第201話 文化祭でライバル宣言!?

 ガヤガヤといつにも増して活気を感じさせる校門前。この間の体育祭以来となる訪問は、文化祭の一般公開日となった。

 数日前から娘の葉月が、しつこいくらいに春道へ文化祭があると教えてくれた。一般の人も参加できると強調した上でだ。


 これは母親の和葉が、体育祭で春道が勘違いから見学へ行けなくなりそうだったのを教えたせいである。懐いてくれている娘はまたそんなことがあったら大変と、両親が見学できる行事では報告だけでなく念押しもするようになった。


 独身時代はインドア派だったが、結婚を機に春道もだいぶ変わった。できた家族のおかげで外出が楽しくなり、イベント事にも積極的に参加する。

 周囲の環境も大きい。好美や実希子の保護者とも仲が良く、最近では柚の両親もそこに加わった。小学校時代よりも参加頻度は大きく、大所帯で娘たちの一挙手一投足に歓声を送る。


 文化祭でも時間を合わせて参加し、つい先ほど一緒に校門を通り抜けたばかりである。

 柚の両親は校長へ挨拶に行き、実希子の両親は娘を探すより先に屋台へ突撃した。暴走しないように好美の母親が見守る。

 春道の隣には、母親の和葉と手を繋いだ菜月がいる。焼きそばでも食べるかと聞いてみたが、首を振って遠慮された。


「お昼ご飯なら、さっき食べたもの。それより、はづ姉はグラウンドにいるんでしょ? 早く行ってからかって遊ぼうよ」


「菜月はお姉ちゃん大好きだもんな。早く会いたくて仕方ないか」


「ち、違うってば! パパなんか大嫌い! ママは大好き」


「酷いな。そんなこと言うとパパ寂しくて、葉月に色々なことを喋っちゃうぞ」


 春道に精神的ダメージを与えようとしたのだろうが、生憎と娘の性格は熟知している。それだけ春道に似ている部分が多いのである。

 案の定、先に白旗を上げたのは菜月だった。


「ママ、パパが虐める」


「まったく困った春道さんね。いくら菜月が可愛いからって、五歳児をからかって遊んでは駄目よ」


「ハハハ。数少ない俺の癒しの一つなんだがな」


 プイとそっぽを向いた菜月が、可愛らしく膨らませている頬を人差し指でつついてみる。

 むーっと怒ったようなくすぐったいような唸り声を出し、菜月はポカポカと春道の太腿あたりを叩く。


 じゃれあいながらグラウンドへ向かっていると、唐突に誰かがフンと鼻を鳴らすのが聞こえた。

 菜月に向けていた視線を上げると、いつかの進路指導室で見た女性が紺のスーツ姿で立っていた。文句ありげにこちらを見ているので、とりあえず挨拶をしておく。


「こんにちは。文化祭にいらしたんですね」


「悪いですか? 我が子の雄姿を見に来るのは当然でしょう」


「はあ……」


 それだけ言いたかったのか、女性はすぐに春道へ背を向ける。だが歩き出さずに、しばらくそのまま立っている。不思議に思っていると、首だけを動かして再び春道を見た。


「……最近、晋ちゃんはよく親と会話するようになりました。聞いたら野球部に入ったとのこと。最初は心配でしたが、社交性も増したようです。そうなれば親としてもサポートする必要があります」


「そうですね。おっしゃる通りだと思います」


「当たり前の話ですから、当然でしょう」


 癖なのか、またしても偉そうにフンと鼻を鳴らす。それだけなら態度の悪い女性で終わるのだが、今日に限ってはどことなく様子が違う。もどかしそうにしてみたり、唇を震わせてみたりで進路指導室で出会った時とは明らかに雰囲気も異なる。


 仕方なしに春道が相手の次の台詞を待っていると、意を決したように女性が早口でまくしたてる。


「晋ちゃんが言ってました。以前の件は自分が間違っていたと。だから私も間違っていたと今回だけは特別に認めてさしあげましょう! 感謝なさることですわ。では失礼」


 言ってやったわ。そんな顔を一瞬だけ見せた女性は、用件は済んだとばかりに足早に立ち去る。

 ポカンとする春道に、和葉が誰だったのか聞いてくる。進路指導室の件は大体説明していたが、登場人物の外見的特徴までは詳しく教えていなかったのを思い出す。


「今のが柳井君のお母さんだよ」


「以前は葉月を目の敵にしていたという男子生徒ね。柚ちゃんを虐めていた女生徒と恋仲だと聞いているわ。かなり失礼な態度だったけど、春道さんはなんだか楽しそうね」


 知らず知らずのうちに口元を愉快そうにしていたらしい。指摘した和葉に理由を教える。


「形はどうであれ、彼女も我が子の身を案じる親ということさ。時に想いが強くなりすぎて、他の子を傷つけるのも厭わなくなるほど、前というか周囲が見えなくなるみたいだけどな。

 それでも、僅かであっても反省できたというのはいいことさ。彼女ができたのが、彼を良い方向に向かわせたのかもしれないな」


「柚ちゃんのことを考えれば、私は簡単に許せそうもないけれど」


「まあ、その点は俺達が心配しても仕方ない。葉月もついてるんだ。困った事態になれば助けを求めてくるだろう。その時に手を貸せばいい。後ろに立たず、横から応援するような形でな」


「なんだか耳が痛いわね。でも春道さんの言う通りかもしれないわね。さて、グラウンドに行きましょう。菜月がお姉ちゃんに会いたくて待ち侘びているわ」


 唐突に話の矛先を向けられて、菜月が慌てる。なんやかんやと理由を口にしても、否定だけはしないところも二女の可愛いところである。


   *


 あと少しでグラウンドというところで、何かしらの縁でもあるのか、今度は御手洗尚の母親と遭遇した。

 柳井母の時同様に何か言われるのかと春道は身構えたが、どうにも様子が変である。焦点の定まらない女で宙を見て、時折不可思議に口端を斜め上に引き延ばす。


「ええと……御手洗尚さんのお母さんですよね」


 無視するのもどうかと思ったので、春道は自分から話しかける。一連の騒動における登場人物の名前は教えられていた和葉が瞬間的に敵意を見せる。

 それでもすぐに平静に戻ったのはさすがである。これも過去に接客業をしていた経験のなせる業なのだろうか。


「ああ、高木さんの。では、そちらはお母様ですか。その節は大変ご迷惑をおかけしました」


 しっかりとした謝罪をされたので、予想をしていなかった春道は面食らう。


「つい先ほど、娘に注意されました。例え我が子であっても、間違ってると思ったら叱るのが親の役目。まったくその通りですよね。ですが……」


「ですが?」


「にゃんはあんまりだと思いませんか!?」


「……にゃん?」


「そうです! にゃんです!」


 訳がわからない春道は、困り果てて和葉を見た。普段から頼りになる愛妻だが、この時ばかりはこっちを見ないでくれ的な目をしていた。


「ええと……何かあったんですか?」


「すみません。取り乱したようです。実は娘に彼氏ができたみたいで……それはいいのですが、はあ……。

 私、これで失礼いたします。ご迷惑をおかけした身ですが、どうぞ今後は仲良くしてくださると幸いです。宜しくお願いします」


 何かに毒されでもしたのか、以前と違って今日の御手洗尚の母親は怒りと無縁な存在になっていた。

 とぼとぼとした足取りで去っていく背中がもの悲しい。よほどの事態があったのだろうと春道は推測する。


「この先に行くのが、少し怖くなってきたな」


 だからといって途中で帰るわけにもいかないので、迫りつつあったグラウンドへ顔を出す。

 そこでは鬼をイメージしたと思われるタイツを纏った実希子が、群がる子供たちにゴムボールらしきものを投げつけられていた。

 自称サディストの菜月が顔を輝かせる。和葉の手を離して、近くでゴムボールを配っている好美のもとへと走り出す。


「あら、菜月ちゃん。いらっしゃい。的あて、やってみる?」


「うんっ! 中に石が入ってるやつはありませんか?」


「はっはっは。なっちー、そんなの当てられたら、さすがにアタシも怪我するぞ。金棒を持ってたら、殴りかかってるところだ」


 実希子のみならず、菜月に気づいた葉月たちが集まる。その中に一組の男女が含まれていた。

 以前から葉月に特徴を聞いていたのもあり、指導室での騒ぎの際にちらりと見て知っている。男性は柳井晋太だ。そして女性は御手洗尚である。


「実希子ちゃんは子供に人気ね」


「きっと精神年齢が近いからだよ、尚たん」


「そうね、晋ちゃん。私、意外と子供好きなの」


「奇遇だね、俺もだよ」


「もう晋ちゃんったら。にゃーん?」


「にゃん!」


 聞こえてきた会話の内容に、春道の隣に立つ和葉が露骨に顔をしかめる。


「意味不明な、にゃんの正体はあれでしたか。なるほど。絶望もするはずです」


 ゴムボールを受け取った菜月が全力で実希子にぶつける中、こちらに気づいた葉月が小走りで近寄ってきた。


「パパとママも来たんだね。何を見てる……って、ああ、尚ちゃんたちだね。クラスでもあんな感じだよ。恋人になると、にゃんにゃん言うのが普通なのかな?」


「普通かどうかは知らないが、意外と和葉も――うごぉ」


 右足のふくらはぎに生じた痛みのせいで、春道はその場に蹲る。


「なかなかのローキックだったな」


「実希子ちゃん、わかるの?」


「ああ。総合格闘技の選手も真っ青なキレだぜ」


 実希子と好美のやりとりは、どこぞの番組の実況と解説者みたいである。


「娘に何を言うつもりよ。信じられないわ!」


「ママ、顔が真っ赤だよ」


「何でもないわ。お願いだから気にしないで」


 右手で軽く額を押さえた和葉は、眩暈でもとろうとするかのように首を小さく左右に振った。

 ようやく苦痛が落ち着いてきたところで、春道は立ち上がる。


「やれやれ。口は災いの元というのは本当だな」


「春道さんが悪いのよ」


「そんな怒ることか? 俺は可愛いと思うんだがな。普段は気の強い女性が猫――ふぐぉ」


 二発目のローキックが、今度は左足のふくらはぎに命中する。派手さはないが、地味に痛い攻撃である。

 顔面を真っ赤にして怒る和葉を見れば、本気でこのあたりでやめておかないと凄惨な事態になりかねない。


「は、葉月。少しの間、菜月の相手を頼めるか? パパは高木家の未来のために、ママの機嫌を取らなければならない」


「え? あ、うん。頑張ってね」


 手を振る葉月に見送られ、春道は和葉の背中を押してグラウンドを後にする。

 押されるままになっていた和葉が、途中でわざとらしいため息をついた。


「いいじゃないか。俺の和葉が可愛いってことを、皆に教えたかったんだよ」


「――っ! そ、その必要はないわよ。私は、その、春道さんの前でだけ可愛くしてればいいんだから……」


 子供たちの前ではまずしない、春道だけが見られる表情がそこにあった。


「そうだな。ありがとう。さ、短い時間だけどデートだ。学生気分を思い出して、色々と回ってみるか」


「いいわね。学生がどのようなものを作るのか興味があるわ」


「じゃあ、最初は焼きそばとたこ焼きを買うか」


   *


 葉月の通う校内を見学して回りながらひとしきり楽しんだあと、グラウンドへ戻る。

 そこでは今もなお、実希子が的あての鬼役になっていた。


「ゴリラ星人を倒せー」


「お前らにやられてなるものかー」


 子供たちに合わせて、実希子も意外とノリノリである。

 たっぷりと遊んだようですっきりとした顔の菜月が、春道たちを出迎える。


「今日は楽しかったー。私も将来はこの高校に通おうかな」


「それもいいかもな」


 春道が菜月の頭を撫でていると、近くから声がした。


「指導室の時も思ったけど、葉月ちゃんのパパって恰好いいわよね。大人の男って感じ」


 声の主は尚だった。彼女は単純に褒めただけなのだろうが、そうと受け取らない者が一人だけいた。


「まさか尚ちゃんにライバル宣言されるなんて……」


「はい? 葉月ちゃん、どうしたの?」


 小学校時代の葉月を知らず、きょとんとする尚に、周囲から知らないぞなんて声が飛ぶ。


「尚ちゃんは敵だ! 絶対に負けないんだから!」


「えええ!? どうしてそうなるの? 何、この展開!」


 それから春道たちが帰宅するまでの間、尚は葉月の誤解を解こうとひたすら必死になっていた。

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