第275話 秋の駅伝大会
夏休みも終わり、秋用に入れ替わった雲が穏やかに空を流れる。
太陽のギラつきも落ち着き、絶好の運動日和と言わんばかりに、ホームルーム中の菜月のクラスにイベントを開催するプリントが配られた。
「ウフフ。ついに菜月さんと雌雄を決する時が来ました」
「これ、クラス対抗の駅伝大会よ?」
後ろの席で不敵に笑う愛花に指摘すると、その両側に陣取っているトリマキーズが甘いなとばかりに鼻を鳴らした。
「皆、同じ距離を走るんだから、タイムで決着をつけれるだろ」
「きっと愛花ちゃんが、菜月ちゃんをコテンパンにしちゃうんだから!」
「今時コテンパンって……それに、意気込んでおきながら、最終的には上手く手を抜けない涼子ちゃんが勝っちゃって気まずくなるのよね」
図星をつかれた涼子が吹き出し、身に覚えがありすぎる愛花が頬をヒクつかせる。
「そ、そんなわけないだろ!」
「水泳大会の時もそうだったじゃない。接待するなら、もっと上手にやるべきね」
「わたしを甘くみないでください」
涼子に助言した菜月を、席上から愛花がキッと睨みつける。
「手加減された勝利になど価値はありません。
いかなる場合でも真剣に戦うべきです」
「けれどその結果、愛花ちゃんはことごとく負けているじゃない」
「こ、こら、菜月! 本当のことを言うな!」
「そうだよ。愛花ちゃんは図太そうでいて、意外と繊細なんだから!」
グサリグサリと槍でも突き立てられたみたいに、身体を揺らす愛花。
トリマキーズは心から彼女に親愛の念を抱いてるのだが、時折悪気なくディスったりする。それでも友情が壊れないのだから、三人の仲の良さは本物といえるだろう。
秋の体育祭代わりに行われる駅伝大会はクラス全員の参加が義務付けられ、男女が交互に走る。全クラスが同時に走るため、必然的に一年生は不利になるが、学年ごとにも順位がつけられるので、そこまで気負う必要はないと担任は言った。
「ただ全校と学年での上位二クラスにはペナントが与えられる。頑張ってくれ!」
出走順は各クラスごとに決められる。人数にバラつきが出た場合は、少ないクラスに合わせるため、見学者が出る場合もある。足が遅ければ、なるべく走りたくないのが本音だろう。
「その場合も待機メンバーにはなる。誰かが急に休んだりしたら代わりに走るんだから、気を抜かないようにな」
担任がそう言って締めくくると、あとは学級委員長である菜月に丸投げされた。
「私としてはまず、皆が楽しく走れるのが重要だと思うのだけれど」
黒板前に立った菜月がそう切り出すと、横で補佐を務める副委員長の愛花が早速異を唱えた。
「やるからには勝つべきです。
皆で一丸になってこそ、勝利の味も格別になるのです!」
「だからといって運動が苦手な人に無理な要求をしたら、駅伝大会が心の傷になりかねないわよ。委員長という立場である以上、そうなる危険性を看過できないわ」
ピシャリと言い放った菜月に気圧され、愛花が二の句を告げられなくなる。
クラスもシンとしてしまったところで、校内でもイケメンと有名な沢恭介が右手を上げた。入学式の日に菜月が宏和に絡まれてると勘違いして以降、ほどほどに会話する仲になっていた。
「それならまずは全員のタイムを確かめたらどうかな」
男女ともに春の身体測定で持久走をしている。その時の距離が1500メートルで、今回の駅伝大会で走る距離と同じだった。
「出走順を決めるにしても、タイムは重要になるからね」
陸上部らしい建設的な意見を採用し、自己申告されたタイムを愛花が黒板に書いていく。
「速い人を先にして差をつけるか、後に回して追い込むのか、悩みどころですね」
全員のタイムが出揃ったところで愛花が腕を組む。
「私としては速い人と遅い人を交互にするべきだと思うわ」
序盤に大差を作っても、後半でひっくり返されれば走者は責任を感じてしまう。勝利への希望が見えるだけに尚更だ。
ならば逆にすればとも思うが、挽回できない差がついてしまった場合、希望を失ってダレる可能性が高い。そうなれば雰囲気はギスギスし、やはり好走できなかった面々は辛い思いをするだろう。
「なるほど。セットにして一定の走力を保ちたいんだね。俺は悪くないと思う」
菜月の意図を理解した恭介が賛成する。彼のファンクラブみたいなのを作っている女子はそれだけで納得するし、男子でもリーダー的存在なのであっさり意見はまとまった。
いっそ彼が委員長になってくれれば楽なのだが、途中で交代できないので諦めるしかない。その代わり、こうした場面では積極的に発言してくれるし、男子に何かお願いする場合も彼を通せばスムーズにいくので、菜月としても重宝というか頼りにしていた。
「話が決まったなら、あとは特訓です!」
愛花が握り拳を高く掲げるが、反応は薄い。熱狂的に支持するのは運動部の男子とトリマキーズくらいである。それでも体育祭同様に、始まってしまえばなんやかんやで雰囲気に流されて盛り上がるような気がしないでもないが。
「特訓といっても部活もあるし、そう簡単にはできないわよ」
菜月がやんわりと注意するも、天然成分が配合されている愛花は真意に気付かずにドヤ顔で薄い胸を張る。
「早朝なども活用すればいいのです!」
どうあっても止まりそうにないので、諦めた菜月はそれならとクラスメートに告げる。
「では参加可能な人だけでやりましょう。強制ではないので、集まりが悪かったからといって他の人を責めるのだけは止めてください。もしそういう話が聞こえてきたら、委員長の権限で特訓を即刻中止にします。愛花ちゃんもそれでいいわね?」
「も、もちろんです」
強めに念を押された愛花は、顔を引きつらせながらも頷いてくれた。
*
駅伝大会まで一週間しかないので、特訓しても焼け石に水。
そう思っていた菜月だが、予想外にも特訓は結果として現れた。その最たる要因はコーチ役をしてくれている陸上部の恭介だった。
特に運動が苦手なクラスメートに走り方のコツなどを教え、少しでもタイムが上がるとひたすら褒めちぎる。見下しも怒りもしないため、普段会話したことがなさそうな男子ともあっさり仲良くなっている。
一方で女性陣は愛花が音頭を取ってまとめている。こちらにも運動が得意な涼子がいるのだが、教えるのはさほど上手くないらしく、すっかり指導役としては機能しなくなっている。
だが運動神経抜群に見えて実はそこまで突出もしていない愛花が、寄り添うように他の女子と走ったりするので、これはこれで上手くコミュニケーションが取れている。あとは菜月の仕事だ。
「沢君。無理なお願いで申し訳ないのだけれど、女子にも何かアドバイスを貰えないかしら」
「俺でよければ喜んで」
裏表のない笑顔と人当たりの良さ。さらには物腰も柔らかく、偉ぶったりもしない。とどめに顔立ちが整ってるとくれば、女子に人気が出るのも当たり前だった。
恭介にコーチされた女子は舞い上がりながらも積極的に実践するおかげで、タイムは男子以上に劇的に伸びた。
そうした話が休み時間などに教室で交わされ、日が進む事に特訓へ参加する生徒が増え、最終的にはクラス全員で行われるようになった。
*
駅伝大会が翌日に迫り、最終的な打ち合わせも含めて、菜月は恭介へ相談しようと声をかける。
「沢君、出走順について意見を貰いたいのだけれど……」
「タイムでジグザグに組むんだよね」
「ええ。けれど、どうしても平均的に遅くなるコンビも出てしまうのよ」
「それならそのチームは真ん中に置こう。どこのクラスも主力級を中盤に配置したりはしないだろうからね」
一般的な作戦とすれば、序盤と終盤に速いランナーを置く。もっと言えば、エース級は序盤に配置される。最初に差を作りたいのはもちろんだが、他のクラスもそうするだろうと容易に想像できるからだ。
速い走者同士なら差もつきにくいが、遅い走者と当たれば決定的な差ができかねない。それを避けるためにも、各クラスが似たような配置になるのはある意味当然だった。むしろ菜月の提唱した作戦が珍しいのである。
「……皆、やる気になっているし、やはり勝ちにいく配置にすべきなのかしら」
顎に親指を当て、菜月は考え込む。
「高木さんの作戦でも、俺は十分に勝てると思うけどな」
「そうかしら」
「二人一組という形で考えれば、取り返しのつかない差はできにくいし、中盤から終盤にかけてはじりじり追い上げることもできると思う。要はトータル的なタイムの勝負だし」
「さすが陸上部ね。参考になるわ」
ジャージ姿のままで立ち話に興じていると、クラスの女子が菜月を見ながら何かを話していた。用でもあるのかと思い、恭介に挨拶をしてから、そのクラスメートの元へ向かう。
「何か問題でも起きたの?」
「あ、そういうんじゃないの」
三人の女子が顔を見合わせて「ねーっ」と頷き合う。顔が少し赤い。もしかしたら変な熱病にでもかかっているのだろうか。
菜月の怪訝そうな表情に気付いたのか、もじもじと親指と人差し指を交差させながら、三人のうちの一人が意を決したように聞いてくる。
「ねえ、高木さんって沢君のこと、どう思ってるの?」
「クラスメートだけれど?」
「そうじゃなくて!」
キャーキャーと勝手に盛り上がる三人の反応で、ようやく菜月は相手の意図を悟る。中学生になったからなのか、色恋に興味深々な女子が増えていた。
「答えは変わらないわね。単なるクラスメートよ」
「そうなんだ……」
どこか残念そうにするその子を見て、菜月はあれ? と首を傾げた。
「皆は沢君のファンクラブ会員なのよね?」
「うんっ! だけど、私たちじゃ沢君に釣り合わないし」
「でも高木さんだとお似合いだよね。二人で立ってると絵になるし」
「もしそうなら、皆で応援しようって話してたの!」
三人同時に迫られると、さすがに強い圧力を感じて、思わず菜月は後退りしてしまう。
「そ、それなら残念だったわね。
明日の駅伝大会のために作戦を練っていただけよ」
「雰囲気も良いのに、勿体ないよ。付き合っちゃえばいいのに」
「私の独断で決められることではないわ」
「大丈夫だよ。沢君なら絶対、高木さんのこと好きだから!」
「……どうして断言できるのかしら?」
投げやり気味な菜月の質問に対し、三人は声を揃える。
「「「小学生の頃からずっと見てきたもん」」」
寂しそうで、それでいて笑顔で。
少女たちの気持ちが伝わってきた菜月の胸の奥が、キュウと切なくなった。
「仮にそうだとしても……私にその気がないから……」
ぎこちなく笑顔を浮かべ、菜月はそう答えることしかできなかった。
*
「いやー、さすが愛花だよな! まさにヒーローだぜ!」
「ウフフ。ありがとう涼子」
手を上げて応える愛花に、周囲からクラスメートの拍手が飛ぶ。
午前中に行われた駅伝大会で菜月のクラスは見事に学年一位を獲得し、その際にアンカーを務めたのが愛花だったのである。しかも最後の直線で、三年生のランナーを抜くおまけ付きだ。
「確かに恰好はよかったけれど、それを言うならヒーローではなくヒロインよ。それに第一走者として、他のクラスをぶっちぎった沢君も十分に勝利の立役者でしょう」
恭介は謙遜するも、他の全員は――愛花も含めて――惜しみない祝福を送る。
「皆で頑張ったからだよ。陸上は個人種目が多いけど、こうして力を合わせて勝ち取った勝利というのは嬉しいもんだね」
あくまでも優等生発言に終始する恭介。狙っているのではなく、素の性格なのだから、無自覚に男女問わずにファンを増やしていくのである。
*
子供時代から利用しているスーパーの休憩スペースで、それぞれに買ったジュースを片手に打ち上げをする。
話題はもっぱら駅伝大会のことで、普段はあまり会話しない生徒たちも仲良く笑っている。
「あら、あそこにいるのはまっきー君ではないですか?」
武勇伝を誇らしげに語っていた愛花が、一休みしに菜月のところへ戻ってくるなり、通路の方を指差して言った。
「他にも生徒がいるから、きっと真のクラスも打ち上げに来たのね」
中学生になって真も茉優も他のクラスになってしまったが、仲良くやれているようで今更ながらに安堵する。
「せっかくだし一緒に……って、あら? 行ってしまいましたね」
「向こうは向こうでまとまっているだろうし、無理に呼びつけたりしたら悪いわ」
ちなみに真たちのクラスは学年で四位という成績だった。トップを務めたエース級の走者が本来の実力を発揮できなかった結果、そのままずるずると浮上できずに終わったのである。それでも元来、闘争本能に乏しい茉優は最後まで楽しそうだったが。
「それもそうですね。では今度は菜月さんに聞かせましょう! わたしの素晴らしい活躍の瞬間を!」
「……聞かなくても知っているわ。同じクラスなのだし」
「アホだな、菜月は。何回も聞いてこそ、愛花の凄さがわかるんだろ!」
「一緒に聞きましょう。何なら愛花ちゃんの家に泊まって夜通しで聞きましょう!」
いつの間にか接近を許していたトリマキーズに、左右から肩をガッチリ押さえ込まれる。
「は、離しなさいっ! くっ、部活を頑張っているせいか、だいぶ力がついてきたわね……!」
懸命に抗うも、逃れられなかった菜月は、グッタリするまで愛花の活躍を尾ひれつきで聞かされるはめになった。
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