第246話 体育でソフトボール
タイミングが良いといえばいいのだろうか。
お盆に帰省した姉らと茉優も含めてソフトボールを遊び尽くし、色々と教わった成果を試す日が夏休み明けすぐに訪れた。
冬休みの長いこちらでは夏休みが都会に比べて短く、八月後半ともなれば学校が始まっている。けれども灼熱の暑さはだいぶ影を潜め、吹く風もずいぶんと涼しくなっているので体感温度は真夏よりもマシだった。
夏休み明けの宿題も無事に提出し終わり、本格的に授業が始まる前に、担任が空いた時間でソフトボールをクラスで遊ぼうと提案したのである。
「だからといって、男子と女子で試合するのはどうかと思うわ」
本格的な成長期を迎える前であり、小学校三年生の菜月たちのクラスでは男子よりも背の高い女子もそれなりにいる。友人の茉優もそのうちの一人だ。大人である教師からすればいい試合になると判断したのかもしれないが、こういう場合の男子はやたらと張り切るのをすっかり失念していたようだ。
「ほら、早くしろよ。せっかく先攻をやったんだからさ」
拳大のゴムボールを手で遊びつつ、ガキ大将的存在の男子がマウンド上で調子に乗る。
「何だったら、委員長からでいいぞ」
ニヤリと笑う太っちょガキ大将。どうやら以前、菜月に言い負かされたのを今でも根に持っているらしい。
「しつこいわね。そういうのが格好いいと思ってるなら逆効果よ、そもそも女子相手に得意げになってる時点で嫌われる要素満載ね」
「そんな事言って、俺に負けるのが怖いんだろ」
へへんと笑う相手は、まるでどこぞの漫画の一コマから抜け出してきたかのようだ。小さなため息を一つ地面に落とし、菜月は審判をするらしい担任から金属バットを受け取る。
やっちゃえやっちゃえと男子が下品な応援をマウンドに飛ばすのに対抗し、女子は揃って菜月に声援を送ってくれる。
「クラスの奴らだって、打てないんだ。高木なら三球三振に決まってるぜ」
調子に乗りまくってはいるが、現在やっているのは野球ではなくソフトボール。上からしか投げていない男子が急に下手投げになっても、普段通りの速度を出すのは難しい。加えてコントロールもしにくいので、結局は力任せにど真ん中に放るしかなくなる。
「……面白いくらい想定通りね」
打席で小さく呟いた菜月は、四球を恐れてストライクコースに向かってくる一球を難なく左翼へと弾き返した。お盆時には割と本気で投げる実希子を大人気ないと責めたが、速い球を経験できていたのが今回はプラスに働いた。
野球好きが内野を固めていたのもあり、外野を守る男子の運動能力はさほどでもない。簡単に間を抜け、悠々と菜月は二塁にまで到達する。
凄いと拍手する女子の前に、顔色を失いつつある男子。もっともベンチで見学中の真だけは菜月の活躍に喜んでいるが。
「な、何で女なのに、そんな簡単に打てるんだよ!」
「差別発言ね。そうやって見下しているのが敗因よ。ちなみに私の姉は大学でソフトボール部なの。高校時代は全国大会にも出場しているわ」
「ぜ……!? お、おい、聞いてないぞ!」
「今、初めて言ったもの」
次いで茉優もソフトボールで遊んでいたと教えるなり、女子チームの二番は彼女に決定。ふわふわとしているようでいて、こと運動神経だけなら菜月をも上回る。
同じ失敗を繰り返すまいと力を入れた投球が行われるも、実希子の大人気ないボールを経験しているのは茉優も同じ。普段と変わらない笑顔のままで足を上げ、踏み込むと同時に水平に振るった金属バットが甲高い音を青空に木霊させた。
「茉優ちゃん、すごーい!」
女子の感嘆の声が渦巻く中、ほとんど小走りという余裕のベースランニングで菜月はホームへ帰還する。続いて外野がもたつく間に茉優まで到達し、あっさりと二点を得たのである。
*
ソフトボールの経験者が多いはずもなく、必然的に菜月が投手で茉優が捕手となる。姉の教えを思い出しながら体を動かし、相変わらずにこにこしている少女の構えるミットにゴムボールを届ける。
葉月や実希子に比べれば球速などないに等しいが、それでも男子とは互角に勝負できた。初めてきちんとしたマウンドに立ち、打者を相手に投げる感覚に思わず頬が緩みそうになる。
「これがはづ姉の見てた景色なんだ……」
ポツリと呟くも、状況は暢気でいる事を許してくれない。菜月の背後と右手側、要するに二塁と三塁にランナーを背負ってしまっていた。ツーアウトではあるが、打たれるとせっかくのリードがなくなってしまう。
変化球でもあれば切り抜けやすいのかもしれないが、生憎と小学校での部活活動もまだの菜月がそんな高等技術を遣えるわけがなかった。
「実希子ちゃんじゃないんだから、男子相手に真っ向勝負して勝てるわけないのに」
などと言いつつも、打たれたくない気持ちは強い。いつになく心臓が暴れ、気分が落ち着かない。頭をよぎるのは打たれたらどうしようという不安ばかりだった。
公式試合でもない単なるお遊びのソフトボール対決でこの有様である。スタンドから応援していた時にはわからなかった緊張感とプレッシャーを知り、菜月は改めて姉の凄さを理解する。
「ないものねだりをしても仕方ないわね」
覚悟を決めて右手の肘を上げ、グッと固定してから一歩だけ前に出る。足と上体を連動させ、勢いをつけて腕を振る。唇から小さくフッと短くも強い息が漏れ、力を乗せたゴムボールがバッターボックスとの僅かな距離を駆け抜ける。
バットを振った男子がしまったと嘆き、ゴムボールが力なく内野を転がる。普通なら何の変哲もない三塁ゴロだが、逆に菜月は嫌な予感を覚える。
味方の女子が何とか捕球したまではよかったが、か弱い肩で一塁まで投げても間に合うわけがない。
ルールを詳しく知っていれば二塁ランナーへタッチへ行くなりできたのかもしれないが、小学三年生しかも女の子にそこまで求めるのは酷である。
結果として一塁はセーフ。さらにはボールを捕球できず、後ろへ転がる間に二塁ランナーまでホームインする始末だった。
「な、菜月ちゃん、ごめんね」
泣きそうな顔の三塁手に、菜月は右手を上げて応じる。
「気にしないで。一生懸命やっての結果だもの。それにお遊びで、女子相手にムキになってる男子が大人げないだけよ」
それでも男子よりも運動が得意な女子はいる。菜月が打ち方はボールの見方を伝えるだけで、簡単に男子相手でもヒットを打ったりする。
そうして一進一退の攻防が続き、全員に出番を与えるために真が代打でバッターボックスに入る。対峙するピッチャーは、もちろん菜月だ。
「遠慮はいらないわよ」
「あ、あの……逆に遠慮してもらいたいかなって……」
こと菜月や茉優に限っては軽口も叩けるようになったし、男子が相手でもずいぶんと普通に話せるようになった。登校を再開した時と比べて成長した真を微笑ましく思いつつ、ムキにはならずに真ん中へボールを集める。
球速も他の男子に投げるよりは落としたつもりだったのだが、それでも真は金属バットに振られるような形で一回転。尻もちをつかなかっただけマシだと言わんばかりの三振を披露した。
*
空いた一時間分の授業を利用してのソフトボールだったので、もちろん七回までプレイできるはずもなく、三回途中で終了する。
幸先こそ良かったものの、最終的には四対三で女子の負け。
殊の外苦戦したせいか男子は大喜びで勝ち誇るが、素敵なんて歓声は飛ぶはずもない。野球を通じてルールに馴染みのある男子と違い、女子の大半は基本的な決まりすら知らなかった。その中での辛勝なのである。喜べば喜ぶほど、菜月たちからは冷たい視線を浴びるだけだった。
「……やっぱり負けると多少は悔しいわね」
着替え終えた菜月が教室でため息をついていると、そばにいた真が苦笑する。
「僕は勝ったという気がしないんだけどね。菜月ちゃんのボールにかすりもしないで三球三振だったし」
「真君の場合は参加をしようと思っただけでも進歩よ。これまでなら見学しただけで終わっていたでしょう。宏和の影響が大きいのかもしれないけれど」
「あはは。そうかもしれないね。宏和君の部活が休みの日は、よく野球に付き合わされていたから、意外と打てるかなとも思ったんだけど……やっぱり僕には運動の才能はないみたいだね」
これまでならネガティブ思考に陥っているのかとヤキモキしたところだが、現在の真はスッキリしたような爽やかさに包まれていた。
「僕には僕の得意なことがある。皆と同じな必要はない。菜月ちゃんが気づかせてくれたんだよ。だからスポーツは結果よりも楽しめればいいかな」
「フフ。できないわりには意外と運動は好きなのね」
「そうみたい。なんだか変だよね」
「変ではないわよ。茉優ちゃんも最初から最後まで楽しそうだったものね」
話を振られた茉優が、絵に出てきそうなにこにこ顔を縦に振る。
「また皆でやりたいね」
言い切った茉優の顔に悔しさは微塵もなかった。
「茉優ちゃんも意外に勝敗を気にしないタイプなのね」
「うーん、あんまり勝つってよくわからないんだ。
それより、皆で笑ってる方が楽しいよ」
「それも茉優ちゃんらしいわね」
運動は得意であっても、闘争心が欠落しているのでこれまではどのような競技でも結果が伴ってこなかったのだろう。実際に先ほどのソフトボールでも二打席目はあっさり三振していた。勝負事に関しては、かなりのムラっけがありそうだった。
「でもね、でもね、ええと……」
いつになく顔を桜色にした茉優に、菜月はどうかしたのか尋ねる。
「ええとね、ソフトボールをしているなっちーは恰好よかった!」
親の実家に帰省していて葉月らと遊んでいなかった真が目を丸くするも、菜月は小さく笑ってお礼を言う。もともと姉がつけた愛称ではあるが、呼ばれ慣れているのも含めて別に注意するようなことでもなかった。
「えへへ。だからまた一緒にやりたいな」
「そうね。お遊びとはいえ、一応の試合でのピッチャーは初めてだったけれど、やりがいはあったわね」
茉優に応対していると、横から真が声をかけてくる。
「それじゃ、あの……な、な……なっ……菜月ちゃんは……四年生になったらソフトボール部に入るの?」
何やら葛藤の末に普段通りの呼び方にした真の質問に、菜月は真剣に悩む。部活に入るのは強制ではないので、これまで通りに自由な放課後を楽しむという選択肢もある。
「今のところはわからないわね。でも、入るとしたら、きっとソフトボール部でしょうね」
姉や実希子ほど運動神経はないが、それでも小さい頃からそばで見てきただけに憧れに近いものはあった。いつか自分も公式戦で姉みたいに、堂々と打者を相手に投げたりできるのだろうか。そんな場面を想像し、菜月は一人小さく笑う。
「なら茉優もなっちーと一緒にソフトボール部に入るっ。真君は?」
「ぼ、僕? 男子ソフトボール部はないはずだし、野球部は練習についていけそうもないし……でも、この学校には美術部もないんだよね」
ため息をつく真。もし美術部があれば、迷いなく入っていたのだろう。
「無事に四年生になれてから考えるよ」
「そうすればいいわ。来年の話をする前に、休み明けに実施すると先生が言っていたテストの勉強をしなければならないしね」
「茉優もがんばるよ」
夏も終わりに差し掛かり、少しずつ秋の色が強くなっていく。去年までよりも菜月が時間の流れを早く感じるのは、きっと今年が充実しているからだろう。
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