第274話 夏休みの夜店
夏休みに入ってすぐ、菜月たちの地元ではお祭りが開催される。
昼に夜にと半裸の男たちが威勢よく山車を引っ張って町内を回るが、年頃の少年少女たちの興味はそちらではなく、町の通りに面して並ぶ出店に集中する。特に初日の夜は大盛況で、こんなに住んでいたのかというくらいの人で溢れ返る。
「これでよし。菜月は浴衣がよく似合うわね」
着付けをしてくれた母親の和葉が微笑む。
「……胸がないからね」
「またこの子は……」
苦笑する和葉だが、ここで容易に「成長すれば大きくなるわよ」などとは言えない。そんな気休めを吐いた日には、理路整然と大きくなるとはいつかと追い詰められるのは目に見えている。
「せっかくの縁日なのだから、パーッと楽しんできなさい」
中学生になったのも加わり、例年よりのも菜月の門限が伸びた。
さらに――。
「はい。春道さんから預かっていたお小遣い。大事に使うのよ?」
「わかっているわ。それより、はづ姉はどうするか聞いてる?」
「仕事が終わったあとは和也君と会うと言っていたわね」
「デートか……はづ姉も相変わらずやることはやっているわね」
「姉相手にそういう言い方はどうかと思うわよ」
苦笑を含んだ注意を受けるも、それ以外に言いようがないからと菜月は気にしない。むしろそうした軽口を叩けるだけ、姉妹仲が良好な証拠でもある。
「菜月は茉優ちゃんや真君と一緒だったわね」
「部活の友達もよ」
自主練習の一件以来、すっかりというわけでもないが、それなりに愛花たちとは仲が良くなっていた。今日の午前中に行われた部活で、唯一の二年生である先輩がいつの間にと驚いていたのが記憶に新しい。
「菜月も段々と大人になっていくのね」
「そうかもしれないけれど、実感はないわ」
「フフ……私もおばさんになるわけよね……」
「ちょっと、ママ!? いきなり落ち込まないでよ!」
着付けをしてもらっているリビングから、仕事部屋にいる父親の春道を大声で呼ぶ。今の時間ならもう一段落ついているはずだ。
「呼んだか?」
すぐに顔を出してくれた春道に、菜月は目で和葉を指し示す。
「ママにいつもの発作が出たの」
「ああ……アレか」
納得したらしい春道が和葉の隣にしゃがみ込む。
「気にするなっていうのは無理な話だろうから、むしろ誇ってくれないか? 俺と一緒に過ごした証を悲しまれたら、寂しくなってしまう」
「春道さん……」
顔を上げた和葉の瞳が潤みだす。
よくやるわとは決して言わない。
むしろ夫婦円満の秘訣であり、キザな台詞を気負わずに使える春道がいるからこそ、高木家はいつも平和なのである。
*
「……なんてことがあって参ったわ」
「なっちーのママとパパはいつでも仲良しさんだねぇ」
頭上高くに並べられた提灯が照らす明かりの下、浴衣姿で連れ立って歩く茉優に、菜月は累計で何度目かもわからない愚痴を言っていた。
「でも素敵……」
「……え?」
恋する乙女みたいな表情で、うっとりする愛花に菜月は頬をヒクつかせる。
「何をギョッとしているんです? 菜月さんのパパは女心のわかる素敵な男性です。それに比べてうちのパパはいつも言葉が足りないんです」
「そうは言うけど、愛花の両親だって仲いいじゃん」
愛花と昔からの付き合いの涼子が言うと、すかさず明美も同意する。
「十分素敵で羨ましいよね」
「そ、そうかしら……ウフフ」
口では色々と不満を並べていたが、両親を褒められると満更でもなさそうにする。家庭環境的に難しそうな友人もいないようで、どことなく菜月はホッとする。
小学生時代には色々とあった茉優も、現在では父親と協力しながら、以前とは比べものにならない良質な生活を送っている。
「あ! まっきーの得意なやつがあるよ」
巾着袋を持っている右手を上げ、菜月の背中に隠れるように歩いていた真を茉優が呼び寄せる。
「絵柄を掘るやつですね。まっきー君はこういうのが得意なのですか?」
鈴木君と呼んでは茉優にまっきーだよと矯正され続けた結果、実に奇妙な呼び方を会得した愛花がどこか感心するように聞いた。
「得意というわけではないんだけど、前に綺麗にできたことがあって……」
「それなら全員で勝負といきましょう!」
「……また? いい加減に懲りてほしいわ。プールの時だっていきなり勝負を始めた挙句、見知らぬおじさんの背中に頭から突撃したのだから」
菜月の指摘に、愛花が茹蛸のごとく顔を真っ赤にした。
「あ、あれはたまたまです! 今度こそ負けません!」
「その意気だ、愛花。ボクたちも協力するぞ!」
「愛花ちゃんに勝利をプレゼントするわ!」
「それなら茉優とまっきーは、なっちーと同じチームだねぇ」
「ハ、ハハ……頑張るよ……」
良識派の真が諦観の笑いを零したことにより、菜月も観念せざるをえなくなる。
「わかったわよ。ただし、一回だけだからね」
代金を払い、露店の隣にあるスペースで、勝手にチーム分けされた三人ずつが向かい合う形でひたすら型取りをする。
無言の時間を経て、一人また一人と無念の声を夜空に放つ。
「簡単な絵柄でさえも、クリアするのが困難だなんて間違っているわ」
涼子が意外そうな顔をする。「菜月って負けず嫌いなんだな」
「スポーツをやっている人間は大抵そうでしょ。例外は茉優くらいのものよ」
型取りも真っ先に失敗していたが、さして悔しそうにもせずに笑い、椅子に座ったままで周囲にある露店を観察し始めたくらいだ。
「それより涼子ちゃんは余裕そうだけど、もう終わったの?」
「当たり前だろ。フフン。ボクを誰だと思ってるんだよ!」
「クラスメートの涼子ちゃん」
「ノリ悪っ! 愛花は素で理解できてない時が多いけど、菜月はわざとだろ!」
「……私に文句を言ってるようで、愛花ちゃんを軽くディスってるわよ?」
普段ならここで愛花のツッコみが入るのだが、当人は極限まで標的に顔を近づけての作業に夢中で、誰の会話も聞こえてないみたいだった。
「いいからこれを見ろ! へへんっ!」
得意げに笑うところは実に子供っぽいが、完成された型取りは見事の一言に尽きた。
「それって結構難しいやつじゃない。何でも力任せに解決しそうなタイプなのに、手先が器用というのは驚きだわ」
「はっはっは!
……褒められたんだよな?」
「騙されないで、涼子ちゃん。菜月ちゃんは暗に筋肉メスゴリラと言ったのよ!」
「何だってー!」
「……そこまで言ってないわよ。何気に明美ちゃんは毒舌よね」
わざとなら怒りようもあるのだが、本人に悪気はないというのが始末に悪い。
さっきのも菜月との対立を煽るというより、本当に友達が悪く言われてると思ったがゆえに彼女は現在進行形で頬を膨らませてプンプンしている。
「メスゴリラといえば、実希子ちゃんを思い出すねぇ」
「あ、それって例の伝説のOGのことか?」
ほんわかと言った茉優に、興味ありげに涼子が上半身を乗り出して尋ねた。
「そうだよ。茉優もなっちーと一緒に試合を見たことがあるけど、凄いんだぁ。ここぞというところで必ず打つんだよねぇ」
「ほとんど一人で弱小校を強豪に導いたって話だもんな。で、その人とメスゴリラがどう関係してるんだ?」
「実希子ちゃんのあだ名がゴリラなの。なっちーがつけたんだよ。きっと凄い人にはついつけちゃうんだろうねぇ」
幼少時の菜月は素直に実希子を認めるのが照れ臭いのに加え、姉の友人の中でもっとも軽口を叩いても引き受けてくれそうな女性だったので、ついつけてしまっただけなのだが、この場で訂正する必要もないので黙っておく。
「つまり菜月ちゃんが涼子ちゃんの凄さを認めたってことなのね!」
好意的に解釈した明美が満面の笑みを作る。
「凄いよ、涼子ちゃん」
「ま、まあな。はっはっは」
後頭部に手を当てて笑う涼子だが、次の瞬間にそのままの体勢で硬直する。
「今度からあたしも涼子ちゃんをメスゴリラって呼ぶね!」
「……え?」
尊敬の眼差しを友人に注ぎ、どこまでもにこにこする明美。彼女は心の底から嬉しそうでもあった。
「あ……あー……その、明美?
ゴリラって褒め言葉じゃないような気がするんだ」
「そんなことないよ! 愛花ちゃんがライバル視しても、相手にしてもらえない菜月ちゃんに一目置かれてるんだよ! メスゴリラ最強だよ!」
「そ、そうか? で、でも人前じゃ呼ばないように……ああっ、その笑顔はやめてくれ!」
まるで漫才コンビのような涼子と明美のやりとりを眺めつつ、菜月はふうと息を吐く。
「何だ、お疲れだな」
「ええ……面倒な事態になるのは避けられて……って、宏和?」
いつの間にやら菜月と真の間に割り込むように、戸高宏和が座っていた。熱心に型取りをしているが、複雑な絵柄のまえになすすべもなく敗れ去る。以前にも見たことのある光景だった。
「くそっ、もう一回だ!」
たまにソフトボール部を冷やかしにくるだけに、この場にいる皆とも一応の顔見知りの宏和は、早速頭に血を上らせて新たな挑戦を行う。
「ちょ、ちょっと、勝負は一回だけの約束です!」
その勝負とやらには宏和は関係なかったはずだが、勝手に対戦相手にカウントしたらしい愛花が抗議した。
宏和は愛花を上目に見ると、得意げに口端を歪めた。
「ルールに縛られてちゃ、どんな勝負にも勝てないぜ」
「……っ!」
雷に貫かれたように双眸を見開く愛花。わなわなと唇を震わせ、
「盲点でした。くっ、これが勝者のメンタルというやつなんですね……」
「違うから。ルールを守らなきゃ反則負けになるから」
真面目に指摘してみるが、何故か憧れの視線を宏和に送る愛花に、菜月の声は届いていないみたいだった。
「ならばわたしも心を強く持って戦います!」
ポーチから可愛らしい財布を取り出して、愛花も新たな型を購入する。
涼子が彼女を天然みたいに評していたが、その理由が菜月にもはっきりわかった気がした。
*
「この二人はまだまだ動きそうにないし、かき氷でも買ってくるわ。
皆も食べる?」
菜月が聞くと、型取りに集中しているはずの宏和や愛花も含めて、次々とオーダーが飛んできた。
「一人じゃ大変だから、僕も行くよ」
「ありがたいけれど、型取りはもういいの?」
立ち上がった真に尋ねると、完成した型を見せてくれた。涼子のよりもさらに複雑な絵柄だった。
「凄いじゃない!」
菜月が目を瞠ると、真は恥ずかしそうに頬を緩めた。
連れ立ってかき氷を売る露店の前に着くと、最初に真が自分と菜月の分を注文した。
「さっきの収入があるから、菜月ちゃんにご馳走するね」
「いいわよ、自分で買うから」
「そ、そんなこと言わないでよ! ね、僕に奢らせて!」
中学生になって、ほんの少しだけ大人な感じになった真がいつになく真剣に言った。もしかしたら菜月に奢ることで、男らしさというか大人らしさを見せようとしているのかもしれない。
――そう思う時点で子供のような気もするけれど。
心の声は決して出さず、微笑んで菜月はありがたく真の申し出を受けた。
「ありがとう」
「どういたしまして!」
あとはまた先ほどの型取りの露店へ戻るだけだが、さすがに地元では夏の祭典とも呼べる縁日。かなりの人が波のように押し寄せるので、うっかりしていると流されてしまう。
他の人にかき氷をぶつけないように気を遣いながら、なんとか菜月は帰還を果たす。
「これが茉優ちゃんので、こっちが愛花ちゃんのね。それで、これが宏和の」
「ボクと明美の分は?」
「私のと一緒に真が持っているわ」
「その真がいないんだけど」
「え?」
振り向いた先には変わらぬ勢いで流れ続ける大勢の人。そこにいるはずの少年の姿は影も形もなかった。
「もしかして迷子かなぁ」
心配そうに言う茉優の頭を軽く撫でてから、菜月は人の波に戻る。
「真ー?」
きょろきょろと周囲を見渡しながら歩く。
すると比較的苦労もせずに、目当ての少年を発見した。
型取りの露店とさほど距離が離れてなかったのもあるし、広大な遊園地などでなかったのも幸いした。
安堵の吐息を漏らし、菜月は不安げにしている少年の肩に手を置いた。
「ここにいたのね」
「な、菜月ちゃん!?」
泣きそうだった真が見られまいと顔を逸らしたので、菜月もあえて気付かないふりをする。
しかし――。
「今度は、はぐれないようにしないとね」
挟むような形で四つのかき氷を持っていた真から半分を受け取ると、菜月は彼の腕にするりと自分の腕を絡ませた。
「な、菜月ちゃん!?」
先ほどよりもずっと赤面した真が声を裏返らせた。
「仕方ないでしょ、手を繋ごうと思っても塞がっているのだから」
火でも噴いたようにカッカと顔が熱い。
恥ずかしくて、まともに相手を見られない。
それでも浴衣を通して伝わってくる体温に、仄かな安心感を覚える。
「まだまだ世話が焼けるのだから」
「ご、ごめん」
引っ張るように少年を連れ歩きながら、菜月は静かに口を開いた。
「ねえ、真」
「な、何?」
「無理に恰好いいところを見せなくていいのよ? 真は真なのだし……それに、真のいいところも悪いところも、もう私にも茉優にもバレてるのだから」
「うん……」
小さく頷いたあとで、しかし真は言う。
「それでもさ、少しは……成長した姿を見せたかったんだ」
「……焦らないで。私は真の隣にいるから、ゆっくり見せてくれればいいわ」
「――っ! う、うんっ!」
嬉しそうに真が首をブンブン振る。
その様子を横目で眺めながら、菜月は無意識に頬を緩めていた。
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