第504話 修学旅行中も春也の話題は進学先のことばかり、人気者は人気者で大変です!?

「信じられねえよ……何で俺は毎日受験勉強してんだよ……」


 景気よく排気音を奏でるバスの車内。後部座席の真ん中を陣取り中の春也は、大きくため息をついた。両隣には智希と晋悟が座っている。


 現在は修学旅行の真っ最中で、つい先ほど函館についたばかりだった。3泊4日で北海道を見て回るコースは母親の頃からほとんど変わりないらしい。


「入試自体は推薦で通り抜けられるとしても、入学後に勉強が必要なのは確かだからね。赤点を取って夏の甲子園に参加できませんでしたってなったら、春也君だって困るよね」


 晋悟から諭すように言われては、頷くしかない春也である。姉ともども勉強が苦手で、放っておくと赤点量産マシーンと化してしまう。両親は揃って成績は良かった方で、叔母に至っては現役で一流大学に合格したほどの才女。祖母も才色兼備な女性だったらしく、高木家では祖父の遺伝ということで話がまとまりつつある。もっともその祖父も決して頭が悪かったりはしないのだが。


「貴様は阿呆か」


「おう、いつものフレーズだな、とりあえず今日の理由を聞いておくぞ。優しい俺に感謝しろよ」


「たわけが、感謝するのは貴様の方だ。毎晩、姉さんと同じ机の上で勉強できるんだぞ。咽び泣くほど歓喜しろ」


「同じ屋根の下みたいな言い方すんな。あの場所に色気もくそもねえよ。まーねえちゃんに話したら、いい気味だって笑ってやがった」


「アハハ……陽向お姉さんも、僕のお姉さんに相当鍛えられてたからね」


「おう、だからあーねえちゃんにも電話しといた。まーねえちゃんの成績が落ちたら、うちの姉ちゃんが勉強しなくてもいいって思いかねないぞって」


「それって……陽向お姉さんに恨まれるんじゃないの?」


「すぐに抗議の電話が来てたな。もっとも途中であーねえちゃんにどっかへ連行されてったみたいだけど」


 組んだ手を枕代わりに、春也は背もたれに体重を預ける。柔らかい椅子にこれまで以上に尻が沈んだ。


 後部座席を3人だけで使うのは苦情が出そうなものだが、春也たちが希望したのではなく、担任の芽衣に指示された結果なのでそれはなかった。理由は2人ずつの座席に割り当てたりすると、隣を狙う女子の争いで血を見そうだからというものだった。


「そういやさっき晋悟も推薦って言ってたけど、お前らのとこにスカウトって来た?」


 問いかけた春也のもとには、野球部の監督を通して様々な話が舞い込んでいた。中には直接、学校から電話番号を聞いて家にかけてきた高校もあるくらいだった。


「それなりに来ているみたいだがさして気にならんな」


 腕組みをした智希の態度は普段と変わらない。


「そうなのか? まあ智希は勉強できるからな」


「というより希お姉さんの近くにいられるなら、高校はどこでもいいって意味じゃないかな」


「そうだな、智希だもんな」


 昔からの付き合いだけに、晋悟も春也も友人の姉狂いぶりをよく知っていた。


「晋悟はどうなんだ?」


「僕はまだ決めてないかな。野球はもともと春也君に付き合わされて始めたものだし……愛着はできたけど、それだけで決めるというまでにはなってないかな」


「強豪校だと確実に練習が厳しいだろうしな」


 春也であればどんと来いなのだが、人によってはキツい練習や上下関係を嫌がる。晋悟は平和な生活を好むタイプなので、強豪校は疎遠したいと言いだしても不思議はない。


「人に聞いてばかりの貴様はどうなんだ。勧誘なら貴様が1番多いはずだ」


 春也は3年生になる前から、県内では注目されていた逸材だった。それが夏に全国制覇を果たしたことで知名度は一気に上昇した。


「県外からも来てるな。甲子園の常連校もあった」


「さすが春也君だね。やっぱり強豪校を選ぶのかな」


 自分のことのように喜ぶ晋悟を前に、春也は腕を組んで眉間の皺を深くする。


「俺も悩んでるから、色々な人に話を聞いてるんだよ。家族会議もしたけど、最終的には好きなようにしろって言われたし」


「まあ、そこまで焦る必要もないよ。まずは修学旅行を楽しんだらどうかな」


「そうするか、よし、じゃあ晋悟の菓子をくれ」


「どうしてそうなるのかな!? 自分のを食べればいいじゃないかな」


 晋悟が大きな声を出した直後、チラチラと様子を窺っていた女子たちの目が、獲物を狩ろうとするハンターのごとくギラリと光った。


   *


 互いに互いを牽制をしながら、お菓子を片手に持って特攻する女子たち。男子が目を丸くする中、ちゃっかりと後部座席の一角を確保――しかも春也の隣――したのは野球部のマネージャーこと要だった。3年生の引退に伴い、彼女もまた後輩に役目を引き継いでいた。


「監督からも聞いてたけど、やっぱり春也君にお誘いが来てたんだね」


「まあな。勉強が苦手の立場からするとありがたいんだが、数が多すぎるのも困りものだな」


 春也が1つずつスカウトが来た高校名を挙げていくと、元マネージャーのみならず、聞き耳を立てていたクラスメートまでもがざわざわし始めた。とりわけ顕著だったのは生徒ではなく――


「す、す、凄いじゃない、春也君! 先生、今のうちにサイン貰っておいてもいいかしら!?」


 担任の女教師だった。


「それだったら、姉ちゃんに貰っておけばよかったじゃん。この前もソフトボールでUー19の日本代表に選ばれたし」


 姉だけではなく、春也自身にも似たような招集があったりした。そのため夏の大会が終わってもそれなりに忙しかった。


「穂月ちゃんと春也君は、地元じゃほとんど知らない人がいない有名人になってしまったものね。これからはそれが日本全国、そして世界へ広がっていくかと思うと……先生は……先生は……やっぱりサインが欲しくなっちゃう」


「いや、別にいいけどさ」


「なら私も欲しいかも!」


 春也が承諾しそうな雰囲気を見せると、すかさずすぐ隣の元マネージャーも右手を挙げた。


「じゃあ私も」「俺も貰っとこうかな」「私は握手もいいかな」「それなら写真も欲しいよね」「いっそハグとか!」「マジで!? でもそれもいいかも」


 男女問わずに賑やかさを増す車内。一気に押し寄せそうになるクラスメートに春也が引き気味になると、代わりに智希がグイと上半身を突き出した。


「そこまで言うなら俺が直々に姉さんの写真を焼き増ししてやろう。ついでに引き延ばしてやるから、部屋に張って1日3度は手を合わせて、姉さんと同じ世界に存在できていることに感謝しろ」


 クラスメートは智希という人間を知っているからこそ本気なのだとわかり、おかげで熱狂的な雰囲気は一気に萎んだのだった。


   *


「なんつーか、騒がしい修学旅行だったよ」


 北海道から帰宅し、休みに割り当てられていた翌日。春也は電車とバスを乗り継いで祖母の実家へお邪魔していた。修学旅行に際して宏和から餞別を貰っており、お土産を手渡すためだ。


 叔母の娘と同い年の男の子を膝に乗せて、悪戯して遊んでいると高級そうなテーブルを挟んで向かいに座る宏和が苦笑した。


「モテるというのも考え物だな。だが俺だって負けてなかったぞ」


 口角を吊り上げた宏和は和装で、落ち着いた和室の雰囲気と相まって、とても大人に見える。密かに憧れていたりするが、叔母曰く彼が子供の頃は面倒臭いだけの悪ガキだったらしい。その後に小声で多少は良いところもあったけれど付け加えてもいたが。


「それ、奥さんに言っていい?」


「勘弁してくれ。頻繁に出張してるだけで、子供と一緒に連れて行けと言い出すんだぞ。俺がそんな自慢をしていたと知ったら夜は質問責めだ」


「夫婦仲が良くていいじゃん」


「まあな。それもこれも身近にいたお前の祖父ちゃんを見習ったおかげでもあるけどな」


「皆、それを言うよな。祖父ちゃんってそんな女たらしだったのか?」


「無自覚で、普通の男なら恥ずかしがるような台詞や行動を躊躇なく披露できる人だからな。俺の母も好意を抱いてたらしいし」


 ほー、と昔話に相槌を打ちつつ、春也はせっかくだからとこの機会にスカウトの話もしてみる。宏和は南高校在籍時、エースとして野球部を甲子園に導いている。その後にプロへ進み、春也も応援に行ったことがあるらしい。


「贅沢な悩みだな」


「皆に言われるよ。で、宏和さんだったらどうしてたと思う?」


「そうだな……やっぱり悩んだだろうが……地元を選んだかもな」


「どうして?」


「野球を始めた動機が不純だったからだよ」


 恥ずかしそうな表情を見て、春也は自分と似たような空気を感じ取る。明言はされなくとも、きっと正解を得ているような気がした。


「春也こそ、どうしたいんだ? 自分の中でそれぞれの高校に入った未来を想像してみろよ」


 宏和に言われて、そういう考え方もあるのかと目を瞑る。


 強豪校に入り、活躍して周囲にチヤホヤされてプロへ進む。都合が良すぎる展開だが、想像するだけならタダなので気にしないことにする。


 イメージをあれこれと浮かばせ、最終的に春也はもっとも心躍る選択肢を見つけ出す。


「その様子じゃ、朧気にでも進みたい道が見えたみたいだな」


 ああ、と頷いて春也は目を開けた。その時には迷いはもうほとんどなくなっていた。


「地元の弱小校を俺の力で甲子園に導いて、好きな女の子に惚れさせる。これって最強だよな」


「ハハッ、春也らしいっちゃらしいな。しかし……その弱小校ってまさか俺の母校じゃないよな?」


「え? 南高校に決まってるじゃん。宏和さんが卒業してから甲子園どころか、もうベスト8にもほとんど残れなくなってんのに」


「よしわかった。お前の言葉をそっくりそのまま、母校愛に満ち溢れた和也さんに伝えておこう」


「ちょ――!?」


 首尾よく進路を決められた春也だったが、その夜、若干涙目の父親に南高校は弱小じゃなくて古豪なんだと滾々と説教された。

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