第461話 部活中の穂月たちに接近する不審者!? 説教のち暴露のちソフトボール勝負となりました

「もう少しで春の大会があるんだ。気合を入れろ、気合を!」


 投球練習中に穂月がチラ見したグラウンドでは、いつものごとく陽向が気合を連呼していた。隣には顧問の芽衣と一緒に、コーチの実希子もいる。


 叔母たちの出産に合わせてしばらく休んでいたが、研修中だった2名が2号店へ異動となり、それに伴って本店業務へ戻れたのだ。


 もっとも数ヵ月にも満たない研修でパン作りを習得できるはずもないので、いまだに穂月の母親は叔母の夫に運転してもらって2号店へ出勤しているが。


「渡したメニューをしっかりやってたみたいだな。去年より動きが良くなってるじゃないか」


 おかげでコーチに復帰できた実希子が、駆け回る部員たちを見て満足そうに頷いている。続けて何らかの指示を出そうとしたところで、彼女のスマホがけたたましく鳴った。


「店から? 先生、少しお願いします」


 芽衣に場を預け、実希子が電話をするためにベンチ脇へ走る。


「じゃあ皆、そのままコーチの練習を――」


「先生っ!」


 新しく入った1年生の部員の1人が、緊張を含んだ声で芽衣を呼んだ。


「誰かいますっ」


「えっ? まさか不審者!?」


「敵ですわね! 貴族の務めとして、わたくしが退治してさしあげますわっ!」


 ザワつくグラウンドで、独特なお嬢様口調の凛がバットを手に掴んだ。あまり気の強くない悠里が、すかさずその大きな背中に隠れる。


「様子を見つつ、警察へ通報する準備をしておくべきです」


 生徒のスマホ持ち込みは禁止されている。部員の視線を一身に浴びた女教師が、頷きながら慌てて自分のを操作し始めた。


 予期せぬ事態に膝を若干震わせながらも、冷静さを失わない沙耶にとりわけ新入部員が頼もしそうにしている。


 一方で穂月は投球練習を中断し、近くまで来た希に首を傾げつつ確認する。


「不審者って悪い人のことだよね?」


「……一般的にはそう」


「なら穂月がちょっと見てくるよ」


「……とても危険だから一緒に行く」


 いつもは背後霊のごとく穂月の後ろにいる希が、スッと前に出る。部活動で逞しくなった背中を追いかけていくと、確かに校庭隅の茂みがガサッとしたのが聞こえた。


「不審者さん、そこにいるのー?」


「ほ、ほっちゃんさん、本当に不審者ならそのような呼びかけでは応じませんわ!」


 穂月に追いついた凛がバットを構えながら唾を飛ばす。怖がりな悠里もすぐ後ろにピッタリ張り付いており、いつの間にか沙耶の姿もあった。芽衣は胸の前でスマホを握り締めながら、こちらを心配そうに窺っている。何かあれば通報しつつ駆け寄るつもりなのだろう。


「……いっそりんりんのバットでそこら中をぶちのめせばいい。理由は後付けでどうとでもなる」


「そ、そうなのですか?」


「……ならなくても実行犯はりんりん」


「わたくしに罪を押し付けようとしないでくださいませ! それにのぞちゃんさんが指示したのですから、立派な共犯になりますわ!」


 凛がそう叫んだ瞬間だった。


「何だと!? そんなことを許容できるものか!」


 茂みから勢いよく立ち上がったのは、見覚えのあるシスコン少年だった。


   *


「主犯は智希で確定だろ。春也と晋悟には迷惑かけたな」


 部員に呼ばれて何故か指の骨を鳴らしながら、笑顔で現場に乱入した実希子だが、不審者の正体を見るなりガックリと肩を落とした。


 盛大なため息を連続でつき、腕を組んだあとで我が子を見下ろしながら言ったのが先ほどの台詞である。


 ベンチ前に正座させられた3人の小学生のうち、左の晋悟は恐縮しきりで、右の春也は唇を尖らせつつもチラチラと陽向を見ている。


 そして残りの1人はといえば――。


「迷惑などかけてはいない。いつもいつも俺と姉さんの逢瀬を邪魔する不届き者どもが、今回も妨害を企んで勝手についてきただけだ!」


「つまりは恩人ってことか。いつもいつも悪いな、2人とも」


 実希子が軽く頭を下げると、朱華の弟が慌てて顔の前で両手を振った。


「こちらこそ練習の邪魔をしてしまって申し訳ないです。脱走に気付いてすぐ春也君と追いかけたんですが……その……上手く説得されまして……」


 そう言って彼が横目で見たのは、穂月の弟である。


「春也?」


「ち、違う! 俺は最後まで止めようとしたんだって、姉ちゃんは信じてくれるだろ!?」


 別に怒っているわけではないのだが、勘違いしたのか弟は慌てて弁明というか言い訳を始める。


「ただ、智希の奴が姉ちゃんとこに不審者でも現れたらどうするとか言って、その、まーねえちゃんもいるし、あの、そ、そういうことだよっ」


 何がどういうことかさっぱりわからないが、一緒に聞いていた実希子は理解したみたいだった。


「春也もお年頃ってことか。にしても唆したのは智希なんだから、やっぱりお前が1番悪いだろ」


「そんわけないだろうが」


 威圧感たっぷりの母親に睨まれても、息子だからなのか智希に気にした様子はない。それどころか逆に胸を張る始末だ。


「元凶は俺と姉さんを引き離した学校というこの国に蔓延する歪んだシステムだ! それを是正しようとして何が悪いっ!」


「全部だよ、アホたれが」


 ヘッドロックを決めて我が子を黙らせると、実希子は急にニヤリとする。


「いや、待てよ? そこまで希と一緒にいたいってんならそうだな……お前らも練習に参加していけよ」


   *


 希の母親は小学校に連絡すると、すぐに穂月の弟たち専用のメニューを組んだ。


「オラオラオラ! そんな様じゃ希にいいとこ見せらんねえぞ。このままただの変質者で終わっていいのか!」


 2桁を超えるダッシュの直後に、至近距離からの連続ノック。見ているソフトボール部員の大半が「うわぁ」と同情するほどだ。


「いつの間にやら不審者から変質者に格上げがされてるの」


「それは格上げと言ってよいのか疑問ですわね」


 並んで見学中の悠里と凛は、不審者の正体が見知った少年たちだったのですっかり警戒を解いている。


「春也もどうした! そんなんじゃ永遠に陽向に笑われるぞ」


「うおお! 40過ぎたババアの打球じゃねえ!」


「はっはっは! アタシはまったく気にしねえけど、とりあえず葉月にはチクっとくぞ。同い年だし」


「すみませんでしたあああ」


 半泣きになる春也の隣では、巻き添えを食らっただけの晋悟が息も絶え絶えだった。3人の中でもっとも体力のある智希も、さすがに膝に手をついて肩を上下させている。


「くっ……このような練習で俺の姉さんへの愛を計れるものか!」


「負け犬のなんとやらか? 母ちゃんはお前をそんな風に育てた覚えはねえぞ」


「俺も育てられた覚えはない!」


 智希の断言に周囲がザワりとする。同じ大人の芽衣の視線も、心なしか厳しくなっているみたいだった。


「待て! ちゃんと稼いでるし、飯も作ってるし、家事もしてんだろ!」


「夕飯の支度は仕事終わりの父ちゃんがすることが多いではないか! それに家事は祖父ちゃんと祖母ちゃんが大半をやっている! 家を建てて自立するとか言ってたのは何年前だったかとよくため息をついているぞ!」


「うわあああ!」


 今度は実希子が大きなダメージを受けたみたいだった。


「問題ありませんわ。コーチも貴族になって使用人を雇えばよろしいのですわ!」


「そ、そうか! 凛の家は使用人を雇ってるのか!」


「えっ!? あっ、いえ、その……」


「なんちゃってお嬢様の自称貴族家がそんな大層なものを使ってるわけがないの」


 半眼の悠里に反論できない凛を見て、とうとう希の母親は地面に両手をつく。


「……駄目人間、ここに極まれり」


「おー」


「せめて希は味方してくれ! 母ちゃんだって一生懸命やってるんだあああ!」


「……生憎だけど逃げたふりして様子を窺っても無意味。2度は通じない」


「うっ……! 可愛くないぞ、希。そういう時は母ちゃんのために付き合うもんだろ!」


 ガバッと上半身を起こし、掌を上に向けて感情のままに叫ぶ。すでに先ほどまでのコーチとしての威厳は綺麗さっぱり消えている。


「これでわかったはずだ、俺の姉さんへの想いが!」


「公衆の面前でお母さんを容赦なく言い負かしただけのような気がするんですが……」


 沙耶の呟きなど聞こえぬとばかりに、希の弟は堂々とした足取りでグラウンドから去ろうとする。誰も口を挟めない雰囲気になっているが、穂月だけは違う。


「それで結局、のぞちゃんと遊びに来ただけってこと?」


「その通りです! むしろこれから毎日来ます!」


「おー。

 じゃあ、穂月とも遊んでく?」


「そうだ、せっかくだから勝負してけよ」


 素早く立ち直った実希子が、穂月の肩に手を回しながら息子たちを見下ろす。


「まあ、お前らじゃ穂月の球は打てねえけどな」


「――っ! 俺だって野球部で頑張ってるんだ。ソフトボール部の姉ちゃんに負けるかよ!」


「あーっ! それは差別だよ!」


「事実だ! 姉ちゃんのボールなんて簡単に打って証明してやるよ!」


   *


「そんな……かすりもしねえ……」


 威勢の良さはフリだったのかというほど、穂月のボールを体験した弟は意気消沈していた。


 晋悟は最初から勝負に応じておらず、続いて打席に立った智希も姉への想いを叫びながらも空振り三振に終わった。


「揃いも揃って情けねえな。姉さんが何だって? まーねえちゃんが何だって?」


「「ぐぬぬ……!」」


 実希子に煽られて、2人の弟が歯噛みする。


「こ、こんな勝負じゃ気合が入らなかっただけだ!」


「言い訳は見苦しいぞ、春也」


 目当てだった陽向にまで注意され、春也は耳まで真っ赤になる。


「言い訳じゃねえ! 普通に試合をすれば俺たちが勝つ!」


 拳を握りしめて咆哮するも、新たな勝負を挑む前にグラウンドに新たな影が現れた。弟たちの所属する野球部の監督だった。


 ご迷惑をおかけしましたと丁寧に芽衣や実希子に頭を下げ、引き摺るように3人を連れ帰る。


「あれだと学校に戻ったら、すっごい怒られそうだねー」


「……完全に自業自得」


「希の言う通りだから穂月は気にしなくていいぞ。ついでにさっき智希が言ってたこともな! アタシはちゃんと母親してるからな! 本当だからな!」


 全力でそう訴える実希子だったが、部員たちの彼女を見る目はこれまでよりずっと生暖かくなっていた。

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