第460話 産休した担任の代わりはまさかのあの人!? ついでに春也はソフトボール部の真実を知りました

 5年生になっても春也は目出度く仲の良い友人2人と同じクラスになれた。まだクラスも変わったばかりで朝はザワめきに包まれているが、おかげで去年までのライフサイクルを維持できる。


「なあ、知ってるか?」


 すぐ後ろが晋悟なので、背もたれに顎を乗せるようにして話しかける。視界には隣の席の智希も映る。


「姉さんの体調なら万全だ。どんな服装だったかも――」


「聞いてないからそれ以上言うな。どことなく犯罪の臭いもするし」


 得意顔の智希を半眼で制してから、改めて晋悟に話しかける。


「姉ちゃんたちは朝練ってのをやってるらしい。俺たちもやろうぜ、朝練」


「野球部の練習も朝にするってこと? 全員揃ってでないなら自主練みたいなものだよね? いつも部活終わりに少し残ってるし、そこまで必要ないんじゃないかな」


「何言ってんだよ! 今年こそ全国制覇したいだろ。そのためには練習あるのみだって。智希もそう思うよな?」


「ああ、姉さんに合う服装を考える力は一朝一夕では得られないからな」


「おう、聞く奴を間違えたわ」


 女子から絶大な人気のあった智希だが、変人ぶりが知れ渡ったおかげで現在はさほどでもなくなっている。それでもファンクラブが作られているせいで、一部の男子からはリア充爆発しろと思われているらしい。


 ちなみに春也もそれなりにラブレターなどを貰ったりもするのだが、興味がないのですべて断っている。女子と一緒に運動してもすぐ音を上げるし、何かとくっつこうとするので苦手と言えるかもしれない。


 3人組の中では誰にでも分け隔てなく接する晋悟に人が集まることが多い。当人は仲を取り持ってくれというのばかりだけどね、と以前に疲れ切ったような笑みを浮かべていたが。


「話が逸れたけど、俺は今年こそ――」


「あっ、先生が来たよ。春也君、前を向いて……って、あれ?」


「何変な声出してんだよ、柚先生が……って、あれ?」


 教壇までツカツカと歩く女教師の姿に、春也は友人をとやかく言えない反応をしてしまった。目と口をポカンと開け、見据える先にいたのは柚ではなく――。


「おはようございます。室戸――いえ、黛先生が本日より産休に入りましたので、朝の連絡を私が行います」


 全教師の中で一番厳しいと有名の谷口藍子だった。一時、姉と正面衝突し、学校を巻き込んだ大騒動に発展したのだが、小さかったせいもあってその時の記憶はあまり残っていない。


「じゃあ、谷口先生が担任になるってこと?」


 真っ先に春也が疑問の声を上げると、藍子は首をゆっくり左右に振った。


「いいえ。私は隣のクラスを担当します。黛先生が産休の間に担当してくれる先生を紹介するために来ただけです。それと高木さん、質問や意見がある際はまず挙手をして、許可を得るなりしてから発言をしなさい。小学生の間は大目に見てもらえるかもしれませんが、大人になるにつれて周囲の評価も厳しくなります。不必要に自分の価値を下げないようにしなさい」


 たっぷりの威厳を解き放つかのように女教師の眼鏡がキラリと光る。思わず反射的に頷いた春也だったが、すかさず新たなお小言を貰う。


「返事はきちんと声にしなさい。身なりや挙動でその人の価値がすべて決まるわけではありませんが、第一印象において他者に後れを取ってしまいます。最初から好意的な人物と苦手な人物とでは、皆さんだって頼まれごとをした際の反応を変えてしまうでしょう? 不本意だと言うのであれば偉くなって世の中の慣習をひっくり返してください。ですがそこまで辿り着くにはやはり現状の評価されるシステムを上手く使わなければなりません。従って言葉遣いや態度などは非常に大切になります。高木さん、そして他の皆さんもわかりましたか?」


 厳しいながらも丁寧な説明に全員で返事をすると、女教師は満足そうに「結構です」と頷いた。


「では本題に入ります。戸高先生、入っていらしてください」


「はい」


 教室に入ってきたのは春也の祖父母よりも、少しだけ年下と思われる女性だった。どことなく見覚えがあるような気がして、反射的に首を捻る。


「はじめまして、産休中の黛先生に代わって皆と一緒にお勉強することになりました、戸高祐子です。短い間ですがよろしくお願いします」


   *


 休み時間になると、優しげな女教師に生徒が殺到する。多くの質問に丁寧に答えながらも、一切微笑みを崩さない。


「産休ってあれだよな、菜月ちゃんとかと同じやつだよな」


 あまりに人が多いので春也は黒板前の輪には加わらず、自分の席で友人2人と会話をする。


「赤ちゃんを産むための休みだね。それにしても驚いたよ、まさか戸高のおばあちゃんが臨時で担任だなんて」


「え? お前、知ってるのか?」


 春也が不思議そうにすると、同様の感情を湛えた目で見返された。


「もしかして覚えてないの?」


「まさか知り合いなのよ。智希も知ってるのか?」


「いや、姉さんの教育係にあのような人物はいなかったはずだ」


「そもそも教育係を雇ってないだろ」


 ボケでなく本気なのが辛いところだが、とりあえずのツッコミを入れておいてから再度、もう1人の友人に尋ねる。


「で、誰なんだよ」


「宏和おじさんのお母さんだよ」


「えっ、あの元プロの!?」


 驚いた春也が大声を上げると、教室がシンとした。その中で目が合った新担任がクスリと笑っていた。


   *


「教職から離れていた間も、もしものためにと免許は更新していたらしいのよ。そこに柚ちゃんの産休の話があって、子育ても一段落しているから臨時ではあっても復帰してみようと思ったそうよ。これが教壇に立てる最後の機会だからとも言ってたわね」


 夕食の席で1日の出来事を報告した春也に、祖母がそう教えてくれた。


「事情を知ってたなら、前もって教えてくれたらよかったのに」


 唇を尖らせる葉月に、祖母は困ったようなため息をつく。


「私もつい最近教えてもらったのよ。我が家も向こうも忙しかったから、なかなか電話をしている暇がなかったもの」


 高木家では菜月が赤ちゃんと一緒に滞在中で、戸高家でも愛花が同様の状況である。


「そうだよね……でも、私も久しぶりに祐子先生の授業を受けてみたかったかも」


「私が在籍していた頃はもう戸高家に入っていたから、受ける機会はなかったわね。どんな指導をする先生だったの?」


 育児でやや疲れ気味ながらも、味噌汁を飲んで一息ついた菜月が会話に加わる。


「班対抗でのクイズとかゲーム形式が多かったかな。黒板に書いてノートに写させるだけじゃなくて、生徒たちに考えさせるっていうか」


「子供たちには受けが良さそうね。何はともあれ、柚さんも心置きなく産休が取れそうで良かったわ」


「逆に生徒の評判が良すぎて、復帰した時にブーイングされたらどうしようって今から心配してるみたい」


「それはないよ」


 頬に手を当てて首を傾げた母親に、咀嚼した唐揚げを呑み込んでから春也は笑った。


「柚先生は人気あるから、祐子先生が人気者になったとしても、2人にいてほしいって感じになるって」


「春也は柚ちゃん派?」


「んなこと言われても、まだほとんど授業も受けてないしな。ま、どっちかというと俺は勉強より部活派だな」


   *


 春也らしいと笑われた宣言の翌日。しっかり励んでいた部活の途中で水を飲もうと校舎内に入ったら、近くの教室から賑やかな声が聞こえてきた。


 何だろうと思っていたらタイミング良くドアが開いた。出てきたのはソフトボール部員たちだ。ユニフォームを着ているので一目でわかる。


「あれ、何で谷口先生がソフトボール部と一緒にいんの?」


 帽子のつばを逆向きにかぶり、袖で口元を拭っていると先頭を歩く女教師と目が合った。


「産休に入った黛先生の代理で臨時顧問をしているのです」


「なるほど……けど何で美術室?」


「お芝居の稽古です。秋には文化祭での発表もありますから」


「そういやソフトボール部は毎年やってたっけ。でも何でソフトボール部だけそんなことやってんの?」


「……本気で言ってるのですか? それと言葉遣いや態度に気を付けてほしいと先日指導したばかりですが」


 眼鏡を光らせるのが合図なのか、一気に女教師の威圧感が強くなる。即座にヤバイと判断した春也は慌てて帽子を取る。


「ごめんなさいっ、あと俺はまだ部活途中なんで失礼しますっ」


 なんとか丁寧な言葉でまとめつつ、廊下を走ろうとしてまた叱られながらも、なんとかグラウンドまで帰還する。


「春也君、遅かったね」


 ピッチング練習の途中で勝手休憩に入っていた春也の姿を見かけるなり、晋悟が声をかけてきた。そこで校舎を指差しながら先ほどの出来事を説明する。


「谷口先生って迫力あるもんね。それにしても本当に春也君はソフトボール部が演劇もしている理由を知らないのかな」


「えっ、晋悟までわかってんのかよ」


「……どうやら本当みたいだね。きっかけは穂月お姉さんだよ。朱華お姉さんが入部させるために部員で演劇をすると条件を出したんだ。最初は先生方も苦笑してたらしいんだけど、そこからソフトボール部は3年連続で全国大会に出場。最後の1年は優勝までしたから、そのまま部の伝統みたいになったんだよ」


「マジかよ……うちの姉ちゃんのせいだったのか……」


 はーっと息を吐きだして驚いた春也は、目線をもう1人の友人に向ける。


「智希は知ってたか?」


「俺が知っているのはどんな役でも姉さんが1番光り輝いていたということだけだ」


「よし、練習を再開するか」


「少し待て」


 いつものように狂った言動を無視して投球練習に戻ろうとすると、珍しく重度のシスコン友人から待ったがかかった。


「ソフトボール部由来の真偽を確かめたいのであれば、直接問いただせばよかろう。今なら特別に俺が付き合ってやる」


「智希が? どういう心境だよ」


「春也君の話題にかこつけて、希お姉さんに会いたいだけに決まってるよね」


 晋悟の説明があまりにもしっくりきたので、春也は「おー」と姉のような声を出して手を打った。


「そういうことならって言いたいところだけど、夜になれば家で話を聞けるしな。わざわざ姉ちゃんたちの学校まで行くことないだろ」


「貴様、それでも男か! 謎の解明にもっと心血を注げ!」


「智希君、落ち着いて。この間も脱走しようとして、監督に怒られたばかりなんだよ?」


「だから生贄が必要なのだろうが!」


「お前、俺を囮にするつもりだったのかよ!」


 3人――主に春也と智希――がグラウンドでギャーギャーと騒いでいたため、そんなに元気が有り余っているのならと、監督から仲良く追加の練習メニューを与えられた。

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