第270話 ソフトボール部へ入部

 地元の中学校へ無事に入学を果たし、制服にも少しずつ慣れてくる。クラスメートとの仲はそれほど深まってはいないが、会話をする相手程度はできた。


 菜月の中学校生活は順風満帆だった。


 ……何かと絡んでくる変な少女がいなければ。


「もちろん、このわたしが立候補します。小学校では各学年で学級委員長になり、児童会長もしてきました。他に相応しい人はいないと思います」


 本日最後の授業時間となるホームルーム。

 教室に高らかに声を響かせたのは、何かと菜月に張り合おうとする嶺岸愛花だった。


 担任教師が学級委員長を始め、各種委員を決めたいと言った矢先に、愛花が挙手して立ち上がったのである。


 人の上に立ちたい願望などない菜月からすれば大歓迎なのだが、小学校時代を共に過ごした女生徒がよせばいいのに口を開く。


「それなら菜月ちゃんもだよ。先生に頼りにされてたし」


「むっ。高木菜月さん。またわたしの前に立ちふさがるつもりですか」


「そんなつもりはないので、嶺岸さんが委員長でいいわ」


「見くびらないでください。

 勝利を譲られて喜ぶなんて、わたしにはできません!」


 目を剥いて激昂する愛花に、菜月は頬をヒクつかせる。


「立候補したんだから、普通に考えて嶺岸さんがやるべきかと」


「わかりました。そこまで言うんなら、決選投票を提案します!」


「いえ、あの……私の話、聞いてます?」


「わたしの人望を高木菜月さんに見せつけてあげます!」


 どうぞと最初から言っているのに、まるで話にならない。

 ならばと担任を見るも、何故か愛花の言う通りに決選投票の準備を始めている。


「勝った方が委員長で、負けた方が副委員長な」


 当たり前のように言い放った担任に反論しようとするも、大はりきりの愛花が手際よくルーズリーフの一枚を鋏で切っていく。


「わたしと高木菜月さん。どちらが栄えある委員長に相応しいか、名前を書いてください。書き終わったら後ろから集めて、黒板で発表していきましょう」


 見事なまでの仕切りぶりである。実績を残しているのに加え、性格的にも先頭に立つのが合っていそうだ。


 これなら自分の出る幕はない。密かに安堵していた菜月だったが、あえなく予想は裏切られることになる。


 教師の許可を得て黒板前に立った愛花が、回収した紙に書かれた名前を読み上げていく。


 二人の取り巻きはここでも行動を共にしている。

 一人が一枚ずつ紙を愛花に手渡し、もう一人が黒板に書かれた二つの名前の下に、正の文字で投票結果を記していく。


「まずはこのわたしです。次もですね。ウフフ。最初から結果は見えていましたが、あまりに差が開きすぎると申し訳ないですね」


 勝ち誇ったように笑う愛花。

 胸に手を当てて、心からホッとする菜月。


「あら、ここで高木菜月さんの名前が初登場です。頑張りましたね。あら、次もですか……その次もですか。こ、こちらは……高木菜月さん……」


 次々と菜月の名前の下で増えていく正の文字。

 市内の各小学校から卒業生が集まっているクラスだが、内訳をすると愛花と同じ学校出身の生徒が多い。元々の児童の少なさもあり、菜月の見知った顔は少数に限られる。


 にもかかわらず、集計し終えてみれば何故かダブルスコアで菜月が圧勝する始末。まだ自己紹介程度しかしていない同級生に、ここまで支持される理由がわからない。


 戸惑う菜月の前方では、唇を震わせた愛花が頽れていた。


「そんな……わたしが負けるなんてありえません。さては他の人たちと打ち合わせしてましたね!」


 立ち上がった勢いそのままに、愛花が指を差してくる。ふわりと舞ったスカートの裾からは、トレードマークのニーハイソックスに包まれた黒い脚が見えた。


「そんな真似していないし、可能なら辞退したいのだけれど」


「情けをかけられたくはありません!」


 きっぱりと言い切ったあとで、愛花は握った拳を震わせる。


「いいでしょう。今回は高木菜月さんに大役を譲ります。しかし覚えていてください。少しでも手を抜いたら、すぐにわたしが委員長です!」


 断言する愛花のそばで、パイプイスに座って様子を見ていたジャージ姿の担任が苦笑する。


「いや。途中で変更はできないんだが」


「そもそも私は、委員長どころか副委員長でなくとも構わないのですけれど」


 担任の苦言も菜月の指摘もスルーし、言ってやったとばかりに胸を張り続ける愛花。忍者のごとく背後に佇む取り巻き二人まで、なんだか得意げなのが腹立たしい。


 まったくおめでたくはないのだが、教室では祝福の拍手が沸き起こる。

 中学校では悪意のない他薦に苦しめられることもないだろうと思っていたが、早速予想を大きく裏切る事態となってしまった。


   *


 中学校でもソフトボール部に入ろうと、放課後になるなり意気揚々に見学へ訪れたまではよかった。現在は弱小らしいが、それでも構わなかった。


「問題は部員の少なさよね」


 練習を見学中のグラウンドで、菜月はため息をつく。

 隣には急に練習に加わってもいいように、菜月と同じく学校指定のジャージ姿の茉優もいる。


「そうだねぇ。なっちーと茉優を入れても六人じゃ、試合ができないもんねぇ」


 おまけに二年生は一人だけという有様だ。これまでは大会の度に他の部や、帰宅部の生徒に打ち上げの焼き肉を餌に参加してもらっていたらしい。


 新入部員が二人いるというだけで顧問の中年女性教諭を始め、上級生が揃って瞳を輝かせたほどだ。大会で勝てないのも当然だった。


「どうしたものかしらね」


 小学校時代に共にソフトボール部で汗を流した面々は、大半が他の中学校へ進学した。同じくこの学校へ進学した仲間もいたが、数多くある部活に目移りしてしまったみたいである。


 悩む菜月のポーズをどことなく楽しそうに真似ていた茉優が、おもむろに顔を上げた。


「あれ。あそこにいる子、なんだかなっちーを見てるよ」


「え? ……ああ、あれはさっき話していた嶺岸さんよ」


 そんなつもりはないのだが、委員長の座を奪われたと思っている当人は、さらに何かと菜月をライバル視するようになっていた。


「多少、煩わしくはあるけれど、実害はないから放置しているのよ。ん? 上手くすれば引き込めるかもしれないわね」


「なっちー、悪い顔してる」


「言いがかりはよして。強制しようというのではないわ。ただ、彼女が望んだら話は別よね」


 グラウンドの隅、大きな木の下で様子を窺うようにしている少女へと、菜月はゆっくり近づいていく。


 逃げるのではなく、胸を張って愛花は待ち受ける。相変わらず背後には二人の取り巻きがいる。


「奇遇ですね、高木菜月さん。どうやらソフトボール部に入るみたいですね」


「ええ。嶺岸さんはどの部に入るか決めたのかしら」


「生憎ですが、わたしは高木菜月さんみたいに、学級委員長の仕事をないがしろにできないのです。放課後もクラスのために頑張るつもりです」


 何故か勝ち誇る愛花の前で、菜月はわざとらしく鼻を鳴らす。


「きっとそういう点で私が学級委員長に選ばれたのね」


「……どういう意味ですか」


 予想通りに食いついてきた頭一つほど大きな少女を、菜月は見上げて告げる。


「文武両道という言葉を知っているかしら。嶺岸さんはきっと、小学校でも部活に入っていなかったのでしょう? このままでは嶺岸さんと私の評価には差がつくばかりかもしれないわね」


「――っ!

 ぶ、部活を頑張っても、学級委員長の仕事でミスをしたら大変です!」


「だからこそ、部活に入りながらだと余計に評価されるのでしょうね」


 否定しきれない愛花が項垂れそうになるのを待って、菜月は用意していた口撃を繰り出す。


「でも、例えば嶺岸さんが私と同じ部活に入って活躍したら、評価は覆るかもしれないわね。あ、いけない。うっかりしていたわ。この話は忘れてね」


 勝機を得たりとばかりに笑う愛花。難儀な性格をしているものの、想像以上に扱い易い少女である。


「そうはいきません。わたしもソフトボール部に入ります。その上で、どちらが学級委員長に相応しいかをはっきりさせてあげます!」


「そんな……嶺岸さんに入部されてしまったら、せっかくの私の評価が……」


「ウフフ。後悔しても遅いです」


「あ、でも嶺岸さんが入部しても、部員は七人。試合に出る九人には二人足りないわ。試合ができなければ、教師や生徒の目に留まることもないわね。怯えて損をしてしまったわ。あと二人の新入部員なんて、易々と見つかるはずがないものね」


 おもいきり意図がバレそうな誘導にもかかわらず、甘いわねと言いたげに愛花が背中を反らす。

 得意げな愛花が後ろを振り向くと、取り巻きの二人が揃って頷く。


「高木菜月さんの想像通りにはなりません。わたしにかかれば、残り二人の新入部員を集めるのなんて簡単だからです」


「まさか……後ろのトリマキーズの二人もソフトボール部に?」


「誰がトリマキーズだ。ボクには清水涼子って名前がある!」


 叫ぶように言ったのは取り巻きの一人で、天然と思われるパーマが特徴的な黒髪ショートヘアの少女だ。


 もう一人の少女は三つ編みで、鼻梁や頬にそばかすがある。地毛はやや赤っぽく、黙っていればとても可愛らしい。凛々しさがある涼子とは対照的でおとなしそうだ。


「あたしは駒井明美。愛花ちゃんを虐める人は許さないんだから!」


 甲高い声は、やはり取り巻きの片割れとは対照的だった。虐めているわけではないと内心でうんざりしながらも、上手くいったと菜月はほくそ笑む。


「想定外だわ。嶺岸さんたちが真面目に練習して、試合に出て活躍したら、私の存在なんて霞んでしまうもの」


「ウフフ。所属すると決めたなら、手抜きなどしません。わたしの実力に是非とも、驚いてください」


「ところで……ルールとか知ってるの?」


「投げる人と打つ人がいるスポーツでしたよね。それならわたしは投げるのを希望します。人の上に立つべき人間に相応しいからです」


「……私に言われても困るわね。グラウンドに顧問の先生がいるから、入部を伝えるついでに話してきたらいいと思うわよ」


「もちろんです。ウフフ。これでわたしの真の実力を証明できます」


 さすが愛花ちゃんと、口々に讃えながら取り巻きの二人も小走りでついていく。

 とにもかくにも、これで一年生の新入部員は五人。上級生と合わせればなんとか試合ができる人数である。


「ベンチメンバーがいないのは不安だけれど、高望みしすぎても仕方ないわよね」


「そうだねぇ。でも、面白い子たちだったねぇ」


「……そうね。個性豊かなメンバーになりそうだわ」


 軽くため息をついた菜月の隣で、茉優が「あっ」と声を上げる。


「まっきーがいるよ。美術室って一階だったんだねぇ」


 茉優の視線の先では、窓から身を乗り出し、楽しそうにこちらを見ている真の姿があった。


「真は美術部に入ることにしたのね」


 近寄って声をかけると、真は嬉しそうに頷いた。


「うん。またマネージャーをしようか悩んだんだけどね。好きなことに夢中になってる菜月ちゃんたちを見て、僕も好きなことをしようと思ったんだ。それにここからだと、ソフトボール部の練習風景も見えるしね」


「まさかの監視宣言かしら。

 茉優、少し離れていましょう。なんだか真の目が怖いわ」


「え!? ち、違……! ちょっと待ってよ。菜月ちゃんってば!」


 焦り顔で窓から一生懸命に手を伸ばす真。冗談よと笑う菜月の髪の毛が、楽しさを表現するようにそよいだ。

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