第276話 秋の小さな異変と僅かな自覚

 なんやかんやで盛り上がった駅伝大会も無事に終わり、秋の気配も色濃くなった通学路を、冬服の井出立ちに変えた菜月は歩く。

 足取りは普段と変わらないのに、気分だけが重い。


 ――どうしてこんなに気まずいのかしら。

 チラリと横を見れば、禄に会話もなく歩く真がいる。

 いつもは茉優も一緒なのが、日直の仕事で先に行ったため、久しぶりに二人きりでの登校になった。以前にも経験があり、その際は普通に会話をしていたのだが。


 ――明らかに拗ねているわね。原因は駅伝大会……しかないわよね。

 明確に思い当たることはないのだが、駅伝大会の打ち上げで遠目に真を見て以来、なんだか妙に避けられているので、そうとしか考えられなかった。


「言いたいことがあるのなら、はっきり言ったらどう?」


 自分よりも身長が高くなった少年を、菜月は挑むように見上げた。

 いつもの真なら怯んで、自分に非がなくとも謝りそうな展開だが、今日ばかりは違った。


 すぐには答えず、けれど苦しそうに顔を歪める。単純に怒っているという様子ではなく、菜月はますます戸惑う。


「まさか同じクラスで駅伝大会に臨めなかったから拗ねているの?」


「違うよ!」叫ぶように真は言った。「僕はただ……」


「黙っていてはわからないわ。私の何が気に入らなかったの?」


「そういうわけじゃないんだ。僕は……」


 また台詞を最後まで言えなくなり、真は唇をキツく噛む。

 それでも逃げようとはせず、真っ直ぐに菜月を見返してきた。


「そ、その……菜月ちゃんと……あの……沢君の仲って、ええと……どんな感じなのかなって……」


 勢いこそなくとも、意を決したように声に力が入っていた。

 だからこそ菜月は余計に困惑する。


「……それが拗ねていた原因なの?」


「だ、だから拗ねては……その、気になってるだけで……ほら、彼って恰好いいし」


「そうね。クラスの女子もキャーキャー言っているわ。まさか真まで名前を知っているとは思わなかったけれど」


 瞬間的に真がギクリとする。


「さ、沢君は有名だからね!」


 声が上擦ったあたり、名前が聞こえてきたというよりも、気になって自分から調べたのだろう。


 ――奥手な真にしては珍しいわね。沢君は積極的なタイプだし、友達になりたいのかしら。


 考えてみれば真が同じクラスの男子と、仲良く遊びに興じている姿は見たことがない。平日は菜月たちの部活が終わるまで美術室で部活に励んでいるし、登校も下校も菜月や茉優と一緒だ。愛花らにはよく仲が良いなどとからかわれる。


 ――けれど仲がどうこうというのは少し違うような――仲?


 真を見る。

 脂汗を額に浮かべ、菜月が何か答えるのを黙って待っていた。まるで有罪か無罪か聞こうとしている被告人みたいな緊張感だ。

 どうしてそこまでと思えば、おのずと一つの回答が浮かんでくる。


「……そういうことね」


 真に聞こえないように呟き、軽くため息をつく。

 ところどころで兆候はあったものの、これまではあまり気にしないできた。茉優も含めた三人の仲を壊したくないとかではなく、単純に菜月が色恋に興味がなかったせいだ。


「沢君はただのクラスメートよ。それ以上でもそれ以下でもないわ」


 はっきりした答えを聞いて安堵してくれたかと思いきや、すぐに真は焦り気味に口を開く。


「か、関係とかじゃなくて、その、菜月ちゃんはどう思ってるの? 沢君が恰好いいって言ってたし、やっぱり……」


「……あのね、真。沢君の容姿に関しては、そう言われたから認めただけよ。私が夢見る乙女みたいにうっとり語ったわけではないわ。さっきの質問に対する答えは一緒よ。それとも違う答えが欲しいの?」


「そ、そんなことないよ! だって僕は――」


「――僕は?」


「ええと、その、あの、なんていうか、あ、あはは」


「……ヘタレね」


「え? な、何か言った?」


「いいえ。それより気が済んだのなら、早く学校へ行くわよ。いつまでも立ち話なんてしていたら、遅刻をしてしまうわ」


   *


 校門へ着くと、見慣れた上級生が話題の恭介の首根っこを捕まえて待っていた。


「……聞きたくないけれど……何をしているの、宏和」


 少しだけ顔を上げた恭介が苦笑しているのを見ると、どうやら虐めているというわけではなさそうだが、あまりにも状況が謎すぎた。


「不埒な間男に制裁を加えてたに決まってるだろ!」


 野球部生活で体格も立派な大人に近づきつつある宏和が、周囲でザワつく生徒たちを気にもせずに言った。おかげで菜月も真も注目の的だ。


「ハ、ハハ……朝練が終わって教室に戻ると、先輩が待っててね。気づいたらこの有様だったよ」


「……災難だったわね」


「俺を無視してイチャイチャすんな!」


 恭介を菜月が心底から同情していると、宏和が苛つきを露わにした。


「菜月も菜月だ! 俺というものがありながら、こんな奴に浮気するなんてどうかしてるぜ!」


 ザワりと騒々しさを増す校門前。大半は気にしながらも素通りしていくが、野次馬根性を発揮して、足を止める生徒もちらほらいる。


「意味不明な言動は慎んでもらえるかしら。まず最初にはっきりさせておくけれど、私と宏和はただのいとこよ。浮気だの何だの、人聞きの悪いことを言わないでほしいわ」


「そ、そんな……あんなに愛し合った仲じゃないか!

 夜だって一緒に過ごしただろ!」


「お互いの家族と一緒にキャンプしただけでしょ」


「俺は信じない!」


「……そろそろ本気で殴りたくなってきたのだけれど」


 暴走すると話が通じなくなるのは昔からとはいえ、公衆の面前で名前を出されて騒ぎ立てられると、さすがに菜月も恥ずかしい。


「先輩って高木さんのストーカーですか?」


 苦笑しつつも状況を見守っていた恭介の目つきが鋭くなる。

 彼は入学式の時に宏和が菜月に絡んでると勘違いして、一触即発の雰囲気にもなっていた。


「ああ、違うのよ、沢君。

 宏和は昔からこうなの。根は悪い奴ではないのだけれどね」


 正義感を発揮される前に釘を刺しておく。


「そ、そうなんだ。高木さん、苦労してるんだね……」


「どういう意味だ、色男! あアン!?」


 斜め上からぎょろ目で睨んだあと、宏和はビッと菜月を指差した。


「いいか、よく聞け! 顔がいい奴ってのはろくでもないんだ! 女にチヤホヤされてつけあがり、とっかえひっかえもてあそぶからな! お前はこんな男のその他大勢になりたいのか!」


 宏和の目は本気だった。

 一生懸命に恭介は誤解を解こうとしているが、聞く耳を持ってもらえないので、彼までもが身に覚えのない風評被害を受けてしまう。


「沢君がそんな真似をしているという証拠はあるの? ないなら宏和は他人を貶めて自分の価値を上げようとする卑怯者ということよ?」


「証拠ならある!」


 不敵な笑みを浮かべた宏和は、戸惑う恭介の頭を小脇に抱えたまま胸を張った。


「コイツがイケメンだからだ!」


 菜月が唖然とし、

 恭介が固まり、

 真はうわぁと言った顔をし、

 周囲はシンとした。


 一名を除いて、校門前にいる生徒は絶賛ドン引き中である。


「単なる妬みじゃん」「恰好悪……」「ある意味、男っちゃ男だよな」「よく言ってくれました、先輩」「イケメンもリア充も爆ぜろ!」


 女子を中心とした非難の視線が宏和に集まる。中にはよくわからないのも混ざっているが。


「ハッ! ブス共に何を言われたって知るか! 俺は菜月一筋だからな!」


「……何度も言っているけれど、いとこ同士だからそれ以外の関係にはなれないわよ?」


「照れるなって!」


「……話が通じないわね。そろそろ連行してください」


「は? 何を言って――」


 ――ガシっと。

 宏和の坊主頭が鷲掴みにされた。野球部の監督でもある体育教師に。


「戸高? 校門で野球部の恥を晒すとはいい度胸だな」


「くおお! 離せ、怪力ゴリラ! 愛の前では男は皆勇者になるのだ!」


「わかったから、ちょっとこっちこい。

 お前ら、うちのアホ部員が迷惑をかけたな」


 あれだけ騒いでいれば、異変を知った教師がやってくるのは当然。何か問題があった場合に備えて、腕力に秀でた男性が選ばれるのも当然。


 そうして乱入をした屈強な体育教師に、頭を掴まれたままの宏和はズルズル引き摺られていく。


「ちくしょおおお! このままじゃ済ませないからなあああ!」


「……完全に悪役の捨て台詞ね」


 大きな大きなため息をついてから、菜月は恭介に声をかける。


「朝から災難だったわね。首は大丈夫?」


「問題ないよ。あれでいて先輩は力加減してくれてたからね。優しいのかはよくわからないけど」


「面倒見はいいし、さっきも言ったけど根は悪い奴じゃないのよ」


「高木さんが関係すると暴走するんだね?

 それだけ高木さんが魅力的ってことかな」


「……宏和の病気が移ったの?」


 よほど冷めた目をしていたのか、好青年な恭介がたじろいだ。


「そうじゃないけど……高木さんは人気があるってことだよ……僕も含めて……」


「自覚はないわね。特に興味もないし」


 最後の方は聞こえなかったふりをして、菜月は平坦な声で告げた。

 騒動が去ってもいまだ周りで二股だの何だの言われてるが、これはもう放っておくしかない。


「ハハ。それじゃ俺は教室に戻るよ。高木さんも急いでね」


 片手を上げて恭介が校舎へ走っていくと、周囲も硬直から解放されたように動き出した。


「私たちも行きましょう」


「うん」


 校舎へ続く道を歩きながら、菜月はポツリと漏らす。


「どうして皆、すぐにそちら方面へ行きたがるのかしらね。そのうち嫌でも自覚することになるでしょうに」


「……きっと、好きって気持ちが溢れすぎてどうしようもなくなるんだと思う」


「真のくせに言うじゃない。

 残念ながら、私にはまだそこまで理解できないけれど」


「そうなんだ……でも、僕は……!」


 ――ドキンと菜月の心臓が跳ねた。


 上げられた真の顔がいつになく真剣だったからか。声に秘められた重大な決意みたいなものを感じ取れたからか。


 顔が熱い。

 視界に涙が滲みそうになる。

 よく見知ったはずの少年から目が離せない。


 どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。


 非論理的な思考に支配され、時間が停止したみたいに菜月は呼吸すらできなくなる。


 次の言葉を待ち侘びるように。

 その瞬間が訪れてほしくないかのように。

 恐怖と不安と期待がごちゃ混ぜになって熱となる。


 そして――。


「――菜月さん! 先ほどは凄かったですね!」


 いつの間にやら駆け寄ってきた愛花に肩を揺さぶられ、菜月は正気に返った。

 真も毒気を抜かれたみたいにぽかんとしている。


「あら? 何か取り込み中だったのですか?」


 首を傾げる愛花に、数度瞬きをしてから、菜月は「いいえ」と返した。


「ところで凄かったというのは?」


「そうでした! 戸高先輩のことです!」


「ああ……見られていたのね……」


 彼女の背後にいる涼子と明美はニヤニヤとからかいたそうにしているが、真っ先に声をかけてきた愛花は違った。


「あの堂々とした態度! 素晴らしかったですよね!」


「「「……え?」」」


 真も含めた全員が顔にハテナマークを浮かべた。


「公衆の面前でも臆することなく感情を弾けさせられる情熱! すげなく振られても壊れない鋼鉄の心! やはり戸高先輩は尊敬すべき人物です!」


 胸の前で両手を組み、目をキラキラさせる愛花は恋する乙女そのものだった。


   *


「へぇ~、そんなことがあったんだねぇ」


 翌日の通学路。茉優と連れ立って歩く菜月はため息交じりに、昨日の説明を終えたところだった。


 結構な騒ぎになったので大筋は茉優も知っていたが、登校中の話題として詳しく聞きたがったのである。


「まっきーも大変だったねぇ」


 振り返った茉優に、真は苦笑いを浮かべ、


「一番大変だったのは菜月ちゃんだと思うけどね」


 いつもと変わらない様子で言葉を返した。


 拗ねていたのは昨日までで、今朝に会った時は普段通りに戻っていた。

 僅かに拍子抜けこそしたものの、問題を蒸し返す趣味もないので、元に戻った少年を菜月は好意的に受け止めた。


 けれど。


 菜月はこっそりと自分の小さな胸に触れる。

 トクントクンと小さくなる心音が、まるで種火みたいに体内で息づいているのがわかった。


 ――もしかして私は……。


 首を小さく振り、菜月はそこで考えるのをやめた。

 昨日の自分の言葉ではないが、いずれその時がくれば、表現のしようがない気持ちの正体もきっとわかるから。


「なっちー、どうしたの?」


「何でもないわ」


 大切な少女と少年の間で菜月は微笑む。

 いつもと同じように。

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