第310話 新年と進学と就職と

 寒風に負けず、スマホを突き合わせて菜月たちはコールする。


「「「「「4、3、2、1――あけまして、おめでとうございます!」」」」」


 5人の声が見事に揃い、高々とそれぞれのスマホを掲げる。

 受験勉強に追われる身であっても、今日ばかりは特別だった。


 大晦日の夕方から皆で高木家で飲み食いし、眠ってしまった両親を起こさないように振袖を着て初詣へとやってきたのである。


 着付けは母親が元美容師の好美が全員分を担当してくれた。

 その好美は、葉月たちと一緒に初詣をしている最中だ。ちなみに大人勢は私服である。原因は実希子が窮屈で嫌だと騒いだからだった。


「今年も無事にこの日を迎えられましたね」感慨深げに愛花が言った。


「この後に無事でなくなるかもしれないけれどね」


「菜月は不安がらせないでください!

 ただでさえ私はギリギリなのですから……」


 全員で受けた模試の結果、E判定だった愛花はもちろん、D判定だった涼子と明美も狙いを県大学に絞っていた。最後まで三人とも残念そうにしていたが。

 そんな中、茉優だけはD判定ながらも菜月と同じ大学の受験を決めていた。


「大丈夫だろ」


 あっけらかんと言ったのは、同行している宏和だった。傍には真と恭介もいる。


「ほ、本当ですか?」


「インターハイベスト8のエースだぞ。ソフトボールに力を入れてる県大学が放っておくわけないだろ。まあ、南高校出身者は実希子以外、目立った成績を残せてないみたいだけどな」


 言いながら、宏和がきょろきょろする。実希子に聞かれていたりしたら、生意気な口をきくなと叩かれるのが目に見えているからだ。


「そう考えると、愛花と涼子には誘いが来てもおかしくはないのよね」


「あら、電話なら来てましたよ?」


「ボクも」


「…………」


 2人を除く全員が沈黙する。


「念のために聞いておくけれど、内容はどうだったのかしら?」


「県大学に興味はありますかと聞かれたので、入学するつもりですと答えました」


「そうそう。ソフトボール部に入りますって言ったら、めちゃくちゃ喜んでた」


 愛花と涼子の答えを聞いた菜月は、その場で頭を抱えた。


「それ……半ばスカウトみたいなものよ」


「そうなんですか!?」


「余程、入試で酷い点を取らない限りは合格できるでしょうね。実希子ちゃんにしたみたいな厚遇ではないみたいだけれど」


「……実希子コーチって、やっぱり凄かったんだな」


 驚愕する愛花にした説明を、一緒に聞いていた涼子が今頃になってそんな感想を口にした。


 話題の中心になっているとも知らない実希子本人は、新婚夫婦に絡んでは楽しそうに笑っている。


「ともかく愛花はこれで安心ね。涼子は元から心配なかったし、明美も普通に大丈夫でしょうし、あとは私と茉優ね」


「うん。茉優は県大学に入りませんって言ったから、頑張るよぉ」


「……え?」


 菜月は目を白黒させる。


「もしかして……茉優にも電話が来たの?」


 あっさりと肯定され、またしても菜月は頭を抱えるはめになった。


「どうして断ったりしたの? 受けていれば、恐らく合格できたのに」


「だって茉優はなっちーと一緒にいたいんだもん」


 笑顔で言い切られると、もう菜月は何も言えなかった。


「それに茉優の家はそんなに裕福じゃないし。お父さんは大学に行ってもいいって言ったけど、その場合でも奨学金を借りないといけないだろうし……東京の大学が駄目だったら、働こうと思うんだぁ」


「茉優にとって、ソフトボールはあくまで菜月と遊ぶ手段の一つでしかないんですね」


「ボクたちも愛花にくっついて始めてるし、人のことは言えないけどな」


「あたしだって愛花ちゃんがいなければ、県大学でソフトボールはやらないかも」


 菜月も含めた全員が茉優の方針に理解を示す。

 ただ一人、恭介は残念そうだったが。


「俺はできることなら、茉優ちゃんと一緒にキャンパスライフを送りたかったな」


「ごめんねぇ、恭ちゃん」


「いいよ。二度と会えなくなるわけじゃないしね」


 爽やかイケメンの恭介らしい答えに、茉優が嬉しそうにする。


「まっきー君も東京の大学ですし、来年は一緒に初詣に来られないかもしれませんね」


 どこか寂しげに、愛花は新年になったばかりの夜空を見上げた。

 煌く星と月の明かりに照らされ、少しだけ頬が輝いているようにも見える。


「大丈夫よ」


 菜月は努めて明るい声で言う。


「はづ姉たちを見ていればわかるでしょう。何かあっても、ああして集まっているし、それに私だって将来はこの町に戻って来たいもの。たくさんの思い出が詰まっているしね」


「そうですね……ええ、きっとそうです!」


「じゃあ、ボクたちの今後を占うためにも、皆でおみくじを引こう!」


 大張り切りの涼子だったが、一番乗りした挙句に凶を引き当て、愛花から白い目を向けられるはめになっていた。


   *


 夕方過ぎの店内はシンとした空気に包まれていた。

 より正確に言えば、菜月たちの座る席だけが、である。


「えへへ……落ちちゃったねぇ……」」


 ぎこちなく笑みを浮かべた茉優から、ファミレスのテーブルに涙がポタリと落ちる。


 注文したハンバーグにはまだ手が付けられていない。

 それは菜月も真も同じだった。


「でも、なっちーとまっきーが受かってて良かったぁ」


 菜月は何も言えない。


 午後に張り出された合格発表。

 すでに合格が決まっていた真も、東京まで確認しに来た菜月と茉優に同行してくれた。入学試験の時もそうだったが、東京に不慣れな菜月たちを案内するためだ。


「僕……その……」


「まっきー、東京でなっちーをよろしくねぇ」


「も、もちろんだよ。だけど……!」


 真の両目からも涙が零れる。


「……そうね。東京でも……3人で一緒にいたかったわね……」


 元々が無謀とも思える超難関大学の受験。

 部活もあって塾には行かなかった菜月も、模試の結果がB判定だったとはいえ、正直受かるのは難しいと思っていた。


 だからこそセンター試験を受けずに、茉優と一緒に一般受験に臨み、今日の合格発表でも最初に彼女の番号があるかどうかを探した。


 ないのがわかり、滑り止めで受かっていた県大学に入ろうと半ば決意しかけたタイミングで、菜月は自分の番号を見つけてしまった。


 嬉しいというよりも、どうしようと本気で苦悩した。

 それは今も続いている。


「なっちー」


 菜月の考えを見透かしたように、茉優が厳しめの声を出した。


「茉優に合わせて、地元に残ろうとか考えたら駄目だからねぇ」


「でも……」


「茉優は嬉しいんだぁ。なっちーが凄い大学に受かってくれて」


 それに……と彼女は言葉を続ける。


「一生懸命やったから、悔いはないんだぁ。愛花ちゃんたちと大学でソフトボールをやるのも考えたけど、茉優、頭悪いから、きっと勉強についてけないと思うんだよねぇ」


 中学でも高校でも試験のたびに、菜月と真がつきっきりで彼女に勉強を教えた。

 最初はなんとか赤点を回避できたくらいなのに、徐々に成績は向上した。受験前にはもしかすればもしかするかもというレベルにまでなった。


 茉優の父親には涙ながらに感謝され、娘が落ちても気にしないでほしいと何度も言われた。


「だから、茉優は働くよぉ。実は、もう就職先も決めちゃったんだぁ」


「そう……なの。うん、わかった。茉優がそれでいいなら、私も応援する。

 ……でも、一緒に大学で勉強したかった……」


「なっちー、泣かないで。えへへ。茉優のことを想ってくれてるのがわかって、悲しいけど嬉しい変な気持ち……」


 テーブルの上で、菜月と茉優は抱き合って泣いた。


 その後、冷めた料理を平らげ、クタクタになるまで東京で遊んだ。

 合格しても落ちても遊んで来いと、各家の保護者が気を遣ってくれたのだ。


 ホテルに宿泊し、夜通しでくだらない話をして、帰りの新幹線で菜月は大好きな親友と肩を寄せ合って眠った。


   *


「いらっしゃいませぇ」


「……え?」


 卒業を待つだけになったある日、菜月はお昼を買いに来たムーンリーフで衝撃の事態に遭遇した。


「……茉優、今日は用があるって……ここでバイトだったの?」


「バイトじゃなくてお仕事だよぉ」


「……はい?」


 首を傾げた菜月は混雑時を過ぎ、平穏を取り戻しつつある店内から厨房の葉月を呼ぶ。


 すぐに顔を出した葉月は、菜月と茉優を交互に見て、納得したように笑った。


「茉優ちゃんから聞いてなかったんだね」


「ど、どういうことなの?」


「要するに、我が社の新入社員です」


「……じゃあ、茉優が決めた就職先って言うのは……」


「ムーンリーフだよぉ。前にはづ姉ちゃんに相談したら、働かせてくれるってぇ」


「……はづ姉?」


 壊れかけの機会みたいにぎこちなく顔を向けた菜月に、葉月は悪戯っぽい笑みを返す。


「もっと前に教えてたら、なっちーは一緒にこの店で働くって言いかねなかったでしょ。やりたいことがあるなら、全力でやる。本当の友達はそれでも応援してくれるから」


「うん。茉優はこの店で、いつでもなっちーが帰ってくるのを待ってるからねぇ」


「……茉優」


 感動しかけて、菜月はハッとする。


「その言い方だと、私が夢破れるの前提に聞こえるのだけれど?」


「えへへぇ」


「図星なの!?」


 カウンター越しにやり取りをする菜月と茉優に、葉月がケラケラと笑う。


「なっちーもだけど、茉優ちゃんもバイトしてる時からお客さんの受けは良かったし、厨房も手伝えるしね」


「これも子供の頃から、なっちーが料理を教えてくれたおかげだねぇ」


「途中からはママが教師役になっていたけれどね」


 おかげで菜月も茉優も人並み以上に料理をこなせるようになった。

 成果を見た和葉は誇らしげに、自分が最初から教えればこんなものだと春道に言っていた。


 その後に対抗心を露わにした春道が、茉優に免許皆伝を授けようとするのを見て、怒りながら全力で止めていたが。


「ムーンリーフは即戦力を雇えて大満足なのです」


 本当は就職できない未来が来ることを望んでいただろうに、あえておどけるように葉月が振舞う。過去を見るより、未来を見ようと態度で示してくれているのだ。


「これなら二号店も近そうね」


「その前に私が店に出られなくなった場合を想定して、店長代理がこなせるくらいに鍛えちゃうけどね」


「茉優、頑張るよぉ」


 力こぶを作るポーズで決意を示す茉優。見慣れたムーンリーフの制服姿だが、さらに成長したのか実希子以上にパツパツになっている。


「なっちーもいつでも受け入れてあげるからね」


「その場合は社長の座を奪うけれどね」


「まさかの下剋上宣言!? 身内に酷いよ、なっちー!」


「茉優、頑張るよぉ」


「スパイがいた!」


 キャイキャイ騒ぐ菜月たちに、配送から戻って来た実希子や好美も加わる。


「けれど、本当に随分な大所帯になったわね」


 菜月が言うと、主に経理を担当する好美が頷いた。


「経営も順調で、財政も健全。葉月ちゃんのゴーサイン一つで、いつでも支店を作ることが可能ね」


「尚の奴も、パートで働きたいって言ってたしな」


 実希子が腰に手を当てる。教師をしている柚を除けば、昔の仲良しグループが今や揃ってムーンリーフの関係者になっていた。


「はづ姉の人徳かしら……いいものね、こういうのも」


「なっちーにだってできるよ。素敵な友達がたくさんいるんだから」


 ほら、と葉月が指で示した直後、来店した愛花たちによってドアが元気よく開かれた。


「いらっしゃいませぇ」


 そしてカウンター業務をしている茉優を見て、菜月とまったく同じ反応をした。

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