第459話 春はイベントの季節です!? 名付けと号泣と爆睡と

 1年に渡る学校生活でもっとも短い3学期。冬の寒さに身を強張らせながら、教室のストーブ前に集まる男子を押し退けているうちに春休みも近づいてくる。


 春は出会いと別れの季節。その言葉に従うように、穂月の叔母が出産を迎える。ムーンリーフ2号店の店長も同時期に妊娠し、同じ病院での入院を希望したため、ますます人手も足りなくなる。


 母親はたまに泊まり込んで2号店のヘルプに回り、店長代理の好美を補佐するために祖母は朝から晩まで本店に入っている。


 バタバタする周りに叔母は申し訳なさそうだったが、その問題も解消しつつある。というのも――。


「今日は早かったのね」


 やや赤っぽい髪をサイドテールにした制服姿の女性が、ムーンリーフに入った穂月たちを出迎えてくれた。


 スタイルが良く、とても可愛らしいのでお客さんからも人気らしい。叔母の友人で駒井明美という名前だそうだ。


 そしてもう1人――。


「新しいパンが焼き上がったぞ」


 厨房から黒髪を短くまとめた女性が姿を現した。天然のパーマが中性的な顔立ちによく似合っている。彼女もまた叔母の友人だ。


「涼子ちゃんもすっかりお店に慣れたねー」


 穂月が声をかけると、清水涼子という名前の新入社員は「まだまだだよ」と笑った。彼女と明美の胸には研修中の札がつけられている。


「でも、ママは2人が入ってくれて助かってるって言ってたよ」


「だと思う。はづ姉さんの時も驚いたけど、まさか菜月たちも同じことをやってのけるとは……」


 苦笑している理由は、妊娠時期を狙って合わせた件だろう。世の中そう上手くいかないのが常なのだが、穂月の母親たち同様に叔母らも目論見を達成しつつある。その分不足した人手を補うために、明美と涼子はわざわざ関東での仕事を辞めて駆け付けてくれたのである。


「愛花ちゃんや茉優ちゃんも妊娠したって聞いて、こうなるだろうと思って涼子ちゃんと準備してたのよ」


「世話になった人へのお礼も済ませてたし、いずれは地元に戻りたいって思いもあったからな」


 叔母が地元に戻ったことで、ますます強くなったらしい。ムーンリーフの営業が極めて順調で、人手が足りないのも後押しになったと言う。


「雇ってもらったからにはバンバン働かないとな!」


 そう言って笑う涼子と、それを見守る明美はとても楽しそうだった。


   *


 叔母とその友人2人は同じ病室なので、見舞いも1度で済む。部活が早めに終わった日に皆で顔を出すと、何故か菜月だけがいなかった。


「あれ、トイレかな?」


 穂月が首を傾げていると、茉優が微笑みながら教えてくれる。


「なっちーなら赤ちゃんを産みに行ったよぉ」


「もうすぐ産まれるかもしれないわね」


 叔母の向かい側のベッドを利用している愛花も、新しい命の誕生を待ちかねているみたいだった。


「穂月たちも応援に行った方がいいのかな」


「さすがにそれはやめておくべきです。きっと旦那さんもいるはずですし」


 叔母の夫は予定日が近づくなり、職場に事情を説明して休みを取っていた。もちろん、ムーンリーフの方もだ。


「自分のことではないのに緊張しますわ……」


「将来を考えれば他人事ではないの」


 凛が息を呑むと、釣られるように悠里も小さな肩を震わせた。


 ドラマみたいな劇的展開にはならず、順調に叔母の出産は終わった。母子ともに健康で、穂月たちが病院へいる間に連絡が来た。


 大喜びの葉月たちも駆け付け、皆で叔母を一言だけ労った。疲れているだろうから、とにかく今は休ませようという配慮だった。


 少しだけ見せてもらった赤ちゃんは、小さいのにしっかり人間の形をしていて、なんだかとても可愛らしかった。


   *


 叔母に続いて、茉優と愛花も無事に出産した。母子の体調を考えて大々的なパーティーは少し落ち着いてからという話になった。


 それでも目出度いものは目出度いので、叔母のスマホにはお祝いのメールが届くみたいだった。あまり多くはないけれどと笑っていたが、とても幸せそうだった。


 しばらくは産休を取る予定の菜月の赤ちゃんは女の子で、事前に決めていたのかすぐに真菜(まな)と名付けられた。


 叔母の真似かは不明だが、茉優も自身と夫から1文字ずつ取って優介という名前にしたらしい。


 茉優らしいわねと微笑んでいた叔母だったが、もう1人の友人の息子に付けられた名前を耳にした瞬間、高木家のリビングで盛大に噴き出した。


「も、もう1度聞かせてもらえるかしら」


 スマホを耳に当て直し、叔母が声を震わせた。その間に穂月は近くにあったタオルでテーブルを拭く。その際に近くへ寄ると、たまたま電話向こうの愛花の声が聞こえた。


「だから夏樹(なつき)です」


「私と同じにするなんて、夫婦揃って正気なのかしら」


「もちろんです。2人ともお世話になりましたし、何より宏和さんも私も夏が好きなので、子供にも是非そうなってほしいと名付けました」


「……しっかりした理由があるのなら、私が口を挟むことでもないわね。でも、呼び辛かったりしないの?」


「むしろ逆ですね。フフッ、近いうちにまた集まってお話しましょう」


 悪戯っぽく笑った友人が電話を切ったらしく、菜月は応答のなくなったスマホを見つめ、そのうちに「はあ」とため息をついた。けれどすぐに笑みを浮かべ、仕方ないわねと呟いた。


   *


 新たな出会いがあって少しすると、今度は別れが訪れる。それが卒業式だ。


 まだ地元では桜が舞ったりしないものの、春の息吹を少しだけ感じられるようになった。町行く人々の顔も明るくなったような気がする。


 1年前には新品だった制服にもようやく慣れ、中学校生活も楽しめるようになった。だからこそ見知った顔を同じ校舎で見られなくなるのは寂しい。


「はわわ、大変なの。きっと今年も例の人物が号泣事件を起こすの」


 体育館で卒業生の入場を待つ間に、後ろにいる悠里がそんなことを言いだした。心配はもちろんしているが、どこか楽しみにしているようでもある。


 小学校に比べて生徒も増えているので、すぐ後ろが悠里ではなくなっているが、それでも沙耶らよりも距離は近い。


「さすがに今年は大丈夫じゃないかな」


「甘いの、ほっちゃんはまーたんの寂しんぼぶりをまだ理解しきれてないの」


 考えてみれば仲間内での事情に限ると、朱華もだが陽向も学年に1人だけだ。さすがに虐められたりはないみたいだが、ソフトボール部の人間以外とはあまり交友を深めてないらしい。


「なのにあの外見でクールを気取ってるから、ヤンキー扱いされてますます友達ができないの」


「一緒に遊ぶと楽しいのにね」


 ぶっきらぼうで怒ったふりもするが、滅多に本気にはならない。面倒見も良く、渋々ながらも宿題も真面目にやる。


「もしかしたらゆーちゃんよりも人見知りなのかもしれないの」


「そう言われるとそんな気もするね」


 話をしているうちに卒業式が始まり、小学校の時と同じように朱華は途中でこちらに微笑んでくれた。


 そして生徒会長として答辞を読んでいる時に、どこかで聞き覚えのある嗚咽が体育館に響き渡った。


   *


 卒業式後のパーティーで例のごとく延々とからかわれ、もう勘弁してくれと陽向が涙目になった記憶も新しいうちに、中学校生活は新しい局面に突入する。


 教室を変わっただけで、机も以前の2年生が使っていたものなのに妙に新しく感じられるのが不思議だった。


 窓から見える景色も少しだけ変わり、なんだか匂いまで新鮮だ。出席番号順に座る穂月の少しだけ後ろには悠里の姿がある。


 進級してクラスは変われども、友人たちは全員が一緒だった。そして始業式前に姿を現した担任に、思わずにんまりしてしまう。


「始業式の前に少しだけ自己紹介をさせてね。知ってる人もいるだろうけど、今年1年皆の担任になる春日井芽衣です。よろしくね」


   *


「始業式の当日から練習とは、とんだぶっ壊れキャプテンなの」


「聞こえてるぞ、ゆーちゃん」


「はわわ、地獄耳なのは相変わらずなの」


 こっそり隠れてベンチで休んでいた悠里が、慌ててグラウンド横での投球練習を再開する。新チームとなって以降は穂月と悠里の2人が投手を務めていた。


「春の全国大会でメンバーに選ばれた部員が一番多いんだ。期待を背負ってる分だけ、気合を入れろ!」


 バット片手に陽向が声を張り上げると、グラウンドに元気な返事が木霊した。見学中の新入生には厳しく見えるかもしれないが、練習メニューはコーチの実希子が組んだものであり、理不尽なしごきにはなっていない。そして何より陽向が虐めなどを嫌うため、部の雰囲気は決して悪くなかった。


「選抜チームでもエースだったほっちゃんに、正捕手だったのぞちゃん、まーたんもサードのレギュラーでしたし、りんりんもDPで出場したんですよね」


 そう言って指を折る沙耶だが、彼女もまたベンチには入っていた。あとは現在の3年生も1人選ばれていたので、陽向の言う通り県内で最多の人数が参加した。


「夏の前哨戦になる春の地区大会もきっちり制して、今年も全国に行くんだ。中学校では何としても、俺の代で朱華の代を上回る成績を残すんだ!」


「はわわ、こだわりすぎてなんだか新入生がザワついてるのっ」


「……それは多分、まーたんのせいじゃないと思います」


 悠里のボールを受けていた沙耶が、立ち上がると同時にベンチを指差した。


 先ほどまで悠里が隠れていたさらに奥。伸びる木々によって日が遮られた部分に、1人の少女がユニフォーム姿で横たわっていた。


「おー。

 のぞちゃん、注目の的になってるねー」


「っていうか、さっきまでほっちゃんの投球練習に付き合ってたはずなの。眠ることへのやる気だけはとんでもないの」


 褒めてるのかよくわからない悠里の声を追い越し、穂月はベンチで眠る友人へ笑顔で声をかける。


「のぞちゃん、一緒にあそぼ」

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