を吐き、最後の力を振り絞って宏和が三つのストライクを相手からもぎ取る。


「これであと一人……!」


 母校の観客席の保護者が息を呑む。その中には宏和の両親もいた。


「最後よ。気合を入れなさい!」


 気がつけば叫んでいた。その声が聞こえたのか、僅かにこちらを見た宏和が小さく頷いた。


 そして運命の一球。今度も打球の勢いは死んでいた。なのにコロコロと無情さを響かせるように内野手の間をすり抜けていった。


 一人、そして次のランナーがホームに向かう。宏和が叫び、捕手が懸命に走者へタッチし、そして審判の手が横に広がるのを見て、選手の明暗が分かれた。


 飛び跳ねて喜ぶ相手校の児童とは対照的に、宏和たちがグラウンドに崩れ落ちる。蹲り、涙を流す背中に仲間たちが次々と手を置く。


 相手関係なしに悪戯を仕掛けていた悪ガキが、こんなにも仲間に慕われる選手になった。敗北の事実は変わらないが、せめて自分だけは褒めてやろう。頬に流れる熱い感触を手で拭いながら、菜月はそんなことを考えていた。

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