第282話 秋のバーベキューと突然の知らせ
「そろそろお肉が焼けますよ」
豊かな緑に囲まれた高所。田舎ならではの山にある公園にて、菜月たち二年生は野外学習という名目で、ほぼ遠足のバーベキューをクラスの班事に行っていた。
決められた予算内で買い物をしたのが昨日。シーフードを多めに揃えたりなど、素材に各自の特色が多く出る中、菜月と愛花、それに茉優が所属する班は見事なまでに肉に塗れていた。
「野菜ジュースで材料費を浮かせて、その分をお肉に回すなんて発想はどこから出てくるのかしら」
一日に必要な分が補給できるという野菜ジュースのパッケージを菜月が眺める。
「とはいえ、それだけで十分なわけじゃないからね。数少ない野菜は皆、きちんと食べよう」
微笑んだ恭介の優等生な発言に、班員が揃って元気に返事をする。
男女合同で班を組んでいるため、もちろん真も菜月の隣にいる。
「外で食べるお肉は美味しいからね。気持ちはわかるけど」
「そういえばまっきー君たちは、夏にもバーベキューをしたんですよね」
「うん。菜月ちゃん家族と茉優ちゃん家族と一緒にね。小学校時代から毎年恒例なんだ」
真が説明すると、どことなく羨ましそうに愛花が「そうなんですか」と頷いた。
「何なら、愛花ちゃんも次は参加する?」
「いいんですか!?」
菜月が尋ねると、前のめり気味に愛花が目を輝かせた。
「構わないと思うわよ。最近じゃはづ姉やその彼氏もいるし、ほぼ確実に宏和も乱入するし」
「それは楽しそうです!」
見開かれた目の奥で瞳の輝きがさらに増す。
相変わらず宏和にご執心のようである。
「わたしの父や母も結構騒ぐのは好きですから、きっと喜ぶと思います。菜月さんのご両親には、昨年からずいぶんとよくしてもらってるみたいですし」
「誰とでも仲良くなるからね、うちの両親は」
半眼の菜月が引き攣ったような笑みを作る。
「あれで根は引き篭もりだって自称するのだから、とんでもないわ」
「なっちーのお父さんのことぉ? でもゲームとかは好きだよねぇ」
「昨日もママにやりすぎだって叱られていたわ。はづ姉も一緒にね」
とっくに二十歳を過ぎている姉だが、彼氏とのデートや職場の飲み会などがない場合は、比較的家で春道や和葉と一緒に過ごしたりする。
その影響というべきか、最近ではリビングにゲーム機が設置されるようになった。時折、菜月も遊ばせてもらうので、邪魔ではないのだが。
「菜月の家は楽しそうだな」
「騒々しいだけ――って涼子ちゃん? どうしてこっちにいるの?」
「遊びに来た」
見れば同じ班と思われる明美も含めて、他クラスの生徒がぞろぞろ混ざっていた。
その分だけ肉や野菜も増えて、何故か焼く係を一手に引き受けている愛花は大忙しである。
「茉優も手伝うよぉ」
「「「え!?」」」
涼子や明美、それに恭介までもが不安そうな声を出すが、安心させるように菜月は言う。
「大丈夫よ。出会った頃ならともかく、今は家事力がだいぶついているから」
「えへへ。今でもなっちーと一緒にお料理したりするんだよぉ」
ふわふわした雰囲気を漂わせながらも、焼いていく手際の良さに周囲から感嘆の声が漏れる。
「よく見てるとわかりますけど、茉優さんは意外としっかりしてますよ」
「愛花ちゃんに褒められちゃったぁ」
嬉しそうに言った茉優は肉などを焼き終えると、最後に焼きそばの調理を始める。
「バーベキューの締めといったらこれだよな!」
運動に加えて食べるのも大好きな涼子がはしゃぎだす。他クラスが持ってきた分も合わさっているので、鉄板上は焼きそばの海と化している。
「美味しいけど、食べ過ぎで太りそうかも」
「大丈夫だろ。明美の場合は、一部分にしか肉がつかないみたいだし」
「やめてよ、涼子ちゃん!」
ジャージの上からでもはっきりわかるボリュームの果実を両手で隠し、明美が顔を真っ赤にする。
ついでにこの場にいる男子も気まずそうに彼女から目を逸らす。
「一部分だけじゃないから困ってるのよ。はあ……愛花ちゃんや菜月ちゃんが羨ましい。幾ら食べてもスタイルいいんだもん」
「お、おい! 明美! この二人にその言い方はまずい!」
「どうして?」
「だって、去年からずっとぺったんこのままじゃないか!」
高所だけに、涼子の低めの声でもよく響き渡る。
ついでにぺったんこの部分が、やまびことなってしつこく菜月の耳孔にやってくる。
「はい、茉優さん。あ、涼子の分はこれね」
「あ、愛花……? 麺が一本しか乗ってないんだけど……」
冷や汗を垂らして困惑する涼子に、今度は菜月が紙コップを渡す。
「涼子ちゃんはスタイルがよくなりたいのでしょう?
なら節制しないといけないわよ」
「それを言ったのは明美で……って、野菜ジュースも一滴だけじゃないか! 器用すぎだろ!」
抗議する涼子の隣では、元凶が我関せずと焼きそばを頬張っている。
肉や体重がどうのと頻繁に気にしているが、菜月は彼女が食事量を減らしているのを見たことがなかった。拗ねられると困るので、本人の前では言わないが。
「今年もあと少しだねぇ」
雲が高くなった空を見上げる茉優は、少し寂しげだった。
「すぐに雪が降り出して年が明け、三年生になるのですね」
後片付けを終えた愛花が、手を拭いたエプロンを脱ぎながら頷く。学校から貸し出されたのではなく、今日のために彼女が持参したものだ。
「来年はなんとか一勝できるでしょうか……」
ため息と一緒に零された不安は、ソフトボール部についてのものだ。
「主将が弱気になってどうするのよ。よくはづ姉も言っているでしょう。投手に必要なのは自信だと」
「それはわかっていますけど、新人戦も一回戦負けしてしまいましたし……」
「あの時は愛花ちゃんも茉優もだめだめだったもんねぇ」
二番手投手の茉優も肩を落とす。
「だから気を落とすなって! 確かに初回の6失点は痛かったけど、そのあとでボクらも点を取り返したじゃないか!」
「涼子ちゃんの言う通りよ。それまでずっと打撃が課題と言われていた私たちが、最終的には8点も取ったのよ。自信を持つべきだわ」
上位を固める菜月たち上級生だけではなく、チームに慣れた下級生も存分にその実力を発揮してくれた。それでも結果的には8ー9で負けてしまったが。
「だからこそです。わたしがしっかりしていれば……痛っ!」
菜月の鼻ピンを喰らい、愛花が顔を歪める。
「わたしが、ではなくて私たちが、よ。ソフトボール部の勝敗は部員全員で背負うの。だから試合も全員で戦うの。伝説のOGだって一人じゃ大会を勝ち抜けなかったはずよ」
「菜月さん……」
涙目の愛花は少しだけ俯き、顔を上げた時には従来の元気さを取り戻していた。
「そうですね。まだ最後の一年が残ってるんですから、全力で頑張りましょう。全員で!」
いつの間にやら二年生のソフトボール部員で円陣を組み、試合前の掛け声を出す。
他の生徒もいるので少しばかり恥ずかしかったが、こういうのもたまにはいい。
仲間とハイタッチをしながら、菜月は心からそう思った。
*
お風呂から上がった菜月は、冷蔵庫から取り出した牛乳をコップに注いでからリビングのソファに腰を下ろした。
「バーベキューは楽しかった?」
先に座っていた葉月が声をかけてくる。父親をリスペクトしているのかは不明だが、自宅ではブランドもののジャージで過ごすことが多い。
「ええ。毎年バーベキューならいいのだけれど」
「一年ごとに駅伝大会と野外学習が交互に行われるようになったんだね。時代は変わっていくなあ」
「はづ姉、おばさんくさい」
「ガーン!」
大袈裟に頭を抱える姉が、読んでいた雑誌をテーブルに置く。
「スイーツ特集?」
「そうだよ。
自分でお店を持てるようになったら、色々なパンやケーキを置きたいし」
「夢は果てしなく遠いわね」
「なっちー、可愛くない」
「ちょっと! くすぐるのは反則だってば!」
リビングで騒いでも、呆れ気味に注意する母親も、楽しそうに笑う父親もいない。
「そういえばパパとママはどこへ行ったの?
今朝から姿を見かけなかったけれど」
朝食も夕食も用意してくれたのは和葉ではなく葉月だった。
普段なら今みたいに午後八時を過ぎていると、春道がゲームするなり、リビングには家族が揃っていた。
「詳しくは私も聞いてないんだ。ただ、もしかしたら泊まりになるかもとは電話で言ってた」
「ふうん……何かあったのかしら。パパの仕事関係ではないわよね」
「二人が帰ってきたらわかるんじゃないかな。それより……」
葉月の目が悪戯心という名の輝きを宿す。
「お風呂上りだし、疲れてるだろう愛する妹のために、お姉ちゃんがマッサージしてあげる!」
「今日は練習がなかったから、大丈夫だってば! お風呂にも一緒に入ろうとするし、はづ姉はそろそろ妹離れするべきだわ!」
「なっちー、酷い! 私を捨てるのね、キーッ!」
「どこのドラマから影響を受けたのよ!」
しばらくじゃれ合うというか、菜月が葉月というハンターから逃げ回っていると、玄関の鍵が空く音がした。
「ほら、パパとママが帰ってきたみたいよ!」
午後十時近くなって帰宅した両親は、出迎えにいった菜月が驚くほどぐったりしていた。
部活の練習などで疲労した友人たちとはまるで違う、いわば精神的な疲れが二人の全身から滲み出ている。
「何か……あったの?」
緊張と不安で菜月の声が掠れる。
瞬きすら忘れて震わせる肩に、いつの間にかそばに来ていた葉月の手が置かれる。
数秒ほど逡巡したあと、和葉に視線を向けられた春道は、小さく頷いて菜月の頭を撫でた。
「実はな……俺の父親、つまりは菜月のお祖父ちゃんが病気になった」
体の内側から叩かれたみたいな感覚に、菜月は強めに息を吐く。
頻繁に会うわけではないが、正月や盆に遊びに行けば、いつも優しい笑顔で出迎えてくれた。
「今日も向こうへ行ってきたんだが……明日にはまた出かける。もしかすると、しばらく家を空けることになるかもしれないから、二人とも和葉の言うことをよく聞くんだぞ」
「それだとパパが心配だよ。家のことは葉月がするから、ママも一緒に行って」
「……いいの?」
聞いてきた母親を安心させようと、葉月はいつもと変わらない笑顔を見せる。
「大丈夫だよ。男手が必要になれば和也君にも来てもらうし、それになっちーだって頼りになるんだから。ね?」
「う、うん! しっかりお留守番しているから、パパとママはお祖父ちゃんを助けてあげて」
「……そう、だな」
普段通りに振舞えないほど気落ちする父親を見て、菜月は理解してしまう。
きっと祖父はもう長くない。
そう考えるだけで胸が痛くなって、泣きそうになる。
疲弊しきっている両親を気遣って早めに自室に戻った菜月は、眠る前に姉の部屋を訪ねた。
「なっちー、どうしたの?」
パジャマ姿のままで足を交差させ、本題を切り出せずにもじもじしてしまう。
「……今夜は特別に冷えそうだから、たまには一緒に寝よっか」
「は、はづ姉がそうしたいのなら、し、仕方ないわね……」
背中に隠していた枕を姉の布団の横に置き、照れを隠すために先に布団へ入る。
「安心して眠っていいよ。なっちーが目を覚ましても、私はここにいるから」
「……ありがとう、お姉ちゃん」
小さく呟いた菜月は、嗚咽を押し殺すように姉の胸に小さな顔を埋めた。
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