第344話 葉月の帰宅
チャイルドシートをつけた春道のファミリーカーで迎えに来た和也と一緒に、葉月は愛娘を連れて久しぶりの高木家に戻った。
新居の二階は部屋が余っているので、そのうちの一つにベビー用品を運び込んだ。そこがそのまま穂月の部屋になる。
仕事がある和也には本来の寝室で休んでもらい、当面の間、葉月が娘の部屋に泊まり込むつもりだったが、その和也の反対で却下された。
理由は自分にも娘の世話をさせてほしいからという一点だった。
「前の家を知らないというのは少し残念だけど、引っ越すという苦労を新生児のうちにさせずに済んだのは良かったわね」
理知的なことを言ってはいるが、リビングで穂月を抱いている和葉の顔は写真に撮っておきたいほどデレデレだ。
願望を形にしてみようとスマホを向けてみる。
鬼の形相で睨まれるかと思いきや、さらに頬を緩ませた和葉がノリノリで画面を見る始末。いつの間にか、春道まで和葉の隣に立っている様子に、両親がいかに初孫の誕生を喜んでいるのかがわかる。
「あとで葉月たちも撮ってね。和也君と葉月の娘なんだから」
「春道パパの前に、俺と一緒に写真を撮りたいと言ってくれるなんて……」
「えっ、和也君が泣いてるっ」
ワイワイとしながらも、赤ちゃんを疲れさせないように、すぐに二階のベビーベッドで寝かせる。
「ママ、ムーンリーフの方は大丈夫なの?」
「パン作りは早朝、配送は午前中に集中しているから、早めにこなせば問題ないわ。ねえ、和也君」
「はい。今日は午後に葉月が退院するってわかっていたので、特に頑張りました」
「皆……ありがと」
店にはすっかり店長代行らしくなった茉優が残り、好美も経理の暇を見て店にも立っている。
元々、ムーンリーフは年中無休というわけでもないし、最悪の場合は臨時休業にするという荒業も可能だ。
売上や客足に影響を及ぼすので、好美には何度も最終手段だと釘を押されたが。
「店のことは心配せずに、穂月と一緒にいてあげることを考えなさい。新米ママの仕事は多いんだから」
葉月が元気よく返事をすると、ベビーベッドで穂月が笑ったように見えた。
*
新生児が家にやってくれば、当然のごとく生活は赤ちゃんが中心になる。
元気な穂月は計ったように泣いて母乳を催促したりするので、なかなか目が離せない。
葉月と実希子の主力二人が今もって産休中なので、和葉は早朝から臨時の従業員としてムーンリーフに出勤中だ。
和也も同様なので、家に残っているのは春道と葉月、それに穂月の三人だけである。洗い物や洗濯は春道が仕事の合間にしてくれており、葉月は赤ん坊の世話が主な役目になる。
母乳をねだられたら応じ、お腹が一杯になった穂月がすやすやし始めると葉月も少し休み、忘れないようにおむつの様子も確かめる。
部屋には葉月の布団が敷かれており、いつでも横になれる体制は整っていた。
和也と二人だけの生活であれば、朝から晩まで仕事の夫にすべての家事を押し付けるわけにもいかず、多少なりとも余裕を得るのは難しかった。
改めて家族のありがたさを実感すると同時に、葉月は自分の環境が恵まれていることに感謝する。
生まれてすぐは違ったかもしれないが、穂月にはきちんと母親として傍にいてあげられる。それがとても嬉しかった。
葉月は両親とも妹とも血が繋がっていない。
口では気にしていないと言ってはいても、時折、寂しくなるのは事実だ。
両親は実の子同然に可愛がってくれたし、葉月も二人を本当の親と思っている。
春道は半ば強引に和葉が指名したような感じだが、最初のいざこざはともかく、現在の幸せそうな様子を見れば間違っていなかったと確信を持てる。
「穂月も、家族の絆を大切にしてね」
呟いてから、葉月はすぐに思い直し、
「ううん、きっとそういう子になるね。この家で育つんだし」
子供の頭を優しく撫でた。
*
休憩時間のたびに帰宅し、手洗いうがいの消毒を済ませた和也は穂月の様子を見に来る。
最初に口にするのは毎回同じで「大丈夫か」ではなく「可愛いなー」である。
今から娘大好きな親ばか全開だが、そこは葉月も同じなので文句を言うつもりもない。
夫婦でキャッキャッしているのを春道が見ると、楽しそうに昔の和葉と同じだと笑う。その後に「やっぱり母娘だな」という一言を加えられるたび、葉月はにまにまが止まらない。
たまにはリビングで過ごさせたりして、穂月が泣いても怒る家族は誰もいない。
近所の人たちも好意的で、恐縮して挨拶に行った際には子供は泣くのが仕事だからと朗らかに言ってくれた。
小さい頃から葉月や菜月を知ってくれているのも大きかっただろう。
沐浴も和也に手伝ってもらいながら済ませ、夜は夫婦と娘の三人が同じ部屋で眠る。夕飯の支度も春道や和葉がやってくれるので、夜の睡眠時間はともかく、身体的な負担はそこまで大きくなっていない。
最初は和也に眠ってもらい、葉月が赤ん坊の面倒を見る。
仕事で和也は早朝に起きるので、その前に役割を交代する。
睡眠時間が普段より減ってしまっているが、和也曰く、その分だけ娘の顔を見られるので逆に癒されているそうだ。
和也が面倒を見ている間はミルクを使い、いわゆる混合で対処する。
退院後に一度、電話がかかってきた実希子に話すと「両刀使いだな」と下ネタじみた発言をかましてきた。
急速に親父化が進んでいるとさりげなく注意してみたが、すっかり元の豪快さを取り戻した友人に大きな声で笑い飛ばされた。
その実希子はミルクは使わず、母乳だけで育てると息巻いていた。
*
部屋から和也ことパパの出勤を娘と一緒に見送り、また授乳とおむつ交換の繰り返しが始まる。長い時間ゆっくりしていられないので大変だが、頼めば春道も手を貸してくれるので問題はない。
意外だったのは菜月の時にかなり手伝っていたらしく、哺乳瓶でミルクを飲ませるのも、おもつの交換も手慣れていた。
予想外の光景に目を瞬かせていた葉月は、
「和也君より上手……」
と無意識に零してしまった。
「穂月の世話が終わると、和也君なら俺より上手くなる。それに俺が慣れられたのは、和葉が信頼して赤ちゃんの世話を任せてくれたからだ。だから葉月も夫婦で一緒に子育てに慣れていけばいい」
「うん、そうだよね。ごめんね、和也君」
汗を流して一生懸命働いてくれている夫に、届かないとはわかっていながらも一言謝らずにはいられなかった。
そんな葉月を、春道は満足げに見つめていた。
*
また夜が来れば疲れている和葉に恐縮しながらも穂月を任せ、葉月はお風呂に入ったりする。
菜月の時は葉月も手伝ったりしていたが、赤ちゃんに加えて葉月の世話もし、家事もこなし、なおかつ薄くではあるがしっかりと化粧もしていた。思い出すほどズボラになりがちな葉月とは大違いで、母親の偉大さを痛感させられる。
そうして落ち込むたびに、エスパーのごとく悩みの内容を的確に当て、春道が和也にこっそりとアドバイスさせるのだ。
明言されていなくとも、和葉の子育て時代の知識が混じっていれば、和也の株を上げようと画策しているのがわかる。
同じ男同士だからか、それとも葉月が懐いている父親だからか、和也は積極的に春道に助言を求め、またそれが縁で良好な関係を築けているみたいだった。
「和也君とパパが仲良さそうで、すごく嬉しいよ」
しっかりと髪も乾かし、子供部屋に戻り、穂月の世話をしながら、会話の流れで葉月はそんな感想を伝えた。
「和葉ママも凄いけど、同じ男として春道パパは尊敬できるんだ。頭ごなしに言うんじゃなくて、相手を見守りながら、いつでもフォローしようと動いてる」
「パパに言うと、全部、偶然で片付けられちゃうんだけどね」
「実際にそうだったこともあるかもしれないけど、それは春道パパが幾つもの可能性を考慮して、数多くの準備をしているからできることなんだ」
和也は腕組みをして深く頷き、
「家の時だっていずれは必要になるって頭金を溜めてただろ? 葉月が費用の大半を負担したけど、あっさり援助してくれたのが証拠だ」
「うん……パパもママも凄いよ」
「だから……葉月が和葉ママを凄いと思って見習おうとしてるみたいに、俺も春道パパに近づきたい。そうすると俺たちの将来はあの二人ということになる」
「それって、すごく、すっごく、素敵だよね、ねっ!」
「もちろんだ」
「アハハ、なんだか穂月も喜んでるみたい」
「そういえば、生まれたての赤ちゃんでも、母親の声は認識してるって話があったな」
和也の豆知識に、娘の様子を眺めていた葉月は素直に驚く。
「なんか嬉しいね。じゃあ、和也君の声もわかってるんだよね」
嬉しさから聞いたのだが、返ってきたのは沈痛な感情が含まれた声だった。
「……俺もそうかと思ったけど、調べても父親の似たような話は見つからなかったんだ……」
「え、えーと……き、きっと、どこかにあるよ、うん。仮になくても、私たちの娘だもん。きっと和也君の――パパの声を理解してるよ」
「そうだよなっ! 穂月、俺がパパだぞ。日中はほとんど世話できてないけど、俺がパパなんだからな」
大事なことだから二回繰り返したのか、いつも以上に一生懸命な和也はかわいそうにも涙目だった。
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