第229話 委員長と不登校児

 満場一致。使うのに適した場面は今を置いて他にないだろう。


 小学三年生になって最初の登校日。

 まだ遠い桜の開花を待ちきれないように行われた始業式。事前に発表されていたクラス割りに基づいた教室へ戻ると、新しく担任になった老齢の男性教諭がまずは学級委員長を決めましょうと言い出した。


 その途端である。ザワザワと落ち着かない雰囲気だった教室が、ある種の緊張感に包まれた。クラスのリーダーとは名ばかりの雑用係。目立ちたがり屋の児童ならばともかく、生まれ持った特性か、妙に冷めた一面を持つ菜月にとって御免被りたい役職だった。


 にもかかわらず、である。

 あろうことか昨年に同じクラスだった男女数名が声を揃えて菜月を委員長に推薦したのだ。前の座席を割り当てられていた菜月が、目をパチクリさせて振り向くや否や事前に打ち合わせしていたかのごとき拍手が教室に降り注いだ。


「却下します」


 危険な兆候を感じ取った菜月は老齢の担任が横暴な決断を下す前に、はっきりと自らの意思を示した。頼られたら大半は引き受けてしまう姉じゃあるまいし、バカ正直に数の暴力に屈する必要はない。


 個人意思を無視するという悪逆卑劣な選択は取られず、不本意な満場一致を乗り切った教室で再び立候補者を求める呼びかけが行われる。結果は先ほどと同じ。困りげな表情を浮かべる男性教師。問題を後回しにするのではなく、とんでもない方針を打ち出す。


「では、推薦方式にしましょうか。一人ずつ、誰がいいかを決めてください」


 あんまりですと菜月は叫びそうになった。教室に戻って来てからの流れを考えれば、誰の名前が一番多く黒板に書かれるかは想像するまでもなかった。

 全員と面識を持たせるために知人を散らされた新クラス。親交を深めるために菜月を知る生徒がこぞって話しかけられ、ああだこうだと説明しているうちに高木菜月という名前の下に書かれる線の数が増えていく。


 やっぱりこうなった。菜月は天を仰ぐ。

 すでに一度拒絶済み。しつこく断れば教師やクラスメートの心証を悪くしてしまう。小学三年生で問題児扱いされるのは嫌なので、渋々ではあるが応じるしかなくなる。まさに逃げ道をすべて塞がれた気分だった。


「それでは学級委員長は高木菜月さんにお願いしたいと思います。だからといって彼女一人に任せきりにはせず、協力を求められたら快く助けてあげてください」


 顔つき通り穏やかそうな担任は、そう言うと挨拶を締めくくった。


   *


 一人少なくはなったが、夕食を家族で囲む習慣は変わらない。もっとも葉月が部活をするようになってからはほぼ夜は三人だったので、特別な寂しさなどはない……はずなのだが、どうしても時折気にするように天井を見てしまう。

 気を取り直して小さな顔を左右に振る菜月を、茶碗を食卓に置いた春道が微笑ましそうに見ていた。


「どうせ、また私をからかうんでしょ」


 わざとらしく拗ねてみせると、春道はまさかと肩を竦めた。


「慣れろ、なんて言わないさ。家族が家からいなくなるというのは寂しいもんだ。だから寂しがってやればいい。その想いが離れている家族に、帰るべき家があると教えてやることになる」


「春道さんの言う通りよ。むしろ全然平気なんて言われたら、葉月の方が泣いてしまうわ」


 微笑む和葉。両親の心遣いが、ほんのりと菜月の心を温かくしてくれる。照れ臭くてなかなか言えないが、二人の子供でよかったと心から思える瞬間でもあった。


 これだけで終わればいわゆる美談なのだが、基本的に悪戯好きというか調子に乗りやすい春道は横目で和葉を見ながら口角を吊り上げる。


「だから菜月も遠慮しないで、ママみたいにパパを抱き枕扱いしていいんだぞ」


「なっ――こ、子供の前で何を言ってるのよ!」


「仕方ないだろ。毎晩のように葉月は本当にいないのね、とか言って抱き着い――もごっ」


「そういえば春道さんにお願いしたいことがありました。少しこちらに来ていただけますか?」


 にっこりとする顔を朱に染めているのは羞恥か激怒か。

 きっと後者の影響が大きいだろうなと他人事ながらに思う菜月の前で、無理矢理椅子から立たせられた父親が引き摺られていく。涙目で助けを求めてくるが、こうなるのを半ば理解していて地雷を踏んだのだから自業自得である。

 夕食のシチューを味わいながら、頑張ってと手を振って見捨てる。


 リビングの外から悲鳴と謝罪の声が聞こえるも、本気で喧嘩をしているわけでないのは重々わかっている。むしろあれが二人のコミュケーションであり、いわばお惚気の一種なのだ。静かに食事をして待っていれば、すぐに酷い目にあったと言いながらも笑う春道が戻ってくる。


「パパって本当に懲りないわよね」


「おいおい。寂しそうな愛娘を、体を張って元気づけたんじゃないか」


「……方法はどうかと思うけれど、一応ありがとう。でも、それどころじゃないのよ。新しい学級で委員長に推薦されちゃってさ。明日からを考えると憂鬱……」


 食べ終えた食器を運びやすく重ねながら、本日何度目かもわからないため息をつく。


「そりゃ、そうだろう。小学三年生で推薦だの憂鬱だの当たり前に使ってる子供がいれば、誰だってしっかりしてると思うしな」


 春道の指摘に菜月はハッとする。慣れている両親は特に動じないが、考えてみれば初対面の大人には本当に小学生なのと大抵驚かれる。

 単純にたくさん読んできた小説から覚えた言葉を場面場面でそれっぽく活用しているだけなのだが、大人側から言うとそれでも十分に子供には難しいらしかった。


「もっと子供っぽくすればよかったのね。盲点だったわ。

 ところで……パパ」


「どうした」


「子供っぽくってどうすればいいの?」


「……電話で葉月に聞いてくれ。

 もしくは夜にパパの布団に入り込んでくるママ――もごっ」


 懲りもせずに和葉に口を塞がれる春道。ここまでくると処置なしである。


   *


 学級委員長といえど仕事は雑用が大半。もしくは学級会などで司会を担当するくらい……だと思っていたのだが、まったく予想していなかった仕事を担任に申しつけられてしまった。


「面倒だけど、引き受けた以上はやらないとね。私の評価に関わってしまうわ」


 始業式から数日が経過。徐々に昨年までの知人だけでなく、学級では新たな友人関係が構築されつつあった。虐めもなく平和そのもの……と断言できればいいのだが、ずっと欠席を続けている生徒が一人いた。


 つい先日、クラスメートに聞いたところ、昨年の後半から学校に来ていない男子生徒らしかった。

 黙っていると女の子に見間違うくらいの容姿で性格はおとなしめ、話をしてくれた女子曰く誰かと楽しそうに会話しているのを見たことがないという。


 あろうことかその生徒の家にプリントを届けるついでに、それとなく様子を見て来てほしいと頼まれたのである。

 教師の仕事ではないかと思ったが、担任は何度もその児童宅にお邪魔しているものの本人には会えずじまいなのだと言った。同年代の生徒であれば心を許して会ってくれるのではないかとも。


 渡された担任手書きの地図を頼りに、なんとかその子の家の前に着く。表札には鈴木とある。真(まこと)というのが、プリントを渡すべき相手だ。緊張を鎮めるために深呼吸を三度ほどしてから、背伸びをしてインターホンを押す。


「はい。どちら様ですか?」


 若い女性の声だ。恐らくは母親だろう。相手には菜月の姿が見えているはずなので、丁寧に頭を下げてから用件を伝える。


「学校から頼まれてプリントを持ってきた高木菜月です。真君は御在宅でしょうか」


「まあ。少し待っててね」


 パタパタと家の中を走るスリッパの音が聞こえ、二階建ての赤い屋根が特徴的などこかモダン一軒家から三十代半ばと思われる女性が出てきた。インターホンが備え付けられている石柱の前に立つ菜月を見つけると、笑顔でこんにちはと挨拶する。


 小さな門を開けて中へ招き入れてくれる。左側には一台用の駐車場があり、家とは別になっている。その家は敷地が細長い感じで門から中庭そして建物へと続く。白を基調とした外観は菜月の自宅に比べても綺麗であり、新しさを感じさせる。


「わざわざ届けてくれたのね。ありがとう。どうぞ中に入って」


 内装も外観同様に新しく、壁の白さとドア類の木の肌色に近い茶色さが特徴的だ。モダンさと自然を上手く取り入れたようなデザインにはセンスを感じ、菜月が知っている限り、周辺ではあまり見たいタイプの家でもあった。


 なだらかに曲がりながら続く階段を上って、二階にある一室へ案内される。ドアの情報に真と書かれた小さなプレートが張りつけられている。女性は軽くノックをすると、室内に声をかける。


「真ちゃん。学校からお友達が来てくれたわよ」


 木製のドアを一枚隔てていてもわかるギクリとした様子。教師とも会わないというので、非行に走った末の引き篭もりの可能性もあると菜月は勝手に思っていたが、どうやらその線は消えたみたいだった。


 室内に誰かいるのはわかりきっているのだが、猛獣に怯える小動物みたいに決して顔を出さない。恐らく担任も似たような状況に陥り、面会を断念するはめになったのだろう。そのせいで自分にお鉢が回ってきたのであれば、さすがの菜月も少々の腹立たしさを覚える。


「……鈴木君のお母さんはこのままでいいと思っていますか?」


 申し訳なさそうな顔の母親が謝ろうとする前に先手を打つ。菜月の問いかけに対し、当然ながら否定的な意味を持つ返答が場に零れる。


「鈴木君、聞いてた? お母さんの許可は取ったわ。開けなければ、ドアを蹴破るわよ。様子を見て来てほしいと先生に頼まれてるから、このまますごすごと帰るわけにはいかないの」


 無論、ただの脅しでしかないのだが、幼い少女の過激な発言に母親はギョッとし、室内の不登校児はさらに慌てる気配を見せる。


 数呼吸ほどの時間を経て、数cmずつ扉が開かれる。気持ちが変わって閉められる前に、生まれた隙間へ素早く足を入れる。顔だけを動かし、いまだ目をパチクリとさせる母親に大丈夫ですからご心配なくと告げて部屋に入る。


 後ろ手にドアを閉めながら見渡す室内にはポスターなどもなく、眩しいくらいの白だけが広がっている。

 あるのは六段あるこげ茶色の本棚が二つに、やや大きめのベッド。あとは勉強机と押入れ程度であり、テレビなどの娯楽用品は一切見当たらない。大きな窓も備え付けられているみたいだが、閉められている遮光カーテンのせいで恩恵は受けられていなかった。


「あなた、吸血鬼? それとも極端に目が弱いの?」


「え? あの、その……どっちも、違う……けど……」


 おどおどと返答を返すのは髪の毛を短く切りそろえたキノコみたいな男児。身長は菜月よりもやや小さいくらいで、体つきも華奢だ。天井ではシーリングライトが点灯しているものの、一番弱いレベルらしく、その明かりは優しいというか弱々しい。おかげで表情もよく確認できないくらいである。


「そう。ならよかったわ」


 安堵するそぶりすら見せずに容赦なくカーテンを開ける。外はせっかくの青空なのだ。あくまでも菜月の主観だが、こんな日は太陽の光を室内へ取り入れるに限る。


 部屋の隅にあるベッド。さらにその隅に座って小さくなっているのが鈴木真だ。顔を伏せながらのおずおずとした上目遣いは彼の弱々しさを強調する。


 聞いていた通りに顔立ちは童顔で女の子っぽい。小柄な体型と相まって、愛らしいと表現してもいいくらいだった。その彼の視線を背中に浴びながら、悠々と歩いて菜月は本棚を確認し、許可を得て一冊を抜き取るとスカートをふわりと舞わせて床に座り込んだ。

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