第71話 過去からの来客~除夜~

 仲良く三人で傘に入り、戻ってきた春道を泰宏が出迎えてくれた。


「遅かったな。風呂なら沸いてるぞ」


 穏やかに微笑を浮かべ、気遣い満点の台詞を言ってくれてるのに、春道は呆然と立ち尽くすだけだった。

 チラリと泰宏の妹でもある和葉を見ると、実に見事なまでの微妙な表情を浮かべている。


「……兄さん。一体、何の真似ですか……」


 渡されたタオルでずぶ濡れの身体を拭くのも忘れ、和葉は実の兄に尋ねた。


「何のって、見ればわかるだろう。お前が途中で放置していた肉じゃがを、温めなおしているところだ」


「……その恰好で、ですか……」


 呟いた和葉の視線の先にいる泰宏は、小学生が給食時に使用するような、真っ白い割烹着と頭巾を着用していた。

 見るからにミスマッチで、真剣な顔つきをされても、どこぞのお笑い芸人みたいにしか見えなかった。


「料理の時はこの格好と、昔から相場が決まっている」


「……私の学生時代には、そのようなしきたりはなかったと記憶していますが」


 和葉の指摘で「ウッ」と呻いたあたり、わざと場を和ませるために割烹着を用意したのだろう。だが結果は惨敗となる。


「おじちゃん、何か変だよー」


 普段は相手を気遣う葉月でさえも、母親同様の微妙な顔つきで、泰宏に駄目だしをする。

 これが決定的となり、泰宏はため息をつきながら割烹着を脱いだ。そのあとで少しだけいじけたように「とにかく、風呂に入れ」と和葉へ告げた。


 手渡されたフェイスタオルで服を拭いても、そう簡単に乾かないし、何より身体は濡れたままだった。

 このままでは母娘揃って風邪をひく恐れがあるので、和葉は素直に実兄の忠告に従う。葉月の手を引いて家に上がり、すぐに春道たちへ背中を向ける。


「……ありがとう」


 面と向かって言うのが照れ臭かったのか、静かな声で言い残すと、葉月と一緒に風呂場へ向かって歩き出した。


「いってきまーす。

 おじちゃん、どうもありがとー」


 母親に倣ってお礼を言いつつ、振り返った葉月が泰宏にぶんぶんと両手を振っている。

 やがて二人の背中が見えなくなると、泰宏は春道に「肉じゃがを完成させよう」と言ってきた。


   *


「どこにあったんですか、あの割烹着」


「春道君、それは聞かない約束だろう」


 いつの間にかどこかへ封印されたらしく、割烹着は台所から姿を消していた。

 玄関からの道中では確かに片手で抱えていたのに、なんとも不思議な話である。

 それだけ忘れたい記憶として、泰宏の中に刻まれたのかもしれない。そんな相手の心情に考慮して「だったら、やらなければよかったのに」とは決して言わなかった。


「……春道君は、大丈夫か?」


「俺ですか? 俺なら問題ないですよ。和葉や葉月の方が、ずっと辛い。なんとか……支えてあげられればいいんですけどね」


 春道がそう言うと、泰宏は小さく笑った。


「そんなに意気込む必要はないよ。春道君は普通にしていればいい。きっとそれが、和葉や葉月ちゃんにとって力になる」


「……そういうものですかね」


 わかったような、わからないような状況の中で「そういうものさ」という言葉が返ってくる。


 何か特別な癒しがあるわけでもないので、泰宏の言うとおりなのかもしれない。春道も、次第にそう考えるようになる。

 普段はどこか抜けたような一面も見せるが、いざという時に真価を発揮して頼りになるあたり、さすがは和葉の実兄だなと相手を見直した。


 それに比べて、春道は傷心の愛娘に何かしてあげられたのだろうか。そこまで考えて、首を左右に振る。

 配慮は大切だが、悪戯に範囲を拡大させるのも好ましくない。意識をすればするほど、普段どおりに接するのが難しくなる。

 相談されたら、改めて力になれるか考えればいい。頭の中で春道が方針をまとめた頃、和葉と葉月の母娘が台所へ現れた。


「ふっかーつ」


 見慣れた満面の笑みとともに、葉月が元気よくVサインを作る。

 すぐ後ろには和葉がおり、湯気を肌から立ち昇らせながら乾いた髪の毛を手で整えている。


「お待たせしました。何か手伝うことはありますか」


 尋ねてきた和葉に、春道と泰宏は揃って首を左右に振る。

 ほとんど和葉が調理を済ませていたので、春道たちがやったことといえば、料理を温めて皿へ盛り付けたぐらいだ。


 泰宏とともに味見もしてみたが、きちんとした料理になっていた。

 葉月に手伝わせながらも、しっかり和葉が主導権を握っていたとわかり、ホッとしたばかりだった。


「じゃあね、葉月、お皿を運ぶねー」


 気づけば時刻はすでに夕暮れを過ぎており、空は闇色に染まりだしている。

 雨の勢いは弱まってるみたいだが、未だ分厚い雲のせいで、空の色で大体の時刻を判断するのは不可能だった。そのため、本格的な夜が来るまで気づかなかったのである。


 考えてみれば今日は大晦日で、翌日に備えた新年の準備で忙しいのが当たり前なのだが、そうした雰囲気は一切ない。あれだけヘビーな案件が、年の瀬という事実すら霞ませていた。


「今年も、もう終わりか……。

 それにしても、色々ありすぎた一年だったな」


 戸高家には食堂といっても通じるぐらいの広々としたスペースが、食事をするためだけに用意されていた。

 そこへ大きめの食卓を並べて置いているが、今夜は春道たちしかいないので、そこまで大きなテーブルは必要なかった。


 不要な分を泰宏と一緒に片しつつ、呟いたのが春道の先ほどの台詞だった。

 料理を運んできた和葉が「そうですね」と相槌を打つと、愛娘が「楽しかったねー」と明るい声を出した。

 こちらに気遣っている様子はなく、単純にそう思っているから口にした。そんな感じである。


 本当の両親のことはまだ心の傷として残っているはずで、いかに家族といえど共有するのは不可能だった。

 けれど傷つき疲れた愛娘を、せめて支えてやりたかった。

 そのためには、泰宏の助言どおり、春道らしくあるのが一番なのだろう。いつものように葉月をからかいながら、夕食の準備を完成させる。


 いつもどおりを演出しながら、春道も和葉も、いつもより少しだけ口数が多くなっていた。

 食卓の主役となっている葉月は常に笑顔で、高木家の団欒を泰宏が優しげに見守っている。


 食事を終えたら全員で後片付けをして、泰宏の勧めで春道が先に入浴した。

 そして宿泊予定の客間へ行くと、すでに和葉が葉月と一緒に全員分の布団を用意してくれていた。


   *


「家族で川の字というのも、ずいぶん久しぶりですね」

 和葉の言葉に黙って頷く。

 懐かしんでいる春道の前に、家から持ってきたパジャマに着替えた葉月がちょこんと座った。

 春道の隣には和葉もあり、葉月の位置からは丁度両親を視界に収められる。


「ママ……本当のことを、話してくれてありがとう」


 そう言って葉月は、ぺこりと頭を下げた。


 そんな愛娘を母親の和葉は、心配そうなそれでいて安堵したような表情で見ていた。


「お父さんとお母さんのことは悲しかったけれど、葉月は大丈夫だよ」


 涙ぐんで何も言えないでいる妻に代わって、春道が「そうか」と応じる。


「うんっ。それにね……お父さんは、きっと葉月を見守ってくれている。そんな気がするんだ。お墓の前でも言ったけど、夢の中で会いに来てくれたんだもん」


 言われて春道は、日中に葉月が口にしていた台詞を思い出す。確かに夢の中で会ったと言っていた。

 にわかに信じられる話ではないが、本当の父親と知る前の男性の顔を、そこまで印象的に覚えていたのであれば嘘だと断定もできなかった。

 きっと真実なのだろう。葉月以外にはわからなく、確証がなくとも春道はそう信じていた。


「泣いてた葉月に、自分や他の人を信じろって言ってくれたの。それからすぐにね、パパと会ったんだ」


 以前から一緒に住んでいる母親の和葉も知らなかったらしく「そうなの?」と娘へ尋ねている。


「そうだよー。本当はね、話しかけるの、すっごく怖かったんだ。でもね、葉月、自分を信じて、パパをパパーって呼んでみたの」


 当時の春道はまだ葉月の父親ではなく、ただの引きこもり同然のフリーで仕事をしている独身男だった。

 それが通い慣れた銭湯から外へ出た途端に、愛娘の言葉どおり「パパー」と声をかけられた。あの夜の衝撃は、今でもはっきりと覚えている。


 この頃には、葉月は自分が和葉と血が繋がっていないのを知っている。

 それでも父親を求めたのは、自身の寂しさを解消するためではなく、母親を案じてのことだった。


「パパ、最初は冷たかったから……葉月、何度も挫けそうになっちゃったんだ」


 罪悪感が錘となって、春道の背中にズシンと乗ってくる。

 もともと子供が好きでないのもあり、当時の春道は指摘どおり、ずいぶんと突き放した態度で葉月に接していた。

 非難するかのような視線を愛妻が向けてきているが、そもそもの発端は和葉なのである。


 だが、ここで余計なツッコみを入れると話がややこしくなりそうだったので、あえて口をつぐんでおくことにした。


「でも、きっといつか、仲良くなってくれる。そう信じていたら、辛い気持ちが頑張ろうに変わったのー」


 実際に葉月は、どれだけぞんざいに扱われても、決してめげなかった。

 今になって思えば、そうしたひたむきな姿に、いつの間にか春道も引き込まれていたのかもしれない。

 気づいたら、娘となった少女を気にかけるようになっていた。


「今は凄く楽しいよ。それにね、葉月、わかったんだ」


「わかったって……何が?」


 問いかけた和葉に、葉月は満面の笑みを浮かべて答えた。


「十回騙されても、十一回目も信じるの。そしたらね、きっと最後は幸せになれるんだよー」


 誰が教えたわけでもない。

 幼い少女でありながらも、葉月は自然と人生における指標を身に着けていた。

 そんな愛娘を、どことなく羨ましく思いながらも、春道は優しく髪の毛を撫でてやった。


「あら……また、雨が降ってきたみたいですね」


 褒める春道と照れる葉月を、穏やかに眺めていた和葉がボソリと呟いた。

 耳を澄ませば、確かにポタポタと屋根にぶつかる雨音が聞こえてくる。

 けれど本降りになることはなく、すぐに雨は上がった。わずかな時間だけの出来事だった。


 何の確証もないけれど、春道にはまるで誰かの涙雨みたいに感じられた。悲しみのか……それとも喜びのかはわからないけれど、そんな気がしたのである。

 愛妻に話したところで「気のせいです」と一刀両断されそうだったので、誰にも話さずに胸の中へしまっておく。その上で春道はふと考えた。

 仮に涙雨だったとしたら、一体誰が流したのだろうかと。思い当たったのは、写真で見た男女だった。


 葉月なら、大丈夫です。誰よりも怖い女性が、目を光らせて見てますから。


 誰にともなく、春道は心の中で呟いた。

 ――はずなのに、どういうわけか愛妻がジト目でこちらを見ている。


「ど、どうかしたのか?」


「いえ……何やら急に不愉快な気分になりましたので、原因はどこだろうかと……」


 何やらヤバい雰囲気になりかけた時、急に客間のドアがノックされて開かれた。

 廊下に立っていたのは、もちろん泰宏である。


「まだ起きててくれてよかったよ。実は年越しそばを作ったんだ。一緒にどうかな」


「遠慮なくいただきます」


 断る理由もなく、何より危険領域と化しつつある客間から脱出できるのはありがたかった。


「……春道さんが挙動不審なのは気になりますが、私も好意に甘えさせてもらいます」


「葉月も食べるーっ」


 激動の一年の最後は、やはり激動の一日になった。

 それでも無事に乗り越えられたことを感謝しつつ、春道は来年も良い一年であればいいなと願った。

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