第222話 夏のプールと恋心

 部活に全力を注いできた分だけ、引退すると暇になった。体は楽だが、寂しさを覚える機会も少なくなかった。


 そんな心の隙間を埋めようとするかのように、葉月たちは遊びまくった。

 ソフトボール部の練習はなくとも、ほぼ毎日五人で集まった。時には晋太や和也の姿もあった。


 今日はその七人に加え、妹の菜月と戸高泰宏の息子である宏和を連れて市民プールに来ていた。

 屋内と屋外に、それぞれ五十メートル用のプールがある。屋外の方が少し深くなっている。安全なのは屋内で、子供用の浅瀬のプールも存在する。


「おお、いるいる。暑いからプールは大盛況だな」


 更衣室から屋内プールへ到着するなり、実希子は額に手を当てて言った。屋外プールへ行くには、ここを経由するしかないので通り道みたいにもなっている。


「早く入ろうぜ」


「準備運動はしないと駄目よ。溺れたいのなら止めないけど」


 宏和より菜月の方が一つ年下なのだが、普段の言動と態度を見ていればどちらが年上かわからない有様だった。下手をすると母親と息子な感じである。


「相変わらずなっちーはしっかりしてんな」


「そうね。実希子ちゃんにも見習ってほしいくらいだわ」


「はっはっは。高校生が小学生に劣ってるわけないだろ。好美も冗談キツい――」


 途中で実希子の台詞が中断する。

 確認した好美の顔が大真面目だったせいである。


「――あれ、本気だったの?」


「家から服の下に水着を着て来たとはいえ、プールにはしゃぎすぎて外で服を脱ごうとする恥知らずに冗談を言うわけないじゃない」


「あ、あはは……ご、ご面倒をおかけしました」


 暴挙に出ようとする実希子を、四人がかりで必死に止めたのである。痴女だと通報されれば連帯責任になりかねない。

 好美が実希子の耳を引っ張る形でロッカーへ連行し、水着になる前にこんこんと説教をしたのだった。

 おかげでプールへ顔を出す時間が遅れ、男性陣はすっかり待ちくたびれていた。


「和也君も柳井君もごめんね。待ったでしょ」


 葉月が謝るも、和也は気にするなと言った。ハーフパンツの水着で、上半身には逞しい筋肉がついている。

 野球部の厳しい連中で鍛えたものだが、残念ながら甲子園出場という結果に繋げることはできなかった。


 その和也が唐突に顔を逸らす。頬も赤い。

 気になって葉月が大丈夫か問うと、余計に和也はしどろもどろになった。

 少し離れた位置で様子を見ていた実希子が、ニヤニヤしながら近づいてくる。


「あまり構ってやるなって。葉月の水着姿に興奮してんだからよ」


「さ、佐々木っ!」


「違うのか?」


「いや、それは……違わ――

 じゃなくて! そ、そういうのじゃなくてだな、その」


「ハハハ。ま、そういうわけで二人きりにしてやるから、楽しんでこいよ。なっちーと宏和の面倒はアタシらが見ててやるから」


 実希子が指を示すも、先には好美一人しかいなかった。


「あれ? さっきまで三人いただろ。他はどうしたんだよ」


「一人はあそこよ」


 同行していたはずの柚は、いつの間にやら複数の男性に声をかけられていた。

 顔は美形で体型はスレンダー。当人は胸のなさを気にしているが、外見はどこからどう見てもモデルだ。

 ソフトボールによって肉体が引き締まっているのもあり、タンキニと呼ばれるタイプの水着がよく似合っている。抜群のプロポーションで、見る者を男女問わずに惹きつける魅力があった。


「いきなりナンパされてんのかよ」


「さすが柚ちゃんだね」


「で、もう一人は?

 あ、いい。聞く必要なかった」


 もう一人の尚は、晋太の前でファッションショーよろしく今日のために購入した水着を披露していた。

 ビキニタイプで生地の面積が葉月たちの誰よりも小さい。過激というほどではないのかもしれないが、思春期の男性には刺激が強いだろう。人魚のように思える柚とは違い、妖艶さが付きまとっている。


 彼氏の晋太は興奮を隠そうともせず、賛辞の言葉を恋人に送り続けている。

 尚も満更ではない様子で、完全に二人の世界に入りつつあった。


「あっちは放っておくか」


 呆れ果てた様子の実希子は自分を着飾るものにさして興味を示さず、学校で使用するタイプの水着を着ている。それでも上半身の大きなふくらみは目立つ。

 筋肉は誰よりあるが決してマッチョではないため、グラビアモデル顔負けの扇情的な肢体となっている。


 実は好美と葉月も同タイプの水着だった。皆で店に水着を見に行った際、色々と柚や尚に勧められたのだが、最終的にこれでいいという結論になったのである。

 ちなみに菜月はワンピースタイプで、宏和は普通の海パンである。


「ほらほら、なっちーはあっちだろ。滑り台もあるぞ」


 浅瀬の小型プールには、子供たちのためにと小さな滑り台がある。小学生低学年くらいまでの児童が仲良くそこで遊んでいた。

 私は子供じゃないと言いながらも、菜月の視線は滑り台から離れない。マセていようとも子供は子供なのだった。


   *


 当初の宣言通り実希子と好美が二人を連れていったので、葉月と和也は取り残される形になった。


「また変な気遣いをされちまったな」


 後頭部をポリポリと掻いたあと、和也は改めて葉月に水着が似合ってると告げた。

 もの凄く照れながらだったので、なんだか葉月まで恥ずかしくなる。


「あ、ありがと。そ、それじゃ、せっかくだからプールで泳ごうか」


 足から入り、水の冷たさを楽しんだあとで屋外へ向かう。夏の日差しは暑いが、プールに入っていると心地よく感じられるので不思議だった。

 二人で遊んでいると、お互いに水着だという恥ずかしさも徐々に薄れてきて、普段通りに話せるようになる。


「やっぱり和也君も、部活が終わると退屈な感じかな?」


「もちろんさ。体を動かしてないと、なんか落ち着かないんだよ。だから今日のプールは楽しいんだ。他の奴らには悪いけどな」


 男子で誘われたのは尚の彼氏である晋太と、女子全員とそれなりに親交の深い和也だった。それ以外は恋愛事にさほど興味を示さない好美と実希子に配慮してNGとなった。


「あはは。そうだよね。私も家でじっとしてると、最後の瞬間を思い出しちゃって」


 念願の全国大会の舞台に立てたのに、一回戦で負けてしまった。それも葉月が打たれたせいでだ。

 責任を感じる必要はないと誰もが慰めてくれたが、それでもあの時もっと腕を振れていればなんて考えてしまうのだ。


「そっか。でも俺は羨ましかったりするかな。インターハイといえば、俺達にとっての甲子園みたいなもんだからさ。一回戦負けでもいい、悔し涙を流してもいいから、あの舞台に立ってみたかったよ」


 負けた後悔をできることすら、見る人によっては贅沢なのだと気付かされる。その事実が同時に、葉月に一つの喜びを思い出させてくれた。

 それは苦楽を共にした仲間全員で掴んだ県の頂点である。だからこそインターハイへ出場して、悔しい思いもできたのだ。


「ありがとう、和也君」


「お礼はやめてくれよ。俺はただ、高木に嫉妬しただけなんだからさ」


「それでも、ありがとう」


 微笑んで、葉月はふと思い出す。

 窮地を迎えた際に勇気を貰おうと父親の顔を見た時、一緒に和也の姿を探していた。春道に感じるのとはまた違う気持ちを抱き、いつもより体が動いた。


 一体何だったのだろうかと考えた葉月は、一つの結論に辿り着く。

 もしかして、これが好きだという気持ちなのかもしれないと。


「そういや、高木は進路を決めたのか?」


「ううん、まだだよ。和也君は?」


「進学かな。大学でも野球やりたいし、親も南高校に入った時点で、俺が大学に行くものと思ってるからさ」


「そっか。私はどうしようかな。フフ」


 無意識に笑ってしまった葉月に、和也が怪訝そうにする。


「どうかしたか? 進路を悩んでるにしては楽しそうだぞ」


「うん、楽しい……かな。あはは。

 ねえ、和也君。前に私に言ってくれたことを覚えてる?」


 すぐに告白のことだと思い至ったのだろう。和也は真剣な顔つきで頷いた。


「じゃあ、返事をするね」


 そう言って葉月は水の中に潜った。

 慌てて追いかけてきた和也に、葉月は両手を使って胸の前で丸を作った。

 浮かび上がって和也に笑いかけると、彼もまた素敵な笑顔を見せてくれた。


「春道パパには勝てないかもしれないけど、俺……高木を大事にするよ」


「正直、まだよくわかんないんだ。でもね、和也君の隣をもっと歩いていたいなと思ったの」


「ありがとう」


「えへへ。どういたしまして」


 告白の返事をして、葉月と和也は恋人同士になった。

 これまでと何が変わるのかはまだわからないが、なんだか妙に楽しかった。


   *


「ついに観念したのか。ほとんどストーカーだったもんな」


 和也との交際を報告したあと、実希子の第一声がそれだった。

 葉月たちは今、市民プールから出て皆でファミレスにやってきている。

 訳がわからないといった顔をする宏和とは異なり、妹の菜月は交際という単語の持つ意味を理解しているみたいだった。


 いつもの調子で食ってかかるのかと思いきや、和也は実希子の台詞で撃沈されたように肩を落としている。


「俺、傍から見てるとストーカーっぽかったのか」


「あんまり和也君を虐めたら駄目でしょ。二組目のバカップル誕生とならないだけいいわよ」


 プールで数々の男性から声をかけられていた柚は、疲労困憊といった感じで椅子の背もたれに上半身を預ける。


 満更ではなさそうだったが柚本人には、最初からナンパに応じるつもりはなかったらしい。チヤホヤされるのを楽しんでいただけみたいだった。

 それを知った実希子はすかさず「悪女だ」とからかっていたが、当人に気にしている様子はない。


「いつの世も本物の愛とはなかなか理解されないものね。そうだ。葉月ちゃんたちに私達の愛の軌跡を教えてあげようか? 是非、参考にして」


「あ、あはは……それはちょっと遠慮しておくかな」


 瞳をキラキラさせる尚からの提案を、丁重にお断りする。

 葉月の性格上、人前でイチャイチャするのはどうにも無理に思えた。

 相手はどうか不明だが、他者に自分の考えを強要するタイプではないので、その点は安心していた。


「それにしても、ついに葉月も彼氏持ちか。時間の問題ではあったけどな。そもそもアタシらが後押しをしたようなもんだし」


 事あるごとに葉月と和也が二人きりになるよう仕向けていたのは、他ならぬ実希子たちなのである。もっとも好美だけは積極的賛成でなく、他の仲間に押し切られていたのだろうが。


「まあ、そういうわけで、こうなりました」


 曖昧な表現で報告を終えた葉月だが、責めるような視線は一つもない。

 だがここでボソリと衝撃的な発言をする者がいた。


「はづ姉が和也さんと付き合うということは……ママに続いてパパも私の物になるのね」


 ニヤリ。そんな音が聞こえてきそうな笑みを菜月が作る。

 挑発された葉月は彼氏がいるから大丈夫、とはならなかった。


「なっちー?

 世の中にはね、言っていいことと悪いことがあるんだよ。パパは私の」


「じゃあ、パパと和也さんが同時に溺れてたらどうするの?」


「パパに和也君を助けてもらってから引き上げるよ」


 即答だった。

 皆が唖然としていようとも、葉月の頭の中にはしっかりとその光景がイメージできていた。


「はは。葉月らしいけど、仲町は苦労すんな」


「そんなのは最初から承知済みだ。いいじゃねえか。あれも高木の魅力の一つだ」


「言うねえ。せいぜい頑張れや、色男。葉月を泣かせたらぶん殴るからな」


「ああ、その時は是非そうしてくれ」


 和也たちがそんな話をしてるとも知らず、ファミレス内で葉月は延々と姉妹による頬のつねり合いを繰り広げていた。

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