第503話 気付かなければよかった現実、推薦のはずが穂月も受験勉強をするはめになりました

 インターハイで見事に3連覇を達成し、文化祭でソフトボール部の出し物として心行くまで部員を巻き込んで芝居をして、参加した国体でも優勝こそできなかったもののベスト4に入る快挙を達成した。


 忙しいながらも充実な日々を送った穂月は、秋も深まった頃、ふと教室を見渡して愕然とした。


 クラスメートの大半が受験勉強をしているよ、と。


 元来、さほど頭脳明晰ではない穂月である。これまで赤点もなくテストを乗り切ってこられたのは、今年も学級委員長を継続中の親友のおかげだった。


「なんてこった、だよ。頭の中がお花畑になりすぎてて、現実を直視してなかったよ。のぞちゃん、起きて!」


 席替えで常に穂月の隣を確保する希は、休み時間になるたび机をくっつけて、穂月にもたれかかるようにして昼寝をする。そのまま起きないこともあるが、諦めたのか最近の教師たちは生暖かい目で見守っていた。


 そんな親友の肩を揺さぶって起こすと、逆隣にいた悠里が穂月の肩越しからひょっこりと小さな顔を出した。彼女もまた穂月の隣を確保せんと、席替えのたびに水面下で色々と画策する1人だった。


「ほっちゃん、いきなりどうしたの?」


「よく聞いてくれたんだよ。穂月はついに現実に気付いてしまったんだよ!」


 穂月は机に立てた肘の先で握った拳をプルプルさせる。


 この頃になると、当然騒ぎに気付いた沙耶も勉強の手を止めて振り返る。穂月のすぐ前が彼女の席だ。穂月、希、悠里の3人が固まった時点で担任の美由紀がお目付け役として、自動的に沙耶を近くの席に配置する。


 その後、仲間外れは嫌ですわと凛も突撃してくる。その凛は沙耶の隣の席で、やはり不思議そうにこちらを見ていた。


「……現実は睡眠不足」


「のぞちゃん、またすぐ寝ちゃだめなんだよ! よく周りを見るんだよ」


「……いつもと同じ」


「なんてこったよ、のぞちゃんはまだ夢の中だよ。こうなったら穂月が教えてあげるんだよ」


 目をクワッと見開き、机の上に教科書を積み上げる。そしてバンバンと叩きながら、ガタッと立ち上がる。


「穂月たちは受験生なのに、なんにも勉強してないんだよ! 明らかに遊び過ぎだよ!」


 シーンとする友人たち。誰もが瞬きすら忘れて穂月を注目する。


「やっぱり皆も気付いてなかったんだね……でも、大丈夫なんだよ。人生に遅すぎるってことはないんだよ!」


「あの……ほっちゃん?」


「またさっちゃんに迷惑かけることになるだろうけど、よろしくお願いするんだよ!」


「ええと……話を聞いてもらっていいですか」


 コホンと咳払いをする沙耶があまりに冷静なので、穂月も少しだけあれっと思う。考えてみれば、こうしたケースでは真っ先に注意喚起してくれるのが彼女なのだ。


「ほっちゃんはすでに県大学からのスカウトを受諾しています。それも過去にのぞちゃんママが受けたのと同じかそれ以上の超好待遇です」


「おー」


「……これは今までまったく理解しておりませんでしたわね」


「りんりん、途中で口を挟むのは貴族らしくないの。それにそういうところがほっちゃんの魅力なの……ぽっ」


「自分でぽっ……とか言ってるから、他のクラスの女子に媚びてるだのなんだの難癖をつけられるのですわ」


「貴族ぶりたがる平民に言われたくないの」


 凛と悠里が何やら盛り上がっているが、そちらは放置して穂月は沙耶の話に集中する。


「ソフトボール部入部を条件に、入試も学費もほぼ免除になったのがほっちゃんなのです。つまり受験勉強は必要ありません」


「ふおおっ! これまたなんてこったよ! 穂月、なんだかお大臣様みたいだよ!」


「……なんだか高校生とは思えない感想が出ましたが、この際それはいいです。話を戻しますが、ほっちゃんとそれにのぞちゃんの合格は確実です。もっとも多少なりとも良い点を取った方がいいのは確かなので、受験日が近づいてきたら対策はしてもらうつもりでしたが」


「おー、さすがさっちゃんだよ。いつもママが穂月をお願いしますってぺこぺこしてるだけはあるよ」


「……ウチの母ちゃんは、泣きながらさっちゃんの足に縋りつくよ」


「おー、なかなか衝撃的な光景だね」


   *


「……というわけで、穂月は受験勉強とは無縁なのでした。ラララー♪」


 夕食後の団欒で、鼻歌混じりに日中の出来事を説明する。部活を引退したことで、家族と一緒に食事を取れるようになったのは嬉しい穂月である。


 ダイニングテーブルから移動したばかりのソファでは、同じく野球部を引退した弟もいる。祖父に頼んで貸してもらったテレビゲームに夢中だが。


 同じくソファには母親や叔母もいる。叔母の膝には今年で4歳の可愛い姪が乗っていた。両手で広げた絵本を熱心に見ている。穂月も小さい頃に夢中になったもので、物心ついてきた時にプレゼントしてあげたのだ。


「確かに入試は何の問題もないでしょうけれど、手を抜いてばかりいると入学後に苦労することになるわ。怪我などをしてしまえば、一気に人生設計が狂うことにもなりかねないのよ。それに卒業はできませんでしたなんて事態になれば、目も当てられないわ」


 もっともすぎる意見に頷いていると、叔母はとんでもない提案をしてきた。


「なので私が穂月の勉強を見てあげるわ」


「ふおおっ!?」


「どうしてそこまで驚くのかしら。南高校へ入る時も教えてあげたでしょう」


「だからこそだよ。あの地獄はもうたくさんだよ!」


「地獄とはさすがに酷いと思うのだけれど」


「そんなことないんだよ! 穂月の気持ちをわかってくれるのは愛花ちゃんだけだよ!」


 話を聞いていた母親が楽しげに笑う。


「そういえば愛花ちゃんが受験のために前の家で勉強してた時、今の穂月と似たような表情だったね」


「……この機会にはづ姉も一緒に勉強してみたらどうかしら」


「あ、パパー、私もお話に混ぜてー」


 頼みの母親は一瞬にして、ダイニングテーブルで美味しそうにお茶を飲んでいる祖父母の元へ逃げてしまった。おかげで優しくも厳しい女王様からの視線を、穂月が独り占めさせられるはめになる。


「穂月もええと……そうだ! 春也とお芝居の勉強をするんだよ!」


「あっ、いきなり何すんだよ、姉ちゃん!」


「そういえば春也も受験生なのよね。いいわ、2人揃って面倒見てあげる」


「は? 何の話だよ? おい、姉ちゃん! 菜月ちゃんの目がなんか怖いんだけど、何がどうなってるんだよ!?」


   *


 翌日の教室で、穂月は朝から自分の机にぐでーっと突っ伏していた。


「……そんなわけで、昨夜から菜月ちゃんのスパルタが始まったんだよ」


「さすがは菜月さんです。これなら私の出番はなさそうですね」


 勉強が好きな沙耶は微笑ましげだ。こんなことになるなら、もっと早くから彼女と一緒に受験対策をしていればよかったと思わずにはいられない穂月だ。


「あれ……今回は菜月ちゃんを褒めたたえないんだね?」


 まるで教祖のごとく菜月信仰が激しい凛だが、何故か今は素知らぬ顔で明後日の方を見ている。


「りんりんも高校受験の時に菜月ちゃんのお世話になったからなの。その程度で信奉が揺らぐとは口ほどにもないの」


「なっ……ゆーちゃんさん、言ってよいことと悪いことがありますわ!」


「そうだよ! 穂月はりんりんを信じてたよ! 今夜から一緒にお泊りだね!」


「えっ……あ、あの、それは……その……」


 いきなり口淀む凛の肩を、ニヤリとした悠里が背後から叩く。


「吐いた言葉は呑み込めないの。観念しやがれなの」


「せっかくだから皆も来ればいいんだよ! 穂月のお家で勉強合宿だよ」


「ほっちゃん……私たちを道連れにしようとしてますね。私は歓迎ですけど」


 真っ先に沙耶が賛成し、逃げようとした悠里は項垂れていたはずの凛にガッチリとホールドされて藻掻いている。


 そして最後の1人はといえば――。


「完全に寝たふりだよ。そんな小手先の逃げが穂月に通じると思ったら大間違いだよ。これは久しぶりに封印してた、のぞちゃん専用必殺技の出番なんだよ」


「……必ず殺されると困る。寝るのは好きだけど死ぬのは嫌」


「おー、そうなの?」


「だって死んだら寝れない」


「ん? 死ぬってずっと寝てることじゃないの?」


「……りんりん?」


「どうしてそこでわたくしを見ますの!? こういうことはさっちゃんさんの担当ですわ!」


「頼ってもらえるのは嬉しいですが、さすがに私にもわからないです」


 沙耶も困った顔をしたところで、全員が一斉にうーんと悩みだす。


「そうだ! それなら勉強ついでに聞けばいいんだよ!」


 こうしてなし崩し的に、穂月は友人たちを巻き込むのに成功した。


   *


「生と死について考えたところで受験には何の関係もないわ。さあ、勉強をするわよ」


 2号店から帰宅し、食事を終えたばかりの菜月に学校での質問をぶつけた結果、なんともらしい答えが返ってきた。


「でも気になるんだよ! 菜月ちゃんは考えたことないの!?」


 穂月がなおも食い下がると、ようやく叔母は眼球を動かしつつ思案する素振りを見せた。


「考えたことはあるけれど、真っ暗な暗闇だけが広がっているのか、存在自体が消えてしまうのか、はたまた死後の世界が存在しているのか、それは生きている限りわからないわ。知りたかったら死ぬしかない……つまり生ある者なら必ず最後には答えに辿り着けるのよ。だからあれこれ悩むよりも、その時を待ちなさい。楽しみにとは言わないけれどね」


「おー……さすが菜月ちゃんだよ……」


「納得してもらえたのなら良かったわ。さあ、時間は限られているのだし、勉強を始めるわよ。宿題も出すから気合を入れなさい」


「ちょ、ちょっと待ってほしんだよ。どうせなら春也たちにも勉強のお裾分けをするんだよ」


 こうして今夜も高木家では、ひたすらペンを動かす音が響き続けたのだった。

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