第150話 葉月と雪とジャンパー

 もうすぐ大晦日を迎え、今年も終わろうという時に大雪が降った。

 春道たちが住んでいる地方では、少し前まで大雪に見舞われるのは珍しかった。しかし最近では、毎年のように発生中だ。

 今年も昨日までは平年どおりだったはずなのに、朝が来て窓を開けたらアスファルトの道路が真っ白く染まっていた。


 窓を閉めていても外から入り込んでくる冷気に、春道は思わず両手で自分の身体を抱いて呻いた。

 見なかったことにして布団の中へ戻ろうか本気で考えていると、誰かが高木家からいまだ雪が降り続いている外へ飛び出した。

 この状況でテンションを上げる家族はひとりしかいない。長女の葉月だ。


 先日の誕生日に、春道がプレゼントしたばかりのジャンパーを羽織り、元気いっぱいに両手で持ったスコップで降り積もった雪と戯れる。

 もしかしたら早くジャンパーを着たいがために、朝食前にもかかわらず雪かきをしたがったのかもしれない。


 やれやれと春道は肩をすくめた。どのような理由であっても、娘が一生懸命雪かきをしてるのに、父親の春道がいつまでも自室で温まってるわけにはいかない。

 覚悟を決めて、濡れても大丈夫なジーンズをはいてダウンジャケットを羽織る。

 一階へ下りていくと、廊下で心配そうに立っている和葉と遭遇した。


「おはよう。葉月の奴、朝からひとりで雪かきをしてるみたいだな」


 春道に声をかけられると、妻は安堵するような反応を見せた。


「春道さん、おはようございます」


 挨拶を返してくれたあとで、葉月がひとりで飛び出したのを改めて教えてくれる。大体が、自室で春道が考えていたとおりの内容だった。

 これから寒くなるだろうと、気を利かせてジャンパーを贈ったのが仇になった。

 もっとも葉月の性格上、シャンパーがなくとも積もった雪に歓喜して外へ出ていた可能性が高い。


「葉月の面倒は俺が見るから、和葉は菜月を頼む」


「わかりました。スコップは玄関前にあります。春道さんも気をつけてくださいね」


 もちろんだと言い残してから、春道も外へ出る。玄関のドアが開けづらいくらい、外には雪が積もっていた。

 息を吐くと、即座に白くなって宙に浮かんでいく。今年は平穏無事に終わるかと思っていたが、まだこんなアクシデントが残っていたのかと眩暈を覚える。


 いつまでも嘆いていたところで、事態は好転しない。まずは先に雪かきをしているはずの葉月を見つけようとした。

 さして苦労もせずに、小さな背中を発見する。春道がプレゼントしたジャンパーを着ているので、ひと目でわかった。


 ちなみに妻の誕生日には、フットマッサージャーを贈った。最近は疲れが足にくると話していたので、そこそこ高価だったのだがおもいきって選択した。

 最初は恐縮していたものの、妻はとても喜んでくれた。今ではよくお世話になっているらしかった。


「あ、パパだー」


 春道が声をかける前に、人の気配を感じたらしい葉月が先にこちらの存在へ気づいた。やってきたのが父親の春道だと知って、笑顔で駆け寄ってくる。


「ほら、見てー。パパから貰ったジャンパーだよっ」


 自慢げに言っては、着ている姿を披露するようにその場で一回転した。


「ああ、似合ってるよ。プレゼントしたかいがあったな」


 褒めてから、自分の分のスコップを探す。葉月が持ってる子供用の軽いのとは違った、大人用のものが玄関に用意されていた。

 いつ春道が雪かきをすると言い出してもいいように、和葉が事前に用意してくれていたのだろう。細かな気配りがありがたかった。


「さあ、朝ご飯を食べる前に、ある程度雪かきを終わらせよう。怪我をしないようにするんだぞ」


「はーいっ」


 両手で持ったスコップを頭上に掲げて、元気に葉月が返事をした。

 始めるまでは億劫でも、いざスタートさせると不思議に熱中してしまう。ひとりでするのではなく、側で葉月が手伝ってくれてるのも心理的にありがたかった。


 とりあえず、玄関前の雪かきだけを手早く終わらせた。家族や来客が出入りできれば十分だと考えたからだ。ふうと息を吐いたところで、額に浮かんでいる汗を手の甲で拭う。

 すでに結構な時間が経過しており、リビングでは和葉が全員の朝食を用意して待ってくれているはずだ。

 まだ外へいたさそうな葉月をつれて、春道は家の中へ戻った。


   *


 雪かきを終えた春道と葉月を待っていたのは、美味しそうな朝食のにおいだった。すぐにリビングへ行ってご飯を食べたかったが、まずは風邪をひかないように汗を拭くのが先だ。

 脱衣所へ行き、フェイスタオルを使って身体を拭く。

 ほとんど遊んでいたも同然の葉月はさほどでもなさそうだったので、先にリビングへ向かわせた。着替えさせる必要があれば、和葉が注意するはずだ。


 汗を拭き、肌着だけを取り換えたあとで春道はリビングへ入った。和葉も葉月も食べないで待ってくれていた。

 ここで先に食べててもよかったのになどというのは、さすがに野暮だろう。素直にお礼を言ってから着席する。


 菜月を除く全員が食卓に揃ったところで、いただきますと声を合わせて朝ご飯を食べる。白米に味噌汁。玉子焼きにハムと野菜サラダ。ヘルシーながらも、しっかりと満腹感を味わえるメニューだった。


 わかめとじゃがいもの味噌汁を、美味しそうに飲む葉月の姿に違和感を覚える。

 何だと思ってよく観察すれば、まだジャンパーを着たままだった。食卓のあるダイニングは暖房がついているので、さほど寒くはない。

 驚いて目を丸くしていると、人差し指で軽くこめかみを押さえた和葉が事情を説明してくれる。


「脱ぎなさいと言ったのですが、頑として着たままなのです。気に入ってるのはわかるのですが……」


 教育ママと呼んでもいい和葉が、注意を諦めたくらいだ。よほど強固に抵抗したのだろう。とはいえ、暖かい室内でジャンパーを着ていたらさすがに汗をかく。

 素直に言うことを聞いてくれるかはわからないが、とりあえずは脱ぐように言ってみる。恐らくは、和葉もそれを期待しているはずだ。


「葉月、部屋の中ではジャンパーを脱げ。汗をかいて風邪をひいりしたら、お年玉抜きにするぞ」


 お年玉抜きという発言に、小学生の愛娘が面白いほどビクンと身体を反応させた。今にも冷や汗を垂らしそうな表情になる。

 慌ててジャンパーを脱ぎ、座っている椅子の背もたれにかける。その様子を隣で見ていた和葉が苦笑する。


「春道さんに注意をしてもらうと、効果覿面ですね。私だと、最近はなかなか言うことを聞いてくれません」


「そんなことないよー。葉月はいつも素直ないい子だもんっ」


 唇を尖らせてむくれる。拗ねる際にも見せる、特有の仕草だった。

 いい子だと強調しているのは、間違ってもお年玉を抜きにされないためだ。

 とにもかくにもジャンパーを脱がせるのには成功したので、落ち着いて朝食をとれそうだった。


「葉月は、そんなにジャンパーが気に入ったのか?」


「当たり前だよ。だって、パパからのプレゼントだもんっ!」


 嬉しいことを言ってくれる愛娘には、クリスマスにも帽子と手袋、それにマフラーのセットを渡してある。

 今朝も身に着けていたので、そちらもお気に入りなのだろう。

 気を遣ってる場合はわりとすぐ判別できるようになってきたので、現在の葉月が心から喜んでる状態なのは間違いなさそうだった。


「そうだ。皆にも見てもらおうっ」


 朝ご飯を終えるなり、葉月が立ち上がった。食器を台所へ運び、水を張ったあとでリビング内に設置されている固定電話機のもとへ直行する。

 受話器を手に取り、プッシュボタンを押す。どこに電話をかけようとしてるのかは、聞くまでもなかった。


「今日は日中から騒がしくなりそうですね。春道さんのお仕事は大丈夫ですか?」


「今年はもう仕事納めにしたよ。こういう時、フリーで仕事してると便利だよな」


 年末年始は何かと忙しくなったり、どこかへ出かけたりする機会が多くなる。

 早めに年内の仕事を切り上げたのは、そうした事情に素早く対処できるようにするためだった。


   *


 午後になって、続々と葉月の友人たちが集まってくる。見慣れたいつもの面々なので、必要以上に気を遣わなくて済むのは楽だった。

 仲良し四人組が揃ったところで、まずは成長中の菜月の鑑賞会が開催される。

 当初に比べれば少しずつ大きくなってる姿に、葉月以外の子供たちが驚く。


「前に見た時は、あんなに小さかったのに」


 最初に声を上げたのは、学級委員長タイプの好美だった。

 真っ先に誰かの言葉へ反応するのは実希子だ。

 葉月もお喋り好きだが、実希子には負ける。どちらかといえば男っぽい性格をしているが、周囲はそうした面を嫌っていない。逆に行動力があるので、頼りにされたりするケースも多そうだ。


「一歳を過ぎると、徐々に言葉も話すようになるぞ。意味不明なものが多いけどな」


「そうなのね。ますます、実希子ちゃんみたいだわ」


 クスクス笑いながら、さらりと好美が毒舌を吐いた。


「また、そうやって言うし。

 助けてくれよ、柚」


 実希子が助けを求めたのは柚だった。かつては葉月を虐めていて、実希子とも仲が悪かった。

 改心してからは誰かを口で攻撃したりもしなくなり、こうして葉月たちと行動をともにする機会が増えた。

 過去について申し訳なく思ってるのが伝わってくるも、虐められていた当人があっけらかんとしてるので、だいぶ救われてるみたいだった。


「私じゃ好美ちゃんに勝てないわ。助けを求める相手が違うでしょ」


 柚にそう言われた実希子は、今度は葉月に助けを求める。


「葉月、好美をなんとかしてくれよ」


「あ、そういえば葉月ね、皆に見せたいのがあるんだ」


 にこやかにそう言うと、愛娘はひとりで母親の部屋から退室してしまった。

 柚が「……逃げたわね」と呟き、実希子が肩をガックリと落とした。


 赤ちゃんの鑑賞を終えた一行がリビングへ戻ると、そこには春道がプレゼントしたジャンパーを身に纏った葉月が立っていた。


「あれ? それ、どうしたんだ」


 葉月のジャンパーに、実希子が最初に気づいた。

 話しかけられた葉月は、早速嬉しそうな笑みを浮かべる。


「誕生日に、パパから貰ったのー」


 家族だけで夜にお祝いする前は、友達同士でも祝ってもらっていた。実希子らが何を贈ったのか春道は知らないが、友人たちからのプレゼントにも愛娘が喜んでいたのだけは間違いない。

 友人たちに見せびらかし、羨ましがってもらえたあとに葉月が恐ろしい提案をした。


「皆で雪合戦をしようよ」


 いいねと真っ先に同意したのは、勉強よりも体を動かすのが大好きな実希子だった。好美は露骨に嫌がり、グループの中でバランス調整の役目を担う柚は皆がやりたいならという反応を示す。

 ムードメーカーの葉月がやりたがってるのもあり、最終的には家の前で軽くやろうという結論になった。


「雪合戦か。子供らしくていいかもしれないな。周囲の様子に気を配って遊ぶんだぞ」


 春道がそう言うと、何故か葉月が怪訝そうな顔をした。


「パパも参加するんだよねー?」


「え?

 い、いや。俺は仕事があるから無理だ。ざ、残念だな」


「それなら大丈夫だよ。さっきママに、お仕事は終わったって言ってたもん」


 なんとか逃れようとした春道だったが、ダイニングでの夫婦の会話をしっかり聞かれてしまっていたらしい。


 言い訳も通用しなくなり、子供たちの手で強制的に外へ連れ出される。

 きっと誰より標的にされるのを覚悟しながら、春道は足元にある真っ白い雪に手を伸ばした。

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