第296話 秋の球技大会

「さあ、皆さん。気合を入れていきますよ!」


 威勢の良い声が秋の高い空に木霊する。

 菜月たちのクラスは丁度、球技大会でソフトボールの試合中だった。


 気合の号令をかけた愛花のボールが、菜月のミットに収まる。

 球技大会にもかかわらず、全力で投げるのが愛花らしい。


「一段と速くなったわね」


 今年の夏で引退したソフトボール部の元主将が、苦笑交じりに捕球したばかりの菜月を振り返った。


「美由紀先生の指導もいいですからね。あの悪い癖さえなければ、最高の監督なのですが」


「フフ。今でも男なんてと叫びながら、ノックをしているみたいね」


「ついでに彼氏のいる部員には数が倍になります。噂では疲れ果てさせて恋愛を疎かにさせ、別れさせる目論見だとか」


「冗談が上手いんだから。

 ……と言えないところが、美由紀先生の恐ろしいところよね」


「先輩、誰かいい人知りませんか?」


 軽口を叩きながらも、投げる愛花は真剣そのもの。

 三振に仕留められた元主将はさっぱりとした顔で、


「そんな人がいるなら、先に私の彼氏になってもらってるわよ」


 と言いながらベンチに戻っていった。


「今日も絶好調です!」


 腰に手を当て、マウンド上で高笑いする愛花。

 ソフトボール部に所属していれば見慣れた光景なのだが、バックを守るクラスメートたちは若干引き気味だ。


 高校生にもなれば色々と他に興味を覚え、適当に球技大会に参加する生徒も出てくる。少しだけ寂しいが、それもまた一つの現実だった。

 そんな中でも一人、熱血モードの愛花は特に浮き気味になってしまう。


「うちの子が空気も読まずに三年生を倒してしまいました」


 勝利を得たあとで、菜月はわざとらしくクラスメートの前で肩を竦めてみせた。


「ま、待ってください、菜月さん。

 それではわたしが悪者みたいではありませんか!」


「みたいではなくて、まんま悪者よ悪者。心清らかな乙女である私なら、先輩に花を持たせてあげたもの」


「それは八百長です!

 本気には本気で相手をする! それがわたしの流儀です!」


「嶺岸家の家訓みたいなものなのかしら」


「いいえ。我が家の家訓は常に勝利を目指せ、です」


「「「あるの!?」」」


 きっぱりと断言した愛花に、クラスメートが揃って驚愕の声を上げた。


「えっ? 逆に皆さんのお家にはないんですか?」


 本気で狼狽する愛花に、場にいる全員が今度は一斉に吹き出す。


「聞いたことないわよ!」「でも家に帰ったら聞いてみよ」「常に悩殺を目指せとかだったらどうすんのよ!」


 口々に言っては笑い、皆が盛り上がってきたところで、菜月はわざとおどけた声を出す。


「うちの子は真面目に家訓を守る子なので、次も全力で頑張るだろうからよろしくね」


「それは当たり前ですが……菜月さん?

 いつからわたしと家族になったんです?」


 皮肉ではなく、本気で疑問に思っている顔だった。

 それを見たクラスメートがまたしても爆笑する。


「嶺岸さんって意外と天然系だよね」「私もこれから愛花ちゃんって呼んでいい?」「家族ってのは確かかも。高木さんって保護者っぽいし」


 わらわらと皆に囲まれ、戸惑いつつも、やがて嬉しそうに愛花は全員と言葉を交わしていく。

 その輪を少し離れた場所から見守りながら、菜月は安堵の息を吐く。


「明美ちゃんに感謝ね。日頃からわざと涼子ちゃんや愛花ちゃんに毒舌で接する苦労がわかったわ」


 放っておくと女王様キャラみたいに孤立しかねない二人を、あえていじられキャラっぽくすることでクラスに馴染ませる。

 それを軽く真似てみたのだが、効果は抜群だった。


「ついでに人見知りなあたしも、一緒に輪の中に入れるから、苦労ばかりじゃないけどね」


「明美ちゃん? そっか、次はそっちの試合だったものね」


「種目と同じ部活の生徒も参加できるから、強制的にエースピッチャーだよ」


「でもって対戦相手は二年生ね。先輩も何人かいるし」


「打たれる気しかしない……」


 ため息をつきながらマウンドへ向かう明美を見送ってから、菜月はクラスメートと談笑を続ける愛花の背中を追いかけた。


   *


「愛花ちゃん、たまにはこっちに打たせてもいいわよ!」


「その際は、是非お願いします!」


 全力で三振を奪うのではなく、コースを狙った投球に切り替え、守っているクラスメートにも活躍してもらう。

 ソフトボール部とは違った戦い方にも、愛花は徐々に慣れていた。


 元々、頑張ってさえいれば、誰がミスしても怒らずに励ます愛花だ。勝ち進んで試合をこなすうちに、瞬く間にクラスメートと打ち解けていた。

 最初に保護者役を気取ってみたせいで、危うく菜月の高校でのあだ名が『ママ』に決まりかけてしまったが。


「愛花! 悪いけど、ボクもクラスの期待を背負ってるんだ。今回は負けてあげられないよ!」


「上等です! 涼子が相手なら、全力で挑ませてもらいます!」


 以前なら愛花に勝たせるためにわざと負けようとした涼子だが、明美も含めて成長するにつれて自立というか、花を持たせるだけが親友ではないと気づいたみたいだった。


 別々に行動する機会が増えつつも、集まればこれまでと何ら変わらずに楽しく盛り上がる。そういう関係は菜月から見ても、羨ましくて素敵だった。


「うわっ! 菜月、武士の情けだ! 落としてくれ!」


「諦めなさい。友人だからこそ、情けはかけられないのよ」


 背後で涼子が鬼だの悪魔だの騒ぐのを聞きながら、菜月は宣言通り無慈悲に彼女のファールフライをキャッチする。


「最大の障壁は乗り越えました! あとは点を取ってこちらが勝利する番です!」


 運動神経の良さそうな打者には強めに、そうではない打者にはやや弱めに。


 初戦では何事も全力で勝つと言っていた愛花だが、全力で皆を楽しませた者こそ球技大会の勝者だと菜月が説得したおかげで、根が真面目というか真っ直ぐな彼女は目からうろこが落ちたと感動して、言葉を変えただけの手加減をしてくれるようになったのである。


 守備陣にも打球が飛び、キャアキャア言いながら一つのアウトを取る。


「初めてソフトボール部に入った時のことを思い出すわね」


 相手の攻撃をゼロに抑え、ベンチに戻った菜月は外したマスクを置く。


「わたしは菜月さんに勧誘された中学生の時ですけど、確かに懐かしいです」


「愛花ちゃんも最初はノックが捕れなくて、泣きそうになっていたものね」


 菜月の発言で、ベンチ内が一斉にザワついた。


「え!? 愛花ちゃんが!?」「その話、詳しく教えてよ!」


「み、皆さん! そんなことはいいですから、打撃に集中してください!」


 顔を真っ赤にした愛花の肩を、冗談よとクラスメートが叩く。

 彼女にとって幸か不幸かはわからないが、どうやらいじられキャラとしてクラス内での立場が確立されたみたいだった。


   *


 勝ち進むほどに相手は強くなり、そしてそのクラスは二年生が多くなる。

 新人戦では主力なのだから、当然といえば当然だった。

 そして現役の誇りにかけて、こういう場では全力で勝ちにくる。


 愛花の頑張りで最少失点で抑えてはいるが、チームの主砲は元からあまり打撃の得意でない愛花と菜月だ。前の打者もほとんどランナーに出られず、苦しい戦いが続いていた。


「愛花ちゃん、がんばー!」


「頑張ります!」


 打席に立つのは四番の愛花。一塁にはなんとか四球を奪った菜月がいた。

 現在は四回で、準決勝の今試合からこれまで三回で勝負していたのが、五回制に変わった。ちなみに決勝も同様の形となる。


 相手投手はソフトボール部のエースである。球の速さもさることながら、チェンジアップとの緩急がもっとも厄介だ。


 精力的に愛花がスイングするも、バットが空を切る。

 あっという間に追い込まれ、ヘルメットをかぶった彼女の頬に焦りの汗が滴る。


 期待がプレッシャーになり、平常心を失っているように見えた。

 菜月は慌てて忠告しようとするが――。


「愛花、落ち着け! 手に力が入りすぎてんぞ!」


 準決勝で増えていた観客の中から、聞きなれた声がグラウンドに飛んできた。


「ひ、宏和先輩……」


 声援を受けた愛花の頬が乙女の色に染まり、


「絶対に無様な姿は見せられません!」


 気合に変化して、漫画みたいに彼女の打力を一時的に急上昇させた。

 はしゃぐような金属音が空へ吸い込まれていき、無人の外野を打球が転がる。


「やりました! 宏和先輩のおかげです!」


 一塁へ走りながら手を振ったせいで、宏和と一緒に観戦していた野球部の仲間が「あれって、ソフト部の宏和の彼女じゃん」と冷やかす。


「か、彼女……そ、そんな……」


 まだ違うと否定している宏和の言葉など耳に入っておらず、顔を両手で挟んだ愛花がフルフルと嬉しそうに首を振っている。


「愛花ちゃん!」


 ホームへ帰った菜月が叫んだ時にはもう遅く、彼女は内野に返球されたのにも気づかないまま三塁の手前でタッチアウトになっていた。


   *


「愛の力よねー」


 結果的に試合には負けてしまったが、クラスメートの結束という点では大勝利に終わった。


 声援を送ってくれた宏和に挨拶して戻って来た愛花を、ソフトボール部グラウンドの隅で、決勝そっちのけで級友が取り囲んだ。


「あ、愛だなんて、そんな……まだ付き合ってないですし……」


「本当に!? 大丈夫なの?」


「だ、大丈夫とは何がですか?」


 クラスメートの一人に愛花が聞き返した。


「あの先輩って野球部の人だよね。結構、人気あるって噂になってるよ」


「私も知ってる。確かエースなんだよね」


 進学校の南高校は県ではベスト8くらいが指定席で、そこまでの強豪ではない。それでも予選は地元テレビ局で放映されたりするため、目立った活躍をすれば人気が出たりする。


「そうです。実に堂々としたピッチングで、去年も試合で投げてました。わたしの憧れです」


「だったら全力でぶつかっていかなきゃ!」


 拳を握ってヒートアップするクラスメートの肩に、背後から菜月は手を置いた。


「それなら問題ないわ。

 愛花ちゃんは暇があれば野球部の試合にも顔を出すし、宏和専用の差し入れもするし、LINEやメールで頻繁に連絡も取り合っているもの」


「それってほとんど彼女じゃん!」「ていうか彼女候補一位?」「私たちも応援するよ!」


 内情をバラした菜月に抗議しようとして、予想外の励ましを四方から受けた愛花は戸惑いの後、固まってしまう。


「あ、ありがとうございます。頑張ります」


 それでも応援してもらえるのは嬉しいらしく、笑顔で皆に頭を下げた。


   *


 球技大会も無事に終わり、教室で部活へ行く準備をする菜月の傍に、いつもと同じように一緒に部室へ向かうべく愛花がやってきた。


「菜月さん、ありがとうございます」


「え? お礼を言われることを、私が何かしたかしら」


「ええ。普段から少しクラスメートの皆さんと壁を感じていたんですが、今日でそれがすべて取り払われた気がします。菜月さんのフォローのおかげです」


 とても丁寧に愛花が頭を下げた。


「やめてよ。友達なら当然でしょう」


「はい!」


 嬉しそうに愛花が顔を上げる。

 菜月の両手を取り、


「わたしは幸せです!」


 とブンブンと上下に振り始める。


「涼子と明美だけじゃなく、菜月さんや茉優さんといった親友もできました。最初はあんな形でしたけど、それでもわたしを嫌がらず、仲間に入れてくれたあなたが大好きです!」


 思わぬ告白に菜月は頬を赤らめつつも、悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべる。


「宏和とどっちが好きかしら?」


「え!? そ、それは……もう! 菜月さんは意地悪です!」


「ごめんごめん。でも私も嬉しいの。愛花ちゃんと涼子ちゃんや明美ちゃんの関係を羨ましいと思っていたから」


「そうなんですか? わたしからすれば茉優さんやまっきー君との関係の方が素敵に見えますけど」


「隣の芝生は青いってことかしらね」


 二人で笑い、そのあとで菜月は握られたままの手に力を込める。


「愛花ちゃんが私を親友だと言ってくれるなら、そろそろちゃん付けはやめにしない?」


「……良案です。ですが、少しだけ恥ずかしいので、いっせーのせでお互いの名前を呼びませんか?」


 菜月は頷き、愛花の合図に合わせて口を開く。


「愛花」

「菜月」


 いつの間にか他の誰もいなくなっていた教室に、顔を見合わせて吹き出した菜月と愛花の笑い声が楽しげに響き渡った。

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