第272話 夏の大会

 ほとんど初心者の愛花ら三人を加えて、ソフトボール部員だけで臨んだ久しぶりの春の大会は一回戦で惨敗。雪辱を果たそうと一丸となって練習に励み、ついに菜月は選手として夏の大会に参加する。


 地区ごとに学校が集まり、リーグ戦みたいに戦う。優勝した中学校が、地区代表として県大会に参加できるのである。


 そこでも勝つと地方大会となり、その先が全国大会となる。もっとも菜月たちのチーム力では、さすがにそこまで勝ち進むのは難しい。


 とはいえ一回ぐらい勝ちたい。それは部員共通の目標であり、半ば誘導される形でソフトボール部に入った愛花らも、認識を同じくしているのは日々の練習態度からも明らかだった。


「さあ、いきますよ」


 上級生を差し置き、キャプテンみたいに号令をかけた愛花がマウンドに登る。当初の希望通り、投手となったのである。


 上級生に本格的に投手をしていた選手がおらず、意外と愛花が良いボールを放れたので、それならと顧問の女性教諭が受け入れたのだった。


 捕手はトリマキーズの一人、涼子がやりたがったが、経験者ということで菜月が優先された。一塁は茉優が守り、運動神経の良い涼子は中堅手となった。


 身体能力が菜月と大差ない明美は右翼の守備に就いている。残りのポジションを上級生でかため、万が一の事態に備えてベンチには二年生の帰宅部員がアルバイトとして座ってくれている。もちろんソフトボールの経験がないので、助っ人の三人に頼るわけにはいかなかった。


「高木菜月さん、わたしの足を引っ張らないでください」


 マウンドで胸を張る愛花。観客席には両親が応援に来ているらしく、大はりきりである。


「嶺岸さんもしっかりね」


 春道や和葉も観客席にいるが、さすがに葉月は仕事を休めなかった。未練たらたらだったが、土日は忙しいスーパー内のパン屋だから仕方ない。


 代わりに美術部員の真が応援に来てくれていた。目が合うと、控えめに笑うあたりが真らしい。


「いきます! これでわたしも文武両道です!」


 懸命に愛花が腕を振る。

 菜月のミットにボールが収まり、球審がストライクのコールをする。


 ついに菜月が中学生になって、最初の夏が始まった。


   *


「悔しいです! どうして途中で試合を諦めないといけないんです!」


 球場近くの公園。部員皆で昼食を取る中、愛花がプリプリと怒っていた。


「ルールなのだから仕方がないわ。一年生がレギュラーの大半だもの。コールドゲームになったのも無理ないわ」


 だからといって悔しくないはずもなく、ため息をつきながらも菜月は涙が滲みそうになるのを堪える。


 スコアは12-0。

 五回コールドで見事な完封負けのおまけつきだった。


 八番捕手として出場した菜月は、二度の打席とも三振に終わっている。

 おまけにヒットを打てたのは茉優と涼子の二人だけである。


「頼りにならない先輩でごめんね」


 三年生の主将が、ユニフォームに包まれた肩を落とした。他の上級生も揃って表情を暗くしている。


「そ、そんなことはないです。私たちも先輩の足を引っ張ってばかりですみません」


 さすがにここで先輩たちのせいですと言うほど性悪ではないらしく、菜月の言葉に事の発端となった愛花も焦ったように頷きを繰り返す。


 けれど慰めにはならなかったらしい。

 実力はともかく、熱意はある上級生たちは申し合わせたようにため息をつく。


「こんな時、伝説の先輩がいたらな」


 主将の何気ない発言に、菜月は興味をそそられた。


「伝説の先輩ですか?」


「ええ。たった一人で百点差すら跳ね返すほどの猛者らしいわよ」


「……噂話がかなり誇張されているみたいですね」


 さすがに全面的には信じていなかったらしく、主将がアハハと笑う。


「それくらい実力がとんでもなかったらしいわよ。弱小だった部を強豪にしたみたいだもの」


 凄いですねと菜月たちが感動する中、顧問の女教師がそういえばと手を叩く。


「先生も聞いたことがあるわ。確か十年くらい前の話じゃなかったかしら。ソフトボール部の顧問を引き受ける際に、当時の成績を目指して欲しいと言われたのよ」


 主将の説明を引き継いだような顧問の台詞を受け、菜月は頬を歪めた。


「どうしたの、なっちー?」異変を察したらしい茉優が聞いてきた。


「先輩というくらいだから、学校のОGよね。そして時期は十年くらい前。どうしよう。私、なんだかその伝説の先輩が身近にいるような気がしてきたわ」


 浮かんだのは密かに尊敬する姉ではなく、その隣でいつも豪快に笑っていたポニーテールの少女である。


「あの……その伝説の先輩の名前はご存知ですか?」


 おずおずと菜月が尋ねると、主将は朗らかに告げた。


「確か、クイーンオブゴリラじゃなかったかな」


 確定である。

 最初にゴリラ呼ばわりしたのは恐らく菜月だが、それがここまで広まってるとなると、多少の罪悪感を覚えないでもなかった。


「多分ですけど、その先輩って佐々木実希子って言うと思います。うちの姉の友人だった女性です」


「そうなの?」主将が驚く。「じゃあ高木さんのお姉さんもソフトボール部だったの?」


「そういえば説明していませんでした。姉もソフトボール部で、当時はキャプテンもして、それなりの成績を収めたはずです。高校では全国大会にも出場していますし」


「ええっ。凄いじゃない!」


「はい。……残念ながら、私はピッチャーをやっていた姉ほど優れていませんが」


 微妙に空気が重くなりかけた中、場違いに明るい声を出したのは茉優だった。


「はづ姉ちゃんとは違うけど、なっちーも凄いよぉ」


「そ、そう? あ、ありがとう」


 皆がいる前で堂々と褒められれば、さすがの菜月も頬を赤らめてしまう。

 主将や顧問は微笑ましそうに見守ってくれていたが、納得いかなさそうなチームメイトが一人ほど存在した。


「もっと凄いのはわたしです! それを証明するためにも、次の試合は必ず勝ちます! そしてわたしが伝説になります!」


「嶺岸さん、前の試合で滅多打ちを食らったけれど」


 愛花の登板成績は二回と三分の一、被安打12の7失点である。その後、主将が投手を引き継いだものの、5失点と打ち込まれてコールド負けが決定した。


「あれはたまたまです。奇跡は二試合続けて起こりません!」


「そうだ。愛花が本気になれば、伝説を超えるぞ!」


 取り巻きの涼子にも賛同され、フフンとここでも菜月と張り合うかのように控えめな胸を張る愛花。


 普通なら、ノックアウトされればメンタルがやられてもおかしくない。実際、捕手を務めた菜月ですらへこんでいる有様だ。


 だというのに、当たり前のように次の試合の登板を願い出られるあたり、愛花の精神力はソフトボール部内で最強かもしれない。


「学生部活は成績も大事だけど、熱意も大切。そこまで言うなら、次の試合も嶺岸に先発を任せるよ」


 顧問の決定を受けて、愛花が高らかに笑う。

 一抹の不安を覚えるが、少しでも良いリードをして愛花を引っ張ろうと菜月は密かに決意した。


   *


 負けたら後がない午後の試合。


 一回負けたら終わりだった葉月たちの時代に比べれば、コールド負けをしても二試合目ができるだけ恵まれているのかもしれない。誰が決めているのか、よく大会方式が変わるのは玉に瑕だが。


 だからといって負けてもいい理由にはならず、菜月は懸命に頭を働かせる。主将や顧問から聞いていた対戦相手校の情報を記憶から引っ張り出し、弱点のコースにミットを構える。


 だが最初の試合もそうだったが、愛花のコントロールが定まらない。逆球も多く、初回からノーアウト満塁のピンチを背負ってしまう。


 練習ではこれほどノーコンという印象を受けなかったのに、試合になると乱れる。緊張しいな性格にも思えない。頭の中で状況を並べてみた直後、菜月は一つの仮説に到達する。


「まさか……捕手が私だからわざと……?」


 タイムを取ってマウンドに駆け寄る。愛花が拗ねるように頬を膨らませた。


「何の用ですか」


 内野手が集まってくる前に、菜月は愛花を鋭く睨む。


「もし、わざとコントロールを乱しているのなら、すぐにピッチャーを代わって」


「な……い、いきなり、何を言い出すんです!」


「嶺岸さんの本来のコントロールは悪くないわ。私への反抗心でやっているのなら、不愉快極まりないわ。私たちには来年もあるけれど、三年生は今日が最後の大会なのよ。全力を尽くさないのは失礼だわ!」


 激情に駆られて怒声を浴びせる菜月を、三塁手の主将が制止する。一足遅れてマウンドへやってきていたのだ。


「高木さん、落ち着いて。嶺岸さんも全力でやってるわ」


「わかっています。でも、心の奥に私への対抗心がないとも限りません。無自覚だとしたら、余計に大問題なんです。その点をはっきりさせるためにも、多少のぶつかり合いは必要です。好きではありませんけれど」


 菜月に見据えられた愛花は一瞬だけ怯んだものの、すぐに従来の勝気さを瞳に宿らせた。


「わたしが望んだマウンドです。簡単には降りません!」


「それなら私を信頼して。ソフトボールは個人の能力も大切だけれど、チームとしてまとまらなければ試合に勝てないわ」


「理解しています! それにわざとでもありません! 思ったところにいかないのは……その……パパとママにいいところを見せたくて……」


 頬を赤らめた愛花が視線を逸らす。今にも消え入りそうな小さな声での告白が、マウンドの険悪な雰囲気を一掃した。


「嘘でしょう……? 嶺岸さんがそんな普通の理由で緊張していたなんて。頭の片隅にもなかったわ……」


「高木菜月さん! あなたはわたしをなんだと思ってるんです!」


「目立ちたがり屋のお嬢様もどき」


 一塁手の茉優を含め、マウンドに集まっていた面々がその答えに吹き出した。

 ますます赤面する愛花に、菜月は小さな頭を下げる。


「私の勝手な想像で、侮辱に等しい暴言をぶつけてしまったこと、素直に謝罪するわ。ごめんなさい」


「……構いません。わたしの力が足りなかったのも事実です。

 ……何ですか、その鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔は」


「てっきり絶対許しませんとくると思っていたから、驚いてしまったのよ」


「……後で高木菜月さんとはじっくり話し合う必要がありそうです。特にわたしをどう思ってるかについて」


「だから目立ちたがり屋の――」


「――もう結構です!」


 ひとしきり騒いだあと、球審に注意される前に菜月たちはそれぞれの守備位置に戻る。


「……高木菜月さん」


 マウンドから遠ざかる小さな背中を、愛花が呼び止めた。

 振り返った菜月に、彼女は恥ずかしそうに帽子のつばで目元を隠しながら言う。


「おかげで少し頭が冷えました。ありがとう」


「……このピンチを抑えて、勝ちましょう。お祝いの打ち上げで、さっきのお詫びにプリンをご馳走するわ」


「では、せいぜい頑張るとしましょう」


 すっかり立ち直った愛花は威風堂々と腕を振り、後続を三人で押さえる。


「でりゃあ!」


 裏の攻撃で三番に入っていた涼子が二塁打を放つ。四番の主将もヒットで続き、ツーアウト一塁三塁のチャンスとなる。


「茉優、頑張って!」


「ここで先制です!」


 菜月と愛花の声援を受け、打席の茉優が金属バットを一閃した。

 力強い音がグラウンドに木霊し、外野手の間を打球が点々とする。


「よっしゃあ!」雄たけびを上げて、涼子が先制のホームを踏んだ。


 続いて主将もホームベースを駆け抜け、幸先良く二点を先制する。次の二年生が出塁すれば、愛花、菜月、明美と続く下位打線に打席が回ってくる。


 タイムリーツーベースを打った茉優に拍手を送りつつ、菜月も自分の打席のために今から集中力を高めていくのだった。


   *


「悔しいです!」


 本日何度目かの台詞を愛花が叫ぶ。反響するように、夕方過ぎの小さな焼き肉店の二階に木霊した。


 葉月の時代から、大会の打ち上げといえば必ずここだった。全国チェーンではない地元の店だが、昔からあるので地域で親しまれていた。


 大半が一年生メンバーの菜月たちは善戦したが、漫画やドラマみたいに上手くいくはずもなかった。


 終わってみれば二戦目でも敗北し、日曜日である今日に行われた最終戦も大差で敗北してしまった。


 大会結果は三敗で、参加した四校中四位である。全県大会へ進めるはずもなく、地区大会での敗退が確定した。


「でも愛花ちゃんは頑張ったじゃない」


 主将の言葉に、菜月も同意する。


「今日なんか、途中のピンチで疲労が溜まってるとみるや、自分の意思で茉優との交代を決断したほどだしね。正直、今大会で嶺岸さんを色々と見直したわ」


「ではようやく、目立ちたがりなんとかという不名誉な呼称はやめてもらえそうですね」


「それは無理。愛称を奪ったら申し訳ないし」


「愛称ではないです!」


 いつもの口喧嘩に場が和むも、当事者の一人である愛花がふと表情に暗い影を落とした。


「ですが負けは負けです。

 わたしの頑張り不足で、キャプテンや三年生の皆さんが……」


 それ以上言葉にできない愛花を、主将が軽くハグをした。汚れたユニフォーム姿を、誇るように立ち上がる。


「負けたけど、私は皆に感謝してるの。全員がソフトボール部員で最後の大会に参加できた。一生懸命最後までプレーできた。去年、先輩たちがいなくなって、途方に暮れていた頃とは大違い」


 そう言って、主将は唯一の二年生である部員を見た。


「また人数が不足して大変だと思うけど、貴女が去年経験したことは必ず活きてくるわ。一年生たちを、新しいキャプテンとして引っ張っていってね」


「はい!」


 新キャプテンの任命も終わり、本格的に焼き肉を食べる子供たちを保護者が微笑ましげに見守る。もちろんその中には春道と和葉の姿もあった。


「助っ人に頼らないようにするためには、新入部員を集める必要があります。小学校時代の知り合いに声をかけてみます」


「嶺岸さん、やる気ね。それなら私と茉優もそうしましょうか」


「うんっ。皆、入ってくれるといいねぇ」


 悔しさをやる気に変えるためにも、今は力を蓄えるべく、菜月は茉優と競うように新しいカルビへ箸を伸ばした。

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