第119話 高木家への帰省

 戸高の実家への帰省も済み、あとは自宅でゆっくりするだけだな。


 そう言った春道に、呆れ顔の和葉が「誤魔化そうとしても駄目です」と注意した。


「春道さんが乗り気でなくとも、高木の実家への帰省も必要です。私もしばらくお義母さんには会っていませんし、葉月はお祖母ちゃんに会うんだと楽しみにしていますから」


 母親との仲は別に悪くないが、お喋り好きすぎて何を話すかわからないので、帰省するならひとりで帰りたい思いがあった。

 しかし妻や娘抜きで帰れば、またあれこれと言われてしまう。

 結局、当初の予定どおりに春道は家族揃っての帰省を選択した。


 車を使ってもよかったが、それでは時間がかかりすぎるので、電車での移動を選んだ。お盆時期だけに混雑しているのを予想していたが、最初に戸高の実家へ行ったのが幸いした。帰省する人よりも、自分たちの生活拠点へ戻る人の方が多くなっていたからだ。


 当日券は取れたものの、座れないだろう。

 そう思っていたが、難なく自由席に座れた。春道の実家までは結構な時間がかかるため、早めに駅弁なども購入しており、準備は万端だ。

 座席を向い合せにして、皆で座る。窓際を選択した春道の正面に葉月。その隣に和葉という席順になった。


「懐かしいねー」


 電車に乗るなり、葉月は大はしゃぎだった。

 走り出した電車の窓から風景を眺め、先ほどの台詞を口にした。


「懐かしい?」


「うんー。前にパパを迎えに行く時も、この電車に乗ったよね」


 和葉の問いかけに、元気に頷いた葉月が懐かしむ理由を教えてくれた。


 以前に春道は勝手に共同生活を解消し、2人の前から姿を消したことがあった。

 その際に、わざわざ葉月と和葉は実家まで迎えに来てくれたのだ。

 当時を思い出すと、春道も懐かしい気持ちになる。


「よく覚えてるよ。俺にラブラブだった和葉が、恋い焦がれる乙女の表情で迎えに来たんだよな」


 恋い焦がれる云々のところは意味がわからなかったみたいだが、ラブラブという言葉だけで葉月は元気に「うんっ」と頷いた。

 これに慌てたのが、当の和葉だ。


「ちょ、ちょっと待ってください。2人で勝手に、変な創作をしないでいただけますか」


「創作じゃなくて、事実だろ。なあ、葉月?」


「そうだよー。だってママ、パパを迎えに行かなくちゃって凄かったもん」


「だってさ」


 勝ち誇ったように笑う春道の視線の先では、和葉が恥ずかしそうに顔を真っ赤にする。このまま事実を認めてくれればとても可愛らしいのだが、生憎と妻はそうしたタイプの女性ではなかった。


「事実誤認ですっ。あれは……春道さんが携帯電話を使って、私に迎えに来てほしいと何度も涙声で哀願してきたので、仕方なしに行ってあげたんです」


「……おかしいな。迎えに来るまでの間に、和葉との通話記録が残ってないぞ。その時のはまだ消去してないはずなのにな」


 携帯電話を操作しながら、からかい半分に春道が言う。


「お、往生際が悪いですよっ。お、男ならば、正々堂々と認めるべきですっ」


 先ほどよりもさらに顔を真っ赤にする和葉を見て、さすがにこれ以上からかうのはかわいそうだと判断する。


「じゃあ、そういうことにしておこう。真実は、俺と葉月が知ってるけどな」


「ねー」


 葉月と2人で笑い合うと、妻は拗ねたように「もう知りません」とそっぽを向いてしまう。普段はしっかりしているくせに、時折こうした姿を見せてくれるのがたまらなく可愛かったりする。

 面と向かって言ったりすれば、先ほどよりも壮絶な狼狽ぶりを披露してもらえそうだが、そのあとが怖いので言わないでおく。


 機嫌を直した和葉や葉月との会話、それに駅弁や変わりゆく風景を楽しみながら、電車での移動を満喫する。

 部屋にこもって仕事をするのは、決して嫌いではない。

 それでも、たまにはこういうのもいいものだと思わずにはいられなかった。


   *


 春道の地元は大都市まではいかないが、普段住んでいるところよりかは都会と呼べる。電車を乗り継いだあとはバスを使い、実家まで移動した。

 戸高家とは比べものにならないが、それでも一軒家は一軒家だ。広さも、世間一般的に普通と言えるくらいはある。


 ドアの前に立ち、インターホンを使う。スピーカーから応答する声が聞こえる前に、ドスドスという足音が家の中から聞こえてきた。

 勢いよく開け放たれたドアの向こうに立っていたのは、見慣れた女性だった。


「アンタ、やっと来たの? さっさと荷物を置いてきなさい。

 あ、和葉さんと葉月ちゃんはこっちね」


「……おい。俺に対する態度と、他の2人に対する態度が違わないか」


 以前より少し太った感もある母親に、春道が抗議する。


「何を言ってんの。どこの親もそんなもんよ。ほらほら、退けて退けて」


 母親は春道を押し退け、真っ直ぐに和葉のすぐ後ろにいる葉月に狙いを定めた。


「葉月ちゃん、いらっしゃい。ケーキがあるんだけど、食べる?」


「えっ、ケーキ?」


 葉月が表情をパっと輝かせる。


「そうよぉ。色々な種類があるから、好きなのを選んで食べていいわよ」


 昼食は電車内で済ませているし、夕食までにはまだ少しの時間がある。おやつとして食べる分には問題ないだろう。そう考えて和葉をチラっと見る。

 彼女も同様の考えだったみたいで、春道と目が合うとすぐに小さく頷くという形で、問題なしと意思表示してくれた。


 葉月にしてみれば、春道の父親は祖母になる。和葉の両親はすでにいないので、祖父母と遊びたければ春道の両親に甘えるしかなかった。

 家の中に招かれた愛娘は「わーい」と心から嬉しそうにする。

 その姿を見ているだけで、なんだか微笑ましい気分になる。


「俺の部屋に皆で泊まることになるだろうから、先に荷物を置いてくる。和葉は葉月と一緒にいてやってくれ。あの母親に任せてると、晩飯が食えないくらいおやつを与えそうだからな」


 和葉が「わかりました」と返事をする。あまり頻繁に会ったことがなくとも、春道の母親の性格をかなり把握できてるみたいだった。

 荷物を春道に任せると、妻は足早に愛娘のあとを追いかける。


 玄関でひとりぼっちになった春道が全員分の荷物を運んでいると、リビングから楽しそうな笑い声が聞こえてくる。和葉の性格からして、表面上は春道の両親と上手くやってくれるだろう。

 仮に何かトラブルが発生しても、葉月が中に入ってくれそうな気もする。

 同居しているわけでもないのだし、今から嫁姑問題を気にしても仕方がない。とりあえず、荷物を部屋へ置いてこよう。


 荷物を自室へ運び終えたあと、春道もリビングへ行く。すると祖父――つまりは春道の父親が、孫娘となる葉月を膝の上に座らせて、これまでの人生で見たことがないほどニコニコしていた。


「あ、春道さん。お疲れ様でした」


 春道の姿を見つけると、和葉が座っていたソファから立ち上がる。家にいる時と同じように「ああ」と返事をしてから、彼女の隣に座る。

 これで少しは落ち着けるだろうと思っていたら、待ってましたとばかりに母親が話しかけてくる。


「聞いてよ、春道」


「何かあったのか?」


「お父さんたら、葉月ちゃんにデレデレなのよ。初孫だからってねぇ」


 母親がどことなく不機嫌な理由を、春道はすぐに理解できた。


「要するに、葉月を取られて拗ねてるのか。いい加減にしてくれよ……」


 呆れ声で言ったあと、春道はため息をつく。


「だって、私も楽しみにしてたのよ」


 帰省した息子はどうでもいいのかと抗議したい気持ちを堪え、春道は葉月に「お祖母ちゃんが遊びたいってさ」と告げる。

 すると愛娘は普段と同じ元気いっぱいの笑顔を浮かべながら、今度は祖母――春道の母親の膝の上へ乗りにいくのだった。


   *


 帰省などで人が集まると、よく日本人はお寿司を注文する。古来よりご馳走と定められてるのかは不明だが、戸高家でもそうだった。

 自宅ではあまり頻繁に頼まないので、連日にわたって夕食が寿司になっても、葉月は飽きるどころか嬉しそうだった。


 皆で楽しく晩御飯を食べたあと、わざわざ葉月のために購入したというゲームを皆でやった。全員で身体を動かして遊べるゲーム機で、卓球などのソフトもあった。普段テレビゲームをやらない葉月は大喜びで、プレイに興じた。


 夜になると両親は葉月と寝たがったが、肝心の当人が春道や和葉と一緒がいいと言い張った。そうした経過を経て、春道たちは3人揃って部屋でゆっくりしていた。

 まだ眠くないという愛娘の提案で、今はトランプで遊んでる最中だ。


 普段はきちんと宿題をしなさいと言う和葉も、せっかく泊まりに来ているのだからと、お盆の期間中はほとんど注意をしていなかった。

 あまり口うるさく言わなくとも、葉月はきちんとやる子だ。実際、お盆までに大半を終わらせているみたいだった。


「また、葉月の勝ちー」


 得意のババ抜きで、葉月がまたもひとり勝ちを収める。あとは春道と和葉の勝負になる。2人しか残ってないので、ジョーカーを春道が持っているのはとっくにバレているはずだ。


「ババ抜きというくらいだからな。きちんと俺の手札から抜いてくれよ」


 冗談半分ながらも、挑発目的で春道は妻に話しかける。


「相変わらず、くだらない冗談が好きですね。それに挑発だとわかってる言動に、あえて乗ってあげるほど私は愚かではありません」


 春道が持っている4枚のカードのうち、和葉が見事にジョーカー以外を引く。手札で完成したペアを床に置き、彼女の手には2枚だけが残る。

 そのうちの1枚を引き、春道もペアを作って自分の手札を減らす。次で彼女がジョーカーを引いてくれなければ、負けが決定する。


「春道さんが表情の読み合いで、私に勝てるとは思えません。おとなしく白旗をあげたらどうですか?」


「冗談はやめて、早くカードを引けよ」


 春道が持っている2枚のカードを突き出す。後悔しても知りませんよと訳のわからない発言をしながら、彼女の左側のカードを引こうとする。

 直後に、彼女の指の動きが止まった。


「あら、春道さん。どうして力を入れて、カードを引けないようにしてるのですか? それを取られたら、マズい理由でも存在するのでしょうか?」


「どうかな。ただ……本当にそれでいいのか、確認だけはしておこう」


「もちろん……と言いたいところですが、あえてもう1枚を選ばせていただきます。フフ。春道さんの考えなんて、すべてお見通しなのですよ」


 気合を入れて、春道が押さえていたのと違うカードを引いた和葉は、描かれているジョーカーを見て絶句する。

 その姿を見て、春道はニヤリとした。


「最初に掴まれたのがジョーカーなら、わざわざ押さえる必要はないだろ。頭のいい和葉なだけに、深読みしてくれるのに期待したら、そのとおりになったな」


「……やってくれますね。ですが、まだ勝負は決まったわけではありません」


 春道がジョーカーを引けば、また不利な立場に追い込まれる。

 狙いを定めてカードに指をかける

 。グっと引っ張られる感触がして、カードを引き抜けない。和葉が先ほどの春道と同じ真似をしてるのだ。


「ついさっき、俺がネタばらしをしただろ。ジョーカーを掴んでるのなら、押さえる必要はない……んだけど、これはジョーカーだな」


 言いながら春道は隣のカードに指を伸ばし、和葉が驚いてる隙にスっと抜いてしまう。それにより手札のカードとのペアが完成する。対照的に彼女の手元には、1枚のカード――つまりはジョーカーが残ったままだった。


「ど、どうしてわかったのですか?」


 悔しげに妻が聞いてくる。


「和葉のことだから、フェイントをかけると思ったんだよ。伊達に夫婦はしてないってな」


「なるほど。すっかり負けてしまいましたね」


 諦めたようにため息をつくと、最後まで残ったジョーカーを和葉は力なく床に置いた。


「すっかりこんな時間か。そろそろ、寝るか」


 春道の提案に、葉月がやや不安そうに「えーっ」と声を上げる。

 けれど母親の和葉にも説得されると、いつまでも抵抗はできなかった。


   *


 この部屋でも川の字になって眠る。幼少時代から慣れているだけに、変な夢を見たりはさすがにないだろう。


「ねえ、パパ、ママ」


 春道と和葉に挟まれている葉月が、布団の中から話しかけてくる。


「どうした?」


 春道が応じる。


「今日も楽しかったね」


 今度は和葉が「そうね」と、笑顔で愛娘に言葉を返す。


「パパとママが結婚してくれてよかった。葉月、とっても幸せだよ」


 言葉どおり幸せな笑みを見せる愛娘の言葉を受けて、春道と和葉は一度だけ顔を見合わせる。


「俺だって、葉月が娘で幸せだよ。ありがとうな」


「……あら? 私との結婚はそうでもないのですか?」


 和葉が横から意地悪な質問をしてくる。


「お、おいおい……」


 戸惑う春道に、和葉は笑顔で「冗談です」と言った。


「春道さんが私にラブラブなのはわかっていますから」


「そうだねー。でも、ママだけじゃなくて、葉月もパパにラブラブだよー」


 そう言ってくれる母娘に「やれやれ」と肩をすくめながらも、自分は世界で一番幸せかもしれないと春道は思うのだった。

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