第212話 二年生になった葉月の春の大会

 菜月が小学生になるのと同時期に、葉月は高校二年生になっていた。

 葉月はF組で変わらず、担任も桂子で一緒である。しかし尚と柚は他のクラスへ移動した。代わりに新たにF組所属となったのは実希子だった。

 仲良し五人組のうち葉月と実希子がF組で、好美と柚、それに尚がA組へと変わった。


 新しいクラスメートに慣れ、初々しい新一年生の姿に懐かしさを覚えている間に、ソフトボール部は春の地区大会へ突入した。

 幸いにしてソフトボール部には、葉月たち新二年生よりも多くの人数が入ってくれた。部員不足で廃部なんて事態を心配しなくていいのは、非常にありがたい。

 経験者も何人かいたが、去年の実希子みたいな即戦力はさすがに見当たらなかった。強豪校ではないのだから当然なのだが。


 南高校ソフトボール部の主戦力は三年生と二年生。去年の春も対戦した高校と、また初戦でぶつかることになった。

 県ではなく、一地区の大会だけに参加校は多くない。そのため一日で日程を消化できる。総当たり戦ではなく、トーナメント戦であるのも影響していた。


 後攻を選択してマウンドに立った葉月は、応援席を見渡す。日曜日なので春道や和葉だけでなく菜月、さらには何故か戸高祐子とその息子の宏和の姿もあった。

 菜月と同じ小学校に転校したという話だったので、もしかしたらその関係かもしれない。時折、日中に祐子が遊びに来るようになったと和葉や春道が話していた。


 見知った顔が多いと、いいところを見せようと張り切るのは選手の常である。

 けれど今回に限っては、心からそう思えない。探した顔を見つけられなかったせいだ。


「落ち込んだら駄目だよ。私が見つけられなかっただけで、どこかで見てくれているかもしれないんだから」


 自分に言い聞かせるように喋ってから、よく晴れてくれた空を見上げる。

 去年の秋の新人戦で膝を痛め、部から遠ざかってしまった高山美由紀は、とうとうこの大会が始まるまで放課後のグラウンドに姿を現してくれなかった。

 学校にいる間は彼氏と思われる男子生徒にべったりで、終わればすぐに帰宅するため、仲が良かった先輩でも最近の動向はわからないということだった。


 それでも美由紀であれば、葉月が以前お願いした通りにこの大会を見に来てくれるはずだ。空に向かって息を吐き出し、気合を入れ直して葉月は打者と対峙する。


「葉月ちゃん、頑張っていこう!」


 ベンチから声が聞こえる。スターティングメンバーにはなれなかったが、ベンチ入りは果たした尚と柚だ。

 実希子は三塁を守っており、二年になっても正捕手は好美である。そしてエースナンバーを二年生ながらに託されているのが葉月だった。


 実力が飛び抜けているわけではない。強豪校へ行けば、ベンチ入りできたかどうかも怪しいくらいだ。

 弱小校だからエースになれたと蔑まれても何も言い返せないが、それでも背番号一を背負った以上は全力で務めを果たさなければならない。


 腕を回し、勢いをつけてボールを放る。

 指先でしっかりと回転をかけ、浮かび上がるようにボールは好美のミットへ吸い込まれる。

 球審の右手が上がり、ストライクがコールされる。緊張も気負いもない。練習通りのボールを投げられる。


 ふうと息を吐いてから二球目を投じる。アウトコース低めの直球は打ち返されるも一塁手の正面のゴロとなった。


「オッケー。ワンナウト、ワンナウトー!」


 実希子が大きな声を上げる。グラウンド内外でムードメーカーの彼女は、いつでもこうして盛り上げてくれる。


   *


 一回の表を無失点で終えれば、次は市立南高校の攻撃となる。

 三番の美由紀の代わりに三年生の先輩が入っているものの、打力という面ではかなり劣る。打線は四番の実希子に頼りきっている状態だった。


 それでも二番の打者が四球で塁に出て、ツーアウトながらも四番の実希子を迎える。一塁が空くと即座に敬遠されかねないので、三番打者にはあえて送りバントをさせなかった。今年度も変わらず監督をしている田沢良太の指示であった。


「でえりゃ!」


 とても女性とは思えない声を発し、力任せに振られたバットが白球を芯で捕まえる。反発した力によって運ばれたボールは空高く飛翔し、仮柵どころかフェンスを越えた。


「また本塁打。実希子ちゃんの初打席の本塁打の確率ってどのくらいなのかしら」


 好美の質問に葉月が答える。


「ええとね、マネージャーさんの話だと五割より上らしいよ」


 ベンチ入りメンバーの中にはマネージャーも入っており、三年生の女性がしてくれている。選手ではなく、最初からマネージャー希望で入部したらしかった。


「とんでもないわね。この調子で成績を伸ばし続けたら、大学から推薦の話がくるかもしれないわ」


 あり得る話だと葉月だけでなく、他の部員も思った。それだけ実希子の実力は、南高校のソフトボール部内で突出しているのである。


「ほら、だからゴリラだって言ったでしょ」


「うん。でも、人間の試合にゴリラが出てもいいのか?」


「ここだけの話よ。あのゴリラはね、特別なの」


「特別? 凄え。特別ゴリラ恰好いい!」


 応援席ではしゃいでいるのは、菜月と宏和の二人だった。


「あれは祐子先生の息子か? でっかくなったな」


 特別ゴリラと言われても怒るわけでなく、慣れた様子で野次り返し終えた実希子がベンチで言った。


「え? 菜月ちゃんの隣にいる子? そうなんだ。小さい頃に何度か見ただけだったから、すぐにわからなかったわ」


 柚が懐かしそうにする。祐子は小学校時代の担任なので、よく見知っているのだ。出産後にも葉月たちと一緒に、何度か会っている。

 中学生になってもそれなりに親交があった葉月たちと違い、祐子とはしばらく会ってないので、成長した宏和に気づけなくとも無理はなかった。


「でも、葉月ちゃんの妹って可愛いわよね。菜月ちゃんだっけ」


「そうだよ」


 応援席で声援を送る菜月は新小学生。黒髪のロングで、愛想というか外面がいいのでご近所さんからはお人形さんみたいとチヤホヤされる。

 同じく黒髪でセミロングの葉月と並べば美人姉妹だと声をかけられる。母親の和葉も綺麗なので、父親の春道はよくやっかみの視線を向けられるらしかった。


「応援席を見てやる気を漲らせるのはいいけど、試合にも集中してくれよ。チェンジだぞ」


 実希子のあとは五番打者の三年生が粘った末に凡退し、攻守の切り替えが行われるところだった。

 大変だと葉月は柚からグラブを受け取り、マウンドへ走っていく。


   *


 案の定、二打席目から実希子はまともに勝負してもらえなくなった。ランナーを溜めてでも歩かせ、次の五番打者を仕留める。

 凡退した先輩が悔しげにバットを地面に叩きつけるも、相手からすれば勝つための作戦なので文句を言うわけにもいかない。


「追加点を取るのは難しいかもしれないわね。なんとか初回の二点を守り抜きましょう」


「うん。好美ちゃん、よろしくね」


 葉月一人では不安でも、配球を考えてくれる相棒がいる。好美の力を借りれば、きっと何とかできる。


 信じて腕を振り、一人また一人と抑えていく。

 五回になり、六回になり、試合は着々と進行していく。スコアボードに記されている数字は、相変わらず二対〇のままだ。

 体力の消耗は激しいが、ここで力尽きたら駄目だの一心でマウンドに立ち続ける。


 痛打される確率が増え、塁上が賑わうようになる。

 必然的に球数も増加して、さらに疲労が溜まる。


「葉月、頑張れ。打たせてもいい」


「うんっ!」


 四球を連発して、自滅だけはしないように気をつける。打球が前に飛べば、味方がアウトにしてくれる可能性だってあるのだ。


 ライナー性の打球が三塁線に飛ぶ。慌てて打球方向を見る葉月の視界で、実希子の体が宙を舞った。

 空でも飛ぼうとしたような動きから伸ばされたグラブの中に、もの凄い勢いで弾き返されたボールが収まった。


「ありがとう、実希子ちゃん」


 実希子のファンプレーで六回の窮地を乗り越えた葉月は、ベンチへ戻る途中でお礼を言った。感謝しすぎて、抱きつきたくなったほどである。


「気にすんなって。本当はここらで追加点を取ってやりてえんだけどよ。勝負してくんねえかな」


 六回の裏、南高校は四番の実希子から始まる。バットを持って打席へ立つも、彼女は一度も振るのを許されなかった。


 ノーアウト一塁となったところで、五番打者が送りバントをする。もう一点入れて、なんとか勝利へ近づきたいという監督の意思が伝わる。

 六番となったところで、良太はおもむろに審判へ告げる。


「代打、御手洗」


「……へ?」


 いつでも試合に出られる準備はしておけと言われていたが、毎試合のことなので今回も出場はないと思っていたのだろう。突如として出番が訪れた尚は、呆気にとられた顔をした。


「わ、私が三年生の代打って、本気で!?」


「賭けるんだよ。御手洗の足に」


「私の足……。

 あっ! そういうことか。

 それなら……」


 代打を告げた良太の意図を察した尚が、バットを持って打席に向かう。

 元々は熱心な教育ママだった尚の母親は、周囲と打ち解けるようになってこのところは試合の応援にも来ていた。


「尚、しっかり頑張るのよ!」


 娘より緊張しているのか、応援の声が震えていた。

 聞いている尚も苦笑するほどだ。


「綺麗に打てれば恰好いいんだけど、私は実希子ちゃんじゃないしね」


 にこりと笑った尚が仕掛けたのは、初球のセーフティバントだった。打撃技術はまだ拙くとも、練習を積んできたバントだけはこなせるようになりつつあった。

 三塁線の絶妙なところに転がり、しめたものと全速力で尚は一塁ベースを駆け抜ける。足の速さだけなら実希子を上回る彼女ならではの戦法だった。


 次の七番打者が打席に入ろうとするのを呼び止め、良太はさらに代打を告げる。

 今度は柚の番だった。


「室戸の持ち味を活かせ」


 柚に与えられたアドバイスはこれだけだったが、好美に次いで頭脳明晰な柚はすぐに理解したみたいである。

 初球にバントの構えをし、敵が警戒した隙に足の速い尚が二盗を決めた。


 併殺がなくなればこちらのものと、柚は二球目を右におっつけた。

 ボテボテのゴロでも実希子と尚は足が速い。相手チームは本塁への送球を諦めて、一塁だけをアウトにする。

 ツーアウト三塁でなおも追加点のチャンスだったが、八番打者の好美は惜しくもファーストライナーに倒れた。


   *


 最終回となり、市立南高校の中堅には尚が、二塁には柚が入った。仲良し五人組が試合中に同じグラウンドに立った初めての瞬間である。

 勇気百倍となった葉月があとは抑えるだけだったが、いきなりセンターに大きな打球を放たれる。


 ノーアウト二塁を覚悟した葉月が振り返った先、打球を一直線に追いかける尚がグラウンドへ飛び込んでユニフォームを土まみれにした。

 けれど横になったまま高く上げたグラブの中には、しっかりとボールが入っていた。


 応援席から降り注ぐ雨のような歓声に、内野へボールを返した尚が心地よさそうに手を振って応えた。


「途中出場のくせに、美味しいとこを持ってくじゃねえか。アタシも負けてらんねえな。葉月、こっちにも打たせろよ」


「私も頑張って守るから、頼りにしてね」


 実希子と柚の声を背中に受け、新たなエネルギーを注入されたみたいだった。


「もちろん頼りにしてるよ。皆がいるから、私も頑張れるんだ!」


 四球を出してしまった次の打者、グラウンドの上を転がる打球を実希子が好捕する。体勢を素早く変え、二塁に入る柚へボールを投じる。

 受け取った柚が、ベースを踏んですぐに今度は一塁へ送る。五、四、三のダブルプレーが完成した直後、ベースカバーに入ろうとしていた足を止め、葉月は両手を上げた。高校のソフトボール生活で初めて見せたガッツポーズだった。


   *


 試合が終わり、外へ出た直後に声をかけられる。立っていたのは制服姿の高山美由紀だった。


「美由紀さん」


 駆け寄る葉月の髪の毛を、美由紀がそっと撫でる。


「おめでとう、葉月ちゃん。

 皆の頑張り、見せてもらったわ。凄く上手くなってた」


 感想を伝えてた美由紀は、監督の良太を見つけると頭を下げた。


「主将なのに、長々とチームを留守にして申し訳ありませんでした」


「いいさ。誰にだって悩む時間は必要だ。それで高山はどうしたい?」


 顔を上げた美由紀は答える。


「もう一度、ソフトボールがやりたいです。やっぱり私、ソフトボールが大好きみたいです」


「だったら遠慮せずに出てこい。高山はまだソフトボール部の主将なんだからな」


 美由紀はキャプテンを辞退したがったが、全部員が拒否をした。それだけ彼女が、今も慕われているのである。


「……ありがとう、皆。今度こそ、どんなに辛くてもリハビリを終わらせるわ。夏の大会、私抜きで楽しそうに試合をされると悔しいもの」


 最後に茶目っ気たっぷりに笑ったところで、葉月を含めた部員たちが一斉に美由紀へ抱きついた。


「もう、皆――って、ちょっと! 今、どさくさに紛れて変なところを触ったのは誰? 実希子ちゃんね。あとでお説教よ」


「ええっ!? ちょっとした悪戯じゃねえか。

 ……へへっ。でも、元の美由紀さんに戻ったみたいで安心したぜ」


「迷惑をかけたわね。弱気になるなんて私らしくなかったわ。夏が終わるまでは彼氏を作るのもお預けね」


 美由紀の友人たちから、まだ付き合ってなかったのという声が飛ぶ。


「恋愛事に関してはとんでもないヘタレね。あれだけわかりやすい好意を向けてもらえて、自分だって満更でもなさそうなのに」


「悪女よ悪女」


「あとでお説教が必要だな」


 さらっと実希子まで会話に加わり、より一層騒がしくなる。

 悩んで離れ、それでも戻ってきてくれた仲間を瞬時に受け入れる。葉月は改めて南高校のソフトボール部で活動できてよかったと思った。


   *


 地区だけの小規模な大会とはいえ、南高校は準決勝まで駒を進めた。

 しかし初回から実希子との勝負を避けられる戦法を使われ、決勝には到達できなかった。

 収穫もあったが、この大会で改めて課題も浮き彫りになったのである。

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