第191話 柚の異変

 高校生活をスタートさせた葉月は、上級生との対面式を経て部活選びを開始していた。


 進学校特有の難易度の高い授業内容に、早くも実希子は頭から湯気が出ると喚いていたが、放課後になると途端に元気を回復させる。

 餌に群がる猛獣のごとき勢いでF組に乱入しては、連れ去るように葉月を引っ張って部活の見学に行こうと誘う。彼女の背後には好美の姿もある。息を切らし気味なのは、走り回る体力モンスターの実希子を追いかけてきたせいだろう。


「柚はどうしたんだ。あいつも誘おうと思ったのに」


 言われて初めて、葉月は柚の姿が教室から見えなくなってるのに気づく。


「あれ? さっきまでいたはずなのに。急ぎの用があって、帰っちゃったのかな。メールしてみる?」


「いや。本当に用事なら邪魔してもマズいしな。それに明日になればまた学校で会えるだろ。その時に葉月から話してみてくれよ」


「うん、わかった」


 力を抜き、実希子に引っ張られるままになる。自動的に足が動く感覚で、とても楽ちんだったりする。

 階段を下りる場合は危険なので、手を離して貰ってグラウンドへ急ぐ。すると背後から慌てた声が届いてきた。


「実希子ちゃんはどうでもいいけど、葉月ちゃんは気をつけて。中学校の時と違って、スカートの丈が短くなってるのよ」


 好美のアドバイスで両手をスカートの後ろ側に回す。階段を下りる際の勢いで、ふわりと浮かび上がりそうになっていたのを押さえる。

 隣を駆け下りていた実希子も同様の反応をしつつ、ジト目で顔だけを好美に向ける。


「アタシはどうでもいいって酷いだろ」


「見えても気にしないのかと思って。男子もあまり喜ばないだろうし」


「ほっとけ!」


 怒ってるわけではなく、恒例となっているやりとりも同然だった。それに好美の発言内容には偽りがある。実は実希子は、中学生時代に意外と男子に人気があった。

 とびきりの美人というわけではないが、親しみのある姉御という感じで、性格もまさにそんな感じ。男子の下ネタにも眉をしかめたりせず、豪快に笑い飛ばす。

 加えて誰もが目を奪われるような巨乳である。むしろ人気が出ない方がおかしいレベルである。


 そんな彼女だけに告白されたこともあるのだが、その度に興味がないと断っていた。葉月や好美も同様であり、中学では難攻不落扱いをされていたらしかった。


   *


 大急ぎでグラウンドへ出ると、お目当てのソフトボール部が一角で練習を始めようとしているところだった。


「間に合ったみたいだな。それにしても、野球部は恵まれてるなぁ」


 グラウンドの隅に、専用のグラウンドがフェンスに囲まれて存在していた。部室もプレハブみたいとはいえ、他の部とは比べものにならないくらい立派なのがある。


「部室にはシャワールームもあるぞ。トレーニング設備も中学校のとは雲泥の差だ。甲子園に出場したのは昔に一度だけで、最近では地区ベスト8も厳しいっていうのにな」


「え!? あっ! 和也君だ。なんかユニフォーム着てる」


 野球部の専用グラウンドを眺めていた葉月たちに声をかけたのは、校舎から出てきたばかりと思われる仲町和也だった。小学生時代から学校が同じで、過去に虐められたりもしたが、柚同様に今では仲の良い友人である。


 和也も同じ高校に進学するのは知っていた。合格発表後に一度だけ、家に来た電話で教えてもらったのである。だが連絡はその時の一回だけで、あとは音沙汰がなかった。入学式の日に所属するクラスを探した際、B組の前で彼の名前を見つけていた。


「早速、野球部に入ったのか」


 尋ねたのは実希子だ。


「ああ。おかげで入学式の前から練習させられてるよ。一年は体力づくりや、球拾いとかの手伝いがメインだけどな。さすがに中学校の時よりも練習がキツくて、毎日全身が筋肉痛だよ。高木たちはソフトボール部か?」


「うん。皆で入部するつもりだけど、まずは見学に来たんだ」


「そっか。頑張れよ。俺はもう行くぜ。早くしないと、先輩に怒鳴られるからな」


 軽く右手を上げて、和也はダッシュで野球部専用グラウンドへ向かった。

 入れ替わるようにして、今度は他の人物が葉月たちの前にやってくる。それはとても見慣れた女性だった。


「美由紀さんっ!」


 真っ先に声を上げたのは実希子だった。


「久しぶりね。皆、元気だった?」


 笑顔の高山美由紀が、全員と握手するべく一人一人に右手を差し出してくる。応じた葉月たちは口々に挨拶する。


 高山美由紀は葉月の一つ上で、中学校のソフトボール部の先輩でもあった。優しいが厳しさもあり、実希子以上に凛々しい。中学時代から年下の女の子に人気があった。

 さっぱりとしたショートカットで顔は中世的。身長は一般女性の平均よりも高く、実希子と同じくらいである。ソフトボール一筋の女性らしく、二の腕や太腿には筋肉が乗っている。


「高山先輩もこの学校だったんですね」


「ええ。即戦力が三人も入ってくれて嬉しいわ。うちのソフトボール部はあまり強くないから」


 好美が怪訝そうな顔をしたので、葉月はどうしたのか尋ねる。


「もしかして、実希子ちゃんの話を南高のソフトボール部関係者にしたのは高山先輩ですか?」


 葉月と実希子が驚く中、美由紀はやるわねとばかりに笑った。


「相変わらず好美は頭脳明晰で鋭いわね。前に監督が中学の後輩とかで凄い選手がいないかと言っていたから、迷わず推薦しておいたわ」


 美由紀は実希子が合格した事情も知っており、それも顧問の教師に教えられたらしかった。やはり合格発表前に実希子へ電話をかけてソフトボール部への入部の意思を確認したのは顧問であり、監督の教師だったのである。


「じゃあ、アタシが合格できたのは美由紀さんのおかげなのか。あざーっす」


 目の前で下げられた実希子の頭を、美由紀は手のひらで軽くポンと叩いた。


「何を言ってるのよ。実希子の入試結果が悪ければ、問答無用で落とされていたわ。合否ギリギリのラインまで点数を積み重ねていたからこそでしょ。もっと自信を持ちなさい」


「やっぱアタシって凄えんだな」


「よく言うわ。入学して間もないのに、早くも授業に置いていかれそうになってるくせに」


「それを言うなよー」


 半泣きの実希子に皆で笑っていると、周囲がガヤガヤしてきた。他のソフトボール部の部員が美由紀と話している葉月たちの側に集まり出したのだ。

 そのうちに見覚えのあるジャージ姿の男性が校舎から出てきた。美由紀に監督だと教えられる。


「ん? もしかして入部希望者か? 部活紹介の前に来てくれるなんて前途は明るいなあ」


 大げさに喜ぶ男性教師は三十代後半程度。入学式の日に、校門前で新入生を出迎えてくれていた人物である。


「あ、田沢先生だー」


 葉月が名前を知っているのには理由がある。女子の体育を担当する教師でもあるからだ。ちなみに男子の担当が野球部の監督であり、初めて見た際に実希子が筋肉ダルマと口走ったほどのゴツイ男性だった。


「田沢先生じゃわからないだろ。二人いるんだから」


 実希子の言う通り、南高には田沢という名字の教員が二人いる。葉月の目の前にいる田沢良太と、四十代半ば程度で一年生と二年生の一部を担当する英語教師の田沢桂子だ。

 どこかふわふわとしたイメージもある良太に比べ、桂子は真面目で厳しく、女生徒の風紀も担当している。同じ名字な理由は偶然ではなく、二人が夫婦だからだった。


「そっかー。じゃあ、良太先生」


「おう。確か、高木だったな。そっちは今井か。で、残りは佐々木と」


「……なんかアタシだけ扱いが雑じゃないか?」


「教師をいきなり呼び捨てにするような生徒には丁度いいだろ」


 田沢先生が二人いると知った実希子が最初に発したのは「じゃあ、良太でいいよな」という衝撃的な一言だったと好美が教えてくれた。それによりクラス内では、実希子がどういう人間か一気に知れ渡ったそうである。


「お前たちは練習用のユニフォームを持ってきてないだろうし、今日は見学だけだな。後輩が見てるんだ。先輩たちは気合入れろよー」


 良太の言葉に先輩部員が返事をして、美由紀も「またね」とその中に入っていく。

 ソフトボール部の練習は厳しいながらも和気藹々さがあり、早く参加したいと葉月は心から思った。


   *


 翌朝の教室で、葉月は一緒に登校した室戸柚にソフトボール部の話をした。彼女が笑顔で聞いてくれるので、葉月一人が主に喋る形となる。

 最初の席決めで運良く窓際になり、柚が一番後ろで葉月がその前と近い席になっていた。おかげで朝や休み時間はこうしてすぐにお喋りができる。


 担任は田沢桂子だ。年度ごとにクラス替えはあるものの、学年を担当する教師の顔ぶれは、基本的に三年間変わらないとのことだった。継続的に生徒を見守っていくためというのが理由らしい。


「あっ! 忘れてた。私、桂子先生に提出するプリントがあったから、ちょっと職員室に行ってくるね」


「え? あ、あの、私も付き合うわ」


「大丈夫だよ。柚ちゃんは休んでて。せっかくの休み時間なんだし」


 廊下を走ってるのが見つかれば教師に怒られるし、何より男子にスカートの中を覗かれてしまうかもしれない。年頃なのもあり、葉月も少しずつ男子の目を気にするようになっていた。

 とはいってもお洒落して着飾って、人気を得ようなんて下心はない。あくまで女性としての慎みを覚え始めた程度のことである。実希子はそれがまったくないので、いまだに好美から口うるさく注意されているが。


 急いでプリント提出して教室に戻る。休憩時間が残っている限り、久しぶりに同じ学校へ通えている柚と話をしていたかった。


「あれ?」


 教室内を覗ける位置まで来た葉月が目にしたのは、数人の女生徒に囲まれている柚の姿だった。


「何かあったのかな」


 少しだけ近づく。柚と、彼女を閉じ込めるように輪になっている女生徒との会話が聞こえてくる。


「地味子のくせに、ずいぶんと調子に乗ってくれてんじゃない。高校デビューでもするつもり?」


「そ、そんな……私は、その……」


「はっきり言いなさいよ!

 じゃないと、中学みたいにまたぼっちにしてやるわよ」


 柚が涙目になる。

 怖い思いをしているのがわかったので、すぐに葉月は声をかける。


「柚ちゃん、何してるの?」


 大体の予測はついていたので、柚を怒鳴りつけた女生徒たちを睨みつける。全員がクラスメートで、中心になっているのは御手洗尚(みたらいなお)という女性だ。葉月の記憶が確かであれば、柚と同じ中学校出身だったはずである。

 本格的に授業を開始する前のホームルームで一人一人が自己紹介をした際、柚の番に地味だ何だと騒いでもいた。その時はすぐに担任教師の桂子が叱責したので、大きな問題にはならなかった。


「貴女、高木葉月とか言ったっけ。こいつと関わるのはやめときなさい。じゃないと、仲間外れにされちゃうかもよ」


 顔を斜めに少し上げて、見下すような目を向けてくる。


「どうして仲間外れにするの?」


「その女が生意気だからよ。お仕置きとして自分の立場をわからせてあげるの。中学校の時のようにね」


「ふうん。じゃあ葉月には関係ないや。席に座りたいから退いてもらっていい?

 ほら、柚ちゃん、こっち」


「う、うん」


 強引に女生徒の囲みを破り、腕を掴んで柚を救出する。

 そのまま席へ戻ろうとする葉月の背中に、苛立った声がぶつけられる。


「アンタも生意気な女ね。すぐに後悔することになるわよ」


 天井付近に設置されているスピーカーから、チャイムが流れる。休憩時間の終了を教えているはずなのに、よからぬ事態への突入を告げる不吉な合図のように思えた。

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