第61話 愛娘の誕生日~大挽回~

「誕生日といえば、まずはケーキだろ」


 リビングへ到着し、全員で食卓についたあとで、春道は紙袋から最初のプレゼントを取り出した。

 葉月と一緒に、どこかウキウキした気分だった和葉の顔面がいきなり硬直する。


「……ケーキはケーキですが……コンビニで売ってるカップケーキですね……」


「……わかるか。やっぱり」


 会話のあと訪れた気まずい沈黙の中、例のごとく心優しい愛娘が気を遣ってくれる。


「わ、わあーい。葉月ね、このケーキ大好きなんだよ」


 出だしこそ少しどもったものの、両手を挙げるポーズまで披露して、カップケーキが大好きだということをアピールする。

 それだけで涙が出そうになるぐらい嬉しかったが、次の瞬間に春道を驚愕させる事態が発生した。


「……けぷっ」


 小さくかつ可愛らしく喉を鳴らした葉月が、しまったとばかりに両手で慌てて口元を押さえる。

 よく目を凝らしてみると、口元にはわずかに生クリームの名残りがある。

 そして春道が某大手コンビニで買ってきたカップ内に入っているケーキも、しっかりと生クリームがデコレーションされている。


 チョコレートも好きかもしれないが、やはり誕生日には苺が乗っているショートケーキだろう。そう考えたのは、春道ひとりではなかった。

 両手の甲でバッテン印を作っている娘に気取られないよう気を遣いながら、春道はリビングの隅々にまで視線を飛ばす。直後に発見したのは、白く大きな箱だった。


 安っぽいプラスチックのカップとは明らかに存在感が違い、これでもかというぐらい高級そうなオーラを放っている。

 こんな田舎町に建設されてはいても、妻の和葉が勤めているのは一部上場している大手小売企業だ。ブランドもののケーキを取り寄せることなど、造作もないのは明らかだった。


 じっくりと見つけた箱を観察してみれば、これ見よがしに誰もが知っている一流ブランド名が書かれていた。

 先ほどの葉月の反応からして、恐らくすでにお腹一杯ケーキを食べてしまったのだ。しかも、コンビニのカップケーキとは比べものにならないほど、お高いバースデーケーキをである。


 娘を溺愛している和葉がこうしたイベントで手を抜くわけがなく、きっと春道が予想もしないケーキで葉月を喜ばせたに違いなかった。


「くっ……やってくれる。これでは俺が、ピエロみたいじゃないか……!」


 ギリリと歯軋りしたあとで、嫉妬心たっぷりに妻の和葉を睨みつける。


「ちょ、ちょっと待ってください。な、何ですか、その反応は。ま、まるで私が悪いみたいではないですか。それはあんまりというものでしょう」


「あんまりだというのは、今の俺の状態を言うんだ。頑張って日付が変わらないうちに、旅館から帰ってきたかと思えばこの仕打ち……!

 和葉には人の心がないのか」


 半ば涙ながらに抗議すると、普段は冷静で強気な和葉がわずかに怯んだ。相手は何も悪くないのに、いつの間にか罪悪感を覚えている。


 ここはチャンスだ。

 このまま、自分の不手際をなかったことにしよう。邪悪な思考に支配された春道は、己の保身のためだけに突っ走ろうとする。

 だがそれをファインセーブしたのは、口元に生クリームが付着してるのに気づいて、ティッシュで拭き取ったばかりの愛娘だった。


「あんまりパパをいじめちゃ駄目だよー」


「え、ええ? マ、ママが悪いの?」


 よもやの展開に和葉は動揺し、春道はほくそ笑む。完全に悪役丸出しの状態になっているが、ここはひとまず気にしないでおくことにする。

 夫婦間の揉め事を決着つけるにあたり、最強の切り札となる葉月が春道の味方になってくれたのだ。余計な真似をせずに、状況を見守るだけで充分だった。


「パパは葉月の誕生日を忘れてたのを誤魔化すために、こうして頑張って買ってきてくれたんだよー。だから虐めちゃ、だめなのー」


 トゲトゲだらけの言葉のボールが、剛速球で春道へ投げつけられた。

 もしかしてと思うまでもなく、完全に愛娘は誕生日を忘れていた春道に怒りを覚えている。

 正面から燃え盛る炎のごとく怒鳴ったりはしないが、普段どおりの口調の中に確かな恨みが存在していた。

 それを悟った愛妻もまた、キラリと目を光らせて葉月に同調する。


「そうね、ママが悪かったわ。パパは単純に、葉月の誕生日をど忘れしていただけですものね」


 細められた横目が、なんとも恐ろしい。事実だけに効果的な反論ができるはずもなく、春道は押し黙るしかなかった。

 コンビニで売っているプラスチックのカップに入ったショートケーキを見せて、もうパパったらという感じで空気を和ませるつもりが、余計にギスギスさせてしまった。

 想定外の状況を打破するべく、春道は従来の予定の繰上げを決意する。


「忘れてなんかいなかったさ。こうした方が盛り上がると思って、演出しただけだ。どうだ、感動的だったろ」


 どや顔で言ってみたが、愛娘は微妙そうな愛想笑いを浮かべ、数々の難題をクリアして相思相愛になったはずの妻は完璧に白けていた。


「……本当に演出なら、わざわざ旅館から強引に車を拝借してこないと思いますけど」


 冷静な和葉らしく、即座に的確なツッコみが入れられる。

 従来なら春道の味方になるケースが多い葉月も、この時点では中立を保っている。

 というよりかは、どちらかといえば母親の側についていた。


「信じてくれないなんて、パパは悲しいぞ。葉月は違うよな」


「……う、うん……多分……」


 もの凄く自信なさげな返答で、春道は己の立場の悪さを改めて痛感する。

 せっかく戻ってきたというのに、この仕打ちではあんまりだ。自業自得とはいえ、この現状を変える必要があった。

 そのための秘策も用意してある。今こそ、それを使う時だった。


「嘘じゃない証拠に、厳選した誕生日プレゼントを披露しよう」


「え? プレゼント!?」


 葉月の顔が、先ほどの春道の台詞を聞いた瞬間にパッと明るく輝いた。

 やはりいつの世も、子供とパートナーにはプレゼント攻撃がよく効く。あとは、春道のチョイスした商品の破壊力次第である。


「あまり期待しては駄目よ、葉月。あのケーキの姿を目に焼き付けておきなさい」


 あくまで春道を悪者のままにしておきたいのか、ここで和葉が盛り下げる効果100%の発言をしてきた。

 一応は喜んで見せたくせに、葉月も葉月で春道が買ってきたショートケーキを横目で一瞥した途端、若干の落ち着きを取り戻していた。


 何たる失礼な態度。コンビニの店員さんに謝りなさいと叱ろうかとも思ったが、そんな真似をすれば、娘の誕生日を忘れている父親はもっと悪いと墓穴を掘る結果になる。

 今はあれこれと策を巡らすより、正攻法で勝負を仕掛けるべきだった。


「よく見ろ! これが俺の用意したプレゼントだ!」


 車の助手席から運び、ケーキを取り出したばかりの紙袋から、春道は新たなアイテムを取り出す。これこそが、葉月への誕生日プレゼントだった。


「うわぁ~

 ……これ……何?」


 父親からのプレゼントなので喜ぼうと思ったけれど、あまりにも正体不明な玩具だったため、それができませんでした。

 愛娘の顔は、如実にそう語っていた。


「よく聞いてくれた。これは今流行のドクターロボ、ゲンダムだ!」


 葉月のみならず、和葉までもが顔面を蒼白にして言葉を失っている。

 それほどまでに、春道が用意したプレゼントの中身に衝撃を受けたのだ。

 内心ではこれでいいのかという声が渦巻いているものの、とりあえずは掴みはオッケーだと無理やり自分を納得させる。


「これは男児に大人気のロボットでな。災害時に実力を発揮する救急ロボなのさ。見てろ、こうして薬箱を持ったら、必殺のロケットパンチで物資を――」


「え、ええと……春道さん?」


 せっかく説明してる最中だというのに、何故か和葉が苦虫を噛み潰したような顔でこめかみを押さえている。

 春道が用意したプレゼントに、恐れをなしたわけでないのは明らかだった。

 困惑しきった表情で悩んだ挙句、仕方ないとばかりに口を開いた。


「それは……いわゆるパチモノ……というやつではないのでしょうか」


「――っ!!」


 衝撃の真実を見破られ、春道はまともに動揺する。

 この手の話題には極端なまでに弱そうなのに、一見して見抜いたのだから、和葉は意外にこうした玩具系統が好きなのかもしれない。勝手な推論を組み立てた挙句に、妻への評価を変えてみる。

 視線からそれを悟ったのか、和葉が見る見るうちに不機嫌さを露にする。


「別にその手の玩具に詳しくなくても、どこかで見たことのあるようなデザインと怪しげなロボット名を聞けば、嫌でもわかります」


 大人である和葉がキッパリ断言するくらいなのだから、女性とはいえ子供という遊びの主役の葉月がわからないはずもなかった。


「す、凄いねー。パパったら、どこで見つけてきたのー。葉月のために、珍しいのを探してきてくれたんだよねー」


 一時は母親の味方となったはずの娘が、あまりに春道を不憫と思ったのか、こちら側へ戻ってきてくれた。

 裏切られたも等しいのに、母親の和葉は叱責するどころか、成長した娘を見守るような温かな視線を注いでいる。


「そうね。パパに感謝しないといけないわね」


 ……み、惨めだ……。

 冷や汗を頬に垂らしながら、春道は自ら招いた現状に絶望する。


 こうなったら、最後の手段を出すしかない。一発逆転の可能性に賭けて、春道は起死回生のプレゼントを取り出すべく、紙袋の中に手を入れた。


「俺を見くびってもらったら困る。葉月のために買ってきたプレゼントは、これだけじゃない。さあ、よく目を見開いてみろ!」


「あー! しろくまさんのお人形さんだーっ」


 ここで初めて、愛娘がLED電球よりも眩しい笑顔を見せてくれる。

 同時に、やはりこれまでのプレゼントは不評だったのかと、春道は愕然とした。

 だが今回こそは自信があった。これで揺らぎかけた家族の絆も、きっちり元通りである。

「わー、ふかふかだー」


 手渡したぬいぐるみを幸せそうにぎゅーっとしつつ、葉月が顔をすり寄せている。

 その光景だけで春道まで満たされた気分になるのだから、子供というのは本当に不思議だった。


「常軌を逸したプラモデルを出した時はどうなるかと思いましたが、やはり春道さんはパパですね」


 何やらとてつもない罵倒を受けた気がしないでもないが、ひとまず素直に喜んでおくことにした。

 まあなと胸を張りつつ、残りわずかな時間だけでも、家族揃っての誕生日会をしようと提案しかけたその時だった。


 素っ頓狂な声で、リビングに「あれー」という声が響いたのである。


 ドキリと心臓の鼓動を速める春道を尻目に、妻の和葉が優しい声で愛娘へ「どうしたの」と尋ねる。


「しろくまさんなのに、後ろの方にパンダのぬいぐるみって書いてあるよー」


「……ちっ。

 名称を書いてたのは、値札だけじゃなかったのか」


 小声で呟いたはずなのだが、凄まじいまでのジト目を愛妻が春道へ向けてくる。


「その様子では、これはパンダのぬいぐるみのようですが……これは一体どういうことでしょうか」


「い、いや、あれだ。真っ白なパンダが発見されたのを記念して、特別に制作されたレア商品なんだよ」


 咄嗟に思いついたにしては、我ながらナイスな説明だと自画自賛したが、才色兼備の妻――高木和葉には通用しなかった。


「色素欠損のアルビノ個体のことですね。私の記憶が確かであれば、過去にジャイアントパンダでアルビノ個体は発見されてないはずですが」


「……うぐっ! そ、そうだ。つい、この間発見されたんだよ。やったね、バンザーイ」


「そうですか。それは知りませんでした。けれど、アルビノ個体の場合は瞳の色素すら失われ、基本的には赤目となります」


「このしろくま――ううん、ぱんださんのお目めは真っ黒だねー」


 もはや逃げ場はなくなった。

 もう、どうにでもしてくれという心境だった。


「そうだよ。染色ミスによるしろくまという名の、色のないパンダのぬいぐるみだよ!」


「逆切れして、ややこしい言い方をしないでください。

 そもそも、どうしてそのようなものばかり買ってくるのですか!」


「仕方ないだろ!

 田舎の山の中で唯一開いていた玩具屋が、こういう商品の宝庫だったんだよ!

 全商品がレアだぞ、参ったか!」


「ですから、理不尽な八つ当たりはやめてください。

 まったく……帰ってきてくれたのには感動しましたが、結局このようなオチがつくのですね」


 心底ガッカリした様子で、愛しの妻がため息をつく。もっとも、そうされても仕方のない状況ではあった。

 やはりわずか数時間前に気づいた状態では、まともな誕生日プレゼントなど、用意できるはずもなかったのである。


「ごめんな、葉月」


 素直に謝ると、愛娘はそんなことないとばかりに首を左右へ振った。

「ううん、大丈夫ー。だって、葉月。パパのぬいぐるみ、とっても気に入ったもんー」


「そうか!」


「あのロボットはそうでもないけどー」


「……そうか」


 そんなやりとりをしたあとで、春道は娘にあげられる最上級の誕生日プレゼントがあったのを思い出した。


「そうだ。今は冬休みなんだし、どうせなら一泊二日で葉月も温泉旅館へ泊まりに行くか。誕生日は過ぎてしまうけどな」


「……うんっ!」


 一瞬、驚いた顔をしたあとで、すぐに葉月は満面の笑みを浮かべて頷いた。

 さらに、そのあと続いた台詞で、春道は顔面を真っ赤にするという醜態を披露するはめになる。


「パパ、大好きっ!」


「お、おう……」


 不意打ち同然の嬉しい発言に、春道はそれきり何も言えなくなってしまう。そんな不甲斐ない状態をフォローするかのごとく、側にいた和葉が微笑みながら口を開いた。


「どうやら、明日と明後日、有給休暇をとる必要がありそうですね。世話のかかる夫を持つと、妻は大変です」


「娘も大変ですー」


 母娘が揃って無邪気に笑ってるのを見てるうちに、春道も自然と心からの笑顔を作っていた。

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